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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
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14 「終焉を求める者」

 突如として目の前にぶら下げられた事象が、いかなる理屈によって成されていることなのか。

 真とハナコの心は、まるで嵐の海原に投げ出され、無情にも弄ばれる一艘の小舟のようであった。


「驚いているみたいだね。無理もないか」


 弐道と名乗ったその女は、一見すれば底意のない人当たりの良い笑みを浮かべている。

 だが、二人にはそれが途轍もなく不気味に思えた。

 ハナコの顔をした、見知らぬ誰か。投じられた一石が致命的な不協和音を生み、心が掻き鳴らされる。


「近づくな!」


 距離を詰めんと歩み寄ろうとする弐道に対して、真は柱に背を擦らせるようにして後退した。

 さっきから背中の冷や汗が止まらない。全身が強張り、戦慄している己に気付かされる。


「酷いな。そんなにこの姿が不気味かい? 彼女のものなのだから、怖がってしまうと可哀想じゃないか」

「……ハナコ!」


 指摘されて、いまだ固まったままのハナコに向き直る真。彼女は見ていて居た堪れないほどに震えており、自身の肩を抱き締めて蹲るように顔を伏せている。


「お前は何者なんだ!」

「さっき名乗ったよ。弐道だ」


 大声を張り上げる真だったが、不思議と周囲の視線が彼に集まることはなかった。

 足を止めた弐道は軽く両腕を広げ、宥めるような、諭すような笑みを向けている。そして、もう一度その名を口にした。


「弐道五華。一応、この姿では初めましてと言っておこうかな」

「先輩たちが会ったっていう、市長の秘書ってのはお前のことか?」

「先輩というと、もしかして芳月と古宮という人かな? だとしたら、確かに会ったね」

「何が目的で俺たちの前に姿を見せた? 新堂はここに来ないのか?」

「質問が多いね。でも、本当に訊きたいことは、そんなことじゃないだろう?」


 どうにか平静を保とうと必死な心を見透かされて、真は口を噤まされる。そこで弐道は踵を返し、背中を見せた。


「ついて来るといいよ。君たちの疑問には、なるべく答えられるよう努力する」

「おい……!」

「来ないならそれでもいいよ。後悔することになるとは思うけれどね」


 挑発とも脅しともとれる一言を残して、弐道は雑踏の中へと戻っていく。急がねば見失ってしまうその背を追うべきか二の足を踏む真だったが、その前に気に掛けねばならないことがあった。


「ハナコ……」


 とてもではないが、「大丈夫か」などと訊ける様子ではなかった。ハナコの魂を通じて受けた衝撃に真とて頭が真っ白になっていたが、彼女自身に降りかかったものとは比較になるはずがない。


「……行きましょう。真さん」


 想像などできるはずもない心の痛みに耐えているに違いない。しかし、悄然とした瞳の奥に微かな光を宿してハナコは言った。

 彼女に見つめられて、真もまた真意を問うように見つめ返す。


「行かなきゃ、ダメです」

「……わかった。行こう」


 懸命に心を奮い立たせようとしている彼女の前で、自分が弱気を見せるわけにはいかない。真は荒れ狂う気持ちを抑えるように胸元をきつく握りしめ、弐道を追いかけるのだった。





 真とハナコが案内されたのは、ビルの上層部に設けられた宿泊施設の客室だった。

 展望台よりも下からの眺めではあるものの、プライベートな空間から望める景色はまた違った趣がある。

 もっとも、今の二人の注意は景色に及ぶはずもないのだが。


「さてと、まずはボクが何者かというところから説明した方がいいのだろうね」


 二人とは対照的に、緊張感の欠片も漂わせぬ弐道であった。互いに逃げ場のない個室に招き入れ、この段階に至っても自然体でいられる態度は見事ですらある。


 得体の知れない気持ち悪さ。何を考えているのか、まるで読めない。


「その前に、まずは謝らせてもらおうかな。君の身体を勝手に使わせてもらって、申し訳ないことをしたね」


 そう真が思ったが矢先に、窓際にある柔らかな布地の椅子に腰掛けた弐道は、いきなりそんな謝罪を口にしていた。

 こちらの動揺を誘うなどといった計算は何もないように聞こえる。面食らう二人に、「まあ座りなよ」と弐道は対面の椅子を示した。


「本当に何なんだ、あんたは……」


 身に這い回る怖気は消えない。しかし、目の前で語る女からは殺意はおろか、これといった敵意すらも感じないのもまた事実。

 いや、もう口調だけでは女のか男なのかも区別がつきにくい。性別を感じさせない語り口になっていた。


「その質問は、よく訊かれるよ。けれど生憎、答えを持ち合わせていないんだ」


 少し眉を寄せて、苦笑気味に口元を緩める弐道。真が不承不承ながら椅子に座る様子を見届けてから、次の言葉が紡がれた。


「こう言えば通りはいいかな。何と言ったか……そうそう、無色の教団だ」

「――っ」


 何気ない世間話でもするかのようにその組織の名を口にされ、真とハナコが息を呑む。


「ボクはそこで何というか、自分で言うのもおこがましいけれど祀り上げられていたんだよ。特に彼は、ボクのために尽力してくれた。こうして、現世に蘇るための身体まで用意してくれたのだからね」

「まさか、そいつは」

「君も彼をよく知っているそうだね。うん、如月健一だ」


 目を細めて、弐道が頷く。

 あの無人島で、翼を使って何者かの魂を呼び寄せようとしていたという如月。繋がった関係の線に、真は呼吸をも忘れて拳を白く握り締めた。


「お前の目的はなんだ……! どうしてハナコの身体を乗っ取っているんだ!」


 そして堪え切れずに、とうとうその問いを弐道に突きつけていた。教団の関係者であると分かった以上、もはや遠慮は必要ない。

 まだ、何も終わってなどいなかったのだ。如月は最も残酷な形で、己の願望を成就させていたのである。


「さっきも言ったけれど、ボクがこの身体を望んで転生したわけじゃない。彼にそう誘導されたからだ。でも――強いて言うと、この魂を輪廻から解き放つ可能性があるのなら、それに乗ってみようと思っただけさ」


 激情をどうにか抑え込んでいる真に構わず、弐道は淡々と述べる。最後の言葉に二人は強い疑念の色を浮かべたが、解答はすぐに語られた。


「前世の記憶。更にその――ずっとずっと遙か昔まで、ボクは生きていたことを覚えていると言えば信じてくれるかな?」


 ふと、弐道の瞳が遠くなる。その深淵に横たわる闇は、無限よりも更に広く深く沈むかのようだった。


「この特性を、教団かれらは不死と呼んだ」


 天命を全うした生物の魂は、新たな次の肉体に宿る。万物の魂は生と死を繰り返し、流転するのだ。

 現在の生を受ける前に、魂に刻まれたはずの出来事――その引き出しには厳重な鍵が施され、決して開けることは叶わない。


 だが、何事にも例外は存在する。


 その鍵が初めから壊れており、転生してなお以前の記憶を受け継げる者がいるのだとしたら。

 肉体が潰えることが死なのではない。故人を偲び、心の中で生きているとはよくある言い回しだろう。


「人を個人たらしめるものは何か。記憶を引き継げるボクは、生まれ変わっても自分が自分であると自覚することができる。一つの自我を――意識を継続させることができるんだ」


 弐道五華という人格を、意識したときから引き摺っている。ハナコの顔をしたその存在は、そう言った。


「さっき君は乗り移っているといったけれど、ボクの感覚とは少し違うかな。ボクは抜け殻だったこの身体に自身の魂を宿らせて、生まれ変わったんだ」

「…………だから何だってんだ。じゃあ、その身体はもうお前のものだって言うつもりなのかよ」


 真の正直な感想としては、弐道の話は荒唐無稽すぎてついていくのがやっとであった。

 しかし、目の前の存在はことわりの外に生きている。ハナコの肉体に魂を宿しているという時点で、それはもう疑いようもないことだった。


「一つ、質問させてください」


 ――と、そこへこれまで沈黙を通していたハナコが、恐る恐る口を開いた。

 訊きたくはない。けれど、訊かねば前に進めない。臆病に震わせる瞳が弐道へと――少しだけ大人びた自分の顔へと向けられる。


「その身体は……生きているんですか?」


 ハナコは自分が死者であると思っていた。霊気を生み出す魂の機能は生きているが、それでも肉体を持たぬのであれば生きているとは言えない。条理に反して現世に留まっている存在なのだと。

 しかし――


「生きているよ」


 端的な回答。弐道の姿が答えなのであった。

 ハナコがいつから霊の存在になったのか、それは推し量るしか術はない。肉体と魂が分離された時点で、霊の彼女の姿は成長を止めてしまったが、肉体の生体機能は生きていた。魂が象るハナコの像と、弐道の姿が食い違うのはそのためである。

 魂はなくとも、彼女の身体は成長を続けていたのだ。


「魂の抜けた身体の生命活動を維持させるのは簡単なことではなかっただろうけどね。肉体を持たない生きた魂同様に、魂なく生き延びている肉体も、それはそれで重要なサンプルとして取っておく価値はあったのかな。そこは彼の執念の賜物たまものだね。頭が下がるよ」


 心臓は確たる鼓動を刻み、循環する血液は熱を帯びている。


 生きて――生きているのだ。


 もはや言葉を発する気力も消え失せて、ハナコの身体がぐらりとかしぐ。咄嗟に真は腰を浮かして手を伸ばしたが、彼女を支えることはできないのだった。


「はは、そう悲観することはないよ。少し話を戻そう。ボクの目的だったね」


 両手を組んだ弐道が、背中を深く椅子にもたせかける。いったい何が可笑しいのか、真は凄まじい剣幕で振り返り、無言で彼女を睨み付けていた。


「怖い顔をしないで欲しいな。ボクは間違ったことを言ったかな? 死んだと思っていたヒトが実は生きていた。これは、君たちにとって悪い報せではないはずだろう?」


 真は募る苛立ちに歯噛みする。そのような簡単な理屈で、手放しに喜べる事態ではないことは明白なのに、何故こうも弐道は白々しい言葉を吐けるのか。

 考え方――価値観の根本からしてまるで違う。弐道の意図を測ることができない。

 だから、次に出された弐道からの提案も、真からすれば予想できるものではなかった。


「いや、分かっているとも。ボクが彼女の肉体を使っているから、素直に喜べないというのはね。だったら、ボクが彼女に身体を明け渡すつもりがあると言えば、どうだい?」


 目を見開く真に微笑みなかけながら、弐道はその提案の先を続ける。


「もちろん、ボクにも利があっての提案だ。不死だなんて持てはやされているけれど、ボクはね……生きていることに飽いているんだよ」

「飽いている、だと?」


 渋面に疑問を広げる真に、弐道は苦笑した。


「決して理解して欲しいわけじゃないから安心してくれ。ボクは自身でこの特性を制御することができないんだ。生まれ変わってある程度脳が成長すると、ボクの記憶は復元し、弐道五華としての自我が形成される仕組みになっている」


 どのような死を遂げようとも、生まれ変わるたびに弐道五華の意識は回帰する。死しても死なず、それが未来永劫繰り返される。

 その輪廻の環から抜け出したいと、弐道は語るのだった。


「転生した肉体の持ち主の魂が生きている――こんな機会が巡ることは、この先ないと思うんだ。君になら、ボクを解放できる可能性があるんじゃないかと、そんな風に予感しているんだよ」


 真から視線を外し、今にも崩れ落ちそうなハナコを見つめる弐道の昏い瞳には、淡い期待がこめられている。


「どうか、ボクを殺してみせてくれ。そうすれば、君は本来の自分を取り戻せるだろう」


 誰にも殺すことのできない特異な意識を魂に刻む弐道。だが、今の弐道の肉体と魂の結びつきの強いハナコであれば、あるいは対抗できるかもしれない――と。

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