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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
161/185

16 「哭く都市 1」

 開業した一等高いそのビルに集う人々の群れを、周囲のビルの屋上から遠望する男がいた。


「おーおー、こりゃまた仰山集まったもんじゃのぉ。まだまだ増えるぞ、こりゃ」


 無断で侵入した屋上の縁に不作法に胡座をかき、片肘をついた頬の肉が引き上げられる。伸びた前髪に隠れた切れ長の目も細められていて、何がそんなに楽しいのか、男の隣に並ぶ女は彼の横顔を不審げに見下ろした。

 この位置からでは地上の人々は豆粒にも満たない大きさで、風景の一部としか映らない。

 だが、それでも前方に聳えるビルは仰ぎ見なければならなかった。


「それで、紺乃さん。これから何が起こると予想しているんですか?」


 紺乃剛と咲野寺現。総長の密命を受けて凪浜市に潜入していた二人である。

 先日、浅霧真とハナコの二人と対面した後、紺乃は何かしらの確証を得たらしく上機嫌となっていた。その理由は今に至るまで、現には伏せられたままである。

 いつにも増して紺乃が何を考えているのか読めなかったが、現も伊達にこの男の下についているわけではない。どうやら彼が、新堂誠二とその秘書に狙いを絞っていることくらいまでは想像できた。

 でなければ、新堂誠二が関わっていた件のビルの開業風景をわざわざ見ようとは言わないだろう。直接中に潜入しないというのはやや片手落ちな気もするが、彼なりの警戒の表れなのかもしれない。


 そうした様々な思いを込めて現は訊ねたのだが、返ってきた答えは実に頼りないものだった。


「さてなぁ。何か起こるかもしれんし、何も起こらんかもしれん」

「…………」


 ちらとも視線を寄越さず適当なことを言う上長の背中を、ストレス発散に蹴り飛ばしたくなったが現は耐えた。


「新堂誠二とその秘書は、確かにビルの中にいるようですよ。確証がなくてもいいので、いい加減分かっていることは話しておいて欲しいのですが。でないと、私も正確に状況判断ができません。行動に支障がでますよ」

「雑味のある情報は、かえって行動を鈍らせよるぞ。とはいえ、まぁ構わんか。十中八九、ニドウの正体は新堂誠二の秘書と思うて間違いなかろぉ」

「……なるほど、そっちですか」

「いくらお前でも、あの秘書と霊の嬢ちゃんの外見が似とることには気づいたじゃろう?」

「ええ、まあ。ですが、本当に? 私は新堂誠二も怪しいと思っていましたが」

「当然そっちも黒じゃろぉな。しかし、そっちがニドウっちゅう線は、儂はないと思うとる。生まれ変わるなら、器はからである方が望ましいじゃろうからな」

「無色の教団の事実上の頭であった如月は、少女の肉体を利用したということですか」

「不可能とも思えることを可能にする。その執念だけは賞賛に値するもんじゃわな」


 くくっと喉の奥で笑う紺乃。彼の考えていることが多少なりとも見えて、現の気分も少しは紛れた。

 しかし、最初の質問の答えには、まだ遠い。


「では、新堂誠二はニドウの傀儡かいらいだと?」

「そこまでは何とも言えんな。単に操られとる可能性が、今のところは一番高いかもしれんが……」


 少なくとも、新堂誠二が能動的に無色の教団やニドウの復活に手を貸していたとは考えにくいと紺乃は思っていた。だとすれば、一度は彼の身辺警護という形で雇われていた自分たちが、道化のうなしそしりを免れない。

 市長はその他大勢の一般人に過ぎなかったはず。ビル開発はもともとの彼の事業の一環だとして、それが利用されたと考えるのが自然だった。


「それで、復活を遂げたであろうニドウの次の行動は? というか、そこまで分かっているなら、手っ取り早く捕まえた方がよくないですかね?」

「限りなく黒じゃと言うても、難しいじゃろうな。仮にも市長っちゅう隠れ蓑を使っとるもんじゃから、致命的な隙がない。尻尾を出すまで泳がしといた方が得策じゃ。儂らが身を切る必要もなかろぉよ」


 おそらく最後の言葉が本音なのだろうなと、現は肩を竦める。何が起こるにしても、紺乃はこの状況を祭りに興じるかのように楽しんでいるのだ。それを自ら潰すような真似はしないということだ。

 基本的に怠け者なのだ。観客席から手を叩き、囃し立てる方が性に合っていると言って憚らない男である。


「だからといって、日がな一日こうして、紺乃さんと二人で人混みを眺めているだけというのも……」


 春先であるが、まだ吹き曝しの屋上の風は冷たい。何も起きないのであれば、これほど無為な一日の過ごし方もないだろう。


「――それなら、私の話し相手になるというのはどうだ?」


 早々に任務であることを忘れて飽き始めてきた現であったが、その隙をつくように聞こえた第三者の声に、何事だと驚き振り返る。


「げ、……あなたは」


 威圧が込められた勇ましい声。屋上のコンクリートを踏みしめて泰然と立つその女性の姿に、現は呻くような声を漏らした。

 うなじで纏めた髪を風になびかせ、鋭い鷹の目で睨みをきかせているのは浅霧静だった。彼女の口元には微かに笑みを刻まれているが、その目はまるで笑ってはいない。


「気配は消していたつもりだが、そっちの男には気づかれていたみたいだな。こっちを向いたらどうだ?」

「はっ――儂が張っとった霊気の網に容赦なく足を踏み入れといて、よぉ言うわい」


 静の呼びかけを紺乃は一笑すると、大儀そうに膝を上げて向き直った。


「まったく、ゴリ押しは敵わんのぉ。もうちょい、スマートに行こうやないか」

「ふん、声を掛けてやっただけでも有り難いと思え」

「盗み聞きの詫びも加えてくれれば、言うことなしなんじゃがのぉ」


 現は背中に嫌な汗を滲ませた。どうも自分の与り知らぬ間に、水面下で妙な駆け引きが行われていたらしいことを理解する。


「いつから聞いていたんですか。わざわざ姿を見せたりして、挑発のつもりですか」

「やめとけ、現。無駄に争って体力使うこたぁないわい。話し相手、大いに結構。監視という大きな名目では、姉さんも儂らも役割は似たり寄ったりじゃろうしなぁ」

「お前たちと同じにされるわれはない。しかし、お前たちの方が真相に近いことは今の会話で分かった」


 敵愾心は隠さないが、殺意までは見せない。静は半眼で紺乃を油断なく見据えている。


「そのニドウとやらのことを、詳しく聞かせろ」

「ちょっと! 流石に図々しすぎやしませんか」


 盗人猛々しいとはこのことだと、現は強気に静を睨む。静はすいと現を一瞥したが、怯む彼女ではなかった。


「ふぅむ、そうじゃなぁ。しかし、タダで教えるのも癪じゃのぉ」

「立ち聞きを許すくらいだ。お前にとっては惜しくもない情報なのだろう」

「いやいや。儂にとって価値はなくとも、姉さんにとって価値があるんなら商売はしとかなあかんとこじゃろうが。見返りはないとなぁ」

「なら、この場は見逃してやる。それが対価だ」

「……ずいぶんと舐めてくれるじゃないですか。状況を弁えてくださいよ。二対一なんですけどね」


 あまりの上からの物言いに、現がとうとう瞳を苛つかせて前のめりになろうとする。しかし、紺乃が彼女の肩を掴んで引き戻し、首を横に振った。


「やめとけ言うたじゃろぉが。三度目はないぞ」

「でも! 紺乃さん、ここまで言われて腹が立たないんですか!」

「別に守るような面子なんぞ持ち合わせとらんよ。おっかない姉さんが手を出さん言うてくれとるんじゃ。お言葉に甘えようやないか」


 ぐいと口端を吊り上げる紺乃。それは暗に、これ以上静に突っかかるというのなら止めはしないが、自分が援護に入ることもないと言っているのだった。


「あぁ、もう! いいですよ、分かりましたよ!」


 紺乃の手を乱暴に振り解き、現は地団駄を踏む。そうして、最終的には憤懣を吐き出すように激しく肩を落とした。


「そうそう、それでええ。突っかかるだけじゃあ長生きはできん。祭りの前に体力を使い切ったらもったいないっちゅうもんじゃ」


 部下の憎々しげな視線を受けながらも、まるで意に介さず呵々(かか)と大笑いをする。そこで紺乃は口許を不敵に緩ませたまま、再び静に向き直った。


「それに、見逃すっちゅうのは何も今このときだけのことじゃなかろぉ。儂らがこの都市に潜伏しとったこと、姉さんはだいぶ前からバレとったはずじゃ」


 静がぴくりと片眉を動かす。小癪な話ではあるが、実際にその通りなのだった。

 真の監督役を退いた千島珊瑚に代わって凪浜市入りを果たした静が行ったことは、街に不穏分子が紛れ込んでいないかの調査だった。

 具体的には、無色の教団の残党狩りの一環。大きな規模では各組織が動いているが、自衛の手段の範囲である。


「泳がされていることを知りながら、私の接触を待っていたということか」


 その結果、残党ではないが不穏な存在の痕跡は見つかった。

 いや、あえて見つけさせられたと言うべきか。

 常人には見えない霊気の残渣。縄張りを主張するかのようなその黒いにおいは、街のあちこちに散らばっていた。

 その臭いが戦った覚えのある男――つまり目の前の不届き者の霊気だということに静はすぐに気づいたのだが、その場で深追いはしなかった。


 真とハナコの()が片付くまで、あの二人に余計な心労をかけたくはなかったというのもある。ともかく、残された足跡そくせきを追いながら、その目的を見極めるまでは泳がせておくつもりだったのだ。


「儂らみたいなもんをのさばらせとくっちゅうことは、それだけ情報が不足しとるっちゅうことじゃろ? 意地を張らんと自分とこの組織を頼ればええっちゅうのになぁ。そないにあの赤毛のヤツが気に入らんか」

「有能であることと信頼に足るかどうかは別だからな」


 凪浜市に網を張ろうとしている封魔省。凪浜スカイビルの開業。新堂進の不在。ハナコに似ているという名の知れない秘書の存在。

 一つ一つの事象は繋がるように見えるが、その線は弱い。かといって、ただの偶然と放置しておけるほど楽観的にもなれはしない。

 得られる情報の不足。一個人で動く以上避けられない不利ではある。補うには紺乃の言う通り組織力を頼るのが一番なのだろうが、それは避けたいのだった。

 それもまた、真とハナコのことを考えてのことだ。二人の決めたことに対して、余計な横槍を入れさせたくはなかったのである。


 あの赤毛の男は、きっと二人が離れることを好ましく思う男ではない。そういう予感が静にはあった。


「私の見張っている庭で好き勝手に動いていたのだ。情報提供くらい安いものだと思え」

「言っとることが筋者すじもんのそれじゃなぁ。そんなにニドウのことが気になるか」

「当然だ。さっさと話せ」


 まるで中央の絵柄が抜けたパズルのように、そのニドウという存在が最後のピースとしてぴたりと嵌まる気がする。

 静の瞳に微かな焦慮の色が覗く。彼女は今日、紺乃を牽制するため真たちについては行かなかったことを後悔し始めていた。

 もしかすると、本当の敵は対峙している者たちではなく、別にいるのだとしたら――と。


「まぁ、そんなに睨みなさんな。姉さんの勘は正しい。当座のところ、あんたの敵は儂らやない」


 返答を誤れば一足のうちに間合いを詰められてもおかしくはないというのに、紺乃は静の焦りをも愉しむように、もったいぶった口調で話している。


「目的は違えど、相手にすべきなのは共通しとるみたいじゃしのぉ。話しちゃるとも。ま、総長殿からの又聞きにしかならんが――お?」


 そのとき、紺乃が何かに気を取られたように静から顔を背けるようにして首を捻った。

 いくら口調はふざけていても、彼は静がいつ痺れを切らして襲いかかってきても往なせるように気を緩めてはいなかったのだが、本当に思いがけず隙を見せたという風だった。

 そして、それは静も同様だった。


「どうやら、予想は当たったみたいじゃなぁ」

「紺乃さん……? 何を言ってるんですか?」

「目を凝らしてよぉ見てみい。ようやっと、奴さんが動き出しよったわい」


 紺乃の視線の先には遠くに偉容を佇ませる件のビルがある。現は言われるがまま、意識を集中させて凝視する。

 その瞬間、現の瞳の奥に不快な衝撃が走った。一瞬虹色に視界が弾け、身体全体に痺れが駆け抜けて彼女は足をよろけさせる。紺乃に背中を支えられて、あわや屋上から転落しそうになるのを防がれた。


「姉さんにも見えるじゃろ。こりゃあ、口で説明するより肌で感じた方が早いかもしれんのぉ」


 現の感じた痺れは、じわりと肌にひりつく不快な熱として残っていた。徐々に視界は安定し始め、紺乃の手を振り払った彼女は根性で背筋を伸ばしてビルに焦点を定める。


「――ッ、なんですか。あれは」


 驚きと困惑から声を上げる現。それも無理からぬことだった。


 真新しい白き壁面で陽光を跳ね返していたそのビルは、漆黒の闇に覆われようとしていた。

 一見して巨大な膜が被さっているかのようだが、そうではない。

 闇は単体ではなく、蠢く集合体だった。


「何故……気づけなかった」


 静は呆気にとられながらも、本気で心の撃鉄を起こしにかかる。

 闇の発生源は、眼下に広がっていたのである。街の往還、路地、あらゆる道にその闇の流れは小川のごとく発生しており、その合流地点がビルとなっているのだ。


「儂らは知らん間に、茹でられた蛙にでもされとったんかいのぉ。この区画……いや、都市全体が対象か」


 敵の浸食は既に始まっていた。その変化が今、自覚できるところに達したに過ぎない。

 網は張っていた。しかし、その場には更に上から巨大な網が広げられていた。

 純粋に予想の上をいかれたことに対して、紺乃は自嘲気味に言葉を零す。


 その蠢く光景は巨大な蟻塚のようでもあり、

 黒い滝が逆流しているようでもあり、


 遙か天――ビルの頂上へと向けて禍々しく、人々から吸い上げられる命が集まっているのだった。

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