22 「覚醒」
木刀が当たるかと思った寸前で、敵の姿がぶれる。真と同様に身体を捩じり、振りかざされた清言の白刃が木刀とぶつかった。両者は一歩も引くことなく得物を押し合わせ、鋭い霊気の火花を散らせる。
そこから更に一歩、清言が膂力で制そうと踏み込み腕を振り抜こうとする。だが、真も負けまいと霊気を木刀と刃の交点へと集中させて押し返す。そして、霊気が衝突し合うことで激しさを増した火花が一気に弾けて衝撃を生み、両者の身体を弾かせる結果となった。
「……やはり、いつぞやより強くなっているみたいだな。危険な存在だよ、君は」
打ち合った感覚を確かめるように一度軍刀に視線を落とした清言が、腰だめに構えを取り直す。触れれば雨粒さえも切り裂かれそうな程に、彼から発せられる鬼気は研ぎ澄まされていた。
互いに距離が生まれたことで、真も戦闘態勢を整える。全身に霊気を巡らし、肉体と得物の強化を十全にする。二度と不意打ちなどさせるものかと、全神経を尖らせた。
「さっき、復讐とか言ってたな。何のことだよ。俺はあんたに恨みを買われるような覚えはないぞ!」
戦いは避けられないと予感しながらも、真は頬に冷や汗を一筋流して訴えた。翼を取り戻し、如月が倒れた今、彼に戦うべき理由は残されていない。身に覚えのない言い分で攻撃されているのだとしたら、堪ったものではなかった。
「君が教団に関わった時点で、もう手遅れなのだよ。彼の組織の研究成果。その痕跡を残らず消し去ることが私の目的なのだからな」
一瞬、清言の眼光に昏い情念が灯ったかと思うと、その姿は真の目前にまで迫っていた。真は両手に持った木刀を前面に突き出し、突進を真っ向から受け止める。弾き出されそうな衝撃も足を踏み鳴らして堪え、全身の力で前へと押し出していく。
「君に憑りついた少女も、君の妹も、教団の研究による成果だ。遺してはいけない存在だ。君たち自身に恨みはないが、大人しく始末されてはくれないか?」
「ふざけるなッ! ハナコも翼も被害者だろうが! 手を出す理由なんてない!」
「この件については、ただの被害者など存在しない。後顧の憂いは絶つべきだと、そうは思わないかね?」
「思うわけ……ねえだろうがッ!」
激昂と共に、両腕を軋ませながら真が一歩押し勝つ。だが、そのまま押し切ることは叶わず、清言からも更なる圧が加わった。
「それにあんた、前に俺たちに危害を加える意志はないって言ってただろ! あれは全部嘘かよ!!」
「会談のときの話か。あのときとは状況が違う。もう、教団に対する囮は必要なくなった」
「如月を……殺したからか…!」
血に沈む如月の姿を見た真の胸中には、虚しさにも似た風穴のようなものが空いていた。無色の教団の責任者であり、一連の事件の主犯。これまで浅霧家と接してきた診療所の医師としての立場こそが仮初であり、長きに渡り欺かれていた事実は、到底許せることではない。
だが、だからこそ、簡単に終わらせて良いはずがなかった。
心に掛かった靄は晴れず、自分が何に対して憤っているのか、まだはっきりと言葉にはできない。しかし、考えるのは後にする。その迷いを打ち消すように軍刀を押し返し、真は吼えた。
「やるってんなら、やってやらあ! 負けるかよ!」
気勢はそのまま力へと転換される。真の霊気は膨れ上がり、一気に清言を後ろへ弾かせた。そこから体勢を低くして、相手の懐へと飛び込み木刀を横薙ぎに一閃する。霊気に覆われた木刀が清言の胴へと食い込み、青白い光芒が炸裂した。
清言の食い縛った歯の間から呻き声が盛れる。彼は木刀の流れに合わせて身体を後ろへと引かせたが、真の攻撃の勢いを殺し切ることはできずに半ば吹き飛ぶように後退し、床に片膝を立てた。
「……あんた、実は沙也との戦いでかなり消耗してるんじゃないのか?」
真は木刀を構え直しながら訝るように清言に訊ねた。清言の気は確かに凄まじい。負ける気など微塵もなかったが、競り勝ったことに僅かな違和感を覚えたのだった。
よく見れば、清言の軍服のような衣装の胸部は大きく切り裂かれており、覗く地肌には真新しい傷痕がある。それが沙也の一矢なのかは想像する他ないが、少なくともこの戦いに彼は万全の状態で臨めているわけではないのか。
無論、そんな弱みを晒す相手な訳もないのだが、真は自分の違和感をそう結論づけようとした。
「勘違いをするなよ、少年。私に押し勝てたのが不思議といった顔だが、それは紛うことなく君の実力だよ。多少なりとも消耗したのは認めるが、そんなことで霊気の質を落とすことはあり得ないさ」
真の表情を読み取った清言が、賞賛するような言葉を吐く。軍刀を杖代わりにして立ち上がった彼は、口端に僅かな笑みを刻んで真を見ていた。
「しかし、押して無理とは多少計算が狂ったか。このままでは勝てぬか」
「何をぶつぶつと言ってやがる。まさか、もう降参しようってわけじゃないだろう」
「当然だ。試合であれば一撃もらった私の負けだが――殺し合いに果てはないのだからな」
答える清言の眉が逆立ち、瞳に濃い鬼気が宿る。今までの霊気とは異なる波長を感じ、真は目を見開いた。周囲の空気の震動が肌に伝播し、敵の気迫に全身が揺さぶられそうになっている。
「何だ……、何をする気だ!?」
敵の足下から漏れ出る霊気は、さながら地獄の底から這い出さんとする亡者の手であった。冴えた剣による闘気ではなく、妄執に捕らわれた荒々しい原始的な色が目に刺さる。
血のように赤く、血のように黒い。この色を真は知っていた。彼の中にいるハナコさえも、その黒い衝動を浴びせかけられて直感していた。
「少年、君も命を懸けろ。でなければ、私には届かんと思え」
滂沱たる怨嗟を従えた、血の極光に彩られた鬼人がそこにいる。
「その霊気は……あんたも、なのか? 教団の被害にあった生き残り……?」
「聡いな。一度少女に食われかけた経験が生きたか?」
「じゃあ、やっぱり……!」
今の清言の姿は、芳月沙也との戦いの中で、死の淵に瀕した真が肉体ごとハナコに乗っ取られかけたときの姿に酷似しているのだった。その力の源は、教団の実験においてハナコの魂に捧げられた膨大な被害者の魂から引き出されているもの。
清言の纏う霊気からは、それと同等の性質を感じる。真の問いに対する答えは問い返すものであったが、その意味は明白であった。
「ある男の話をしよう――」
そして、禍々しい気に覆われながらも、理性を失わぬ声で清言は言った。
「男には兄がいた」
「おい……何の話をしようとしている?」
真が疑問を投げかけるが、それを厭うように清言は彼に向けて前進した。赤黒い霊気の残像が真の視界の中で連なり、構えていた木刀に鈍い衝撃が迸る。
「兄弟は滅魔省に所属していてな。共にある組織についての調査を行っていた」
血濡れたように妖しく煌めく軍刀の霊気が、真を侵食しようと這って来る。霊気の出力を上げただけでは抗うことは難しいと即座に判断した真は押し返して軍刀を弾き、下がらざるを得なかった。
「その組織の名は無色の教団。その当時より、組織の噂はまことしやかに囁かれていた」
すかさず清言は間合いを詰めて軍刀を更に振るう。ただし、一刀のもとに切り伏せるような気合は込められておらず、真の動きを封じるために打ち込んでいるといった風だった。
「不死に魅入られたその組織には、滅魔省と封魔省の内部からの裏切り者が属しているという。兄弟の目的は、その粛清対象となる存在を秘密裏に探ることだった」
それでも襲い来る一撃を打ち払う度に、真の両腕には莫大な負荷が圧し掛かる。軋る身体を立て直す彼の耳に、霊気の弾ける音に混ざりながらも、はっきりと清言の声は届いていた。
「しかし、男は気付いていなかったのだ。彼の兄こそが、教団の構成員の一人……裏切り者だったということに」
「それとあんたの復讐が、どう繋がるってんだよ!」
回りくどい話し方に、苛立って真は叫んだ。その男が誰のことなのか、そんなものは聞くまでもない。他人事のように清言の口から語られる男とは、目の前のこの男のことだろう。
「兄は既に、罪なき多くの人々の命を教団への研究材料としていた。手を引かせるには、遅きに失した」
清言は薙ぎ払われた真の木刀を受け止めて、淡々と続けた。彼の纏う霊気はこんなにも激しく渦巻いているというのに、その言葉からは感情が抜け落ちているかのようだった。
「教団に与していることが露見した兄は、男に涙ながらに訴えた。妻子を人質に取られている。自分が死ねば、彼女たちが次の実験材料にされてしまう。だから見逃せとな」
だが――と、腕を大きく振るって清言が木刀を打ち払う。頬に熱い血風のような霊気に撫ぜられて、真は芯から身体を揺すられながら後退した。
「男にとっては、そんなことはもはや問題ではなかった。何故なら、男もまた教団の力……その魔道に惹かれていたからだ。手に入れてみたいと、思ってしまったのだよ」
しかし、すぐに霊気の発する熱で乾いた床に強く踏ん張って、押し流されそうになる身体を前へと進ませようとする。追い詰められまいと木刀を強く握り、全速で突きを繰り出す。
「男の選んだ道は兄のように研究する立場ではなく、我が身を実験材料として捧げることだった。いつ成就するとも知れぬ願いを追い続けるよりも、その方が効率的だと思ったのだな」
が、半身をずらした清言によって、木刀の先端は軽々と往なされた。清言は昏く染まった瞳を僅かに細め、先を続ける。
「男に行われた実験は、魂がどこまでの負荷に耐えられるかというものだ。その内容は単純なものだ。被検体同士が互いに魂を繋ぎ、生き残った者が更に次の魂を繋いでいく。それを延々と繰り返すのだよ」
「それで……、手に入れたのがその力ってことかよ!」
「ああ、男は勝ち続けた。勝ち続け、他者の魂を呑み込み続け、膨大な魂を男は自身の魂へと繋ぎ止めた。――そして、壊れた」
清言の気がにわかに高まる。反射的に構えた木刀に軍刀の切っ先が突き立てられ、真の身体は凄まじい衝撃に床を滑るようにして吹き飛んだ。
「魂を繋げる度に、男は確かに強くなっていった。だが、同時に積み重なる怨嗟に支配されていったのだ。呑み込み切れなかった他者の人格が囁き続けるのだよ。恨みを晴らせと」
床に無様に転がることだけは辛うじて回避した真は、軍刀を握った右手を静かに下げて佇む清言を見上げる。
「そもそも、負荷の限界を試すための実験だった。限界はいずれ訪れて然るべきものだったのだろう。男は失敗したのだ。それを境に、男は“鬼”となった」
一振りの血濡れた刀を携えた、赤黒い霊気に支配された異形の鬼。果たしてこの男は本当に人間なのかと、真は息を呑んでいた。
「声の命じるままに、手始めに男は実験の行われていた拠点を壊滅させた。兄もその場で斬殺したが、それでも声は止むことはない。おそらく、教団に関わる全てのものを消さなければ止むことはないのだろう」
自嘲的な言葉を吐きつつも、清言の声音に変化はない。滔々と述べ続けた彼は、これで仕舞いだと一度口を引き結び、意識的に真へと眼差しを向けた。
「身勝手な話だと思うだろう? 君の前にいる男は、力に溺れ、溺れた力に取り憑かれてしまった男の成れの果てだ」
「……それであんたは、自分がその声から助かりたくて俺たちを殺そうっていうのかよ? それこそ、何の罪もないはずの被害者を……ただ教団に関係があるからというだけの理由で」
「そうだ。君も私と形こそ異なれど、いつか呑み込まれることになる。ならば、ここで果てた方が幸せではないのかね?」
「ふざけてんじゃねえぞ! 勝手なことを言いやがって……、話を聞いてりゃ、全部あんたの自業自得じゃねえかよ!」
清言の語る男とやらに、真は共感などできなかった。それならば、まだ家族を人質にされていたという兄の方にこそ同情できるというものだろう。
「それにな、あんたの物差しで語ってんじゃねえよ。俺はもう呑み込まれたりはしない。俺とハナコは乗り越えたんだ。あんたみたいには、絶対にならない。翼だってそうだ。ここで妹を助けられなければ、俺は今度こそ一生自分を許せなくなる……!」
「ならばどうする? 私の攻撃を防ぐことで精一杯のように見えるが、口だけでは何も成せんぞ?」
「決まってんだろ。あんた、言ったよな。命を懸けろと」
真は木刀を正眼に構え、清言を見据える。心には、彼の思いに応えてくれる柔らかな光が宿っていた。
『真さん……本当に、いいんですか?』
魂から響く声に、否やはない。「ああ」と二つ返事で頷き、真はその深淵へと繋がる鍵を開ける。
「頼む、ハナコ。お前を信じている」
『はい。わたしも信じています、真さん。わたしの全てを、受け止めてください……!』
相棒の声は、ゆるやかに魂の中へと溶けていった。
心臓が大きな鼓動を一つ刻み、血流が意志を持ったかのごとく暴れ出す。
力が漲る。この力は、決して蝕まれるものではない。彼女の全てが血肉となり、一体となっているのが鮮明に分かる。
「オオオオオオオォ――――ッ!!」
真から放たれていた青白い霊気に黒が混ざり始める。だが、それは災厄を連想させるものではない。
噴き上がる霊気の中心に立つ真の髪は、夜の天を思わせる深き碧に変貌し、瞳は炎の赤に染まっているのであった。
「行くぞ……! これが俺たちの、新しい力だッ!!」
「……なるほど、ここまで高いレベルで魂の合一を果たすとはな。いいだろう、全霊をもってかかって来い!」
高らかに木刀を振りかざした真の宣告が響く。清言は彼の変化に目を瞠ると同時に、深みのある笑みを湛えていた。




