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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第一部 死に損ないの再生者
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12 「千島珊瑚と幽霊少女」

 夕食の支度をすませた珊瑚は、真とハナコの帰りを待っていた。

 リビングのソファに座り、読んでいた本が一区切りついたところでふと時計を見ると、既に時刻は午後七時前だった。

 ベランダの窓から見える外の景色は、空が深い藍色から黒へと変わっている。静寂が理由もなく珊瑚の胸を妙に騒がせていた。

 帰りが遅れるなら、そうと連絡してもらえれば良いのだが、それもない。

 こちらから連絡を取ってみるのも、過保護であろうと躊躇う気持ちもあった。珊瑚は真の保護者ではないし、先日の芳月柄支の件のこともある。プライベートに関する過度の干渉は控えようと、密かに誓ったばかりだった。

 携帯でメールの確認をしてみたが、特に連絡はない。落胆の溜息をついてキッチンへと向かった。夕食を温め直して何とか気を紛らわせようとするが、ざらついた感触が胸中から消えることはなかった。


 真が浅霧家から凪浜市に来ることになったのは、ほとんど出奔のような形だった。凪浜市市長の要請を聞いた真は、父の代わりにそれを受けると言い出していた。

 真の両親が亡くなってさほど時を経ていなかったこともある。遺された彼の家族が、彼の変化に気を配れなかったのは無理からぬことだった。むろん、珊瑚もその内の一人だ。

 その頃の真は、どこか自暴自棄なところがあった。生きることに興味を失くしてしまっていたと言ってもいいかもしれない。

 ともかく、そんな彼を一人で見知らぬ土地へ送り出すことは反対された。それでも彼の意志は固く、半ば逃げ出すように家を出ることにしたのだ。


 浅霧家の当主を引き継いだ真の兄から、彼に付いて行くように願われたのはそんな時だ。


 肉親ではない第三者がいた方が、精神的に良いだろうという判断である。珊瑚も家族であることには違いないが、やはり一歩引いた立場でいるところはある。そこを寂しいとは思わず、真の役に立てることで嬉しいと思えるだけの気持ちを、彼女は持っていた。

 そこは真も同じであり、肉親でない珊瑚に反発して邪険にするようなことはなかった。彼の優しい心根に付け入るようで心苦しさを感じないではなかったが、半年余り生活を共にすることで、尖った彼の心も幾分落ち着いてきたように思う。


 もっとも、そのことについて最大の功労者は珊瑚ではない。夏休みの終わり、彼に取り憑いた少女の存在が一番大きい。

 死者が生者に生きる意味を見出させるというのも皮肉な話ではあるが、とにかく真は立ち直るきっかけを掴んだのだ。

 珊瑚は己の無力さに、悔しさと嫉妬がない交ぜになったような感情を抱いたこともある。しかし、それ以上に感謝の方が大きかった。

 真が少しでも前向きに自分の命に向き合ってくれるのであれば、それは喜ばしいことなのだから。


 しかし、ハナコは霊――退魔師の役目からするならば浄化しなければいけない存在だ。それがすぐのことか、遠い未来のことかは判らないが、別れの時はいずれくる。


 そのことは真も理解しているはずだと、そう思いたい。何故ハナコに憑かれたままになっているのかと最初に訊ねたとき、彼は言った。「大きな借りがある」のだと。

 詳しく聞くことはできなかったが、その借りを返すまではハナコは浄化できないという。彼女の記憶のないことも関係しているのかもしれない。憶測の域をでないが、またいずれ機会をみて訊ねてみるつもりではあった。


「……やっぱり、遅いです」


 独り煩悶することにいよいよ耐えられなくなった珊瑚は、不満と危惧を言葉にし、携帯を手に取り真の番号へかけようとした。

 そのとき、マンションの共用廊下を慌ただしく駆ける靴音がした。その音は珊瑚が待つ部屋へと近づいてきている。不審者かと思い一瞬身を固めた珊瑚だったが、エントランスは住人以外は開錠できないようになっている。


「珊瑚さん!!」


 そこまで考えたところで、玄関のドアが開け放たれと同時に悲愴な声が飛び込んできた。それは呼びかけというよりも、悲鳴に近い死に物狂いのものだった。

 故に、その声が誰のものか珊瑚が理解したのは、リビングに駆け込んできたその人の姿を見た時だった。


「真さん!?」


 珊瑚は思わぬ形で帰ってきた真の姿に声を上げながら、違和感を覚えた。彼の姿に見間違えようはないが、それは直感としか言いようのないものだ。


「どうされたのですか? そんなに慌てて……」


 帰りが遅かったことへの非難も、今となってはどうでもよかった。違和感の理由を確かにしないまま、珊瑚は慎重に話しかける。

 真の顔が珊瑚へと向けられ、瞳の焦点が合う。その瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、その瞳から涙が溢れ出していた。蒼白な顔を歪めて、真の身体は珊瑚の胸へと飛び込んでいた。


「きゃっ――!?」


 不意打ちに珊瑚は足をよろけさせて尻餅をつく。何が起きたのか判然としないまま、縋りついて泣き喚く真の姿に視線を落とした。

 幼児退行でもしたかのように、今の彼は無防備な姿を珊瑚に晒している。何が彼をここまで変えたのだろう。これでは、まるで別人だ。


「……どうか、落ち着いてください」


 真の肩から首筋へと手を伸ばし、珊瑚は優しく包むように彼を引き寄せた。子供をあやすような静かな温もりが恐怖を溶かしたのか、真の声はすすり泣きのようなか細いものへと落ち着いて行った。


「何があったのか、話してくれますか? ハナコさん」


 はっとして上げられる真の顔は、何よりも雄弁だった。珊瑚は自分の直感を信じて正解だったと思うと同時に、言い知れぬ不安にも捕らわれる。


「……ごめん……なさい。珊瑚さん……真さんの身体……勝手に……」

「大丈夫ですよ。ゆっくりでいいですから」


 声を出せば溢れる悲痛な感情を堪えながら、真の身体を借りたハナコが途切れ途切れに言葉を紡ぐ。珊瑚はいますぐにでも問い質したい気持ちを抑え、そっと背中を撫で続けた。

 やがて涙も涸れ、今更ながら二人の体勢に気付いたハナコは、珊瑚の抱擁を解いて身を離した。泣き腫らした目は真のもので、珊瑚は不可思議な感覚に陥りそうだった。


「立てそうですか?」


 立ち上がりながら手を差し伸べる珊瑚を見上げ、ハナコは頷いてその手を握る。温かな人肌の感触が心強かった。


「う――」


 立ち上がったハナコは、ふいに眩暈に襲われる。胸の中を何か細かなものが蠢くような不快感があった。己の心を叱咤して踏ん張ろうとするが、努力の甲斐なく膝が崩れる。すぐさま珊瑚は落ちる真の身体を受け止めて支えた。


「無理のようですね。少しだけ頑張ってください」


 ハナコに肩を貸してリビングのソファに真の身体を横たわらせたところで、ようやく珊瑚は冷静さを発揮し、状況を分析する。

 見たところ真の外見は制服が多少汚れている程度で、外傷らしきものはなさそうだった。

 今、真の身体はハナコが動かしている。つまり、彼は意識を失っているということだろう。

 しかし、何が理由かはともかく、気を失った程度のことでハナコがここまでするだろうか。確かに彼女は自分の霊気で他人の身体を動かすことができるが、それを厭っている。ましてや相手は真だ。

 余程危険な状態でもない限り、真が目を覚ますか、誰かが気付いて病院に連れて行ってもらう等、他者の救援を待つ方が賢明だ。下手に動かすことで、傷ついた身体を更に痛めることだってある。

 ハナコが決して軽はずみな行動を取ったわけではないことは、彼女の様子を見れば明らかだ。やはり早急に事情を訊かねば始まらない。そう思って珊瑚が口を開こうとしたとき、ハナコの方から話を始めた。


「封魔省……でしたよね。その、女の人が真さんを、襲いました。帰り道で……自然な感じで、近付いてきて……でも、いきなりで抵抗できなくて……」


 訥々と語るハナコの情報は断片的ではあったが、ある程度の状況は呑み込めた。咲野寺という方の女に不意をつかれたということなのだろう。相手がこんな強引な手段を講じるとは些か疑問が残るが、今はそれを深く考えている暇はない。


「何をされたか判りますか?」

「胸です……掴まれて……」

「分かりました。失礼します」


 珊瑚は迷うことなく、真の制服を脱がしにかかった。ハナコは真の身体を動かすのがきついのか、苦しそうに呻き声を上げている。その様子からは、ここまで帰ってこられたのは奇跡的だったのだろう。


「これは……」


 シャツを脱がして露わになった真の上半身を目の当たりにして、珊瑚は目を見張った。

 胸の中心からやや左にずれた心臓の位置に、爪を突き立てたような黒ずんだ跡がある。痣になっているように見えたがそうではない。五つの跡から滲み出ている霊気のせいだった。

 真の胸に触診するように珊瑚は手を添え、状態を確かめようとする。爪痕に触れようとした瞬間、反発するように痺れがきたが構わず押し込む。むしろ、彼の肌の冷たさの方に驚いた。

 これは呪いに近い。この黒い霊気は真の魂を縛り、その機能を阻害するものだ。

 生物の意志や心といったものは魂に根付くという。そして肉体を活動させるための霊気も生み出す場所だ。この毒を長く放置すれば、いずれ彼を生かすための霊気は尽きる。そうなればどういうことになるかは想像に難くない。

 最悪の想像を追い出すように、珊瑚は強くかぶりを振る。その前に手を打つ必要があるが、相手の霊気を取り除くために、自分の霊気をぶつけることは愚策だ。無理矢理消せることはできるかもしれないが、力の反発で真の魂が更に傷つきかねない。


「……大丈夫です……珊瑚さん、わたしの意識がある内は……真さんの霊気は尽きません」


 乱れた呼吸に幾分落ち着きを取り戻しながら、ハナコが言った。


「それは……どういう意味でしょうか?」


 ハナコが何を言いたいのか判じかね、珊瑚は問い返す。ハナコは自分の霊気で真を動かしているのだから、その理屈はおかしいだろう。真はハナコの霊気を借りて力の上乗せが可能だが、あくまで真の霊気は彼自身の魂が補填するものであり、ハナコとは別物のはずだ。

 それとも自分は、何かとんでもない思い違いをしているのか。しかし、ハナコの次の言葉は問いに答えるものではなかった。


「わたしが、勝手に答えるわけにはいかないんです。でも、真さんの意志はまだ生きています」


 言いながらハナコは真の上体を起こしにかかる。まだ精細さに欠けるが、声からは苦しげな気配はなくなりつつあった。


「大丈夫なんですか?」

「はい、今は真さんの意志が、毒が回るのを抑えているとでも言いましょうか……でも、長くは持ちそうにないです。早く真さんの中に打ち込まれた霊気をなんとかしないと」

「……では、ハナコさん。身支度をしましょう」


 つぶさに問い質したい衝動を抑え、珊瑚は真の救出を優先するため言葉を切る。決断した後の彼女の行動は素早かった。

 夕食を食べている場合ではなくなったので、保存できるものはラップして冷蔵庫へ。それから「少し待っていてください」と告げて、自室で着替えをすませた。

 家庭に属するときは余裕のある恰好を主にしていたが、長袖の白いシャツに腰丈のジャケット、下は青のジーンズと、飾り気のない軽装であった。ハナコはそんな活動的な彼女の恰好を見たことがなかったため、印象の違いに僅かに戸惑った。


「お気に召しませんでしたか? さあ、ハナコさんも着替えてください」

「え、でも……」


 真の身体を使って勝手に着替えてしまっていいものかと、理性的なことを思ったハナコは否定的な言葉を口にしていた。既に珊瑚に上半身を脱がされてしまっているため、状況を顧みれば何をかいわんやだが、思いとどまってかぶりを振る。


「このままでいいですよ」


 胸を庇うように上半身を隠しつつ、ハナコは言った。その仕草をしているのはハナコだと認識はしていたが、妙に扇情的な光景に見えてしまい、珊瑚は慌てて目を逸らした。


「わ、わかりました。ともかく着替えましょう」


 珊瑚はそそくさと着替えるハナコからなるべく視線を外して咳払いをする。


「終わりましたら、武装を確認しておいてください。鞄はどうされました?」


「あ、玄関に放り出したままでした。取ってきます」


 着衣の乱れを直したハナコは玄関へと取って返し、通学用の鞄を持ってきた。襲撃場所に忘れていなくてよかったと安堵しつつ、珊瑚は中身を検める。鞄の底からは、目的の短刀の収まった木箱は無事に見つかった。


「一旦、これは私が預かっておきますね」


 珊瑚はそう言って自室から持ってきたバッグに木箱を入れ、それを左肩から斜めにかける。他に忘れたものはないか一度首を巡らせ、最終確認を終えて頷いた。


「武器を持って行くってことは、危険な場所なんですか?」

「いえ、そうではありませんが、用心のためです。一度見逃したはずの真さんを襲うなんて、正直相手の行動は矛盾しています。狙いが判らない以上、もう一度襲われることがないとも限りませんので」


 もっとも、再度攻撃を仕掛けてくるにしても多少の猶予はあるだろうと、珊瑚は心の一部で個人の感情を抜いて考察する。始末だけと目的とするなら、わざわざ真を生かしておく必要はない。それは廃ビルの一件からも明らかなことだ。

 危惧の念が見て取れるハナコに、珊瑚は目的地を告げるために口を開いた。


「御実家から情報を得ましたところ、この土地にも退魔師の方がいるというのです。先代と縁があるのだとか」

「退魔師……って、本当ですか?」


 驚きと疑問が半々といった風にハナコは訊ねる。真が凪浜市にきたのは、この土地の霊を浄化するよう市長に依頼されたということだが、市長はその退魔師の存在を知らなかったのか。


「私もその方の存在は今まで知りませんでしたし、先代も敢えて私たちに教える気はなかったのでしょう。その方は退魔師を辞め、お一人で暮らしているそうです」


 当主の引継ぎの中で、現当主である真の兄もその人物のことを知ったのだという。実家はここから遠過ぎるため、時間がない今はその人を頼るのが最善と判断した結果だ。


「場所は郊外にある凪浜神社です。名前は――古宮永治(ながはる)

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