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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第五部 遠き背中
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33 「遺されたもの 1」

 冬晴れの街並みが、ガタゴトと車窓を通り過ぎて行く。


 横並びの座席の通路側に座っている真は、窓際の方の席で景色を眺める柄支の横顔を覗くように見ていた。

 そわそわと身体を揺らし、眼鏡の奥の両目を輝かせている彼女の様子は、待ちに待った散歩を前にした小犬のようだった。


「ふふ、嬉しそうですね。柄支さん」

「当たり前だよ。まだまだ、沙也ちゃんとは話したいことが一杯あるんだから」


 座席の後ろから霊体をすり抜けさせるようにして、ハナコが身を乗り出す。顔を車窓から振り向かせた柄支は、おさげの片側を指先で弄りながら微笑んだ。


「あいつとは、入院中は話さなかったんですか?」

「あんまりだね。何かと検査とかで色々忙しかったからなぁ。病室くらい一緒にしてくれても良かったのに」


 頬を膨らませて不満を漏らす柄支に、真は苦笑する。これだけ元気であれば、彼女については、もう心配はいらないだろう。

 これから見舞いに行く相手にも、早くその姿を見せてやって欲しいと思うのだった。



 あの無人島での戦いから、一週間が経過していた。

 浅霧翼の奪還。そして、如月健一と彼に与する一派の征伐という目的は達した。

 しかし、事件の首謀者である如月健一から、彼が何を成そうとしていたのかを問い質すことができなくなったこともあり、真たちは勝利を収めたと胸を張れる気持ちにはとてもなれなかった。


 芳月清言の配下であった、レイナとフェイの両名は退魔省の捕虜として、現在はラオの預かりとなっている。また、二人は芳月清言が如月に与していた件について、沙也は関わりのないことだと証言し、彼女を捕虜としないことを条件に知る限りの教団の情報を提供することを約束したらしい。


 清言との戦いで心身ともに重傷を負った沙也は、現在も入院生活を過ごしている。

 戦いが終わった後、極度の疲労状態に陥っていた柄支も倒れてしまい、一時期は姉妹共々入院することになったのだが、今はすっかり姉の方は快復している。

 退院後、そのまま週末に控えていたセンター試験に向けて缶詰となっていたと言うのだから、驚きの体力である。

 そして、晴れて自由の身になったと、彼女は大手を振って妹を見舞うべくその途につくことを許されたというわけだ。

 一般の患者に紛れてはいるが、現状ではラオの手配――つまりは捕虜ではないにしても、退魔省の息がかかっている状況下に沙也はいる。面会の許可もラオが出したものであり、真は柄支のお目付け役に指名されたのだった。


 事態はひとまずの終息を迎えて、日常は平穏さを取り戻そうとしている。

 だが、次なる脅威の影は、気付かぬ内に忍び寄っているのかもしれない。

 道中、花を咲かせるハナコと柄支の会話に時折混じりながら、真はそのことを思い返していた。





 それはまだ事件を終えて日も浅く、柄支が入院をしているときのことだった。

 以前に沙也を捕えていたホテルのとある一室へと、無人島へ向かった面子がラオから召集を受けたのである。


「皆様、お疲れ様でした。わざわざお集まり頂きまして恐縮です」


 グレイのスーツを着こなした赤銅色の髪の男は、集まった一同に対して恭しく礼をして出迎えた。


「御託はいい。要件だけ伝えろ」


 静が不機嫌な声で言って室内に進み、脱いだコートを手近なソファに引っ掛けてそのまま腰を下ろして足を組む。さっさと話を終わらせて帰りたいという空気を、彼女は隠そうともしていなかった。


「静さん、もう少し穏便に……。はぁ、いえ。何でもありません」


 真とハナコに続き、最後に入室した珊瑚が静の傍若無人ぶりに苦言を呈そうとしたものの、背中からして既に聞く耳を持っていなかったためあっさりと諦めてしまった。


「どうぞ、お気になさらずに。お掛けください」


 涼しい笑顔でラオに勧められるがまま、三人もそれぞれ用意された席へと座る。全員が着席したのを確認したラオが下座につき、きりりと背筋を伸ばした。


「さて、こうしてまた皆様のご無事な顔を見ることができ、嬉しく思います。その後、翼さんのお加減はいかがでしょうか?」

「お陰様で、今は自宅で静養中です。順調に快復されていますよ」


 口を閉ざしている静に代わり、珊瑚が微笑して応じる。如月に捕えられて軟禁されていた翼は、食事などはしっかり与えられていたようだが、やはり心身ともに弱っていたために事件直後は入院を余儀なくされていた。

 無理矢理に接続された魂の浄化の反動による影響も危ぶまれたが、特に問題も発見されず、現在は本人たっての希望で浅霧家へと戻っている。肉体的な問題よりも、心を休めた方が良いとの判断だった。


 実を言えば、真たちは静が不機嫌な理由がそこにあることを知っている。

 呆れるような話だが、それはこうして出向くことで、翼に構える時間が減るからなのだった。


 翼は言葉を話せるようになった。まだ舌も若干回らず、つっかえつっかえで辛そうな場面も多いのだが、家族の名前をちゃんと口にすることができるようになっていた。

「静お姉ちゃん」と、翼に呼ばれたときの姉の驚いた顔は、真の中でも歴史に残るだろう。もともと翼を大事に思っていたのだろうが、そこから愛情が加速したと言うべきか。


「それは何よりです。芳月柄支さんも、明日には退院できるとのことです。沙也さんの方は外傷も相当なものでしたのでまだしばらくは安静が必要ですが、命に別状はないとの報告を受けています」

「……そう、か」

「良かったですね、真さん」


 肩の重荷が一つ下りた心地で、真は安堵の息をつく。ハナコも喜びに笑んでいた。


「あともう一つ、朗報があります。千島珊瑚さん、あなたのことについてです」

「私に……ですか?」


 次に、あくまで自然さを装った語り口でラオは珊瑚へと会話の矛先を向けた。身に覚えのないことに、珊瑚が表情を固めて身構える。


「ええ。滅魔省内のあなたの立場についての事です。現在、こちらで捕虜としているレイナ・グロッケンとフェイのお二人については、最終的に滅魔省へと引き渡すことが決まりました。もちろん、可能な限りの引き出せる情報は全て提供してもらった上でのことですが、そう遠くない日となるでしょう」

「そうですか。その二人の処遇と、私に何の関係が?」

「ええ。まことに勝手ながらではありますが、二人を引き渡す条件として、あなたの組織脱退の罪を不問とすることを付け加えさせて頂きました」

「は……? 今、なんと……」


 しれっと、さも何でもない事のようにそんなことを言われて、流石の珊瑚もしばしの間、目を丸くして言葉を失った。


「え、それって……珊瑚さんがもう組織から狙われることはないってことですか!?」

「簡潔に言うと、その通りですね」


 先に飛び上がるような声を上げたのはハナコだった。ラオは穏やかな笑みを浮かべて彼女の方を見ると、深く頷いた。


「いえ、待ってください。何の得があってそんなことを……」

「あなたの働きに対する、正当な評価であると受け取ってもらえればと思いますが。受け入れてはもらえませんか?」


 降って湧いた出来事に、珊瑚の表情には困惑しかない。畳みかけるようにラオは言うのだが、彼女はただただ眉を寄せるばかりだった。


「白々しいな。珊瑚、はっきり言ってやったらどうだ。貴様、私たちに恩を押し売りして何を企んでいるんだ?」

「人聞きが悪いですね。別に騙そうだなんてしていませんよ。そもそも、この話を最初に持ち掛けたのは、私ではありません」

「何だと?」

「捕虜として自分たちを引き渡す条件に、多少の()を付けても滅魔省は呑むと言われましてね。例えば、既に追う価値の薄れた組織の裏切り者を見逃すくらいならば、と」

「……それは」


 ラオはあえて名前を出しはしなかったが、珊瑚には誰の台詞であるのかは察しがついたのだろう。彼女は唇を噛み締めて膝の上で拳を握り、その先を続けることをよしとしなかった。


「なのでまあ、こちらとしては、底意はありません。千島さんのことを盾にして、貴方がたに対して強制的なお願いをするつもりもありません」

「強制的か。それは何か願いがある前提のようにも聞こえるが」

「そこは否定しません。しかしそれは、私個人と言うよりも、組織からの依頼と考えてください」


 疑惑の眼差しを向け続ける静に、ラオは軽く微笑む。そして、一旦居住まいを正してから先を続けた。


「今回の件で、無色の教団の実質的な主導者であった如月氏は倒れました。ですが、まだ我々は警戒を続ける必要はあります。特に封魔省副長の彼、紺乃剛が如月氏の下にいたという事実は見過ごせません」

「あいつか……」


 静の目つきが鋭くなる。そう呟く彼女の唇は歪んでいた。


「それは、どのようにして爺に渡りをつけたかということだな」

「はい。遺憾ではありますが、これは私の落ち度でした。シオン様に、一杯食わされましたね」

「……どういうことだよ。分かるように言ってくれ」


 そこで真が口を挿む。今の話で静は何かを察した雰囲気を出していたが、彼にはまだ話の全容は見えてこなかった。


「つまりですね。シオン様は如月氏が首謀者であることを、我々に意図的に隠していたのですよ。自身の手駒を潜入させていたのですから、言い逃れはできません」

「な……、最初からぐるだったって言うのか!?」

「いえ、それは違うでしょうね。おそらく、気付かれたのは三組織の会談の後……例の教団員から記憶を抽出されたときではないかと。彼女は我々に教団の拠点の場所を教えて調査に向かわせましたが、その実もっと深いところまで見通していたのです」


 嘘を教えたわけではない。しかし、知り得た全てを開示したわけでもない。

 他に方法がなかったとはいえ、情報を独占させる形にしたのはまずかったのだ。


「彼女が何を狙っているのかは分かりません。ですが、このまま何も起こらないと考えるのは不自然ではあるでしょう。何しろ、如月氏が異界から何者かを呼び戻したことは、厳然たる事実なのですから。あの島で遭遇こそは避けられたようですが、何かを探ろうとしていたことも含めてね」


 ラオが笑みを引き、真剣みを帯びた瞳で全員を見渡す。張り詰めた空気の中、不意に彼は頭を下げた。


「状況はまだ予断を許しません。そこでお願いです。有事の際は、どうか皆様にもお力を貸して頂きたいのです」

「……お前は、さっき組織からの依頼と言ったな。そういう話なら礼の奴を通せ。あいつが浅霧家(うち)の窓口だ」

「そうですか……。では、御一考頂けますよう、よろしくお願い致します。こうは言いましたが、今すぐに何かが起こるとは我々も考えてはいません。しばらくは、教団に関する調査を引き続き行っていくことになるでしょう」


 口元に笑みを戻したラオは、もう一度慇懃に頭を下げる。彼から視線を外した静は、表情を曇らせる真とハナコに顔を向けた。


「お前たちは余計な心配はするな。教団との縁はもう切れたのだから、お前たちは自分たちのこれからの事を考えろ。珊瑚もいつまでも難しい顔をするな。組織に追われる理由はなくなったと、建前ができただけでもよしておけ。くれると言うのだから、貰っておいて損はないだろうさ」


 言葉を返す暇を与えずに、静は続けて「話はそれだけか?」とラオに向き直る。彼が頷いたのを見ると、早々に彼女は腰を上げようとした。


「あ……悪い、静姉。ちょっと待ってくれないか。俺からも、訊いておきたいことがあるんだ。構わないか?」


 だが、そこで真が姉を引き止めて、ラオに話を振った。静は一瞬面倒そうな顔をしたが、「早くしろよ」と仕方なさそうに溜息をつき、浮かせかけた腰を再びソファに沈める。


「私は構いませんよ。お答えできることでしたら、なんなりと」

「すまない。訊きたいのは、フェイとレイナの二人のことだ。あいつらは……滅魔省に引き渡されたら、その後はどうなるんだ?」


 真はやや言い辛そうにしながらも、はっきりとラオに問うた。

 その意味するところは、芳月清言が如月に協力していたことを、滅魔省がどう捉えているのかということだ。

 まるで珊瑚の立場と交換するような引き渡しの条件は、彼女よりも二人の処断を下す方により重きを置いていると言えるのではないか。


「そのことですか。お話しするまいとは思っていましたが、そうですね……。この際ですから、話しておきましょうか」


 真が何を懸念しているのかを、ラオは違わず受け取ったようだった。少し迷うような素振りを見せた後、彼はソファにゆっくりと背をもたせかけて、ふと深呼吸をしてから重々しく口を開いた。


「これから私がお話しすることは、全て憶測でしかありません。ですが、とても残酷なことを語ります。既に亡き者の矜持を汚すことにもなりかねないでしょう。それでもよろしければ、聞いてください――」

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