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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第五部 遠き背中
121/185

12 「矛と盾 1」

 空は鉛色。背の高い木々に覆われて外部から光の差す余地のないはずの森林は、その内部より発せられる二人の術者の霊気により目映く照らし出されていた。

 地面を覆い尽くすように全方位へと展開されたのは、珊瑚の放つ淡い燐光による包囲網である。直径にして二十メートルほどの半球ドーム状の結界。放出された霊気の届く範囲、彼女の全身が探知機センサーとなって全てを知覚する。

 珊瑚はレイナの位置――正確には彼女の霊気の動きを寸分狂わず捉えていた。左後方の十メートル地点より、瞬間的に膨れ上がる白金色の圧力を察知。レイナによる砲撃の狙いは正確無比に珊瑚に向けて放たれる。

 珊瑚はそれを更なる確度をもってピンポイントに展開した障壁でガードする。撥ね退けられて四散した砲撃は木々を抉るようになぎ倒しながら破砕音を撒き散らし、見るも無残な光景を作り上げていた。

 余波に栗色の髪を煽られながら振り返り、すぐさま砲撃によりそぎ落とされた結界を補填する。移動するレイナを見逃すまいと、彼女の動きを視線で追った。

 この結界にいる以上、珊瑚の目から逃れることはできない。しかし、レイナにとって――いや、珊瑚にとってですらそんなことは取るに足らないことだった。一度姿を晒して対峙した時点で、そのようなアドバンテージを獲得する意義はない。そもそも、居場所を感知されることでいえば、小規模とはいえ結界を維持するために珊瑚も常に一定の割合で霊気を放出しているのだ。レイナからすれば、珊瑚の位置だって手に取るように分かっている。


 ……そう都合よくは、行きませんね……!


 無論、珊瑚とてただ黙って攻撃を受け流しているだけではない。この結界は探知機の他にももう一つ役割がある。それは、中にいる者の霊気に侵食すること――いわば毒だ。現に今も、レイナの周囲を漂う珊瑚の霊気は淡い光を発しながら、レイナの動きを抑制しようとしている。

 しかし、成果は上がっていなかった。その理由は珊瑚の手の内がばれているということもあるが、それよりもレイナの持つ霊気の特性の方が大きい。

 派手な遠距離砲が目立つが、レイナの霊気の扱いは決して大雑把なものではない。しっかりと狙いを定めて、莫大な霊気の量を制御する技術が彼女にはある。そして、霊気の扱いに長けた者ほど干渉は難しくなる。


「どうしました? 守っているだけでは勝てませんよ!」


 鋭い気配が一気に接近する。先程とは逆方向へ回り込んでからの上空より、細氷さいひょうのような霊気を身に纏わせたレイナの本体が姿を見せた。頑強な長靴ちょうかの底を向けた痛烈な跳び蹴り。霊気による強化は当然のように施されており、珊瑚も同様に霊気を纏った片腕をかざして正面からレイナの靴底を受け止めた。

 爆薬でも仕掛けられたかのような冗談みたいな轟音が珊瑚の腕を軋ませ、身体全体を揺るがせる。レイナの攻撃はその一撃一撃がとてつもなく重い。直撃するだろう打撃の芯に、的確に強化が施されていて無駄がないのだ。


「く――!!」


 しかし、珊瑚も負けてはいない。レイナの蹴りが当たる腕の箇所に霊気を絞り、厚い霊気の盾を張る。より効果的に、効率的に、その場に応じて最適の守りを構築する。押し負けることなく、レイナの猛攻を防ぎ続けていた。

 やはり、似ている。そう珊瑚は思わざるを得なかった。一見して攻めと守り。矛と盾。全く戦闘スタイルの異なる二人だが、霊気の扱い方の傾向は酷似していた。


「まさか、このままだと決着が長引く――などと思ってはいないでしょうね」


 このままでは押し切れないと判断したレイナが動く。珊瑚の腕を踏み台にして後方へ飛んだ彼女は宙返りをし、重ね合わせた両手を突き出した。珊瑚は瞬時に次に何が来るのかを予見して、両腕を交差させる。視界が閃光に埋め尽くされると同時に、近距離からの砲撃の衝撃が彼女を襲った。


「――……ぐ……ぅ!!」

「ようやく、嵌ってくれましたね」


 着地したレイナは、仄かな微笑を口端に刻み、優雅に髪を払って見せた。ピシリと、彼女の纏う霊気が周囲の空気を凍えさせるように煌めいている。


「そうでしたね……。一度、あなたは見せていた……!」


 レイナの霊気の放射を防いだ珊瑚の両腕は、凍りついたように動かなくなっていた。珊瑚の侵食が毒であるのなら、レイナのそれはまさに『凍結』と呼ぶべきものだった。

 霊気の侵食は珊瑚だけの専売特許ではない。得手不得手はあるが、修練を積めば誰にでも行える戦法の一つでしかないのだ。事実、レイナは三組織の会談で教団が放った人形の動きをいとも容易く封じていた。


「貴女も警戒していて隙はありませんでしたが、抜かりましたね」


 跳び蹴りで防ぐために形成した盾を揺るがされ、僅かの間隙に放った砲撃の中に、珊瑚で言うところの毒を混ぜ込まれていたのだろう。今までのレイナの攻撃が基本的に単発であったこともある。リズムを変えられて、防御のタイミングを崩された。


「ですが……両腕だけで済ませたのは、流石と言っておきましょうか。本当ならば、全身を固めてしまいたかったのですがね」


 レイナが一歩踏み込み地面を蹴る。こうなっては、珊瑚が取り得る手は逃げる以外に他はなかった。無事な両足を使い、彼女はレイナから距離を取ることに努めようとする。

 一気呵成に繰り出される鋭い拳が頬を掠め、抉るような蹴りの爪先を寸でのところで避けていくが、徐々に追い詰められていく。砲撃により周辺の木々を根こそぎ薙ぎ倒されていたことも問題だった。身を隠すための障害物が、極端に少なくなっている。どうやら、防御していたつもりが相手にとって都合の良い場を作るための手伝いをさせられていたらしい。

 しかし、泣き言を言っている暇はない。なるべく時間を稼ぎ、早く両腕の枷を外すことが先決だと、珊瑚は致命的な一撃をどうにか受けぬように身体を動かし続けた。侵食された腕に自らの霊気を注ぎ込み、熱を与えて溶かすイメージをする。感覚のなくなっていた腕にじわりと痺れが広がり、刺すような痛みが襲い始めた。


「無理に動かすことはお勧めしませんよ」

「余計なお世話です!」


 どうにか自分の意志が通い始めた腕を振り、珊瑚はレイナの拳を受け止める。だが、霊気の強化は十全には及ばず、撃ち抜かれるように腕は弾かれた。ガードを抉じ開けられた胸に蹴りが浴びせられ、横倒しに吹っ飛ばされて地面に倒れる。


「ふ……これまでですね。命乞いでもしてみますか?」

「誰が……!」


 完全に両腕の自由が効かず、即座に立ち上がることのできない珊瑚は見下ろすレイナを睨み上げる。「でしょうね」と、表情に何の感慨も浮かべずにかざされたレイナの右手が珊瑚の眼前に影を落とした。

 鮮やかな白金の霊気が凍てつく調べを奏でながら収束する。それが放たれれば、今度こそ防ぐ術がない。このまま黙ってやられてなるものかと、珊瑚は半ば自らの命をなげうつ覚悟で、動かぬ両腕を無理矢理に衝き動かそうとした。


 だが、珊瑚が動く前にレイナは攻撃の手をピタリと止めた。


「――清言……?」


 霊気の光は掻き消えて、眉間に皺を寄せた彼女は珊瑚から僅かに視線を逸らすと、空いた左手でこめかみを押さえるようにする。


「……そうですか。了解しました。では、私もすぐに」


 通信機の類は持っていないようだが、レイナは誰かと会話をしているようだった。珊瑚はその隙にどうにか上体を起こして膝立ちとなり、レイナの様子を窺いながら呼吸を整える。そんな彼女の様子にレイナも当然気付いているはずだが、会話の方が重要なのだろう。油断のない視線で珊瑚に釘を刺しながら、姿の見えない相手に聞き取れない声で何事かを呟いた後、こめかみに添えた手を下ろした。


「誰と話していたのですか?」


 薄々勘付いてはいたが、時間を稼ぐためにあえて珊瑚は質問した。少なくとも、レイナから今すぐに攻撃を再開しようという気配は薄れている。この状況の変化を利用しない手はなかった。


「清言からですよ。貴女にとっては、残念な報せとなるでしょうね」


 珊瑚は内心で舌打ちをする。その内心を見透かしたようにレイナは冷笑した。各個で戦っている仲間が連絡を寄越す――考えられるケースはそう多くない。次にレイナの口から告げられた内容は、珊瑚の予想を裏切らないものだった。


「清言が沙也を仕留めました。これから彼も中央の施設へと向かい、少年を追うそうです」

「その会話……、接続によるものですか」

「その通りです。私と清言は回線パスさえ繋がれば、簡単な会話くらい容易です。丁度、あの少年と霊の少女が行なっていたみたいに」

「……気付いていたのですね」

「図星でしたか」


 肩を竦めてのレイナの台詞に、珊瑚は目を瞠った。口を滑らせてしまったことに気付かされ、自らの余裕のなさと迂闊さに歯噛みする。彼女の顔色の変化に満足したのか、レイナは続けて言った。


「何かこそこそと話をしていたようですが、少年に一人になった霊の少女を救いに向かわせた――大方そんなところでしょう。さて、これで貴女が崩そうとした均衡は再び保たれることになったわけですが、少年にこの危機を伝えますか? もっとも、貴女にはその術はないのでしょうけれど」

「……何が言いたいのですか」


 珊瑚は声音が硬くなるのを自覚しつつ、レイナをきつく睨み据えた。


「精神的にも、肉体的にも深く繋がれば、それくらいのことは可能になる――そう言っているのですがね。だから、私は貴女のことが気に食わないのです」

「そうでうすか……。奇遇ですね。気に食わないのは、お互い様のようです」


 何か好き放題に言われて、疲弊してはいたが流石に珊瑚もカチンと来て黙っていられず言い返す。珊瑚を見下ろすレイナの灰色の瞳は苛立ったように眇められ、口元は不愉快そうに歪んでいた。


「私に何が解るのか、と言いたげな顔ですね。ええ、貴女のことなど解りませんよ。想う者が手の届く場所にいながら、何も行動を起こさないような女の気持ちなど、理解したくもありません。えぇ、誤魔化す必要はありませんよ。同類相哀れむ……とまでは言いませんがね。貴女があの少年に懸想していることなんて、それくらい見ていれば分かります」

「何を、勝手な……!」

「そう言えば、優先順位がどうのと言っていましたね。私情の余地を挟まない合理的な優先順位ですよ、まったく。ご立派なことですね。個人的な感情を抱いているのに、それを隠して行かせるなんて――だから、解らないと言うのです」


 立て続けに挑発するような言葉を吐き捨てられて、珊瑚の全身が熱くなる。両腕の痛みは緩くなってきており、感覚自体は十分に取り戻せていないが動かす分には支障はないまでに回復していた。


「何故、こんな無駄話を? 早くとどめを刺せば良かったものを」

「貴女のことが気に入らないからですよ。手の届くところにいるのに、何もしようとしない。ただ寄り添うことだけが尊いとでも思っているような馬鹿なひとに、分からせてあげたかっただけです」


 踏み込みの体勢を取り、レイナは珊瑚と正対する。


「本当の貴女は、もっと計算高くて強かだと評価します。もっとも上手い手を考えて、周りに取り入る術を心得ている。そして、それらの行為全てを優しさと言う皮を被せている。きっと、自分さえも騙せるのでしょうね。器用過ぎるのですよ、貴女は。だから、少年を少女のもとへと行かせることができた」

「本当に……、余計なお世話ですね。つくづく、虫唾が走る言い方をする」

「気に食わないのは、全て図星をつかれているからでしょう?」

「黙りなさい!」

「如月から聞きましたよ。あの少年が少女と共にあるということは、将来的に死を選択することに等しいことだと。貴女はそれでいいと? 愛する者が死へと向かう様を、指を咥えてただ見ていると?」

「黙れと……言っている!!」

「私は違う。例えそれが彼の意志に背くとしても、彼が一分一秒でも生きてくれるなら、例え悪魔の所業に与することであろうとも厭わない!」


 レイナの発する霊気は凍てつく輝きを放ちながらも、激情に燃え上がっているかのようであった。凍える熱に、珊瑚は気圧されそうになる心を奮い立たせる。気持ちで負ける訳にはいかない。このひとにだけは、一歩も引いてはいけないと言う確信があった。


「あなたは、芳月清言を……愛しているのですね」


 レイナは狂おしいまでに滾る熱情を隠さなくなっていた。そんなものを見せつけられては、否が応でも伝わって来る。伝わってしまう。

 それが彼女の本心だと言うのであれば、なればこそ、問わずにはいられなかった。


「何故、あなたたちは無色の教団に肩入れしているのですか。会談で共闘したことは、全て嘘だったと?」

「それが清言にとって必要なことだからですよ。私は清言の部下。この命尽きるまで、彼に尽くすのが私の至上。それ以外に理由はない」

「必要? 沙也さんを……実の肉親を手に掛けてまで、忌むべき力に手を染めることに、どんな理由があると言うのですか!?」

「……当然でしょう」


 その問いに答えるレイナの声はどこまでも冷たく、感情を寄せ付けないものだった。


「彼はもう、既にその忌むべき力に侵されているのだから。彼に残された時間は、あまりにも少ないのですよ」

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