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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
152/185

07 「君を想う 2」

「真さんの魂を救える可能性を、わたしは聞いたんです」


 静に代わり、ハナコは熱のある意思を込めた目でその内容を語った。

 彼女は知ったのだった。浅霧翼を救出するため単身で如月健一へと立ち向かった際に、彼からその可能性を聞かされた。


 それは意識を魂から切り離し、別の魂に移し替えるというものである。


 肉体、霊気、魂。この三つの要素が生命を支える概念として存在する。

 魂は霊気を生成し、霊気が肉体を動かす原動力となる。真の魂の死とは、この霊気を生み出す機能が魂から欠損していることを意味している。

 一度失われた魂の機能を回復させることは不可能だとされており、その事実は揺るがない。だが、如月の語ったことは根本こんぽんの治療ではなく、根本をすげ替えるというものだった。

 魂に宿る人の意識。すなわち、記憶や人格と呼べるものを正常な魂に移植するのである。


「恥ずかしながら、私たちだけではそれに答えられるだけの知識がありません」


 そこで静が、深い憂慮を示すように口を挿んだ。

 その方法自体が眉唾物であり、如月の狂言である可能性も否定しきれない。だが、教団の掲げていた不死という観念から考えても、無視できない信憑性を帯びているのであった。


「こういう言い方は好みませんが……教団が壊滅した今、二人の存在の価値は上がったとも見られます。まだ組織だって二人を囲おうという動きはありませんが……」

「少なくとも、下手に自分たちから藪をつつくこともないというわけですな」


 静の言わんとする先を永治が引き取り、理解を示した。

 退魔省、滅魔省、封魔省の三組織の認識として、教団は潰すべき存在だった。それは研究そのものもそうだが、元を正せば教団自体が三組織内部の裏切りから生まれたものだからでもある。

 だからこそ、いつまた教団の思想を受け継ぐような輩が現れるかもしれない。そうなったときに、真とハナコが狙われるとも限らない。

 今は三組織も事後処理で手間取っているようだが、二人の存在を今後どのように扱うべきかが議論の俎上に載せられるのは、時間の問題なのだった。

 手を打てるのであれば、早いほうがよい。退魔省――特に、一応の伝手はあるはずのラオを頼らずに、組織とは関わりの無くなった永治を訪ねたのは、そうした意図があるからなのである。


「ふむ……そうですな」


 両膝に手をつき、しばし永治は黙考する。そして、あくまでも求められるままに、中立の姿勢で結論を口にした。


「理屈としては、可能性はあると言わざるを得ないのでしょうなぁ」


 寿命以外の何らかの要因で死に至り、魂と霊体はこの世に取り残されることがある。そうした存在を浄化するのが退魔師の主な役割の一つであるのだが、ときとして肥大した霊が生者を乗っ取ることがある。

 いわゆる悪霊と呼ばれるものだ。

 死した魂は霊気を生み出すことはできず、放っておけば霊気を失い自然消滅を免れない。もはや自我などないが、この世を彷徨う霊は本能的に消えることを恐れるのか、霊気を取り込もうとする。霊にとって生者の魂は格好の餌なのだ。

 とはいっても、基本的に生者の意識の方が強いため、自我を持たぬ霊が生者の意識を殺して魂を取り込むところまでいくケースはまれではあるのだが。


「意識を魂から完全に切り離すという術までは知りませんが、方策としてはこのことと似ていますな」


 他の霊がそうするように、ハナコが真の魂を取り込む。それで二人の繋がった魂は一つとなり、真の意識は魂ごと消えてしまう。

 通常ならば。


「つまり、わたしが意識を手放して真さんにこの魂を明け渡せばいいのですね」


 本来一つの魂に異なる二つの意識は存在できない。取り込まれる時点で鬩ぎ合いが起こるはずだが、ハナコ自らがその座を退くのであれば事は容易にすむ。ハナコの生きた魂は真の肉体に定着し、主導権も彼自身が握ることができるという理屈だ。


「……そんなことが、本当にできるのかよ」


 と、これまで黙っていた真が口を開く。最後まで話を聞くつもりではあったが、我慢の限界と言わんばかりに彼の目には苛立ちの感情が見えていた。


「いや、仮にできたとしてもそれは浄化なんかじゃない。お前の魂を俺の中に残すってことは……!」


 腰を浮かせて隣のハナコを見下ろすように向き直り、そして真は言葉を失った。


「わかっています。魂と共に浄化されなかった意識は、きっと輪廻も、転生もなく、ただ世界から切り離されて消えるだけ……」


 ハナコは深い笑みを湛えて、真を見返す。それが彼女の覚悟であると知り、未だ意思の定まらぬ彼が何を言うことができるのか。


「それでも、わたしがいなくても真さんが生きられる望みがあるのなら……わたしは、その道を選びます」





 それから先の話は、物別れで終わった。真は今、社務所の縁側で冷えた夜を呆然と眺めている。

 実際のところ、結論はもう出たようなものだった。後は受け入れるか否かだけの問題なのである。

 それを決めるのは他の誰でもない。自分自身だ。


「私は珊瑚のように甘やかしはしないぞ。お前のことは、お前で決めろ」


 とは静の台詞である。突き放したような態度だが、逆に言えば、どう結論を出そうとも文句は言わないということなのだろう。

 自分のことは自分で決める。まさにその通りで、ぐうの音も出ない。


 自身の魂の死について、真は受け入れているつもりだった。

 当然、回復できるのならそれに越したことはない。一度死んだ身だと斜に構えたときもあったが、今の彼は生きることに消極的になる理由をもつことはない。

 だが、それはハナコと共にということが前提でもあった。

 その想いは変わらない。ましてや、彼女の魂を犠牲にした上で生き長らえるなど、考えたくもないことだった。

 繋がった半端者同士。これまで支え合ってきたように、これからも共に生きられればそれでいいではないか、と。

 しかし、その点においては以前からも互いに意識の齟齬があったのだ。真はハナコと共に生きることに躊躇いはなかったが、ハナコは自身の存在が真を縛ることをよしとしてはいなかった。

 そして、ハナコは己の願いの叶えるための道筋を見出して、決めたのだ。


「凄いよ、お前は」


 真は夜空を見上げたまま、後ろを見ずに言った。寄り添うように近づく背後の気配が動きを止めて、静かに笑みが零される。


「気づかれましたか」

「当たり前だろ」


 魂の繋がった者同士、隠そうとしなければ近づいていることなんて、すぐに分かるものなのだった。そっと真の隣に並んだハナコが、彼にならって縁側に腰を下ろす。月明かりが彼女の霊体を照らし、薄く透かしていた。

 二人は言葉を交わすわけでもなく、何ともなしに縁側から見える夜の境内の景色をただ見ていた。見守るかのように、夜の静寂しじまが二人を包む。


「俺は、お前が好きだ。ずっと一緒にいたいと思っている」


 そうして、気がつけば真は素直な心情をはき出していた。気恥ずかしくはあったが焦りはなく、混じりけのない想いを込めたものだった。

 一度は確かめ合ったはずの気持ちである。

 しかし、彼が横目で捉えた彼女の顔は、悲しげに俯けられていた。


「それじゃあ、駄目なのか?」


 顔を正しく向き直らせて、真は言い募る。そんなことをしたところで彼女の表情が曇るだけだと分かっているだけなのに、問わずにはいられなかったのだ。


「……いつか、わたしの心の中でも同じことを仰ってくれましたね」


 その記憶を大切に愛おしむように、ハナコは己の胸に両手を添えて微笑んだ。


「あのときから答えは変わりません。真さん、わたしも……あなたのことは好きです。でも、一緒にはいられません」


 ハナコの顔を、真はもうまともに見ることができなかった。どうしてそんな風に笑うことができるのか、彼女の気持ちが理解できない。


「……俺は、お前に何をしてやれる」


 違う。理解したくないだけなのだと、真はいい加減に認めなくてはならなかった。

 自分だって最初はハナコを浄化するつもりでいたはずだ。それがどうして、いつからこんな気持ちになってしまったのか。

 彼女と共に生きて、共に死ぬ。

 ああ、聞こえはいいかもしれない。だが、そのような生き方は停滞でしかないと、ハナコはとっくに見抜いているのだ。


「真さんは、わたしに沢山のものをくれましたよ」


 下から覗き込むような体勢で、ハナコは真の正面に移動していた。極近くで二人の視線が交わり、真は思わず息を呑む。彼の反応を面白がるように、彼女は柔らかく口元を綻ばせていた。


「本当は、そんな言葉では足りないくらいですけれどね。まず、名前をいただきました」

「あんなもん……適当につけただけのことだろう」

「それでもです。記憶なんかなくたって、今のわたしこそが本物のわたしなんだって胸を張れるのは、真さんが名前をくれたから。『ハナコ』って、呼び続けてくれたお陰だと思うんです」


 そこから不意にハナコの顔が近くなったかと思ったが、彼女の身体は真をすり抜けて背後へと回っていた。背中に寄りかかられる気配だけを感じ、真は振り向くことができなかった。


「わたしと真さんは二人で一つ。でも、わたしはあなたに触れることさえできないんです」


 背中に触れているはずの彼女の存在は、曖昧なものでしかない。

 繋がった二人の魂は誰よりもそばに、一番近いところにいる。触れられないなんて今更だと笑い飛ばせばいいはずなのに、真の口は咄嗟には動かず、黙ることを選んでいた。


「わたしは、生きていれば当たり前のことを、何一つあなたに与えることができません」

「……珊瑚さんが言っていたことを気にしているのか?」

「それもあるかもしれませんね。でも、珊瑚さんは悪くありませんよ。彼女が言っていたことは、正しいです」


 二人は肉体的な繋がりを望むことはできない。それは肉体を持つものと持たざるものの、明確な境界だった。


「わたし……真さんに頭を撫でて欲しいです。抱き締めてもらいたいです。この気持ちを認めたときから、もうダメなんです。あなたと一緒にいることで、わたしはどんどん我儘になってしまいます。未練が強くなってしまいます。あなたに何も与えられないわたしが、あなたを縛る存在になることが耐えられないんです」


 ハナコの中に生まれた欲。それは好きな人に触れたい。一緒にいたい。ただそれだけの幼くも純粋な気持ちでしかない。

 しかし、真を生かすために彼の魂と繋がった彼女にとって、その想いは育んではいけないものだったのだ。

 これから先も彼と生きることになれば、彼女の最初の目的は入れ替わる。

 彼を生かすためでない。自分の欲求のために彼を生かし、縛るだけになってしまうのだ。


「そうなったら……わたしは、もう悪霊と何が違うのでしょうかね……?」

「同じなわけがないだろう……!」


 すべての言葉が突き刺さり、真の心はどうしようもなく掻きむしられた。背中のハナコを払う勢いで振り向いた真は、力任せに彼女を両手で掻き抱くようにした。


「抱き締めて欲しいなら、気のすむまでこうしてやるよ。そんなことを言うじゃない」

「……ごめんなさい。でも、これが偽りないわたしの気持ちです」


 一瞬驚いた顔を見せたハナコもまた、真の背中に両手を回した。受け入れられない想いはすれ違い、苦い後味を生むだけの行為でしかなかったが、それが今の二人の距離だった。


「真さん、生きてください。大丈夫ですよ……あなたはまだまだ生きられる。たった一つの別れです。これからあなたは、もっと多くの人たちと出逢って、別れを繰り返すはずです。だから、どうか悲しまないで。今、こうして共にあれる時間を喜んでください」


 真の奥深くへと届かせるように、ハナコは彼の胸に額をつけて言葉を紡いだ。そして、名残惜しそうにしながらも、たやすく彼の抱擁をすり抜けてその内側へと沈んでいった。


「それだけが、わたしの望みです。はなむけだと思って……叶えてください」


 空を掻く真の手に残るものは何もない。ただ、逃げるようにして自分の中へと消えてしまったハナコの重みだけを感じる。

 遠い空で煌々と輝く白い月が、彼の目にはやけに遠くに映っていた。

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