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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第一部 死に損ないの再生者
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11 「魂の軋み」

 進を見送ってから、真と柄支、麻希は連れ立って学校を出た。ハナコも真の背後から追従して三人のやり取りを観察している。


「それじゃ、また明日ね」


 学校から最寄りの開発区へと向かう電車の通る駅。改札口の前で振り返り、柄支は手を振って駅構内へと入って行った。


「先輩は近所なんですか?」

「いや、私は山の方でな。バスで帰る……そうだな、まだ時間があるから少し付き合え」


 そう言うと、麻希は人混みを縫うように歩き出した。開発区に通じる場所でもあるため、それなりに人は多い。帰宅のラッシュ時ではないのがまだ救いだった。

 先を行く麻希が立ち寄ったのは駅前のコンビニだった。寄り道というのは、風紀委員として感心できない行為ではないのかと真は思ったが、麻希は構わず中に入って行く。

 コンビニの中には同じ制服の生徒がちらほらと散見された。立ち読みをしていた男子は麻希の姿に気付くと、慌てた様子で退店している。そこで真は合点がいった。これは、見回りの一環ということなのだろう。


「浅霧、お前は何がいい? 好きなものを選んでいいぞ」


 そう思っていた矢先、麻希は飲み物の棚の前で真を振り返った。


「見回りじゃないんですか?」

「誰がそんなことを言った。いいから選べ」


 疑問を口にする真に首を傾げてみせて、麻希は棚を指した。


「ええと、じゃあコーヒーでも」


 真の答えを聞いた麻希は缶コーヒーを二つ手に取りレジへと持って行き、手早く会計を済ませて一つを真に手渡した。


「では、出るぞ」

「あ、どうも……もしかして、奢りですか?」


 麻希に促されるままに自動ドアを潜り外へと出る。コンビニの脇道で彼女は立ち止まり、缶の蓋を開けて一口飲んだ。


「ありがとうございます。頂きます」


 それに倣うと言うわけではないが、真も同じように缶を傾ける。

 そういえば先週は麻希と一緒に帰りそびれたのだったか。真は麻希の横顔を一瞥する。考え事でもしているのか、彼女の目線は空に固定されたまま、しばらく動かなかった。


「……どんな手を使ったのかは知らないが、お前も懐かれたものだな」


 真がコーヒーを飲み終えた頃、呟くような麻希の声が真の耳に聞こえた。


「芳月先輩のことですよね?」

「あいつ意外に誰がいる」


 麻希は真へと顔を向け、口元を緩めて微笑した。珍しいと思うのも失礼だろうが、見て笑顔と判る表情だった。


「あいつは盲信的なところがある。一度心を許した相手には、とことん突っ込んでくるから、覚悟をしておいた方がいい」

「古宮先輩が、そうなんですか?」


 どうやら、ただの時間潰しの雑談に付き合わされたわけではないようだ。真は麻希の話の主題が柄支のことであることに気付き、そんな風に水を向けた。


「そうだな。これを機に浅霧があいつを引き受けてくれるのなら、私の負担も軽くなるのだが」


 冗談なのか本気なのか、麻希の口調からは判断し辛いものがある。真は曖昧に苦笑するだけに留めて、返事をすることを避けた。


「やっぱり、芳月先輩とは仲が良いみたいですね」


 学校の屋上でのやり取りを回想しながら真は言った。麻希は柄支が信用する自分を信用してくれると言った。つまりは、そういうことだろう。


「懐かれたから世話をしているだけだ。最後まで面倒を見る覚悟がないなら生き物は拾うべきではないと教わったものだが、この歳になって、その教訓を得ることになるとは思わなかった」

「皮肉にしても、もう少しましな例えを使ってあげましょうよ……まぁ、気持ちは分からなくもないですが……」


 柄支に対してというよりも、真は自分に取り憑いている幽霊少女を思って麻希に同意した。


「先輩は、芳月先輩と何がきっかけで知り合ったんですか?」


 踏み込んでよいものか迷ったが、真は疑問を口にしていた。麻希は柄支のことになると、普段より言動に情緒があるように感じられた。


「きっかけか」


 沈んだ記憶を手繰るように、麻希は言葉を落とす。そのまま話してくれるのかと真は期待したが、ややあって彼女は「すまない」とかぶりを振った。


「それは、プライバシーの問題で私の口からは言えない。そうだな、いずれ芳月に聞いてみろ。私が許可したと言えば、話してくれるかもしれん」

「そうですか……じゃあ、気が向いたら聞いてみます」


 何気なく聞いたつもりの質問だったが、何か深い事情がありそうな言い方ではあった。麻希の表情に感傷的なものが覗いた気がしたからだ。

 それから然したる話題もなく、しばらく沈黙が続く。真が飲み切った缶を握る手を所在無げにぶら下げていると、麻希の吐息が聞こえた。


「どうも駄目だな。芳月のことになると、調子が狂う」


 言い訳がましく言葉を吐きながら、麻希は缶を傾けて残りを一気に飲み切った。


「浅霧、ありがとう」


 そのまま勢い任せに麻希は真と視線を交わして感謝を述べていた。不意に礼を言われ、何の事か解らず真が戸惑っていると、焦れたように彼女は付け加える。


「芳月が世話になったことへの礼だ」


 麻希は沈痛な面持ちで目を伏せる。その表情からは、彼女が如何に柄支を心配したかということが十分に窺い知れた。


「金曜の夜にあいつが夜遊びをした結果、変なことに巻き込まれたということは聞いた」

「……叱りました?」

「当然だ。あいつの素行は今に始まったことではないが、今回は度が過ぎている」


 言葉にすると怒りが再燃してきたのか、麻希の語気に徐々に荒い感情が加わり始める。真は内心気を揉みながら彼女の言葉を聞いていた。


「しかし、過ぎたことは仕方ない。問題は今、まだあいつがその変なことに首を突っ込もうとしていることだ」


 止めても無駄なことは判っていると、諦めるように言葉は吐き捨てられる。それを受け入れている自分に自己嫌悪の念を抱きながら、麻希は真を見据えた。


「お前が芳月のことを心配しているように、私もあいつを心配しているのだ。それだけは解っておいてもらいたい。私は当事者ではないから、今回の件に関して、あいつのことは浅霧にしか頼めない」

「……ええ、古宮先輩が芳月先輩のことを心配していることは、よく伝わりました。芳月先輩を、これ以上危険な目には遭わせません」


 自身への制約でもあるかのように、真は麻希に約束する。確証のない口約束でしかないが、その言葉に嘘偽りはない。麻希は安堵したように、緩く頷いた。


「さて、そろそろ時間だ。付き合わせて悪かったな」

「いえ、また誘ってください。お気をつけて」


 缶をゴミ箱に捨てた麻希は、去り際に片手を上げ、暮色に染まりつつある雑踏の中を進んで行った。その背中が見えなくなるまで見送る真の隣に、ハナコが並ぶ。


「古宮さんは、お優しい方のようですね」


 ハナコの感想を否定することなく、真は頷いた。その優しさが判り難い上に、それと同等、あるいはそれ以上に厳しくもあるのが難点だろうが。


「わたしたちも帰りましょうか。あまり遅くなると、珊瑚さんが心配するかもしれませんよ?」

「そうだな――」


 廃ビルでの一件で叱られたばかりなので、無用な心配をさせるわけにもいかない。同意して帰路に着こうと真は踵を返す。


「やっと見つけましたよ」


 声が投げられたのは、その時だった。

 決して慣れ親しんだわけではないが、初めてではない聞き覚えのある声。振り返ると、脇道の奥に人影が見える。日は完全に落ち切ってはいないのに、そこは薄暗く視界が不鮮明だった。

 黒の外套をなびかせ、同じく黒のブーツの踵を鳴らしながら歩いてくる人物は女性だった。白い陶器のような顔に笑みを浮かべている。それは傍から見れば親しみを含んでいるように見えただろうが、真の目にはとてもそんな風には映らなかった。


「先日はどうも。凪浜高校の生徒ってことは判っていましたけど、探すとなると大変ですね。一日で探し当てられるとは僥倖でした」


 肩を竦めて金髪を掻き揚げながら、咲野寺現は不敵に口を歪めた。真は予想していなかった再会に、半ば思考力を奪われていた。その隙に現は真との距離を詰め、彼の耳元に顔を寄せた。


「紺乃さんには動くなと言われたんですがね。我慢ができなくなりました」


 囁くような現の言葉に、麻痺しかけていた頭が覚醒する。耳をくすぐる彼女の吐息に生理的な嫌悪を感じ、思考が判断する前に反射として真は後ろに飛び退こうとした。

 しかし、後ろに引きかけた真の右肩が現の左手に掴まれる。重力が増したかのような圧力が右半身に加わり、足は杭にでもなったかのように地面に打ち付けられて動かせなかった。

 空いた現の右手が、真の下腹部から胸の中央に向けて這うように滑り込む。制服越しにも関わらず、感じるはずのない冷たさに背中が凍った。


「真さん――!」


 ハナコは真の名を叫ぶが、この場において彼女は何もできない。霊体であるが故に現に干渉することはできないし、周りに助けを呼ぶこともできない。よく注意して見れば二人の立ち位置に異様なものを感じる者もいただろうが、脇道であることが災いした。人の流れは一定で、誰も真たちに注目していなかった。


「何を……する気だ……」


 やっとの思いで絞り出した真の声は痙攣でもしたかのように震えていた。二本の足で立っているが、肢体から感覚が奪われつつある。撹拌でもされたかのように意識が明滅を繰り返し、今にも倒れそうな身体を、現の左手だけが支えていた。


「あなたの在り方を、見極めさせてもらいますよ」


 みしりと重量を伴う五指が真の胸に突き立てられる。指先から染み出るように、黒い霊気が広がり始めていた。それは明確な悪意を持って真へと侵入し、舐めるように体内を侵していく。

 そのおぞましさに真は声を上げることも忘れていた。現の霊気は廃ビルで見せた『爪』のように、物理的な破壊をもたらしているわけではない。しかし、真の中の霊気を食い破るように伸びる五本の黒い指先は彼の中心へと到達し、そこにあるものに浅く、重く爪を立てる。

 中心にある、霊気に覆われた真の魂だ。

 圧迫に呻くような軋みがあがり、硬質な高温の音色が響く。それは現の霊気によって罅割れた、魂が発する悲鳴だった。

 意識が白く濁り、闇に落ちる。ぐらりと揺れた真の身体から現が両手を離すと、あっけなく真は崩れ落ちた。受け身など取る意志はとうになく、地面を舐めるようにうつぶせに倒れ込む。


「真さん! しっかりしてください!!」


 ハナコは絶叫していた。焦点を失った真の瞳を覗きながら必死で声をかけるが、反応などあるはずもない。そんなことは判っていたが、理性は絶望に追い立てられ、容易く蹴散らされていた。


「さて、私は退散しますよ。せいぜい頑張ってくださいね」


 捲れ上げられた唇から犬歯を覗かせ、現は陰惨な笑みを残し、誰にも気づかれることなくその場を後にした。





 開発区にある市庁舎の市長室で、凪浜市市長である新堂誠二は一人デスクで書類の整理をしていた。

 作業も一区切り付き、革張りの椅子に背中を預けると、若草色の絨毯の敷かれた一室の静寂に微かな軋みが響く。来客がいない限り一人には余る広さを感じながら、彼は凝りをほぐすように首を回した。


「お疲れのようですなぁ」


 誠二は気を抜いたつもりはなかったが、その一瞬をついたようなタイミングで呼び掛けられた。顔を上げてその人物を見た後、鼻白んで息を吐く。


「ノックくらいしたらどうかね?」

「失礼しました。一応したつもりだったんですが、集中されとったんじゃないですか?」


 目の前の男は慇懃に頭を下げる振りをしながら、確かめようのない言い訳を述べる。集中していたのは確かだが、返事がないからと言って黙って入る理由にはならない。

 上下黒のスーツの長身の男は、誠二が自身の警護役として雇った者だ。首から下げた顔写真付きの身分証には、紺乃という名前が記されている。


「……それで、用件はなんだね?」


 ノックの件で問答をしても無意味だと打ち切り、誠二は別の質問をする。紺乃は市長室の前で警備中だ。何の用件もなく部屋に入ってくることはないだろう。


「いえ、ちょっと今日は早めにあがらせてもらえないかと思いましてな」


 警護にあたる者とは思えない気軽な提案に、誠二は苛立ちを募らせて紺乃を睨んだ。もう一人いた咲野寺という女も、今日は欠勤だった。

 普通に考えればこの二人は直ちに首にして警備会社にクレームをいれて然るべきところだが、遺憾ながら誠二にその選択肢は許されてはいなかった。

 紺乃は誠二に向かって歩を進め、デスク越しに向き合う位置に立つ。この上下が二人の関係だと言わんばかりに、紺乃の冷徹な瞳に見下ろされる。せめて目を逸らさず正面から見返すことが、誠二にとって残された一縷の誇りだった。


「もう少し真面目に仕事をしてもらいたいものだね」


 この男は自分を警護などする気などないと理解しながらも、誠二は皮肉を込めて言った。


「儂は十分真面目ですよ。だからこれは、ただの優先順位の違いっちゅうことですわ。儂も組織の一員なもんで、上の方針は曲げるわけにもいかんのでね」


 暗に誠二の存在価値を貶めるような言い方だった。皮肉をそのまま返されてしまい、誠二は奥歯を強く噛んだ。


「まぁ、しかし……安心してくださいな」


 何か含みを持たせた紺乃の言葉を誠二は訝る。安心とは正反対のような男が何を言うのか。


「あれです、この一件が片付けば、儂らはあんたから手を引くことにしたんで」


 誠二が紺乃を雇った経緯は簡単だった。どこから聞きつけたのか、誠二が何者かを雇って凪浜市の霊を浄化しようとしていることを知った彼は、自分の方が良い仕事をすると売り込みをかけてきたのだ。

 実際、誠二にとって真が凪浜市にやってきたのは誤算とも言える。退魔師と言う特殊さをおいても真は学生だ。信用という点においては、どうしても一つ評価が下がってしまう。

 論より実と、紺乃の力を直に見せられた誠二は、彼の力に畏怖の念を抱くことになった。見なければこの怪しい男を雇い入れることなどしなかっただろうが、結局はそれが失敗だった。

 紺乃にとっては、凪浜市にやってきた新参者について調べられれば手段は何でも良かった。単純に、雇い主に取り入るのが一番手っ取り早いと判断した結果に過ぎない。それも成したので、もはや誠二は用済みだった。

 市長と縁を作っておけば今後の活動がやり易くなるという付加価値も見込まなかったわけではないが、今となってはそれもどうでもいいとさえ思える。紺乃にとって真は思い掛けない、瓢箪から駒と言える存在だったからだ。


「そんなことが許されると思っているのか?」

「思いやしませんが、押して通るまでですわ。どの道あんたには何もできん。優先順位と言うたじゃろ。あんたに関わって得られる利益を天秤にかけた結果、そうなったということじゃ」


 脅されているわけではない。紺乃は、ただ平然と事実を述べているだけだ。それが言外の圧となり、誠二の心を卑屈に蝕んでいく。


「そういうわけで、あの退魔師の坊主は、儂らがいただきます。ああ、そうや……行き掛けの駄賃として、あんたの御子息も借りていくんで」

「お前! 進に何かしたのか!?」


 いきなり出された息子の名前に、冷静さを装った誠二の表情が崩れた。怒りとも恐れが混在した叫びに、紺乃は心地よい音色でも聞いているかのように薄く笑う。


「儂の部下もそうなんじゃが、若者っちゅうのは中々思惑通りには動いてくれやせんのですわ。なんで、予定を少しばかり変更せざるをえんっちゅうことでしてな。悪いようにはしませんよ。少なくとも五体満足で返すつもりです」

「許さんぞ! 息子は――!」


 誠二は席を立って紺乃に食って掛かろうとしたが、それを制するように彼の額に紺乃の指先が突き付けられる。

 すると、誠二の顔から色が失せ、すとんと彼の身体は席へと戻った。


「しばらく寝とってくださいな。それと、最後に一つ助言をしときましょう」


 既に誠二は返事をする意識を失っているが、紺乃は構わず彼を見下ろしたまま言った。


「今後霊と無関係に過ごしたいっちゅうんでしたら、儂らみたいなもんに何を言われようが、無視しておけ。それだけで十分じゃ」


 誠二に背を向け、片手を軽く振りながら紺乃は市長室を出て行く。


「さて、現の阿呆を迎えに行かんとな。まったく、扱いに困る奴じゃ」


 紺乃はぼやきながらも、この状況をどこか楽しむように口を歪めていた。

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