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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第五部 遠き背中
133/185

24 「無情な再会」

 わたしたちがボートで辿り着いた場所は、島にある地下通路の入口だった。押し寄せる波に隠れるようにして、その穴は島の岸壁にぽっかりと空いていた。

 空は荒れ始めていたけれど、どうにかボートのバランスを保ちながらその穴に侵入することに成功した。

 中は洞窟のようになっていて、ひんやりとした冷気に満たされていた。灯りなんてもちろんなくて、数メートル先も見えない薄暗い中を、ペンライトをかざしながら進むことになった。

 しばらく進んだ先に小さな桟橋があって、そこにボートを乗り付けたわたしたちは、ようやく地に足を下ろしたのだった。


 そうして、わたしは今、「治療に使えそうなものを見繕ってくる」と言って走り去ってしまったフェイくんの帰りを待っている。


 湿気た硬い土の上に膝を揃えて座っていると、肌寒い空気が全身にぞわぞわと這い上がってくる心地がした。

 取り残されるのは正直心細かったが、泣き言を言っている場合ではないことは百も承知している。

 わたしは、膝の上に寝かせた、()()()()()()()を抱き締めるよう上半身を折った。


「沙也ちゃん……」


 それは、島にいよいよ近付いて、地下通路の入口を探すためフェイくんが島の外周に沿ってボートを動かしていたときのことだった。

 轟々と波が岩礁に打ち付ける音が聞こえていて、こんな小さなボートでぶつかったらひとたまりもないなと思いつつその一帯にふと目を向けたわたしは、そこに黒い人影を見つけたのである。


 今にも波に連れ去られてしまいそうなその影の正体が、まさかわたしの妹だったなんて、今でも信じられない。


 再会する覚悟をしてフェイくんに連れて来てもらってはいたが、こんな形で果たすなんて思ってもみなかった。

 とはいえ、まだちゃんと再会をしたわけではない。岩礁に乗り上げていた沙也ちゃんは、気を失っていたからだ。

 岩礁に近付くのは危険だったけれど、どうにかこうにか沙也ちゃんを引き上げて今に至る。フェイくんが治療と言ったのは、そういう理由だ。この通路の先に何があるのか聞いてはいなかったけれど、何か当てがあってのことのはず。今は信じて彼を待つのみだった。


 沙也ちゃんは浅い呼吸を繰り返すばかりで、目を覚まさない。ずぶ濡れの身体にせめてもとレインコートを被せてはいたけれど、肌はすっかり冷え切ってしまっていた。痛々しいたくさんの痣と傷もある。


 けれど、ちゃんと生きていてくれている。


 この傷だらけの状態が、フェイくんの言っていた叔父さんとの『殺し合い』の結果なのだとしたら、もう全部終わってしまったのだろうか。叔父さんは何処にいるのだろう。浅霧くんたちも、島にいるのだろうか。

 駄目だ。

 こんなことじゃ駄目だと思うのに、せっかく沙也ちゃんを見つけたのに、わたしは情けないことに、どうしようもなく怖くなってきたのである。


「おい、姉ちゃん。ちゃんといるかー?」

「フェイくん!?」

「あー、あんましデカい声出すなよ」


 そして、わたしが不甲斐なくも不安に押し潰されそうになっているところへ、暗闇の奥からフェイくんの声が聞こえた。

 夜目がでもきくのか、明かり一つも持たずに行ってしまった彼は、戻って来るときも何の気配も感じさせず、もう目と鼻の先まで近づいて来ていた。


「沙也姉ちゃんは……まだ寝てんのか」


 フェイくんは両手に毛布とタオルを抱えていて、その上に包帯など治療に最低限のものを乗せているみたいだった。どこで調達して来たのかまったくもって見当もつかないけれど、本当に当てはあったみたいだ。


「まーいいか。寝てんなら、そりゃーそれで都合がいい。んじゃ、後は頼んだぜ」

「え、ちょっと待ってよ。どういうこと?」


 どさりと地面に荷物を下ろして丸投げされたが、わけがわからない。背中を向ける彼を引き留めると、バツの悪そうな視線が返ってきた。


「安心しなって。別にどっか行くわけじゃねーからよ。見張りだよ、見張り。オレが手伝うわけにもいかねーだろ」


 頬を掻きつつ沙也ちゃんに目をやる彼の顔を見て、ようやく何が言いたいのか理解する。

 どうやら、彼は沙也ちゃんの介抱をわたしに全て押し付けようとしているらしかった。


「そんなの困るよ。フェイくんも手伝って」

「はぁ? いや、だってよ……」

「わたしは沙也ちゃんのお姉ちゃんだよ? わたしが許します。変に紳士ぶるなら、目を瞑ってればいいでしょ」


 露骨に嫌な顔をされたけど、知ったことじゃない。気絶した人一人を介抱するのは大変だし、沙也ちゃんはわたしよりも背が大きいのだから尚更だ。何より非常時に恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。


「何だよその権限。どっちにしても、バレたらぶっ殺されるのはオレじゃねーか」

「そこは黙っといてあげるから。ほら、早くして」


 わたしはペンライトを床に置いて大き目のタオルを手に取り、沙也ちゃんの上半身をゆっくりと起こすと早速脱がしにかかった。不承不承なフェイくんに沙也ちゃんの背中を支えてもらいながら、濡れた身体を拭いていく。


「……君たちは……いつも、こんなことをしているの?」


 沙也ちゃんの鍛えられた身体についている無数の傷には、古いものや新しいものが入り混じっている。その痛々しさに黙っていられず、ついそんなことを口にしていた。

 いったい、どれだけ自分の身体を酷使して、痛めつけているのだろう。

 わたしの知らないところで、沙也ちゃんはどれだけ傷ついてきたのだろうか。


「……まー、怪我をいちいち気にしてるようじゃ務まらねーことは確かだな。ただ……」

「ただ?」


 ライトの位置を調整しながら、まだ血の滲む新しい傷へと包帯を巻いていく。フェイくんは少し口にするのを躊躇っているみたいだったけれど、ぽつぽつと話し始めてくれた。


「オレが言えたことじゃねーだろうけど、沙也姉ちゃんは特別だな。戦いのセンスってーの? そいつはズバ抜けてる」

「そうなんだ……」

「けど、無茶な鍛え方をよくやってんだよな。追い込み過ぎっつーか、付き合わされる方の身にもなってもらいてーもんだよ」

「……」


 ちらりと視線を向けてみると、フェイくんは鼻の頭に皺を寄せて、きつく目を瞑っていた。意固地なのか、本当に沙也ちゃんの肌を見る気はないみたい。

 ぞんざいな言い方だったけれど、彼の声は嫌がっているようなものではなく、親しみが込められていた。

 彼は、沙也ちゃんのことを褒めている。もっとも、そんな才能が妹にあると言われても全然嬉しい気分にはなれなかったけれど。


「そんだけ、強くなる必要があったってことだな……。あー、だから、あんまし沙也姉ちゃんを責めんなよ。その理由の一番は、アンタなんだろうからさ」

「勝手だよ、そんなの。わたしは、そんなの頼んだ覚えもないし、望んでなんか……いないもん」


 目立ったところに包帯を巻き終えて、黙々と沙也ちゃんに服を着せ直す。一応絞って水は切ったけれど、乾かす手段がないので仕方ない。あとは毛布で包んで暖かくして寝かせてあげることにした。


「ねえ、島には着いたんだから、そろそろ教えてくれない? ここで、いったい何が起きているの?」

「ん? ああ、そうか。着いたら話すって言ってたな、そういや」


 介抱が終わってほっとしたのか、目を開けたフェイくんは表情を少し緩めてその場に胡坐をかいた。目を覚ました沙也ちゃんからも色々と話を聞きたいし、せめてもの心積もり――のつもりだった。


「…………ぅ」


 でも、結局わたしがフェイくんの口から事情をきちんと聞くことはできなかった。

 真剣にフェイくんを見て、彼も口を開きかけたときだった。もぞりと、呻き声とともに毛布が動く気配がしたのである。


「沙也ちゃん!?」


 わたしはすぐさま沙也ちゃんのそばに膝をついて、顔を覗き込んだ。一瞬苦しそうに表情を歪めた沙也ちゃんの瞼が、ゆるゆると持ち上げられてく。


「沙也ちゃん、よかった……。わたしが分かる?」

「お姉……ちゃ、ん?」


 沙也ちゃんは、ぼんやりとした顔でわたしを見つめていた。声は少し大人びただろうか。でも、とても懐かしい。

 沙也ちゃんの右手が、ゆっくりと持ち上げられて、わたしの頬に触れる。嘘でも幻でもなく、冷たいその指先をわたしは握った。


「――!!」


 けれど、沙也ちゃんの目が弾かれたみたいに見開かれたかと思うと、ものすごい勢いで手を振り解かれていた。

 何が起こったのか分からず驚いていると、飛びずさるように沙也ちゃんはわたしから離れて周りを見回し始めた。今の状況に戸惑っているのが、その顔からはありありと伝わってくる。


「よー、姉ちゃん。こっぴどくやられたみたいだな」

「フェイ……?」


 そして、この状況を予期していたみたいに、フェイくんが落ち着き払った声で沙也ちゃんに呼びかけていた。


「あんた、清言のところから逃げたんじゃないの? いえ、それより、ここは何処?」

「島の地下だよ。おっさんから逃げたときも、ここを使ったんだ」

「地下ですって? 何だってそんなものが」

「沙也ちゃん、動かない方がいいよ。怪我に障るから……」


 わたしが声をかけても、沙也ちゃんはちらりともわたしの方に視線を向けてはくれなかった。自分の身体を見下ろして腑に落ちたのか、眉間に深い溝を作っている。

 かなり怒っているみたいだった。ううん、これは怒ってるってレベルじゃない。

 殺気立っている。今まで一度だって、そんな沙也ちゃんの顔を見たことはなかった。


「……全部、あんたの差し金ね」

「そうだよ。なあ、ちょっとは落ち着けって。話を聞いてくれよ」


 わたしにすら分かる沙也ちゃんの殺気にフェイくんが気付いていないはずもなく、彼の声にも緊張が走っているみたいだった。わたしも何か言わなければと思うのだが、いざとなると何を言えば良いのか分からず、口を噤むしかなくなる。


「あんたと話すことなんてないわ。助けてもらったなんて、恩は感じないからね」


 そして、顔を背けた沙也ちゃんは、フェイくんの提案も無視して立ち去ろうとしていた。


「おい! 何処行く気だよ!」

「決まってるでしょ。清言のところよ」

「正気かよ! 今度こそ本当に殺されるかもしれねーんだぞ!」


 沙也ちゃんの前にフェイくんが立ち塞がって、言い争いが始まってしまった。遅れてわたしも立ち上がって、沙也ちゃんの背中に追い縋ろうとする。

 でも、無理だった。

 その背中から感じる、絶対的な拒絶の意思に、わたしは足が竦んでいたのである。


「沙也ちゃん……どうして? 叔父さんもこの島にいるんだよね? 二人とも、何をしようとしているの? どうして、何も教えてくれないの?」


 このままでは、沙也ちゃんが行ってしまう。

 その思いがわたしを焦らせていた。行かせまいと、訊ねたいことが次から次へと口から溢れていたのだ。


「どうして何も言ってくれないの……? 本当に……殺し合いなんてしようとしているの!?」


 そのに質問を口にした瞬間、沙也ちゃんの背中が僅かに震えたように見えた。

 影になって顔は見えなかったけど、フェイくんの失笑するような声が暗がりの中に反響する。


「言えねーよな。大事な姉ちゃんの前じゃよ」

「フェイ、どきなさい」

「嫌だね。オレが何のために来たと思ってんだ。オッサンと沙也姉ちゃんの殺し合いを止めるためだぜ?」

「……そう、あんたが、教えたのね」


 その沙也ちゃんの声を聞いて、わたしは訊ねたことを後悔した。

 とても、悪い予感がする。跳ね上がる鼓動に後押しされるように、沙也ちゃんに気圧されながらも、彼女の背中に咄嗟に手を伸ばそうとした。


「沙也ちゃ――」

「舐めんじゃないわよ」


 暗く、ぞっとする低い声が洞窟の中に染み込んだかと思うと、赤い炎のような灯りがわたしの目を貫いていた。

 フェイくんが地面に崩れるように倒れようとしている。彼の右肩には、煌々と輝く剣が深々と突き刺さっていたのだ。


「あたしが、()()()の前だから何もできないとでも思ったの!? ふざけんなッ!!」


 どこからそれを取り出したというのか、いつの間にかその剣を沙也ちゃんが握っていて、倒れたフェイくんを乱暴に蹴り上げている。


「沙也ちゃん! やめてッ!」


 とにかく止めなければと、竦んだ足に鞭を打ってわたしは沙也ちゃんの腕に取り縋ろうとする。けれど、触れる前に沙也ちゃんが剣を手放した腕を振り、わたしは突き飛ばされて地面に尻餅をついてしまっていた。


「沙也ちゃん、何でなの? どうして、こんなに酷いことをするの……?」

「煩い。二度と、あたしの前に顔を見せるな」


 赤い光を反射する燃えるような瞳に見下ろされて、わたしは何も言えなかった。

 怒りと拒絶。わたしには、手を伸ばすことすらも許されない。

 沙也ちゃんは、もうわたしに見向きもせずに、暗闇の中に姿を消したのだった。

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