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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
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06 「君を想う 1」

 真が凪浜神社前のバス停についたときには、既に夕刻を過ぎようとしていた。

 この時期、日が落ちるまで数刻もない。完全に足下が見えなくなる前に急ごうと、真は神社の本殿へと続く石段を上り始めた。

 そして、濃い夕影をさらす木々の下を抜けた先。逆光を受けてほのかに赤く染まる影に気づいて目を細める。

 季節外れの陽炎のようにも見えるその存在も、彼の姿を認めたようだった。


「真さん」


 半分透けた霊体を空気に溶かすかのように綻ばせて、ハナコが微笑を浮かべて彼の名を呼ぶ。真は石段の最後の一段を上り終えて、彼女の隣に並び立った。


「なんだ、待っていてくれたのか?」

「はい。あ、でもずっとではないですよ。真さんの気配がしたので出てきたところでした。あたりでしたね」

「……そうか。静姉と永治さんは?」


 はにかむハナコのまっすぐな眼差しに、真は無意識に目をそらした。砂利に挟まれた石畳の道を歩き出し、境内の外れに見える社務所を目指す。


「中でお話されてます。案外、気が合うお二人なんですかね。話に花を咲かせておられましたよ」

「そうなのか。やっぱり、先に来て大変だったんじゃないのか?」

「いえいえ、そんな。わたしの我儘ですから。どうぞお気遣いなく」


 並んで進むハナコは楽しそうにくすくすと笑っている。彼女の様子からして、退魔省を引退した古老の古宮永治こみやながはると、現役の浅霧静は相性がよかったらしい。笑む彼女の横顔をちらと見て、真は少しだけ頬を緩めた。


「真さんの方こそ、久し振りに柄支さんたちとは話せましたか?」

「ああ、一応はな。芳月先輩も、お前によろしくって言ってたよ」


 新堂進が学校を休んでいることも含めて、短い道のりの間に真は放課後のファストフード店内における会話のあらましをハナコに話すことにした。進の話になるとハナコも心配そうに眉を寄せていたが、この場でどうにかなるものでもない。あまり気負うことはないと、真は彼女に言った。


「進のことは先輩たちが訪ねてくれる。俺たちは……俺たちのことに話をつけないとな」

「……はい」


 社務所の前に着き、入り口の引き戸に手をかけた真が引き締めた表情でハナコに目をやる。ハナコも彼の視線を受け止めて、ゆっくりと頷いた。


「ごめんください」


 戸を開けて真が呼びかけると、廊下の奥から人の動く気配がした。ややあって板を踏む足音が聞こえ、一人の和装姿の老人が二人を出迎えるべく姿を現した。


「お久しぶりです。永治さん」

「ああ、よく来たね。真君」


 真は折り目正しく、背筋を伸ばしてその老人――古宮永治に一礼した。それに対して永治は整った白い顎髭を撫でつけながら、ゆるく口元に弧を描く。


「さあ、かしこまっていないで上がってくれ。お姉さんも待っているよ」


 体格の良さとは相反して柔らかな声で、永治は真を中へと招き入れた。かくしゃくとした彼の変わりない様子に、真は密かに緊張を和らげる。かつて戦いに巻き込み、折れてしまった彼の右腕はもう完治しているようだった。


「押しかける形になってしまって、すいません」

「いや、構わないよ。麻希も実家に戻ったものだから、少々寂しく思っていたところだったしね。あれとは会ったのかい?」

「はい。元気そうでしたので安心してください。本人からは、余計なことを言うなと言われましたけど」

「あいつらしいな」


 生意気なものだと、永治は人好きのする笑みを浮かべた。他愛ない世間話を軽く交わし、奥の座敷へと通される。障子を開けたところで、先客である浅霧静を真は見つけた。


「永治殿、手数をおかけしてすみません」


 うなじで束ねた長髪を微動だもさせずに正座をしていた静は、口につけていた湯飲みをテーブルに置いて顔を向けた。永治の柔らかな雰囲気とは対照的に、彼女の三白眼はどこか気を張ったような鋭さを孕んでいるように見える。

 その瞳が真とハナコの姿を捉え、二人は射竦められたように顔に緊張を走らせる。だが、それを跳ね返すかのような快活な声で、永治は静に応じるのだった。


「なんのなんの。今日のあなた方は客人だ。ゆるりとしておいてくれればいいですとも。真君とハナコ君は、あちらに座るといいよ」


 静の隣を指して言うと、「茶を淹れてこよう」と永治は真たちを残して座敷を後にした。一瞬の気まずい沈黙はあったが、気を取り直して真は姉の隣に移動して、用意されていた座布団に腰を落ち着ける。ハナコも同様にした。


「引退されたとはいえ、たいした御仁だ。神職に就かれているだけのことはある」


 ふと、静が一息をおいて真に横目を向ける。真は胡乱げに彼女を見返し、返答に迷った。


「静姉が人を褒めるなんて、珍しいこともあるもんだな」

「お前は私を何だと思っている。まあいい。覚悟は固めてきたのだろうな?」


 先ほど永治が払ったはずの鋭さを、静は再び瞳に滲ませていた。軽口に対して重く問い掛けられた真は、思わず口を閉ざしてしまう。

 静の問いは、決して唐突なものではない。今日まで引き延ばしにしていた問題に対する答えを、受け入れる覚悟があるのか否か。これまでも、そうした局面がないわけではなかったのだから。

 ハナコもあえて口を挿もうとはしていない。それはもう、彼女の方では気持ちの整理をつけているということだった。


「珊瑚に代わって私がお前たちの監督役を務めることになった以上、中途半端な真似はさせない。それだけは肝に銘じておけ」


 押し黙る真をそれ以上問い詰めず、静は釘だけを刺して前に向き直る。ちょうど永治が茶を運んできたタイミングであった。


じじいの淹れた茶で悪いがね。まあ一口飲んで気持ちを落ち着けるといい」


 全員の茶を淹れ直した永治は、真たちの対面に自らも腰を下ろして相好を崩した。彼の言葉に甘えて、真は湯気の立つ湯飲みを両手で持ち上げ一口含む。

 外気に冷えていた身体が胃から熱せられる。真は熱が通り過ぎるのをぐっと瞳を閉じて待ち、吐息を零した。


「落ち着いたかな?」

「……はい。ありがとうございます」


 真は居住まいを正して表情に力を込める。永治は鷹揚に首を縦に振り、次にハナコの方にも目を向けた。


「ハナコ君も大丈夫かね?」


 ハナコは言葉ではなく、こくりと決意を秘めた眼差しを永治に返して頷いていた。そこで永治は和らげていた口元から笑みを引き、代表者である静に話の水を向けるのだった。


「では、役者も揃ったようなので改めて。今回の用向きを説明願えますかな」

「ええ。先に、私とハナコとでお話させて頂いたことの繰り返しとなりますが……」


 咳払いを一つして、静はやや堅い口調で話し始めた。

 真とハナコの存在を発端として、闇に潜めていたその実態を浮かび上がらせてきた無色の教団の存在のこと。

 そして、浅霧翼の拉致を契機に教団の司教としての正体を明らかにした如月健一との戦いにより、教団との争いは彼の組織の壊滅という一つの結末を迎えたこと。


「退魔省に在籍のおりに、永治殿は父とも交流があったと聞き及んでおります。ご報告が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます」

「いや! とんでもない。何を仰るのか」


 頭を下げる静に、永治は慌てたように腰を浮かせた。


「我が身かわいさで戦いから退き、不義理をしていたのは私の方だ。私は君たちから責められこそすれ、謝られる筋合いなどない」

「それこそ致し方のない事情あってのことでしょう。身を引いたあなたに、こうして厚かましくも頼ろうとしている未熟な我が身のこと、恥じ入るばかりです」

「……いや、参った。この話はやめましょう。今回の話の主旨とは異なることですしな。しかし、言えた義理ではないのでしょうが……これで彼も浮かばれることでしょう」

「ありがとうございます。機会がありましたら線香でもあげに来てください。父と母も喜ぶでしょう」


 真たちの父である浅霧しんの最後の任務は、無色の教団の調査であった。そして、浅霧家の子供たちはその果てに起きた事件で父と母を喪った。そのことを考えれば、教団との戦いの終結は二人の魂の弔いにもなる出来事だったのだ。

 遺された真たちにとっても、これは一つの節目なのである。


 そして、それは教団の被害者であるハナコにとっても、当てはまることなのだった。


 ハナコは霊ではあるが、世に言うところの死者の霊とは異なり生きた魂を持つ。それは教団の実験の成果の一つであり、本来ならば歓迎すべきものではないのだろうが、彼女のお陰で真は生き長らえることができている。

 端的に言えば、彼は一度死んでいるのだ。肉体を生存さえるために必要な魂の機能を殺されたのだが、ハナコの生きた魂と繋がることでせいを得ることを許されているのである。

 それもすべては教団の実験の一環で起きたことだと後に明らかとなったわけだが、いまさら言っても詮方せんかたない。


 確かなことは、真はハナコがいなければ、遠からず死を迎えるということだ。


 生きながらも魂が死んでいる少年と、肉体を持たず生きた魂だけを持つ少女。

 ハナコは抜け殻の自分を見つけてくれた彼のために、自身の魂を彼のために使うことを選んだ。そして真は、すべて忘れてしまっているという彼女の記憶の在処を探すことにした。

 彼女は霊だ。この世に心残りがあるのなら、せめてその記憶を取り戻して、安心して浄化させてやるべきだと思ったのだ。

 しかし、ハナコの記憶は教団の実験の後遺症ともいうべきか、彼女自身の中にももう存在しないものだった。被検体の情報はすべて抹消されており、客観的に彼女の示すものも存在しない。


 自分が何者なのか、それを探る手がかりは、もはやこの世の何処にも存在しない。


 だが、ハナコは特段そのことについて悲観しているわけではなかった。彼女にとって重要なのは、もう過去ではなく現在いまでしかないからだ。

 真と出会ってから、魂に刻みつけてきた日々の出来事が『ハナコ』という自我を形作るすべてであり、愛おしい時間なのだ。そこに過去は関係ないのである。


 故に、ここが潮時なのだった。

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