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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第一部 死に損ないの再生者
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13 「古宮永治」

 住宅街から三十分余り、通りでタクシーを拾った珊瑚とハナコはその場所に到着した。

 郊外の山の手にある、歯に衣着せぬ言い方をするなら寂れた場所だった。タクシーを降りた二人の目の前には、夜の濃紺に染まった鳥居がある。周囲に街灯らしきものがなく、山林に覆われているため月明かりしか頼るものがない状態だった。

 珊瑚はすぐに荷物からマグライトを右手に持って白い光を灯す。闇が払われ本来の朱色を取り戻した鳥居を見上げ、頭を下げてから二人は参道へと入った。

 背の高い木々に囲まれ、暗く湿った土の上を歩くことになった。自然な道のため足元に注意しながら進むと、ほどなくして石段が見える。灯りを上向けにすると、先は見えないほどではないが、それなりに距離があるようだった。


「ハナコさん、大丈夫ですか?」

「はい、まだ行けます」


 調子を慮って訊ねる珊瑚に、ハナコは気丈に頷いて見せる。他人の身体を動かすことには気を遣うが、真の身体ならば疲労の度合いなどは判じ易い。取り憑いている影響下で、真の感覚はある程度ハナコには伝わるのだ。

珊瑚は一度頷いて、石段を慎重に上り始めた。ハナコもその後に続く。場所柄のせいか、一歩階段を上る度に身が引き締められるような感覚があった。


「……わたし、お祓いされたりしませんよね?」


 思わず口をついて出てしまっていたハナコの不安に、不謹慎ながらも珊瑚は口を綻ばせた。


「大丈夫ですよ。もしそうなりかけても、私がお守りします」


 石段の終わりに差し掛かり、境内が徐々に視界に入ってくる。上り切った珊瑚は拝殿へと続く石畳の道を照らした。すると、その途中に人の背中が見えた。


「――!?」


 少女だった。勢いよく振り返らせた顔は心底驚いた風である。しかし、それも束の間のことで、眩しさに手をかざす彼女の表情は瞬時に警戒の色に染まった。


「こんばんは。神社の方ですか?」


 珊瑚は敵意がないことを示すため、マグライトを下げて静かに少女に呼び掛けた。向こうも光量が弱まり珊瑚が女性だと判ったためか、かざしていた手を下げ、表情を訝しげなものへと変える。

 珊瑚が神社の関係者か訊ねたのは、見るからに少女が参拝客ではないと判断したからだ。上下ジャージ姿でサンダルをつっかけている様は、年若い少女がするには不似合いに思えたが、不思議と違和感はない。彼女は、この場に慣れている特有の雰囲気を出していた。


「そうですが、参拝ですか?」


 少女自身もそんなわけがないと疑ってはいなかったが、一応形式として訊ねてみたという口調だった。当然、それに対して珊瑚は否定を返す。


「いいえ……こちらに古宮永治様は、いらっしゃいますか?」


 珊瑚の問いに、少女はますます怪訝そうに眉を顰める。戸惑いながらも、探りを入れるように、彼女は慎重に口を開いた。


「永治は、私の祖父です」

「では、あなたはお孫さんですか?」

「そうですが、あなたはどちら様ですか?」


 質問を繰り返す珊瑚に、少女が不審さを露わに問い返す。珊瑚は自分の不躾さを思い、丁寧に頭を下げた。


「失礼いたしました。私は千島珊瑚と申します。こちらが浅霧真さんです。浅霧家のものが来たと仰っていただければ判ると思うのですが、取り次いで頂けないでしょうか?」

「浅霧?」


 少女は珊瑚の名前よりも真の名前に反応を示した。そこでようやく、彼女は珊瑚の背後に隠れるようにして立っている真の姿に気がついた。


「お前、浅霧か。何故家に……」


 口調は冷静だったが、明らかに狼狽えている様子を珊瑚は見て取る。警戒が鳴りを潜め、知り合いに見られてはいけないものを見られてしまったような、気まずさのある戸惑いだ。


「もしかして、お知り合いでしたか?」


 少女に聞こえないように声を落とし、珊瑚は振り返らずにハナコに訊ねた。


「はい……真さんの学校の先輩の、麻希さんです」

「おい浅霧。何故黙っている?」


 こそこそとした態度が気に食わず、少女――麻希は珊瑚の背中を覗くように移動する。できることなら会話は極力避けたいところだが、ハナコは観念して麻希の前に真の姿を晒した。


「先輩……こんばんは」

「なんだ、その顔は。何か言いたげだな」

「いえ、そんなことはないですよ」


 間違いなく言いがかりだったが、麻希は普段と違う後輩の様子を、変にこちらを気遣っているものだと勘違いしていた。素の恰好を見られてしまったこともあり、多少冷静さを欠いていた部分も影響してのことだった。


「祖父に用なのですね。案内します」


 麻希は改めて珊瑚に向き直り、ついて来るように言うと踵を返して歩き出した。月明かりだけで迷いなく歩くことができるのは、ひとえに慣れだ。

 敷地は広くもなく、社務所の明かりがすぐに見えてきたため、珊瑚はマグライトを消した。


「少し待っていてください」


 麻希は一度振り返って言うと、玄関の引き戸を開けて中へと入って行った。おそらく自宅を兼用しているのだろう。木造の平屋で、ところどころに年期を感じさせる傷みが見て取れた。


「御爺! 客だぞ!」


 声量を上げた麻希の声が響く。返事の代わりに家屋の奥から重く響く足音が玄関に近付いたところで、野太い声がする。


「なんだ、麻希。客だと?」

「ああ、どうぞ入ってください」


 麻希に促されて珊瑚とハナコは玄関へと足を踏み入れ、その老人と顔を合わせる。


「はじめまして。あなたが、古宮永治様ですか?」

「いかにも、そうですが。はて、このような若い知り合いはいないはずだが……」


 ハナコにとって退魔師は真しか知らないので想像に任せるしかなかったが、古宮永治の外見は彼女の予想を大きく外していた。

 彼は老人とは思えぬ偉丈夫だった。短く刈り上げた髪は白くなってこそいるものの、白装束の下から覗く引き締まった肉体は、日頃の鍛錬を如実に表している。

 豊かな顎髭を撫でつけながら、値踏みするように珊瑚と真を観察する永治に、珊瑚は改めて麻希への時と同じように名乗る。浅霧の名前を出したところで、永治はにわかに眉を上げた。


「……なるほど、お上がりください。麻希、お前は部屋に戻っていなさい」

「やれやれ……御爺、後で説明はしてもらうぞ」


 麻希は何か言いたげな顔をしながらも了承し、珊瑚に一礼してからサンダルを脱いで廊下の奥へと去って行った。


「愛想のない孫ですいませんな。どうぞ」


 孫の様子に苦笑しつつ、永治は二人を招き入れて居間へと進む。開けられた襖の先は和室だった。木製の低いテーブルを挟み、お互いに向き合う形で三者は座布団に座った。


「夜分遅くに申し訳ありません。改めまして、感謝致します」

「いえ……ともかくお話を聞きましょう。そちらの彼のことでよろしいのですかな?」


 改めて頭を下げる珊瑚を制しながら、永治は真の姿へ目を向けた。


「はい。その前に、こちらからも質問してもよろしいでしょうか?」

「なんですかな?」

「永治様は退魔師だとお聞きしておりますが、間違いないでしょうか?」

「ふむ……」


 珊瑚の質問に永治は目を閉じて黙考する。しかし、それも束の間で、彼は目を開けて二人の顔を順に見た。


「もはや身を引いて数十年となります。私のことは、退魔師とは呼べないでしょうな」

「ですが、まだ御身体は健在とお見受けします。どうか、真さんを助けるために力を貸して下さい」


 そこから珊瑚は掻い摘んで事情を話した。永治は時折相槌を打つ程度で特に口を挟むこともなく、彼女の話に理解を示した。


「なるほど……縁とはどう繋がるか判らないものです。真君と言ったね、先ほどから君は口をきいていないようだが、今の話と何か関係があるのかい?」


 話を聞き終えて感慨深そうに呟いた後、永治はハナコの方へと話を振る。ハナコはこの老人の前で真を騙る必要性はないと思ったが、言い出すタイミングを見失っていた。


「そういうわけじゃないです」

「そうか……では、まずはその呪いを見てみましょう。どれほど力になれるかは判りませんが」


 永治は短い返答に疑問を抱いた顔を見せたが、胸の内に留めて腰を上げた。移動して真の隣に正座すると、こちらに向くように指示を出す。


「今から私の霊気を君に流す。医者の触診のようなものと思ってくれ。少しばかり異物感があるかもしれないが、気を落ち着けて抵抗をしないように」

「は、はい」

「よろしい、では始めよう」


 永治は捲り上げた屈強な両腕を真の肩へと置く。彼の厚い掌から白い霊気が生じていることを、ハナコと珊瑚は視認することができた。

 その霊気は徐々に溶けて染み込むように真の中へと吸い込まれていく。彼の身体越しに、ハナコは己の中に感じる異物感にきつく目を閉じた。永治の霊気が緩やかに、しかし確実にハナコの霊気を掻き分けながら奥へと伸びてくる感覚。


「これは……」


 霊気が最奥へ到達しようかというとき、重い驚嘆の声がして、ハナコの中から異物感が消えた。恐る恐る目を開けると、永治は瞠目して真の顔を見ていた。


「君は……誰かね?」


 永治の言葉は、浅霧真を操る何者かに問うたものだ。悟られてしまったのだと、ハナコは胸中に苦い思いを抱いた。


「珊瑚さん、真さんを支えてください」


 ハナコは顔を振り向かせて言うと、真を操っていた霊気を解いて姿を見せた。彼女の操作を失って揺れる真の背中を、珊瑚が支えて畳の上に寝かせる。

 真の中から現れた霊体の少女を目にし、永治はしばしの間、言葉を失う。まるで彼女の存在そのものが、何かの間違いではないのかという風だった。


「千島さん、彼女は……」

「真さんに取り憑いている、と言う他ないのですが……隠し立てするような形になって申し訳ありません」

「あの、はじめまして……ハナコと言います」


 おずおずとハナコが名乗りを上げる。永治は未だ心の動揺を禁じ得なかったが、自分の目で見た以上は信じないわけにもいかない。気持ちを切り替えるため一度深く息を吸うと、ハナコと正面から向き合う姿勢を取った。


「ハナコ君と言ったか……君は真君の状態を理解しているのかい?」

「状態?」

「君と、真君の魂の在り方だ。君はどこまで理解している?」


 質問の意味を理解しかねて問い返すハナコに、永治は言い直して更に訊ねる。ハナコは気遣うような視線を珊瑚に向け、やがて悲愴な面持ちとなる。その顔を見て、永治は委細を悟った。


「言い難いのであれば、私から話そう」

「ちょっと待ってください! それは、真さんが望んでいません!」

「彼の状態を話すには必要なことだ。それに、彼は成人してはいない。知ってしまった以上、ご家族に話すのが筋だ」


 懇願するようにハナコは声を上げたが、永治は取り合おうとはしなかった。珊瑚は、真が自分に隠し事をしており、ハナコもそれを知っているのだと、その狼狽える姿から理解する。それが何なのかまでは不明だが、重大なことであることは判った。


「まずは彼にかけられた霊気についてですが、千島さんの見解で間違いはないです。付け加えるならば、真君の魂から吸い上げられた霊気は、そのまま術者へと還元されるということです」


 感情を抑えた声で、永治は淡々と事実を述べるように話し始めた。


「解くには術者を倒す他ないでしょう。還元されるということは、霊気の繋がりが残っているということ。術者の霊気を断てば、自然と消滅するはずです」

「……猶予は、どのくらいなのでしょうか?」


 珊瑚は胸中に渦巻く感情を押し殺しながら訊ねる。つまり、この呪いが霊気を奪い尽くすまでに、咲野寺現を見つけ出し、倒さなければならないということだ。


「いや、その点については心配ないでしょう」


 しかし、そんな珊瑚の焦りを永治は否定した。


「それよりも……いえ、問題はそこにあるというべきでしょうな」

「……どういうことでしょうか? はっきり仰ってください」


 そこから先を言うことに僅かな躊躇いを見せる永治に、珊瑚は焦れた思いで問い詰める。ハナコも真の霊気が尽きる心配はないと言っていたことが思い起こされた。しかし、それが事実だとしても、その裏に隠された真実が良いものだとは決して思えなかった。


「真君の魂は、既に死んでいるのです。これは、呪い以前の話です」


 そうして、永治は重く自らの知った事実を口にする。

 珊瑚は、その言葉を確かに聞いたが、即座に理解できるはずもなかった。


「厳密に言うと、魂の機能が欠損しているということです。具体的には、霊気を生成する機能が死んでいる。しかしこれはもう、生命が終わっていると言っても過言ではない状態だ」


 もともと奪うための霊気を真の魂は生み出せない。故に、この呪いの効果はほとんど無力となっていると言うべきだ。

 悪い冗談ではない。だが、永治は真剣に事実を述べている。認めたくはないと本能的な拒絶を感じながらも、珊瑚は委細を呑み込んだ。


「しかし、真さんは生きています……話だって」

「それはおそらく、ハナコ君の存在があってこそ、なのでしょう。彼女は真君に取り憑いている。憑くということは、魂が死に自ら霊気を生み出せない霊体が、生きた魂と繋がりを持つことで霊気を取り込む手段の一つです」


 取り憑かれた者が体調を崩し、酷い時には命さえ危ぶまれる原因となる。生きるため、肉体を動かすための霊気を奪われ続けるのだから、当然の因果だ。


「しかし、それが逆だとしたら?」

「逆……それは、つまり」


 珊瑚はハナコを見つめる。ハナコは先ほどから俯いて言葉を発しようとはしていない。彼女は永治が告げる事実を、自分の罪であるかのように悲痛な面持ちで聞くだけだった。


「先ほどの接してみて……信じがたいことですが、彼女の魂は生きていることが判りました。真君は彼女の魂が生み出す霊気で生きている、ということです」


 真の肉体は生きているが魂が死に、ハナコは肉体が死んでいるが魂が生きている。

 それはまるで、互いに欠けたものを補い合うかのような関係だった。


「ハナコさん、本当なのですか?」

「ごめんなさい……珊瑚さん……黙っていて」


 訊ねる珊瑚に、どちらともいえない謝罪が返される。珊瑚は、それを肯定と受け取った。


「ハナコさん、ありがとうございます」


 ハナコは戸惑いに、俯けた顔を上げる。珊瑚はできることなら、今すぐにでも不安に押し潰されそうなこの少女を抱き締めてやりたいと切に願った。


「どうか謝らないでください。私は、ハナコさんが真さんの命を救ってくれていることに感謝しているのですから」


 命の恩人どころではない。今となっては、ハナコは真の命そのものだ。二人の間に何があったのかは判らずとも、二人の間近に見てきた珊瑚は、その関係が誤りではないことを信じている。だからこそ、そこには感謝しかない。


「ありがとう……ございます」


 再び俯いたハナコは、絞り出すような声でそれだけ告げた。両手で顔を覆い、垂れ下がった長い髪で表情は判らなかったが、泣いてはいなかった。


「真さんの状況は理解しました。ともかく、いずれにせよ一刻も早く術者を探さなければ……」


 珊瑚は頭を切り替えて思案する。現状、手掛りがないのが痛手だった。


「そのことですが、もしかすると近くにいるかもしれません」

「本当ですか?」

「あくまで推測ですが。この手の術の威力は、打ち込んだ霊気と術者の距離に比例するもの。であれば、監視されている可能性が高いでしょうな。それに、術者は既に真君の魂から何の霊気も得られないことに気付いているはず。もしかすると、それ自体が狙いだったのやも……」

「……? 真さんの魂の状態を調べることが、何か益になるということなのでしょうか?」


 永治の含みのある最後の言葉に、珊瑚は疑問を呈する。が、永治は己の発言の信憑性を疑うように唸った。


「封魔省という組織が、私の知る頃から変わっていないのだとすれば……有り得ない話ではないかと思いましてな。しかし、それは本題ではない。狙いが達成できたのであれば、奴らが次の行動に移る公算は大きい」

「そうですか、それだけお話が聞ければ十分です。ハナコさん、私たちはお暇した方が良いでしょう。よろしいですか?」

「……はい。これ以上、ご迷惑をお掛けするわけにはいきませんもんね」


 気持ちを幾らか鎮め、落ち着きを取り戻した声でハナコは頷いた。


「お待ちなさい。その必要はありません」


 しかし、永治は二人を止めた。


「私も協力させてもらいますよ。そのために、あなた方は来たのでしょう?」

「有難い申し出ですが、十分です。ここにはお孫さんもおられるのです。敵が近くに潜んでいる可能性が高いのなら、長居するわけにはいきません」


 無用な戦いは避けるべきところだが、そうも言っていられない状況になりつつある。いざというときのことも考えれば、永治たちをこれ以上渦中に置くのは珊瑚の本意ではなかった。ましてや麻希は何も知らないのだ。柄支の件もあった以上、慎重になるにこしたことはない。


「無用な心配です。それに監視されているとなれば、あなた方が去っても危機は残る。であれば、共に居た方がお互いに賢明だとは思いませんか?」

「ですが……」

「麻希には部屋を出ないように言い含めておきます。少し本音を言いますとな……これは貸しを返す機会だと受け取っているのです」


 固辞しようとする珊瑚に微笑を浮かべながら、永治は続けた。


「真君の父とは戦友でした。今の私がそういうのはおこがましいかもしれませんがな。しかし、私は身勝手な都合で退魔師から身を引くことにしました。それについて、彼は何も言わずに認め、見送ってくれたのです。以降、連絡を断ったまま今日まで来てしまった」

「退魔に携わることを辞めようとするなら、関係を持たないことが最良……ということですね」

「その通りです。訃報は私の耳にも届いていたのです。しかし、私は自分の家族を優先した。浅霧と――退魔と関わることで、私自身がまた縁に捕らわれるのではないかと」


 慙愧の念に堪えないと、永治は懺悔をするかのように言葉を積み重ねる。


「罪滅ぼしにならないのは百も承知……ですが、彼が遺したモノが私を頼れと言うのであれば、応えない道理はない。彼に貸していたツケを、今ここで返させてはもらえないでしょうか?」


 いつの間にか頼む側が逆になってしまい、珊瑚は逡巡する。それでも、やはり断るべきだろうと口を開きかけたときだった。


「わたしは、協力してもらっても良いと思いますよ」


 ハナコだった。一度は珊瑚に同意した彼女だったが、永治の話に思うところがあるのか、珊瑚を説得するように続ける。


「記憶がないので、わたしには自分のことが判りません。何もないのに何を言ってるんだって思われるかもしれないですけど……だからこそ、人の気持ちとか、想いとかは、大事にしたいなって思うんです。でないと、私みたいになっちゃうかもしれないんですよね」


 この世に留まった理由は判らないが、霊体になったものは心残りがある場合が多いと言われる。ハナコは自分の心情を吐露するように言葉を紡いだ。


「わたしは真さんを助けたい。他に何もないわたしには、それだけしか想うことができないから……永治さんが真さんを助けたい気持ちが本当であると信じます。だから珊瑚さん、一緒に真さんを助けてもらいませんか?」

「……永治さん、浅霧とのことについて、私はあなたにかけるべき言葉を持ち合わせてはおりません。ですが、あなたのお気持ち、有難く受け取らせて頂きます」


 麻希のことは気掛かりではあるが、永治の言う通りこちらが去ることで逆に狙われることも考えられる。最善とはとても言えない策ではあるが、ハナコの言葉を受け、最終的に珊瑚は妥協して永治に協力を受けることにした。


「ありがとう。では、もう一つ真君には処置を施しておきます」

「処置、ですか?」

「保険ですな。この呪いが魂以外に広がらないよう、私の霊気で蓋をしておくのです。今は真君の意志が、かろうじて抑えているのでしょう。彼の負担をできるだけ軽くしておかなければいけない」

「わかりました。では、私は外で見張りをしますので、真さんをどうかお願いします。ハナコさんも……」

「はい、珊瑚さんもお気を付けて」


 言うが早いか珊瑚は立ち上がり、一礼して居間を後にした。永治もそれを見送り、真への処置のため横たわる彼の側へ移動する。


「それでは、早速処置を始めようか。ハナコ君はどうか彼を見守っていてあげてくれ」

「はい……あの、今更ですが、本当に良かったんですか?」


 ハナコは急に心細くなった気がして、そんなことを訊ねていた。永治は彼女の問いに一瞬目を丸くした後、優しい笑みを零した。


「君は不思議な子だね。さっきも言ったが大丈夫。麻希は、いざとなれば私が何とかする」

「ご両親はいないんですか?」

「健在だよ。凪浜市に住んでいる。遅めの反抗期か……静かな場所で受験勉強がしたいなどと、もっともらしい理由を立てて、親元を離れてここに転がり込んだのだよ」


 ハナコは自分にもそういう時期があったのだろうかと空想する。彼女にとっては、どうにも実感の湧かない話だった。


「……私からも一ついいかな?」


 真の胸に手を添えながら、永治が訊ねる。ハナコは無言で頷いた。


「君と真君は、どういう経緯で繋がりを得たのかね?」


 それは一歩踏み込んだ質問だった。しかし、真とハナコの特異さを知ってしまった以上、それは当然の疑問でもあった。

 真を助けてもらう恩義と、永治は好まし人物だと判断していたハナコは、彼の質問に答えようと口を開いた。


「それは……真さんが霊の浄化の仕事にやってきた場所に、たまたま私が居合わせて……実際のところ、真さんと会うまでの記憶もあやふやなんですよ。その時までのわたしは、ただ無意識に存在していただけだったのかなって」


 魂が生きていて意志は持っていても、誰にも気づかれず、ただ独りでそこにある。真と出逢うまでの自分はそんな存在だったのだろうと、ハナコは思う。

 ほんの少しかもしれない。あるいは気の遠いほど長い間だったのかもしれない。そんな孤独に摩耗した彼女の意志は、生きながらにして死にそうになっていた。

 だが、見つけられた。気付いてもらえた。


「その仕事で真さんは一度死にかけたんです。たぶん、真さんの魂が死んだのはそのときなんじゃないかと思います。それで、わたしが助けました。こうするしかないって感じで……真さんからしてみれば、こんな変な状態になってしまったのだから、迷惑だったのでしょうけど」


 ハナコの言い方に永治は怪訝な顔をする。確かに歪ともいえる形ではあるが、命を救われたことには変えられない。それを迷惑だと、果たして思うだろうか。

 その永治の疑問を見て取ったのか、ハナコは苦笑しながら先を続けた。


「だって、真さんは死にたがっていたんですよ」

「死にたがっていた?」

「珊瑚さんから聞いただけなので詳しくは知らないのですが……昔、真さんの実家で酷い事件があって……そのときに真さんのご両親は亡くなったそうです。それが原因で真さんは家に居辛くなって、この街に引っ越したのだとか」


 それは取り憑いてから後に聞かされた話であり、今では一定の理解はしているつもりだ。しかし、出逢った当初はそんなことを知る訳もなく。


「真さんと出逢って、死んでるのに変ですけど、久しく生きる喜びみたいなものを感じたんです。それを気付かせてくれた人は、生きることが辛そうで、今にも死んじゃいたいみたいな顔をしているんですよ。死んでる側からすれば、ふざけるなって話ですよ。腹が立ちますよね。


 だから、助けたんです。真さんにも事情があるのでしょうが、生きることを放棄させないために……取り憑いたというわけです」


「なるほど……君は、真君に感謝しているんだね」

「はい、もちろんです。記憶がないなりに、楽しくやってます」

「記憶か……こんな風に霊と話す機会などないから、そういう症状には詳しくはないが、戻りそうなのかい?」

「どうですかねぇ。真さんは、わたしの記憶を戻して心残りを解消してくれるそうなのですが」

「それは……浄化するということかね?」


 永治の問いに、ハナコはどこか憂いを湛えた瞳を伏せた。


「真さんは、そのつもりなのだと思います。そりゃ、記憶は戻った方はいいんでしょうけど……わたしは……答えが出せていません」

「どうやら、差し出がましいことを訊いてしまったようだね。さて、これで処置は終わった」


 永治は真の胸に添えていた手を放し、ハナコの方へと向き直った。


「元退魔師としては、霊とは浄化することが世の理と教えられている。しかし、真君を救った君の行為は何よりも尊いものだと、私は信じる。その上で、この先どうするかは君たちが話し合って決めることだ。君たち二人が持つ、命の権利だろう」


 そう言って永治は腰を上げる。ハナコは言われた意味を全て理解し切れたわけではなかったが、自分の存在を認められた気がして、胸の奥から込み上げるものを感じた。


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