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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第六部 君と永遠に
146/185

01 「悩める乙女」

 一月も終わりに差し掛かろうとしている頃。憎らしいほどに、ハナコの見上げる空は青かった。


「はあ……」


 平屋の瓦屋根の上に投げ出された両足は、足首辺りから不安定に揺らめいており、白いワンピースの裾もその流れに乗ってカーテンみたいにふわふわと波打っている。

 憂鬱そうに吐き出された彼女の息が、白く染まることはない。身を切るような早朝の冷たい風だって背に流した黒髪をなびかせることもなく、実体のない青白い霊体をすり抜けるばかりだった。

 陽射しは穏やかで、注ぐ光はほのかに温かであるはずだ。遠くの山々は白い冠をかぶっており、きらきらと輝いている。

 その景色を見て綺麗だと、心が動く。しかしそれを余すことなく受け止める肉体がないことを、ハナコは少しだけ残念に思った。


「――ハナコ、どこに行った?」


 ぼんやりとしていたところに不意打ち気味に名前を呼ばれて、視線を下げる。自分が腰を落ち着けている位置の真下にある廊下の遠くから、真の声が聞こえたのだった。

 慌ててハナコは隠れるように後退して、屋根のてっぺんへと這うように登っていく。別に見つかってまずいことはないはずなのだが、何故か反射的に行動してしまっていた。

 気まずい思いで、どうか見つかりませんようにと念じる中、廊下を歩く彼の足音が近づいてくる。


「あれ? 真くん、どうしたの?」


 その時、真を呼び止める声がして足音も止まる。この快活な声の主は、凛のものだ。


「ああ、凛。ハナコを見なかったか? 朝稽古が終わってから、姿が見えないんだ」

「そうなの? ごめん、わたしも見てないなぁ」

「いや、見てないならいいんだ。これから学校だろ。引き止めて悪かったな」

「気にしないでいいよ。いつも早目に出てるから時間には余裕あるから。姉さんがこっちに来てから、色々分担もできてるからね」


 真と言葉を交わす凛の声は弾んでいた。何だか盗み聞きをしているような形になってしまい決まりが悪かったが、ハナコは二人の姿が見えないその場から動かず、じっと時間が過ぎ去るのを待つばかりだった。


「すまん、お前と珊瑚さんには苦労をかけてるな」

「何それ。お爺さんみたいなことを言わないでよね。お世話になってるのはこっちなんだし、これくらい当然。というか、わたしは好きでやってるんだから全然大変なんかじゃないってば」

「そう言ってくれるのは、ありがたいんだけどな」

「うんうん。どんと任せておいてくれれば良いんだよ。あ、でも、真くんもそろそろ凪浜市むこうに戻らなきゃなんだよね」


 凛の声のトーンが少し落ちる。ハナコはそれを聞き、跳ねる鼓動を押さえるように思わず胸を両手で押さえた。


「そうだな。こっちでの事は一段落したし、いい加減長い冬休みを終えないとな」

「……そうだよね。高校を留年なんかしたら、それこそ大変だもんね」

「縁起でもないことを言うなよ。もう三学期だし、大丈夫だろ」


 真の吐息と、凛の朗らかな笑い声がする。そこで「それじゃ、そろそろ行くね。行ってきます」と凛が言うのだった。


「行ってらっしゃい。気をつけてな」

「うん!」


 溌剌とした凛の挨拶に真が応え、彼女を見送った彼もそこから離れたようだった。二人の足音が遠ざかり、ようやくハナコもほっと胸を撫で下ろす。



 ……どうして、こそこそしてるんでしょうか。



 ちょっとした自己嫌悪に陥りそうになっていると、玄関の戸が開く音がした。少し身を乗り出してそちらに目を向けると、凛の後ろ姿が視界に映った。

 通学鞄を肩に掛け、制服の上に着たダッフルコートの赤が積雪の残る庭に浮かび上がっている。意気揚々と進む足取りは軽く、コートの裾から覗くタータンチェックのスカートがひらひらと踊っていた。

 きっと彼女の頬は緩んでいるに違いない。上機嫌であることが、見ているだけで分かってしまう。

 いよいよもって自分のしていることに嫌気がさす。ハナコはぶんぶんとかぶりを振って、膝を抱えて蹲った。


 気持ちが落ち込む原因は、分かっていた。

 ここ数日。いや、実際はもっと前からかもしれない。真と面と向かうことを何となく避けている。

 彼が悪いわけではない。全ての原因は自分にある。

 色々な事態に追われることで棚上げにしていたが、落ち着いたところで解決すべき問題が目の前に迫って来ていたのだった。

 思い返すのは、殻に閉じこもってしまった自分の心の中に、彼が決死の覚悟で迎えに来てくれたときのこと。



 ――好きだ、ハナコ。



「~~……っ」


 あのときのことを思えば、身悶えするほどに心が熱くなる。膝を抱く両手に力がこもり、額から顔を埋めた。

 告白されて。

 好きだと言われて。



 ……結局、何も返事をしてないんですよね。わたし……。



 そばにいたいと答えて今も一緒にいるが、彼のことをどう思っているかとは、未だ口にしていないのだ。

 実際のところ、心に深く入られた時点で隠す気持ちなどあってないようなものなのだが、それとこれとは話が別である。

 この気持ちを、言葉にすることはできない。

 その一線を越えてしまえば、彼の心は縛られる。

 自分がこの先、彼の一生を左右してしまう枷になってしまうことなど、あってはならないのだ。

 こんなにも優柔不断で、ずるずると彼の言葉に甘えてそばに居続ける自分を、彼はどう思っているのか。


 共に生きて、共に死ぬ。


 真が言葉通りの想いを貫こうとしているのは、疑いようもない。心は厄介なことに、彼の気持ちを嬉しく思ってしまう部分もある。

 けれど、認めてはいけない。

 彼のためにも、絶対に認めてはいけないことなのだ。





「――……で言っているのか……」


 それから、どれほど煩悶としていたのか。

 ハナコの意識が現実に引き戻されたのは、微かに漏れる聞こえる誰かの話し声に気付いたときだった。

 誘われるように、ふらふらとついそちらへ耳を傾ける。この下は、確か真の兄である浅霧礼の私室であったはずだ。


「はい。できれば、そのようにしたいと思っております」



 ……珊瑚さん?



 最初に聞こえた声は男性で、礼に違いない。そして、それに応えた女性の声は珊瑚であるようだった。屋根の上にいる位置関係上、ハナコからは当然その姿は見えないのだが、何やら真剣みを帯びた雰囲気だけが伝わって来る。

 そこでハナコは、またしても自分が無作法な行為をとっていると、はっと息を呑んだ。すぐに後ろめたい気持ちに心が陰り、そこから離れようとする。


「少し待て。……おい、盗み聞きとは感心せんな」

「ふぇ!?」


 しかし、去ろうとする彼女を縫い止めるような視線が、屋根越しに声と共に飛んできた。こっちの姿など見えていないはずなのに、ハナコは鋭い気迫を受けて硬直してしまった。


「そこにいるんだろう。こっちへ来い」


 礼と珊瑚ではない。有無を言わさぬ第三者の女性の声。

 ハナコは叱責されることを覚悟して、屋根から縁側へと降りる。正直なところを言えば逃げ出したかったが、目を付けられてしまった以上、そんなことをしてしまった後の方が遥かに恐ろしいのだった。


「し、失礼します……」


 障子を抜けた先の和室には、予想の通り静が座っていた。おずおずと入って来たハナコに対して、腕組みをしながら無言で笑いかけている。


「ハナコさん……」

「ごめんなさい。あの、話し声が聞こえて、つい……」


 礼と静が横並びで座しており、その正面に珊瑚が正座している形だった。珊瑚は目を見開いた状態で数秒ハナコを凝視していたが、口を引き結んで目礼すると目を逸らした。

 ハナコはどちら側に付けば良いのか判断に迷い、結局両者の間で膝を折って俯く。彼女が肩を縮こまらせていると、静が鷹揚に話し始めた。


「責めるつもりはない。聞かれて困る話でもないからな」


 そう言って口端を持ち上げて、彼女は珊瑚を一瞥した。礼はやや苦い顔で坊主頭を掻いていたが、早々と姉に主導権を渡したようである。


「珊瑚、ハナコにも話してやったらどうだ。もう日もないことだ。いずれは話さなければならんことだろう」

「え……と、何のお話しなんでしょうか? わたしは、お邪魔では……」


 浅霧家の大人たちに囲まれて、ハナコは表情に緊張を滲ませる。しかし、背筋を伸ばした珊瑚がハナコの方に向き直り、首を横に振った。


「いえ、大丈夫です。問題ありません」


 珊瑚は今、亜麻色の髪をうなじで束ねて背に垂らしている。厚手のセーターにロングスカートと、ゆったりとした良く見慣れた格好であった。

 だというのに、彼女の明るいブラウンの瞳は、どこか感情が見えなかった。その違和感にハナコは戸惑い、ますます言葉を見失う。

 正面から見つめられて逃げ場を失い、口を噤まされる。生真面目な表情を崩さぬまま、珊瑚は続けた。


「今、これからの私のお役目について、礼さんと静さんに相談させて頂いていたのです」

「お役目……?」


 ハナコは首を傾げた。一瞬、家事をしている珊瑚の姿が脳裏をかすめたが、そういう話ではないだろう。だとするならば、余りにも空気が重々しい。


「はい。私は今日まで真さんの監督役ということで、おそばに仕えさせて頂いていました。ですが、もうその必要はないかと思うのです」


 透き通るような声で淀みなく珊瑚は答えて首肯した。彼女が何を言っているのか、しばし意味が理解できずに、ハナコは間抜けにも口を半開きにしていた。

 だが、徐々にその意味が実感となって、目を丸くする。


「真さんは凪浜市の方で復学なされますが、その際はお二人でお戻りになられてください。私は、浅霧家に残ります」

「そ、そんな。え、でも……!」


 既に決定事項であるかのように語る珊瑚に、泡を食ったハナコが舌をもつれさせた。


「まあまあ、ハナコちゃん。落ち着きなさい。まだ決定したわけじゃないんだ。珊瑚も結論を急がないように」


 そこへ見兼ねた礼が割って入る。しかし、彼の顔色はあまり冴えているとは言い難かった。

 珊瑚も「すみません」と一礼を返しはしたが、自らの言葉を撤回するつもりはなさそうで、正された姿勢からは一種の要塞を彷彿とさせるものがあった。


「この話……真さんは、知らないんですよね?」

「私たちも今相談されたばかりだからな。まあ、こいつが一人で何かを悩んでいたことは薄々気付いてはいたが」


 静は腕組みをしてわざとらしく嘆息してみせる。しかし、珊瑚には少しも響いてはいないようだった。


「とはいえ、珊瑚の話に理がないわけではないのだよ。真が凪浜市に赴いた当初の理由は、依頼あってのことだからね。ただの高校生として暮らすだけならば、監督役も必要はないんだ」

「それを言うなら、もはや凪浜市に真を置く理由もあるまい。とっとと呼び戻せばいいだけのことだ」

「真は少なくとも卒業までは残る気でいると聞いていますよ。向こうでできた縁も大切にしたいのだろうし、俺としてはあいつの意向は尊重したいところですね」

「こっちに戻ったからとて、即座に縁が消えるわけではあるまい。お前は甘いな」

「自覚はしていますよ。それだけ家族には迷惑を掛けていることもね。だから、珊瑚の意見も聞き入れてやりたい気持ちはあるにはあるが……」


 礼は唸るように語尾を濁し、眉間に厳しい皺を作っていた。


「しかし、こればかりは慎重にならざるを得ないところだ。ある程度事態が終息したとはいえ、様子見の期間は必要だ。ラオ殿が語っていたという封魔省の動きも気になる」

「礼さんは、真さんとハナコさんが、まだ狙われる可能性があるとお考えなのですか?」

「そこまでは言わないが、彼の組織と二人が遭遇したのは凪浜市だからな。妙な因果を感じずにはいられない……と言ったところか。少なくとも、二人だけでは心配なのは確かだよ」

「つまりだ、珊瑚。お前が今まで通り、二人と一緒に居るのが最適なんだ。それが分からんお前でもないと思うが」


 いい加減に面倒だと言いたげに、静が珊瑚を見据える。細かいことを議論することが苦手な彼女らしい口振りだった。


「腹を割ったらどうだ。何が不満だ?」

「不満など……ありません」


 挑むように珊瑚が静かを見返す。にわかに肌が粟立つような沈黙に呑まれて、ハナコは気が気ではなかった。


「ですが、真さんとハナコさんは強くなられました。静さんも御存知でしょう。周辺を警戒する名目であるのなら、私がおそばにいる必然性はないと申し上げているのです。仮に静さんでも、その役は十分に負えるはずです」

「ふん、馬鹿を言え。私に真のお守りをしろと言うのか? 私をダシに使おうとは良い度胸をしているじゃあないか」

「姉さん、どうどう。ちょっと落ち着きましょうか」


 礼が身を乗り出しかけた静の前に手を差し入れ、肩を押さえる。静は席に腰を落としたものの、不機嫌さを露に目端を吊り上げていた。


「珊瑚、一旦下がりなさい。即答し兼ねる問題だから、また日を改めて話をしよう。俺も、姉さんともう少し話してみる」

「……分かりました。過ぎたことを言ってしまい申し訳ありません。私も、一度頭を冷やしてみます」


 珊瑚は畳に両手をついて深々と頭を下げると、音もなく立ち上がって部屋を後にしてしまった。その間、ハナコは成り行きを見守るどころか、ただただ呆気に取られていただけだった。


「巻き込んでしまって悪かったね、ハナコちゃん。もう行って構わないよ」

「あ……はい。えっと、その、し、失礼します」


 居たたまれずにハナコは膝を上げる。珊瑚を追いかけるように縁側の廊下へと飛び出すと、歩く彼女の背中をまだ見つけることができた。


「珊瑚さんっ。あの!」


 逡巡する前に、ハナコの口と身体は勝手に動き出していた。その声を聞いた珊瑚が足を止めて、ゆっくりと振り返る。


「何でしょうか。ハナコさん」

「あ……」


 応じる声からも、ぶつかった瞳からも、やはり感情は隠されていた。ハナコは自分から呼び止めたにも関わらず、二の句が継げずに口ごもって俯きそうになってしまう。


「…………、すみません。少し、意地悪をしてしまいましたね」

「え?」


 ハナコが顔を上げると、無表情に近かった珊瑚の瞳には感情が灯っていた。困ったように眉は寄せられ、頬も穏やかに緩められている。

 一見して普段通りの珊瑚に戻ったかに見える。だが、彼女の瞳の奥にある憂いをハナコは見逃さなかった。


「えっと……さっきの話は、冗談……じゃないんですよね?」

「はい。浅霧家に残りたいと言うのは、私の本心です」


 問われて、珊瑚は迷うことなく答えていた。ハナコは更に問い質しくもあったが、そんなことをしても良いのかという葛藤も同時に生まれる。彼女自身どうして良いのか決め兼ねて、しばし二人は互いの顔を静かに見つめ合っていた。


「……お聞きになりたいことは、それだけで?」


 黙りこくったハナコに助け舟を出すように、珊瑚が水を向ける。それでも自分が何を言いたかったのか見つけられないハナコは、見る見る顔を曇らせてしまう。

 珊瑚はそんな彼女を見て、ますます困ったように苦笑を浮かべた。


「ハナコさん。以前、聞いて頂きたいことがあると申し上げましたこと、覚えていらっしゃいますか?」

「……? えっ、と」


 唐突に問われて、ハナコは慌てて記憶に掘り返す。そして、すぐに思い当たった。

 翼を救出するために無人島に向かった船上でのことだ。戦いが終われば聞いて欲しいことがあると、確かに言われた。

 しかし、それと今の状況に何の関係があるのだろうか。ハナコが問いの真意を理解し切れない状態のまま、珊瑚は更に言葉を重ねる。


「私も覚悟を決めましょう。ですので、どうかハナコさんにも協力をお願いします」


 そして、容赦なく、そんな風に切り出すのだった。


「どうか、一日だけ。真さんを私に貸してください」

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