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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第一部 死に損ないの再生者
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14 「放たれた獣達」

 社務所を出た珊瑚は、まず周囲の気配を探ることから始めた。

 目に見える範囲で異変はない。ならばと、両目に霊気を集中し、視覚の強化を行った。

 動物、植物や鉱物など自然に存在するものは多かれ少なかれ霊気を帯びている。視覚の強化によってその霊気を見通すことで、淡い輪郭を伴った景色が闇の中に映し出された。

 気取られることを避けるため手灯りは持たなかったが、十分に歩くことができる。真が廃ビルで行っていたのと同様の手段だった。

 神経を鋭敏に尖らせながら、敷地内を一通り巡る。一周を終え、自分たちが上ってきた石段の終着に来たところで、珊瑚は何かが動く微かな音を耳にした。

 風で揺れる草木の音のようにも思えたが、風など吹いていなかった。音は石段の下方より聞こえた。確かめるべく石段を降り、途中の踊り場まで来たところで、珊瑚はそれを見咎めた。

 進行方向の左手、石段を囲む雑木林の地面に生える雑草を踏み締めた跡だった。野生の動物のものではなく、靴の足跡である。

 足跡は珊瑚を誘導するように林の奥へと続いていた。彼女は携帯を手に取り、真の番号をコールする。程なくして相手に繋がった。


「ハナコさんですか? 珊瑚です」

『珊瑚さん、えと、どうかしましたか!?』


 電話越しに聞こえる慌てた声は真のものだったが、話しているのはハナコだとすぐに判った。


「――ええ、永治様の仰っていた通り、監視されていたのは間違いないかと。足跡を見つけました。一人のようです」


 あからさま過ぎる痕跡だったが、追わない手はないと珊瑚は判断していた。おそらく罠であることに間違いはないが、これを逃せば相手とまみえる機会が失われるかもしれない。


「相手は二人組でしたね。おそらく狙いは戦力の分断でしょうが、私はこのまま追おうと思います。そちらの守りは永治様にお任せしてもよろしいでしょうか?」

『え、ちょっと待ってください――あ、はい……こちらは大丈夫だそうです。でも、無茶はしないでくださいね』

「心得ております。では」


 通話を切った珊瑚は、慎重ではあるが必要以上に躊躇うこともなく、足跡を追って雑木林の奥へと進む。相手が先行している以上、こちらの位置も掴まれているはずだ。危惧することがあるとすれば、追跡に時間を取られた結果、足跡の主がハナコたちの元へ行くことだろう。

 しかし、珊瑚は可能性を考えはしたが、それを現実的なものとして考慮にはいれていなかった。足跡に残された黒い霊気が、それを雄弁に物語っていたからだ。

 迷子にならないよう、子供が帰り道のために落としたパンくずのようなものだ。追って来いと、悪意が込められていることは明白だ。

 その結果は珊瑚の予想通りで、進んだ先――木々の密度が薄まった、やや開けた場所にその人物は待ち構えていた。

 咲野寺現――黒いコートを纏った金髪の女性。月明かりに暗く照らされた風貌から、珊瑚は目の前の人物をそう特定した。


「おっと、思ったよりも早いじゃないですか」


 珊瑚を迎え入れるように、現は口端を上げて白い犬歯を見せた。


「咲野寺現……あなたがそうなのですね?」

「ええ、はい、そうですよ。紺乃さんの言った通り、名前ばれしてしまっているようですね」


 現は隠す素振りを見せることなく、軽い調子で首肯する。


「で、お姉さんはどちら様ですかね?」

「あなたに名乗るつもりはありません」


 白々しい態度の相手に、珊瑚は平坦な声で返す。連れない返答に、現は肩を竦めてみせた。


「あなたが真さんにかけた術を、今すぐ解いてください」

「だったら、そんな態度を取らないで欲しいものですね。自分の立場を判ってないんですか?」


 嗜虐心を抑えない、嫌らしい響きを含んだ言葉に珊瑚は思わず顔を顰める。が、現はすぐにつまらなそうに表情を変え、溜息を吐いた。


「とはいっても、ネタはばれているので脅しの効果としては今一つですよねえ。少年の霊気を吸い尽くされたくなければ大人しくしろっていきたいところだったんですが、まさか最初から吸える霊気がないなんて驚きですよ。

ですが、魂を霊気で縛ったので、精神的拘束の効果は十分なようです。私から霊気を断たないと、彼の意識は戻らないでしょう。とはいえ、正直なところ、彼には借りも返せましたので興味はありません。何より殺せませんからね」

「……それでも、解く気はないということですね?」

「そうしないと、あなたが私と戦う理由はないですからね」


 現は珊瑚を狩るべき対象と捉えている。対して、相手は真の件がなければ自分と戦う必要はないと思っている。そういう風に状況を分析していた。


「でしょうね……私は退魔師でもありませんし、自ら戦うことは好みません。ですが、降りかかる火の粉は払うまでです」

「はは――なあんだ。そっちも、最初からやる気なんじゃないですか」


 現の四肢に彼女の黒い霊気が灯る。闇をも更に侵すようなそれは、歪に揺らめく鋭利な爪と化した。


「心外ですね。あなたと同じレベルで考えないでください」


 対する珊瑚は無手のまま、現を迎え撃つため構えを取る。彼女が一呼吸すると、肩幅に広げられた足元から淡い燐光が生じた。その光自体が圧を生じているのか、ゆるやかに珊瑚の栗色の髪を波打たせている。


「さあ、早くかかってきてください。今の私は――かなり怒っていますから」


 久しく動かしたことのない感情の線が、傷みに切れそうな音を立てて揺れている。現に向けた声は、自分でも驚くほど冷えた声だった。





 麻希は自室で一人、煮え切らない思いを抱えていた。勉強机で参考書に向かうことで気を紛らわそうとしたが、内容はまるで頭には入ってこない。

 何の予告もなく訪ねてきた後輩と、いかにも訳ありのような祖父。物事をはっきりとさせないと気が済まない麻希にとっては、苛立たしい限りだった。

 居候の身として祖父に迷惑をかけることはできないが、蚊帳の外は気分が悪いものだ。後で事情は聞かせてもらうと言ったものの、果たして祖父が話してくれるかは正直微妙だ。

 堂々巡りの思考を放棄して麻希は席を立つと、畳に座って思い切り伸びをし、そのまま仰向けに倒れ込んだ。実家では行儀が悪いと叱られるだろうが、ここではお構いなしだ。


「――ごめんください!」


 頭を空っぽにして目を閉じようとしたとき、玄関の方から戸を叩く音と共に声が聞こえた。


「……?」


 その声に聞き覚えがあり、麻希は身体を起こす。不審さもあり、それを確かめるべく彼女は自ら玄関へと向かった。


「……やはり、か」


 玄関には永治が先に来ており、彼の正面には制服姿の進がいた。後輩の姿に麻希は声をかけようと口を開きかけたが、それを躊躇う。自分にもはっきりとした理由は判らなかったが、二人の間の空気には違和感があった。

 その刹那だった。

 空間ごと削り取るような風切り音が唸る。固められた巌のような拳により、圧縮された空気が進の腹で爆音を上げ、玄関の外まで進の身体は盛大に吹っ飛んでいた。


「新堂!!」


 祖父の突然の暴行に、麻希は驚きのあまり棒立ちになる。


「麻希……下がっていなさい。彼はお前の知り合いか?」

「後輩だ……とういか、そんなことを言っている場合では……」


 進の安否を確かめるために飛び出そうとする麻希を、永治が止める。麻希の目の前には、壁のような祖父の背中が立ちはだかった。


「くはっ――本気か爺さん。いたいけな少年の腹に風穴空けるつもりかい」


 戸惑うしかない麻希の耳に、聞いたことのない男の哄笑が聞こえた。祖父の横から、彼女は玄関の外を見ようと身体をずらす。

 拝殿に続く石畳の道上に、進の背中を支えるように立っているスーツ姿の男、紺乃がいた。

 話している言葉の内容からしても、どう考えても普通ではないことは麻希にも判る。


「麻希、お前は真君と一緒にいなさい。説明している暇はない」

「バカな……説明なしで納得できるか!」

「やめといた方がええぞ、お嬢ちゃん。大人しゅう爺さんの言うことは聞いとけ。そら」


 紺乃はからかうような口調で言うと、進の肩に片手を置いてから突き放すように手を放した。すると、気絶したかと思われた進は、ふらつきながらも立ち上がった。


「お友達は無事じゃ。霊気にだけ衝撃を与えるとは、やるもんじゃのぉ」


 進の目の焦点は定まっていない。麻希の目には、彼の身体から赤黒い煙のようなものが立ち昇っているように見えた。現実感のない光景は、夢などではない。ならば、自分の気がどうにかなってしまったのかと、強くかぶりを振った。


「お前は、一般人を巻き込んだのか!?」


 進の姿を見て激昂する永治に、紺乃は笑みを深める。


「無関係ってわけでもないしのぉ。首を突っ込もうとしたから、利用させてもらっただけじゃ。そっちは浅霧の坊主を含めたら三人じゃから、人数合わせに使わせてもらっただけのことよ。儂の霊気で侵したったから、直に魔物になるじゃろう」

「なんということを……」

「操れる程度に理性は残しとるから、きっちり霊気を除去すれば元には戻るから安心せい」


 紺乃が何を言っているのか麻希は一分も理解できなかったが、安心できる状況ではないのは火を見るよりも明らかだった。


「前口上として聞いとくが、坊主を渡す気はないかのぉ? こう見えて荒事は苦手なんじゃ。大人しくしておけば、何もせんが」

「ふざけたことを言うな。断るに決まっている!」


 うそぶく紺乃の提案を永治は一蹴する。紺乃もその答えを当然と受け止めていた。


「なら、押して通るかいのぉ。お前は浅霧の坊主を捕まえてこい。裏口くらいあるじゃろう」


 紺乃が言うと、進は緩慢ではあるが歩き出す。まるで機械仕掛けで命じられたままに動いているような、ぎこちなさを感じる動きだった。


「やれやれ……爺さんに殴られたのが堪えとるみたいじゃな」

「……麻希、隠れていなさい。お前の後輩は、私がなんとかする」


 呆然としたままの麻希に言い残し、永治は外に出て玄関の戸を閉めた。麻希は暑くもないのに滲み出る汗を全身に感じ、その冷たさに我を取り戻す。取り戻したところで頭の中は滅茶苦茶に散らかっていたが、辛うじて永治の後を追う事だけは思い止まった。

 あれは普通ではない。動物的な本能がそう思わせた。進の身体から発していた異常な煙は、血を――濃密な死を想像させる。辛うじて麻希の理性が保っていたのは、永治の背中に守られているという、強い信頼があったからに他ならなかった。

 だが、異形となった進を手懐けているあの男の方が、不気味さで言えば一層上だろう。軽口の裏にある悪意は隠しようもなく、聞く者の心を掻き毟る。麻希は、このままでは祖父が無事で済むはずがないと思っていた。


「浅霧……」


 断片的に男の言葉を思い出し、麻希は呟いた。浅霧の坊主とは、おそらく真のことだろう。状況を顧みれば、真はこの事態を説明できるのではないか。

 麻希は震える口元を無理矢理に引き締め、真が居るはずの居間へと向かった。





 居間に取り残された形となったハナコは、真の身体を借りて所在無げに正座をしていた。

 いざとなれば、すぐにでも動けるようにとの配慮である。どうやら敵の手掛りが見つかったらしいが、万が一のことを思うと不安が募る。

 ハナコは霊体であるということ以外は年相応の少女でしかない。真の身体を使ったからといって、戦いができるわけもない。身体的な能力は引き継げても、技量、経験はハナコ自身のものでしかないからだ。

 訪問者を出迎えに行った永治は、果たして無事だろうかと、ハナコが思った矢先である。

 何かが爆発でもしたかのような派手な音が玄関の方から聞こえてきた。ハナコは驚いて思わず膝を上げる。これは間違いなく、何らかの争いの音。敵がやって来たのだ。

 ハナコはどうすべきか迷ったが、結局動くことはできなかった。永治から動かないように言われていたこともあるが、それ以上に足が竦んでいた。

 廃ビルでは真が言葉をかけてくれて、一緒に居たから気持ちを奮い立たせることができたが、今は一人だ。彼を守らなければならないという思いに嘘はないが、自信はまるでなかった。


「――浅霧!」


 襖が勢いよく開けられ、ハナコは今度こそ驚きに跳ね上がるように立ち上がった。見れば、こちらを睨むように見ている麻希の姿があった。


「いたか……」


 麻希は蒼白な顔で、何かに耐えるように唇を噛み締めていた。胸倉こそ掴まれなかったが、彼女はそれに近い勢いでハナコに詰め寄った。


「お前は事情を知っているのか?」

「麻希、さん?」

「新堂がおかしくなった……あいつは何だ!?」

「お、落ち着いてください! 新堂さんがどうしたんですか!?」


 麻希の剣幕にたじろいでハナコは本来の自分の口調で話してしまっていたが、今の麻希にそれをおかしいと思う余裕はなかった。


「答えろ……っ!」


 急き立てられるが、質問が断片的過ぎてハナコには答えることができなかった。麻希の慌てようから考えて、やはり敵が現れたのだろう。


「麻希さん! 落ち着いて……とにかく落ち着いてくださいっ!」


 麻希の両肩を揺さぶるように掴み、ハナコは大声を上げた。そこで、ようやく麻希の顔に正気が戻る。彼女は己の左肩に置かれた手を掴み返し、真の瞳を、その奥に隠されたものを覗くように見つめた。


「お前……本当に浅霧、か?」


 少し冷静になったところで疑問を抱いたのだろう。麻希の表情に猜疑の色が浮かんでくる。

 が、それを確かにする前に、襖が破られた。

 血色の霊気に覆われた進だ。その濃密さ故に、麻希の目にもその様はありありと映っている。


「新堂……」


 口元を慄かせながらの麻希の呻くような呟きに、ハナコはその異形を見た。


「あれが、新堂さん……!?」


 揺れる霊気の向こうに微かに見える人の姿は、確かにハナコも見覚えのある顔だった。完全に正気を失い、浮き立つ血管は今にも張り裂け本物の血が噴き出しそうである。


「麻希さん、新堂さんはどうしたんですか!?」

「私が知るか! 怪しい男が……何かして……お前が狙いのようなことを言っていたぞ……」


 首を巡らせた進の視線が、真の姿へと固定される。永治の予想は当たったのだと、異形の瞳に見つめられたハナコはようやく思い至った。

 麻希の言う怪しい男とは、十中八九、紺乃だろう。一つ予想を裏切られたとすれば、相手は二人ではなく、周到にも三人目を用意していたということだ。


「……麻希さん、ここから離れてください」


 怯える麻希の姿を目の前にして、彼女の姿が異形に晒されないよう、ハナコは前に立った。


「あなたは、わたしが守ります」

「守るって……」


 進は変貌した見た目通り、幽鬼のように居間へと足を踏み入れた。その足元を這い回るように霊気が広がり、畳を浸食していく。

 呪うような、縋るような唸りが霊気の奥より響く。緩慢な動作のまま、進はつんのめるようにハナコへと向けて跳躍した。背中の限界まで振り被り、そのまま縦の直線状に振り下ろされた腕は、容易く居間に置かれていたテーブルを両断した。

 飛び散る木片と破裂にも似た破砕音、視覚と聴覚からもたらされた信号に、ハナコと麻希の五感が竦む。見た目だけの事ではなく、進の膂力までも、違わず人のそれではなくなっていたのは明らかだった。


「……! 早く逃げてください!!」


 放心から復帰したのはハナコが先だった。麻希は驚きの顔のまま尻餅をつき、まだ呆然としていた。

 戦いに対する恐怖はある。一人でこの異形と遭遇していたなら、迷うことなく逃げ出していたと確信すらしている。

 だが、今は一人ではない。麻希がいる。真であれば、ここで彼女を守らないという選択肢はありえない。それだけの理由で、ハナコはこの異形と立ち向かう覚悟をしていた。

 それに、麻希は柄支の友人でもある。ハナコにとって数少ない友人の大切な人だ。麻希はこちらの事情は知らないが、真を信じるとも言ってくれた。ここで逃げれば、それこそ死んでも死にきれない。これ以上心残りを増やして、死にながら生き長らえるのは御免だった。

 ハナコは注意深く進を観察する。戦いに関しては素人同然だが、進の動きは彼女の目から見ても遅かった。

 さっきの攻撃が外れたのは単なる運だが、真の身体能力を上手く使いこなせれば避けることは可能だ。下手に攻撃を仕掛けるよりも、防御に徹した方が得策だとハナコは判断した。


「失礼しますっ!」


 言うが早いか、ハナコは進に背を向ける形で身を翻し、真の足に霊気を集中して畳を一気に蹴った。タックルするように麻希の身体を抱えて居間から飛び出し、縁側を越えて社務所の裏手へと危うい着地を成功させる。


「いいですか、なるべく早く、遠くへ逃げてくださいね!」


 麻希を下ろしたハナコは、進がまだ追ってきていないことを確認し、即座に踵を返して縁側に乗り出した。ここで止まっては麻希も被害に遭うことを考えてのことだった。


「待ってくれ! 浅霧……」

「すみません。説明している暇はありません。この件の不始末は、後できちんと真さんに払ってもらいますから!」


 麻希に振り返らずに言うと、ハナコは進と再び対峙するべく居間へと向かった。

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