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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
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21 「哭く都市 6」

 弐道までの距離は、直線にしておよそ十メートル。ハナコと『合一』を果たした真の力であれば、一足の内に詰められる。

 碧の霊気を全身に漲らせた真は、姉が示してくれたその道筋を滑るようにして突き抜けた。燃え盛る二人の気は周囲を満たす黒い霊気を寄せ付けず、二人のために道を開けるように割れていく。


「お前に傷つけられるのかよ! 真!」


 今もなお、静と攻防を繰り広げている如月の声が聞こえる。だが、視線は前から逸らさない。己の戦いを貫き通すのみだ。


『真さん。わたしの事なら気にせず!』

「…………とは言ってもな」


 弐道の肉体を傷つける行為は、つまりはハナコを傷つけるという事だ。結界を止めるために衝突が不可避とはいえ、完全に迷いがないと言えば嘘になる。

 しかし、弐道にハナコの身体を預けたままにはできない。相手はきっと、今の身体を壊す事に何の躊躇いもないのだ。無関係の人々の霊気を吸い上げようとする所業からして、人の命を何とも思っていないのである。


「おおぉ!!」


 木刀の柄を握る両手を締め直し、短い気迫を叫んで振りかざす。霊気を纏い碧に煌めく刀身が、弐道の胴へと吸い込まれるように鮮やかな軌跡を描く。

 弐道の深い闇色の双眸が、その剣筋へと向けられるのを、真は見た。


「――お前……ッ」


 そう、まるで遠くから観察するみたいに、迫る刀身を見つめている。

 目を向けるという事は、見えているという事だ。それなのに、躱す素振りを見せすらしない。

 それ故、真は木刀を振り抜くのを躊躇った。加減などできる相手ではないと分かっているはずなのに、華奢な彼女の身体がへし折れる未来が脳裏を過ぎり、力にブレーキをかけられる。


「遠慮はしなくてもいいよ」


 真の考えを見透かしたみたいに、弐道は微笑と共に言葉を紡いだ。


「この身体はボクにとっても希有なものだ。そう易々と壊させる真似はしないよ」


 木刀が接触する寸前に、弐道の身体から滲み出る霊気が形を成す。醜悪な花が開くように口を広げ、花弁の一枚一枚が鋭利な輝きを放つ刃となって真を襲い始めた。

 危機を感じて咄嗟に木刀を引いて転がるように回避する。闇の刃がコンクリートの床を削る鈍い音を響かせ、その威力を示した。


「ボクが望むのは、肉体的な死ではないよ。やるなら、暴力に訴えない方法でお願いしたいな」

「勝手なことを……! 殺されたいなら、大人しくしていやがれ」

「残念だけど、それは無理だよ。この結界はボクにも止められない。最初から制御の事は考えていなくてね。全部吸い上げて、散らしてしまうまでは終わらないんだよ」


 弐道は片腕を持ち上げて、掌から黒い霊気を溢れさせる。そうすることで、霊気は弐道の頭上に蠢く黒き球体へと吸収される。球体は鼓動を刻み、一回り巨大さを増したようだった。


「いずれにせよ、君たちがボクを殺すには、この力を止めないといけないってわけだね」

「ふざけやがって……。死にたいとか言いながら、こんな事をして何がしたいんだ!」

「言ったはずだよ。全てのヒトの魂を消すって。迂遠だけどね……君たちに可能性を見いだせないのなら、この方法が確実かもしれないから。この都市は、そのための試金石だそうだよ」

「試金石だと?」


 弐道の台詞に問い返す。他人事のような言い方は、計画そのものは如月が主導だったという事なのだろう。現世に転生したのが最近のことならば、弐道が主体となるのは無理なはずである。


「シンプルな話だよ。この都市の魂を吸い尽くしたのなら、次はまた別の場所へと移る。それを繰り返していけば、いずれ全てのヒトの魂が絶える。そうすれば、ボクも転生する先がなくなるというわけさ」

「………本気で……そんな事ができると、思っているのか?」


 狂っているとしか思えない話に、真の頭は理解を拒む。その話を鵜呑みにしてしまえば、弐道が人類最後の一人になるまで、この殺戮は続けられる事になる。

 そもそもが不可能だと、真は思った。人類滅亡など荒唐無稽。この瞬間にも失われる命はあれど、同じくらいに生まれる命だってある。人の数は一定ではないのだ。残らず消すなど、できるわけがない。


「それは感情論だよ。不可能だって根拠があるわけでもない。なら、試す価値はあるんじゃないかな?」


 湛えられる微笑に、真はこれまでとは違う、全身が痺れるような畏怖を覚えた。

 弐道には無限に転生を繰り返す意識がある。一生で足りぬのであれば、次――そのまた次。不可能でなくなるまで、繰り返せば良いだけの事なのだから。


『許せない……人の命は、そんなに軽いものじゃないんですよ!』


 ハナコが真の内から声を発する。できるできない以前に、そんな考えは狂気の沙汰どころの話ではない。

 だが、正しさを論じる意味などもとよりない。話し合いでわかり合えるような相手ではないのは今更だ。現にハナコの悲痛な声も弐道には毛ほども通じていない。真の中にいるハナコの姿を見通すように、じっと彼の瞳を覗き込んでいる。


「君とボクは考えが逆だね。そうまでして生きたい理由が、ボクにはないから」


 引き延ばした笑みを口元に残して、弐道は身を引いた。その身に刻まれた黒い霊気の刻印は更に色濃く広がり、明滅している。

 時間をかければかけるほど、集まる力が膨大になっていく。真は膝立ちの状態から前傾姿勢で立ち上がり、奥歯を噛み締めて床を蹴りつけた。


「弐道!」

「そう……君は戦うしかない。この場に集まる力もまた、死に抗おうとする意志に溢れている。わからないな……」


 真と弐道の衝突に合わせて、黒い霊気は真を迎え撃つ刃となる。暗黒の刃の乱舞を躱し、剣劇を響かせ、真は弐道との距離を詰めあぐねる。

 弐道自身はまるで棒立ちであるにも関わらず、彼の者に集まった霊気は自らの意志を持つかのように蠢いていた。いや、事実としてこの場に集った霊気は、本来の持ち主の意志を持っている。 


 自意識と呼べるような上等なものではないが、限りなく本能に近い。真の殺気に対して、生きようとする本能が働き抵抗しようとしているのだった。


 如月が力を己の意志で統制しているのとは異なり、弐道はいわば自らに集まった力を放し飼いにしているような状態にある。

 だが、多くの他者の魂を接続しながら、取り込んだ力を相手の本能のままに動かすなど、本来ならば自我の崩壊を招く危険性があり到底できる技ではない。

 それを可能にしているのは、弐道の自我が限りなく虚無に近いからである。転生を繰り返し名前のみの存在となった彼の者であるからこそ、何者にもなれる可能性をもっている。ありとあらゆる自我を己が内に受け入れる事ができる。


 弐道は死に抗わないが、死は弐道を許容せず――集う意志ある力は生き延びようと彼の者を守るのだった。





 そして、如月を追い詰めたかに見えた静かであったが、彼女もまた彼に決定打を与えることができずにいた。


「は……勢い込んで来やがったが、どうやらお前も全力を出し切れちゃいねえみてえだな」


 表情に余裕を取り戻しつつある如月は、己の守りを固めて静に言う。静は答えの代わりに拳を振るって彼の築いた霊気の壁を一枚粉砕するが、何重にもなる壁は易々と貫けるものではなかった。

 如月とて、かつては退魔師として腕を鳴らしていたのだ。その経験は静にはない老獪さとして現れており、決して侮れるものではない。

 純粋な力比べでは静に分があったはず。しかし、最初の攻防で仕留めきれなかったのは痛恨の極みであった。


 加えて言えば、今の静は麻希を保護するために『接続』を行い、そちらに力を割いている部分もある。


 そのような状況を軟弱な言い訳にする静ではないが、先の言から如月も彼女がしんに全力を出せない状態を見抜いている節があった。


「斬撃、刺突、殴打、果ては飛び道具……確かにお前の『髪』の攻撃の多様性バリエーションには油断ならねえもんがある。お前の強みはその技の練度ってところだろうが、霊気の総量は人並みに過ぎねえ。そいつを割いたとあっちゃ、短期決戦に持ち込みたいのは道理だよなあ」

「ちっ……、ごちゃごちゃと理屈を喋っていないで、かかってこい!」

「そうはいかねえ。こっちは戦いを急ぐ必要はねえんだ。悪いが、じわじわと追い詰めさせてもらうぜ」


 放っておけば黒い霊気は自動的に補填され、如月の使用する霊気は回復していく。消耗する一方の静には攻めるしか手はないが、彼は彼女の攻めに対して、まともに攻めを返すことはしないのだった。

 周囲を取り巻く黒い霊気は静の動きを捉える感覚器のような役割を果たし、如月は彼女の攻め手に対して最適の守りを返す。いくら静が多くの攻め手を持ち合わせていようとも、老練な退魔師はその一挙手一投足から予測し、裏をかくことも許しはしなかった。

 だからこそ、初見でとどめを刺せなかったことが悔やまれた。

 いたずらに攻めたところで、もはや如月の守りを突き崩すのは容易ではなくなった。知らず表情に出てしまった焦慮を嘲笑う敵の声に、苛立ちが更に募る。


 こうしている間にも、頭上に集積する黒い霊気の球体は膨張を続けている。真とハナコのために道をつけはしたが、二人の相手もまた生半可な存在ではない。

 二人の力を信じていないわけではない。だが、早くこの仇敵を下して加勢に行きたい思いもあるのだった。


 苦渋に歯を軋らせる静。何か状況を変える一手を打つことができれば――そう考える彼女は視界に、ふとした違和を覚えた。


 戦いの最中に敵から視線を外すなど、あってはならない事。しかし、その点に関しては如月も同様だった。彼もまた静とほぼ同時に訝し気に顔を上げて、視線を空へと向けていたのである。


 黒い霊気で支配された屋上は薄い膜のようになって塞がれた状態であったが、青く晴れた空の様子は窺える。

 その空の一点に、霊気とは異なる黒い影が見えたのだ。

 一瞬、鳥にも見えたがそうではない。ばりばりと大きく空気をかき乱す振動音を鳴り響かせて、その影は徐々にビルの屋上へと接近している。


 一切速度を落とすことなく、低空飛行でまっすぐに。



 ――潰されたくなければ、避けるがよいぞ。



「……ッ! 真! 逃げろッ!!」


 静の胆力をもってしても血が凍り付くような、脳に直接響いたその声は幻聴などではありえない。気付いたときには目前に押し迫る鉄の塊を前にして、静は形振り構わず叫んでいた。





 姉の叫び声に戦いを一時忘れて真は弾かれたように顔を上げ、そして視界を塞ぐかのように迫る黒い機影を捉えた。

 考える間もなく本能で身体を避難させかけたが、その瞬間に真は弐道の姿を視界に映して硬直する。

 弐道も迫りくるその気配に顔を上げていた。しかし、それだけだ。佇んだまま、動こうとしていない。


「何をボウッとしていやがるんだ!」


 絶望的な声を上げて、真はしゃにむに弐道の――ハナコの身体を守るために飛びつこうとする。

 が、弐道に触れる寸前に横殴りの衝撃に襲われ、一気に屋上の端まで吹っ飛ばされた。


 金属が恐ろしい勢いで屋上の床と激突し、ひしゃげて紅蓮の噴煙を巻き上げる。遅れて轟音が耳を劈き、大気が焦げて激震する。

 背骨が折れた魚のように尾を仰け反らせた見るも無残な姿となっていたが、墜落してきたのは小型のヘリコプターであった。熱風にしみる目を細め、這いつくばりながら顔を上げた真は目の前の現実的な惨状に絶句する。


「真! ハナコ! 無事か!!」


 炎と煙の中から静の声が聞こえて正気に戻る。口元を腕で覆いながらこちらに歩み寄る姿から、どうにか惨事から逃げ果せたのだろうと安堵する。

 だが、ならば弐道と如月がどうなったのかと、すぐに血の気が引く思いにとらわれた。


「静姉……! 何が起きたんだ!」

「落ち着け……私に分かるわけがないだろう」


 どうにか立ち上がって姉に縋るように真は言うが、期待した答えは得られなかった。その代わりに、噴煙が立ち込める方へと目を向ける。


「幸い……と言うべきなのか。あの二人は無事なようだぞ」


 物理的な干渉を受けなかったのか、黒い霊気の集合である球体は依然として浮かんだままだ。もうもうと立ち上る煙と炎の赤に照らされ、いっそう不気味さを増している。

 弐道も如月も、黒い霊気を緩衝材として難を逃れていた。炎に影を色濃くさせながら、二人も予想外の出来事に固まっているみたいだった。その様子からして、これは彼らの仕掛けてきた奇襲ではないのだろう。

 二人の()()が無事であることにひとまず安堵した真だったが、すぐに次の疑問が湧いてくる。


 では、誰が。


 驚愕に引き攣った思考がどうにか働きかけたところで、()()その声は響いた。


「かっ……全員生き残ったか。当然よな――でなければ、面白くない」


 脳にではなく、耳に、確かな現実として届く。

 ただの鉄屑となって成さなくなったヘリの前に、如何なる理屈か二メートルは超えるであろう巨大な人影が佇んでいたのである。


 全身黒ずくめの巨躯。

 そうとしか形容できない陰気な気を放つ男だった。広い鍔つきの帽子を目深に被っており、そこからこぼれ落ちる無造作に伸ばされた長髪と相まって素顔は見えない。


 いったいどこから湧いてきたのか。答えは彼こそがヘリの操縦者であり、意志ある行為として、この場に墜落させてきた犯人と考えるのが自然なのだろう。

 しかし、真たちが聞いた声の主はその男ではない。黒き男が唯一両手に嵌めた白い手袋で恭しく抱えている、小さき少女のものだった。


 少女は、どこかの姫君かと見紛うフリルの散らばった豪奢なワインレッドのドレスに身を包んでいる。ゆるく波打つ紫水晶の髪に飾られる、鮮やかな薔薇の造花が施されたヘッドドレスが目に映える。

 蝋のように白い肌。呆然とする真たちを、自らが主役だと名乗るかのように睥睨する眼は、壮絶に濡れた血の色である。


 爆発の中心に居たはずの少女と男は、傷一つはおろか、服に煤一つすらつけていない。

 あらゆる理屈を抜きにして、その存在は圧倒的であった。

 彼女が彼女であるだけで事足りる。この世の条理に反した存在に、説明などつけられるはずもない。


「盛り上がっておるようじゃな。苦しゅうない。妾も混ぜろ」


 そうして、戦いの場に乱入を果たした封魔省総長――シオン・ラダマンテュスは、凄絶に、艶然と小さな口元を凶悪な赤に引き裂かせた。

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