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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
156/185

11 「便りなき友」

 父――新堂誠二の書斎の様子は、整然としていた。


 全体的に落ち着いた色調で統一されている室内は、両サイドに天井に届くくらいの本棚が並び、出入り口の扉の正面にはこちらに背を向ける形で執務机が据えられている。机の前には庭に面する窓があったが、ブラインドが下ろされていた。 

 微かだが、重圧となっていた空気が弛緩した気がする。鍵が掛かって開けられなかった、という心理的な理由もあるのだろう。


 進は己の片手に収まった鍵の感触を確かめるように拳を握りこみ、書斎へと足を踏み入れた。


 鍵は弐道のバッグから()()()()ものである。

 部屋に着替えに戻ると言ったのも嘘だった。弐道は進の願い通りキッチンへと移動し、その隙をついた形だ。

 すぐにばれる嘘でしかなく、賭けにすらならない無謀な行為ではあっただろう。

 しかし、この機を逃せば次は何時になるかは分からない。このまま飼い殺しの状況が続くのであれば、その状況を動かさなければならないと彼は決意していた。


 正直なところ、この行為が弐道にばれればどうなるのか想像すらついていない。

 表面上は何事もなく均衡を保っていたところを、自ら揺り動かそうというのだ。もしも弐道が本当にただの秘書でしかなく、全ては勘違いだったとするのなら、目も当てられない。

 だが、それならそれで構わないと進は思っていた。自分が誤っていたのならば、いくらでも頭を下げるし、信用をなくしてでも強行すべきだとさえも。


 この家で調べられなかった場所は、いつも鍵の掛かっている書斎だけだったのだ。

 そもそも、最後にこの部屋に入ったのは、今よりもずっと幼い子どもの時以来かもしれない。

 本棚に並ぶ背表紙をざっと眺める。学術書が主だろうか、中には洋書もあるため内容まではすぐに想像ができないものもある。一冊ずつ手に取るわけにもいかないため、本棚はひとまず諦めて執務机の方へと向かった。

 まずは窓のブラインドを開けようと試みたが、やはり動かすことは不可能だった。期待はしていなかったが、「やっぱりか」という心にのし掛かる徒労感は拭えるものではない。


 ともかく、この書斎もまた不可思議な力の影響下にあるということは、これではっきりとしたわけだ。


 進はぐっと気持ちを切り替えて、書斎の捜索を再開する。幸いにして執務机の引き出しに鍵は掛かっておらず、中をあらためることは簡単だった。

 筆記用具、未使用の便箋、空のファイル。現状を知るための手掛かりになるようなものは見当たらない。

 いくらプライベートな場とはいえ、おいそれと尻尾を掴ませてはくれないのか。あるいは、本当に何もないのか。

 そうした考えに走っている時点で、もうとっくに父に対する信用などないに等しい。しかし、意を決した行為に対する手応えのなさに、次第に焦りの色が強まっていく進には、そんな己の胸中を気にする余裕はなかった。


 そして、ほとんどひっくり返すようにして引き出しを漁る彼の指先に、あるものが触れた。

 紐で閉じられた大きめの茶封筒だった。中には何かが入っている厚めの感触がある。

 忘れ物を取りに来たという、弐道の言葉を進は思い出していた。


 心に残った僅かな躊躇いを捨てて、封筒の紐を解く。中からは何らかの資料と思われる紙の束が出て来、進は先頭のページに注目した。

 熱に朦朧とした頭ではあるが、辛うじて字は読める。

 この春に竣工し、間を置かずに開業する予定となっている高層ビルの案件に関するものだ。その予定表のようなものだろうか。


 父が市長として凪浜市の開発に力を入れていることは知っている。このビルの建設もその一環として、何年も時間を掛けていたものだ。

 もうその予定は遠い先のことではなく、三月の頭となっている。時間としては、ひと月もないことになる。



 ――そういえば、静さんは父さんが浅霧家に依頼を出した切っ掛けを気にしていた……。



 建設にあたって、安全を祈願して神事を執り行うこともあると聞く。凪浜市の各所に霊を鎮めるための依頼は、もしかするとそういう意図もあったのだろうか。

 心を掠めるような、小さな閃き。考えがあと一歩及ばないもどかしさを覚えながら、進は続けて資料に目を通そうとした。


「悪い子ですね」


 不意に聞こえた声に進は驚き、顔を上げた拍子に手から資料を取り落としてしまった。ばらばらと床を滑る資料の一部が、訪れたその人のつま先に当たる。


「ここは、あなたのお部屋ではありませんよ? 進さん」

「弐道さん……」


 上品な笑みも、進の目にはどこか白々しく映る。思わず足は後ろに下がりかけたが、最初から後などない。


「警戒しないでください。私が、あなたに何かしましたか?」


 そう言うと、弐道は散らばった資料を拾い集め始めた。窒息しそうな空気の中、彼女の周りだけが穏やかであり、それが却って不気味に見える。


「……怒らないんですか?」

「怒る? 何を怒る必要があるというのです?」


 資料を拾い終えた弐道は執務机に軽く紙束をたてて整えると、進に向けて微笑んだ。

 三日月に細められた漆黒の瞳が、進の心臓を凍てつかせる。


「君がボクを不審に思っていることは気づいていた。でもまあ、疑わしいと思っても確証がないのはお互い様だっただろう? だから、隙を見せれば動いてくれるんじゃないかなって鎌をかけてみたのさ」

「は……え……?」


 そして、急に別人のように語りかけてくる弐道に、進は面食らった。まさに鳩が豆鉄砲でも食ったようであり、彼女もそれが戯れであると言わんばかりに口の両端をつり上げている。


「寝たきりになってもおかしくないのに、まだ君の目は死んではいないのだから、たいしたものだよ。そういう経験があるのかな。だとしたら、少なからず耐性がついたとも考えられるね」

「何を言って……あなたは、誰だ!?」


 人格が急変したかのようではあるが、纏う雰囲気は変わっていない。しかし、被っていた皮を破り、弐道は隠していた本音の一端を見せようとしている。

 ようやくのこと進は裏返りかけた声で叫ぶ。よろめき倒れそうになるところを、どうにか後ろ手で執務机の縁を掴んで耐えるのが精一杯だった。


「その問いには、ボク自身も明確な答えを返すことはできないな。ボクに返すことができるのは、弐道五華いつかという名前だけだ」



 ――もっとも、その名前だっていつから名乗っているのかは忘れてしまったけれど。



 弐道の視線が進の瞳の奥をいとも容易く貫く。正体不明の恐れが進の本能を震わせ、細胞という細胞が絡め取られていく。

 耐性というのかは不明だが、進はこの感覚がかつて紺乃という男に肉体を支配されたときのものと似ていると記憶を想起させていた。ドス黒い泥に似た海に肉体の内側が満たされ、意識が溺れる――


「その辺りで、ご容赦願えますか?」


 と、もう少しで意識を失いかけようかというところで、第三者の声を進は聞いた。弐道の目線が逸らされると同時に、全身を縛り付けていた悪寒が和らぐ。


「よもや、殺すつもりではないでしょうね?」

「と……う、さん?」


 汗を噴き、とうとう膝を折った進が見た人物は、新堂誠二その人だった。仕立ての良い背広を着た父の姿に、彼が僅かでも安堵の気持ちを抱いたかといえば、そうではなかった。

 遠くなりかけた耳にも、父の口から紡がれた物騒な言葉は、はっきりと届いていた。


「まさか。君の計画を邪魔する気はないよ。けれど、この子を放置しておくのも問題じゃないのかな?」

「そのための結界でしょう。苦肉の策ではありますが、今は時間を稼げればそれでいいのです」


 進の顔は蒼白となっている。弐道の口調が変化したように、誠二もまた進の知る父とは別人のようであった。

 息子であるから気づけることだったのかもしれない。顔貌かおかたちこそ父のそれだが、中身が決定的に違うと感じる。

 とうとう化けの皮が剥がれたか。それとも、もう取り繕う必要すらないと判断されたのか。

 いずれにせよ、己の予感が正しかったのだと進は確信した。何かおぞましい陰謀の渦中に、自分はいる。


「……言わんこっちゃない。なるべく無理矢理ってのは避けたかったんですがね」


 進の懐疑的な眼差しを受けて、父に似つかわしくない所作で頭を掻きながら誠二が言う。


「化かし合いはもうやめにしようか。今更何を言ったところで、お前はもうこっちを信用しちゃくれねえだろうしな」

「父さん……じゃないのか? 父さんは、どうしたんだ……!?」


 粗暴さを滲ませる言葉を吐く、父の姿を借りた何者か。進を見下ろしながら彼は肩を竦めて、自身の胸の中心に親指を立てた。


「お前の親父さんならここにいる。色々と知りたいことはあるだろうが、こっちは答えてやる義理もねえ。もうしばらく、お前は寝てな」

「僕を……殺す気か?」

「は、物騒なことを言うガキだぜ。殺さねえよ。人の話はよく聞きな」


 睨み上げる進に、誠二は息子に向けるには程遠い、慈悲の欠片もない酷薄な冷笑を浮かべる。


「市長の息子のお前を始末すれば、こっちの仕事が滞る。市内を嗅ぎ回っている連中に、余計な勘繰りをいれさせたくもねえしな」


 がくりと、進の身体の重みが増す。指先という指先から力が抜け始めて、脳内が真っ白に点滅する。


「ちょいと強めの麻酔だと思って辛抱しな」


 どれだけ力をこめようとも、その力には抗いきれるものではなかった。三半規管が揺さぶられ、恐ろしい勢いで意識は底なし沼へと落ちていく。

 崩れ落ちる進が昏睡するまで、他人のかおをした正体不明の者たちは、じっと彼を見下ろしていた。





「う、う~ん、似てる……かな。うん、似てると言えば似てるの、かな?」


 凪浜神社の社務所。居間の畳にて正座する霊の少女を様々な角度で眺めながら、柄支はそんな風に結論を口にした。

 曖昧模糊とした言い方だが、彼女もそうとしか言いようがないのだから、どうしようもないのだった。


「も、もういいでしょうか。何だか、凄く緊張するのですが……」


 話題の中心であるハナコは、自分を取り囲んで観察する柄支と麻希と沙也の三人を、おろおろと見回していた。

 雑木林の訓練の場から、混乱しっぱなしのハナコである。その顔からはやや疲れも滲んでおり、蚊帳の外となっている真も、そろそろ詳しい話を聞きたいと思って少女らの間に割って入るべく動こうとした。


「いったい、何の話なんです? ハナコが誰かに似てるんですか?」


 三人の中で、一番話が通じやすいであろう麻希に訊ねることにする。麻希もまた思慮に耽っているのか、難しい顔をしていた。


「私にも、はっきりと断言できるわけじゃないんだがな――」


 掻い摘まんだ内容は沙也からも聞いていたが、麻希の話の方が要点をまとめられており、すんなりと真の頭に入ってきた。それはハナコも同様のようで、ようやく自分が何故こんなにも執拗に眺め回されているのか理解したようである。


「そうですか。新堂には結局会えずじまいだったんですね。それで、その秘書って女性ひとがハナコに似てると」


 真はちらとハナコの顔を一瞥する。実際にその女性と会ったわけではないので彼には比較のしようもないが、気持ちとしては「そういうこともあるのかもしれない」くらいのものだ。

 他人の空似という言葉もある。そこまで殊更に盛り上がるほどのことだろうか、というのが正直な感想だった。


「まあ、そう言われたらそれまでなんだけどさ。ハナちゃん、いつも半分透けてるから、こう、はっきりとこうだとも言えないし」

「す、すいません」

「そこは謝るところじゃないだろ。そもそも、その人はハナコとも年が違うんじゃないんですか?」


 ハナコの正確な年齢は不明だが、外見的には真たちと同世代か、少し幼く見えるくらいだ。少なくとも、話に聞く女性のような大人ではない。

 だから、似てると言われても今ひとつピンと来ず、違和感の方が大きいのだ。当のハナコも話は解ったものの、結論の出ない話に困惑が生まれるばかりのことである。


「ですよね。きっと、柄支さんたちの気のせいですよ。似てるのが本当だとしても、それだけの話ですもんね」


 真の疑問に同意するように、ハナコも早くこの針の筵に近い状況から抜け出すべく何度も頷く。彼女の言うことはもっともであり、それ以上は柄支たちにはどうしようもなく、無理矢理に続けられるような話でもなかった。


「沙也ちゃんも、もういいよね?」


 言い出しっぺの妹である沙也へと柄支が訊ねる。沙也は一瞬姉に目を向けた後、「ええ、そうね」と、どこか上の空で返事をした。


「ん? どうしたの?」


 その様子を不審に思い、柄支が首をちょこんと傾げる。姉に見つめられた沙也は少し居辛そうに眉間に縦皺を寄せると、苦しげに短く首を横に振って額を押さえた。


「忘れたのよ」

「え?」

「お姉ちゃん、あの女の名前……なんて言ったっけ?」


 脳髄から必死に記憶を絞り出そうと、ぎり、と奥歯を擦らせる。あまりの必死なその形相に柄支は目を見開いたが、問われた内容は何のことはない。彼女は、あえてからかうように口元を緩めた。


「やだなぁ、沙也ちゃん。ど忘れしちゃったの?」


 記憶の引き出しには、確かに聞いたと覚えている。数時間前の出来事を、そう簡単に忘れられるものではないだろうに。

 気難しく歪んでいる妹の顔を解消させようと、柄支はその名を口に出そうとする。


「あれ……? あの人の名前、なんだっけ?」


 そして――己の記憶からもその部分だけが、綺麗に抜け落ちていることに気づくのだった。


「麻希ちゃんは……覚えてるよね?」


 流石に変だと思ったものの、気を取り直して柄支は麻希にバトンを託す。すると、麻希も困惑したように眉間に皺を寄せて口を噤んだ。


「そういえば、皆さんその方の話をするときにお名前を出していらっしゃいませんでしたね」


 ハナコが方頬に指を添えて、何気なく呟く。その事実に誰も気づいていなかったのか、少女たち三人は愕然とした面持ちとなっていた。


「……。一気にけたってわけじゃあ、なさそうですね」

「当たり前でしょ。もう、何だってのよっ」


 苛立ちを隠さずに、沙也が組んだ腕を指先で何度も叩きながら真を睨む。だが、そんなことをしても記憶は引き出せるはずもなく、気味の悪い感触が溶け込んだ空気が足下に沈んでいた。



 ――そういうことも……あるのか?



 三人が三人とも、同じタイミングで会った人物の名前を忘れる。しかも、知り合いに似ているという特別な印象を持ちながらだ。

 不可解な現象である。しかし、柄支たちの様子に変わったところは見られない。

 静と永治にも意見を求めたいところだったが、訓練によって荒れた場の後始末のために雑木林に残っている。

 軽々に答えを出すべきことではないかもしれない。腹の底に小さなしこりは残るものの、さりとて深読みし過ぎるのもどうか。

 ひとまず様子見をするしかない。真がそう、考えをまとめようとしたときであった。


 流行の音楽を思わせるメロディが沈黙を打ち破り、軽快に鳴り響く。


「あ、ちょっとごめんね」


 柄支がスカートのポケットをまさぐり、携帯を手に取る。そして、着信内容を見た彼女は「あっ」と文字通り声を上げた。


「新堂くんからだ!」

「何? 本当か」


 麻希が素早く反応して柄支の手元を覗き込む。どうやらメールのようで、柄支は素早い指捌きでその内容を開封すると、画面をしばしの間じっと見つめた。

 息をするのも忘れているのではないかと思うくらい真剣な顔つきであったが、最後まで読み終えた柄支は表情を緩める。あからさまに、ほっとした様子だった。


「……新堂くん、大丈夫みたいだね。浅霧くん、読んでみて」

「いいんですか?」

「君宛てでもあるから。はい、どうぞ」


 真は柄支から携帯を受け取る。そして、差出人に『新堂くん』と記されたそのメールの内容を確認するのだった。



『芳月先輩


 長い間、ご心配をおかけしていて申し訳ありません。

 今日は、わざわざ自宅まで訪ねて頂いた上に、差し入れまでありがとうございました。

 古宮先輩と妹さんにも、御礼を伝えてくださると有り難いです。


 僕のことは心配しないでください。

 父のこともあって、少し連絡が取りづらくなっていますが、体調も快復に向かっています。

 このメールも、送ったことは直ぐにばれるでしょうし、そうなると返信もままならないと思います。


 浅霧とハナコさんのことも、先輩のメールを読みました。

 軽々しいことは言えないけれど、僕も二人の意思を尊重したいです。


 それで、唐突なのですが、近々開発区に高層ビルが来月に完成することは知っていますか?

 開業を記念して、ちょっとしたイベントも企画されているらしいから、皆で気晴らしに来てはどうでしょう。

 父が事業に関わっていることもあるので、入場券も融通できるはずです。

 思い出作りってわけじゃないけれど、二人には必要なことだとも思うので。

 差し出がましいことを言って、気を悪くしたなら謝ります。

 でも、考えておいて下さい。僕もその日までには体調を治して、必ず顔を出しますので。


 それでは、また会える日を楽しみにしています』

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