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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第一部 死に損ないの再生者
12/185

10 「浅霧真と芳月柄支」

 日曜を挟んで休日が終わり、真は登校していた。

 封魔省のことに関しては、珊瑚が実家に訊ねてみることになっていた。襲われた身としては大人しく登校する気分にはなれなかったが、それとは別に目的があった。


 柄支のボイスレコーダーに記録されていた会話に、市長が出てきたこと。

 それについて、息子である進に訊ねることだ。もちろん、直球をぶつけるのではなくそれとなくである。

 進にはハナコが見えている節はない。ならば、この件に関して彼は無関係だと真は結論を出していたためだ。

 できることなら、これ以上、巻き添えを増やすことはしたくない。


「浅霧くん! ハナちゃん!」


 校門を越えて駐輪場に辿り着いたとき、後ろから声をかけられた。振り向くと、小走りで駆け寄る柄支の姿がみえる。


「先輩、おはようございます」

「おはようございます、柄支さん。朝から元気ですねぇ」

「うん、おはよう!」


 若干意気を切らしながら、柄支は溌剌とした表情で挨拶を返してきた。


「浅霧くんは自転車なんだね」

「そうですね。先輩は?」

「わたしは橋の向こうだから、電車と歩きだね。一緒に登校できないのが残念だなぁ」


 真は「そうですね」とひとまず話を合わせて頷く。こうして会話をしていると、上級生であることが疑わしくなる瞬間があるので少し困るところだった。


「そうだ、先輩……学校ではハナコとの会話は気を付けてくださいね」


 そうして、校門までの柄支と一緒に歩く中、彼は思い出したように声を潜めた。さっきは周りに誰もいなかったが、今は登校中の生徒が周りにいる。


「あぁ……今にして思えば、浅霧くんが変人みたいに見えていたのは、ハナちゃんのせいだったんだね」

「その変人っていうのは、やめてもらっていいですか?」

「これはわたしの評価じゃないからなぁ。浅霧くん自身が覆さないと無理じゃない?」

「やれやれ、真さんも難儀な生活を送ってますねぇ」


「誰のせいだ」と盛大に文句を言いたいところだったが、真はぐっと我慢する。その様子を見て、はじめて彼の気苦労が解ったのか、柄支は同情した顔で曖昧な笑みを浮かべた。


「了解。でもまあ、わたしの場合は浅霧くんがいるから独り言にはならないと思うし、もしものときはフォローしてね」


 学校で余計な気苦労が一つ増えたと、真は週明けから憂鬱な気分になってしまった。

 とはいえ、学年も違うのでそうそう話す機会も多くなるとは思えないが。


「お前たち」


 そんな淡い希望を抱きながら二人で校舎に向かっていると、またも背中に声がかけられた。硬質で突き刺さるような音色の持ち主には、二人とも心当たりがあった。


「あ、麻希ちゃん。おはよう」

「おはようございます」


 振り返る二人の視線の先に、果たして古宮麻希の姿が映る。

 姿勢よく歩く彼女は、二人まであと数歩のところまで距離を詰めたところで、不意に立ち止まった。


「……」


 訝しんで目を細め、麻希は真と柄支を交互に見る。未だ真はその視線に慣れず、顔を背けてしまった。

 悪いことをしたわけでもないのに、思わず謝ってしまいそうになるから恐ろしい。


「あの、麻希ちゃん……どうかした?」


 たっぷり十秒程度、柄支も流石に耐えかねたのか、戸惑いながら麻希へと声を掛ける。


「うん……いや……その、なんだ」


 問われ、麻希は歯切れ悪く言葉を濁す。それでも彼女は目を逸らすことなく、やがて覚悟を決めるように柄支を見据えた。


「芳月、浅霧とできたのか?」

「違うよ!」


 神妙な顔で爆弾を投下する麻希に、腕を振って柄支は反論した。


「いや待て。昨日の今日で展開が早過ぎる。浅霧に対する評価を修正する必要があるな」

「しかも俺が主体ですか……」


 極度に焦って叫ぶ柄支を見て逆に冷静になった真は、ひとまず周りの注目から逃れるため麻希を校舎の入り口付近まで誘導した。


「ふむ、冗談はさておきだ」

「麻希ちゃん、冗談ならもうちょっと笑って言おうよ……ていうか、誤魔化し切れてないよ」


 何事もなかったように振る舞う麻希に対し、柄支は呆れたように目を細めて突っ込む。

 真には本当に冗談で言ったように思える口振りだったが、柄支の方が麻希との付き合いは長く、僅かな表情の違いが判るようだった。


「勘違いは誰にでもあることだけどさ……いきなりあんなことを言われたら、びっくりするよ」

「勘違いではない、確認だ。結果、そうでないと判ったというだけだ」


 文句を続ける柄支に、むっとした顔を作り麻希が反論する。だが、落ち度が麻希にあることがはっきりとしているため、柄支は言葉の矛先を収めることはしなかった。


「でも、優等生な麻希ちゃんがそんなことを訊くとはねえ……案外乙女だったりするのかな?」

「……おい、浅霧。お前は何故この女と一緒にいる」


 現状において口では敵わないと思ったか、麻希は真に鈍い眼光を向ける。返答を間違えると殺される。真は喉元に刃物を突き付けられた心地がした。


「先日、こいつに絡まれたという話をしていたと思うのだが?」

「ああ……その件ならもう大丈夫です。一応、和解したというか……」


 麻希からしてみれば、取り締まろうとしていた柄支が、その依頼を出してきた真と仲睦まじく登校していたのだ。これを勘繰るなという方が、無理があるだろう。


「芳月、脅したわけじゃあるまいな?」

「酷いなぁ、そんなわけないじゃない。わたしと浅霧くんは、仲良しさんだよ」


 麻希の疑問に柄支は頬を膨らませる。そして、真の腕を取った彼女は麻希に見せつけるように身体を密着させた。


「ちょ、先輩!?」

「おぉ、わたしには不可能な大胆な行為!」


 驚くのはそこではないと、真はハナコに内心突っ込む。触れる感触にボリュームはないものの、これはこれで心乱れるものがあった。


「なんだ、やはりできているのではないか」

「違いますから! 先輩、離れてください!」


 今度は真が叫ぶ番だった。空いた手で柄支の額を押し戻しながら、真は掴まれた腕をなんとか解く。


「信用できんが、本人が良いと言っているのだからよしとしよう。正直面倒になってきた」

「うわぁ、職務放棄だよ」

「黙れ芳月、元凶はお前だ」


 鼻息荒くとまではいかないが、憤慨した様子で麻希は柄支を睨む。そこでようやく、真は二人のやり取りに引っかかるものを感じた。

 柄支は麻希をからかい、麻希は柄支に手を焼いている。性格も両極のような二人は、端から見ればそんな感じで反りが合わないように見える。


 しかし、真にはそうは思えなかった。


「もしかして……お二人は、結構仲が良かったりします?」


 何気ない真の指摘は、予想以上の効果を示した。舌戦を繰り広げようとする二人の声はぴたりと止み、丸くした両者の目が彼へと向けられる。


「……だってさ、麻希ちゃん」

「ふん、バカバカしい。もうすぐ予鈴だ。さっさと教室に行くぞ」

「はいはい。浅霧くん、それじゃあ、またね」


 おかしそうに含み笑いをする柄支に、やはり対象的に素っ気なく言い放った後、麻希は踵を返して校舎へ入って行った。

 なんとか事態が治まったことに安堵し、真は別れを告げる柄支に手を上げて二人を見送る。


「ははぁ……朝から中々凄いものを見れた気がしますね」

「まったくだ」


 感想を漏らすハナコに同意しながら、真も追うように校舎へ向かった。


「それにしても、よくお二人の仲が良いなんて気付きましたね? 何か根拠があったんですか?」

「別に……勘だよ。なんとなく、そう思っただけだ」


 ハナコは「はぁ」と曖昧な頷きを返し、それ以上訊いてはこなかった。


 しかし、真は半分嘘を吐いていた。勘ではあるが、根拠がなかったわけではない。

 なんとなく、そう……ハナコと自分とのやりとりに似ていると思ったなどと、本人を目の前にして言える筈もなかった。





 朝の騒動以降は、平和に過ごすことができたと言って良かった。

 昼休みにでも柄支の襲撃を受けるのではないかと真は思っていたが、それは杞憂に終わった。もしかすると、麻希に抑えられているという可能性もあるが、この場合理由は問題ではない。

 ただ、柄支から真宛に一通だけメールが来ていた。内容は質問の一文だった。


『この間のこと、新堂くんに話すの?』


 もちろんそのつもりで、放課後に話をする約束は既にしてある。

 そう返せば同席を求められることは目に見えていたので、こうして約束の時間になって進を待つ今でも、彼は返信をしていなかった。


 午前中の授業の合間に届いたものなので、きっと柄支は無視されたと怒っているだろう。なるべく早い内に謝ろうと彼が思っていると、階段を上ってくる足音が聞こえた。

 屋上への扉の前で待つ真の姿を見つけ、やってきた新堂進は薄い笑みを浮かべた。


「やあ、浅霧。調子はどうだい?」

「ああ、悪くはないな」


 軽く挨拶を交わした後、進が例によって鍵で扉を開けて二人は屋上へと出た。念のため、真は進に扉を施錠してもらい、話の邪魔が入らない舞台を整える。


「先週の依頼の話だね。それで、首尾良くいったのかい?」

「依頼自体は、終わったかな……。そのことで、ちょっと新堂に訊きたいことがあるんだ」


 真はなるべく核心に触れないよう、廃ビルからの一連の出来事を掻い摘んで話した。

 霊のこと、柄支のことは一切出さずに話すのは骨が折れたが、進に言いたいことは伝わったようである。


「つまり、依頼場所に不審者が紛れ込んでいて、その人たちについて心当たりがないかってことでいいのかい?」


 的確に要点を纏めてくれた進に、「そういうことだ」と真は頷く。理解が早くて助かった。


「それにしても、父さんの名前が出てくるとはね……」

「ああ、できれば一度市長さんにも会って話がしてみたいんだが」

「どうかな……父さんも割と忙しいみたいだし。とりあえず、その不審者について、もう少し詳しい情報はないのかい?」


 曖昧に言葉を濁し、進は真に訊ねた。


「男の方は長身の黒髪で……雰囲気が妙に胡散臭いというか、変な言葉遣いで話していた。女の方は金髪の色白だったな。全身黒ずくめって感じだ」


 真が記憶を頼りに特徴を上げていくと、進は考え込むように片手を顎に当てて、何か考え込むように俯いた。

 そして、ややあって上げられた進の眉間には、深い皺が刻まれていた。


「……その二人、知っていると思う。名前は、紺乃と咲野寺じゃないか?」

「知っているのか!?」


 いきなり当たりを引いたことに驚き、真は思わず声を上げる。名前はなるべく伏せようとしていたのだが、進の口から出てくるとは予想外だった。

 真の反応に、進も真があえて不審者の名前を出していないことを察した。そして、真を見る目がきつく細められる。


 その変化に、真は驚きから醒めて嫌な予感がした。

 進が自分に向ける目にあるもの。それは、猜疑心だった。


「最近、父の身辺警護ってことで警備会社から二人雇われた人がいる。それが、その二人だ」


 真は得心がいった。既に市長の側に近付いていたと言うのなら、自分のことをある程度嗅ぎ付けることも可能だったということだ。

 ただ、進の言い方には含みがあるように感じた。その予感は違わず、進は言葉を続ける。


「紺乃さんは、まあ確かに砕けた性格をしているみたいだけど、身元は確かだよ。その警備会社にも所属していることも確認したしね。少なくとも、君よりは信用できる」


 糾弾にも似た進の言葉に、真は半ば呆然とし、何度か口を開きかけはしたが、結局次の句を続けることができなかった。


「それで忠告されたんだけど……退魔師を名乗る輩には気を付けた方がいいってさ。霊魂なんているわけがない。その手の詐欺の話は聞いたことがあるって」

「むっかー! 詐欺師だなんて酷い言われ様じゃないですか! あっちの方が、よっぽど詐欺師っぽいですよ!!」


 ……やられた。


 進はもう真に対する不信感を隠そうとはしていなかった。それはもはや、敵愾心に成長している。

 ハナコが怒るのはもっともだが、こういうのは先に言ったもの勝ちだろう。完全に先手を打たれていた。


 学生で退魔師など聞くだけで怪しいと思うのは当然の感情だろうし、紺乃と咲野寺が表向きは社会人として振る舞っているなら、誰だって後者を信用してしかるべきだ。

 進は当事者ではない。だからこれは、彼にとっては当然の結論だ。


「……で、新堂は俺を詐欺師だと訴えるのか?」

「いや、僕も紺乃さんの言うことを全部鵜呑みにしているわけじゃないさ。いい加減、上辺で話しているのも疲れてきたってだけでね」


 気が付けば、進は乾いた笑い声を出していた。本音を漏らして気分が楽になったのか、一度出した言葉は滑るように溢れてきた。


「父が昔、霊から誰かに助けられたっていうのは、父の中では本当のことなんだと思う。ただ僕は、父や君のように、霊魂だとか、そんなものを信じちゃいないんだ。

 そうだ……父はボクが幼い頃から、それこそ何かに取り憑かれたみたいに霊を恐れていた。僕に理解できない何かを、父の恐れる価値観を押し付けようとしてきた。それが、たまらなく嫌だった!」


 進は一方的な憤りをぶつけている。それはただの八つ当たりで、真には与り知らない事情でしかない。


「浅霧、父さんから君と繋がりを持てと言われたときは、心底嫌だったよ。このまま表面上は何事もなくやれていれば良かったんだろうけど、君がこれ以上、僕たちに深く関わろうとするのなら、もう無理だ」


 得体の知れないものが、自分の家庭にこれ以上踏み込んで来るのが我慢ならないということが、進の怒りの引鉄だった。真は地雷を踏んだのだ。

 真は紺乃の狙いを考えた。敵はこうして不信感を植え付けて、自分を凪浜市から締め出そうというのか。

 進には父の護衛役として接しているが、市長に対してはどうなのか分からない。封魔師という立場で、取り入ろうというのは十分考えられそうなことではある。


「新堂……お前の気持ちは分かった。だが、その二人には気を付けておいてくれ」

「真さん、引き下がるんですか!?」


 ハナコに黙るように真は目配せする。今は何を考えても推測の域はでないし、今の進からこれ以上話を聞き出すことは無理だ。


「うぐぐ……でもでも、あの人たちは絶対危ないですよ。柄支さんのこともあったばかりじゃないですか。放っておいたら、市長さんも、新堂さんも危ないかもしれないんですよ?」


 それは真にも判っている。単純に真が凪浜市の霊の浄化から手を引いて、それで事が済むならまだ良い。

 だが、あの二人を野放しにするのは不安が大き過ぎる。


 だから、今は一時撤退というだけにするつもりだった。進との話で紺乃と咲野寺の所在は知れたのだし、後はもう一度対策を考えれば良い。

 これ以上進を刺激すまいと、真が話を切り上げようとした――そのときだった。


「話は聞かせてもらったよ!」


 そんな盛大な声が扉を打ち開く音と共に飛び込んできた。


 扉は鍵を掛けていたので誰も立ち入ることはできないはずなので、真と進にとっても、その乱入者は予想外のことだった。

 揃って振り向くと、そこには不敵な笑みを浮かべて仁王立ちする柄支がいた。


「先輩、なんで……」


 ここに来たのかと、どうやって入って来たのかという疑問が同時に二つ思い浮かび、真は言葉を詰まらせる。

 だが、その答えは、すぐに彼女の背後から示された。


「芳月のメールに対する沈黙は肯定。また、浅霧と新堂が二人で内密な会話する場所の特定も容易だ。鍵も私が持っている」

「あ……古宮先輩……」


 進が狼狽えた声を上げ、表情を強張らせる。柄支に続いて屋上に現れたのは麻希だった。


「新堂、私は屋上を喧嘩の場にするために、お前に鍵を渡したわけではない。ここで騒ぎを起こせば、それは風紀委員の落ち度だぞ。お前、私の顔を潰す気か?」

「まさか、そんなはずないですよ」


 真には一瞥しただけで済ませ、麻希は進へ顔を向けて歩み寄る。有無を言わせぬ迫力に、進は慌てた様子で首を振った。それだけで、普段の上下関係が垣間見える。


「浅霧くん! 酷いじゃない!」


 そんな風紀委員の様子を窺っていると、柄支が肩を怒らせて真に凄んで来た。


「今朝ぶりですね、先輩」

「適当なことを言って誤魔化そうとしないで。なんで無視したの?」


 身長差から迫力不足は否めないが、面と向かってしまっては追及を逃れることはできないだろう。真は諦めて肩を落とした。


「返信をしなかったことは謝ります。でも、先輩はこの件については、これ以上関わらない方がいい……というか、関わらないでください」

「わたしも当事者なんだから、除け者はやめてほしいな」

「当事者だから言っているんですよ」

「迷惑はかけないから!」

「……勘違いしないでください。これ以上関わろうとすることが、もう迷惑なんです」


 縋りつく勢いで言葉を重ねてくる柄支に、真は努めて冷たく言葉を放った。

 流石に効いたのか、柄支は言葉を詰まらせ、真の顔を見つめたまま凍り付いたように固まった。


 しかし、それも一瞬のことだった。彼女の瞳に宿る感情が、すぐに溶かす。

 怒りだ。


「浅霧くんのバカ!!」


 指を突き付けながらの、あまりに直截な怒声に真は面食らった。


「おい、芳月。声が大きい」

「麻希ちゃんは、ちょっと黙ってて!」


 柄支の剣幕に怯んだわけではないが、彼女の表情に感じ入るものがあったのか麻希は少し間を置いた後、短く「好きにしろ」と目を逸らして口を結んだ。


「あの、僕たちの話は……」


 すっかり毒気を抜かれた様子で、場を乗っ取られた進が口を挟もうとしたが、麻希に片手で制される。進が横顔を見ると、彼女は口端を微かに持ち上げていた。


「浅霧くん、君は真面目過ぎ」


 叫んだことで幾らか怒りが収まったのか、幾分冷静さを取り戻した声で柄支は言った。


「わたしの命について、君が責任を持たなくてもいいんだよ」

「責任?」

「あれ? もしかして無意識なのかな。とにかくね……正直、昨日の話を丸ごと理解したわけじゃないけどさ、浅霧くんの責任はそこまでだと思うわけ」


 言いたいことが伝わっていないことに首を傾げながら、柄支は真に説明する。


「浅霧くんが、わたしを遠ざける理由が、鬱陶しいとか、面倒くさいとかいうんだったら、わたしもここまで言わなかったかもね。でも、今ので分かっちゃったから」


 当事者、これ以上関わろうとすること、真はそれらの言葉を否定していない。本来、これ以上柄支がどうしようが、真には関わりのないことなのだ。

 一度痛い目を見たのだから、この件について柄支は大人しくしておけばいい。そのための保険を珊瑚は彼女に手渡している。


「君は、いざというときに、わたしを守れないかもしれないから言ってくれてるんだよね?」


 勝手にしろと言えば、柄支は勝手にして首を突っ込んで来る。その結果、彼女が危機に陥ればどうするかは、迷うことはあり得ない。

 そうなったとき、同じように守ろうとするだろう。二度目はないと、見捨てる選択肢など最初からないのだ。


 助けてしまった以上、勝手に死なれては困る。だが、あの二人を相手に完全に守り切れるほど真は強くはない。可能性として起こり得る最悪は想定するなら、柄支は遠ざけるのが妥当なのだ。

 その結論に至った彼の気持ちを汲みながらも、柄支は一足飛びにその心へと踏み込んで来る。


「だから、ありがとう。でも、わたしもバカってわけじゃない。この命は粗末にはしないって誓うから、君の助けにならせてください」


 柄支は背筋を伸ばし、頭を下げた。その真摯さに、真は思わずたじろぐ。こんな形で気持ちをぶつけられるのは、慣れていなかった。


「真さん……わたしが言うのもなんですが、柄支さんは、真さんに救われた命の重さを理解しているのだと思います」


 返事があるまでそうしているつもりなのか、頭を下げ続ける柄支に答えあぐねていると、ハナコが真にだけ聞こえるように言葉をかけてきた。

 柄支が只の興味本位で首を突っ込もうとしているわけではないことは、彼女の態度を見れば判る。しかし、真には彼女の真意までは判らなかった。


「とりあえず、頭を上げてください……その、先輩はどうしてそこまでするんですか? 俺には理由が判りません。判らないことには、答えようがない……」


 柄支は下げた頭を上げて、途方に暮れた顔をする真をまっすぐに見つめた。


「だって、わたし、浅霧くんに命を救われたから」


 それは柄支にとって、単純明快な理由でしかない。


「だから、わたしは浅霧くんの力になりたい。例え要らないって言われても、わたしが納得できない。だから、わたしが納得するまで浅霧くんに、この命の借りを返すって決めたの」


 それはどこまでも真剣で、不敵な面構えだった。


「……先輩は、なんというか……仕方のない人ですね」


 柄支の気持ちに感銘を受けたわけではない。結局のところ、それは自己満足の押しつけだ。

 真のことを慮るのなら、ここで身を引くのが彼女にとって、それが最適なことには変わらない。


 しかし、その答えは最善には至らない。最善が最適にならないように、利害と気持ちが一致するとは限らない。

 だから、これはただの意地に過ぎない。

 命を救われたからこその意地。

 その気持ちなら、痛いほどによく解る。


「……分かりました。危険がない範囲で協力をお願いします」


 お互いに意地があるのなら、後は譲歩して互いの最適を模索するしかない。もはや柄支に退く気はないことは明白であるため、真は一つ条件を出すことで折れた。


「了解だよ。これからも、よろしく!」


 差し出された手が握られたことを確認して互いが了承の意を示したところで、ようやくと言うべきか、柄支は傍観する進の方へ向き直った。


「それじゃ、最初のお仕事と行きますか」


 白い歯を見せる柄支の視線を浴びて、進はどうやら標的にされたらしいことを自覚する。それに違わず、彼女は彼に向けて口を開いた。


「新堂くん、浅霧くんは不器用で分かりにくいかもしれないけど、良い人なんだよ。だから、信用してあげてくれないかな?」

「というか……あなたは、芳月先輩でいいんですよね?」


 進は戸惑いながら確認をする。麻希の知り合いとして芳月柄支の存在は知っていたが、こうして話をするのは初めてだった。


「っと、そうだよ。新堂進くん。はじめまして、麻希ちゃんの友達の芳月柄支です」


 勢いに任せて言っていた柄支も、それに気付いて自己紹介をする。


「失礼を承知で言わせてもらうと、先輩と話すのが既に面倒くさいんですが……一応言わせてもらいます。勢いで誤魔化そうとしているのかは知りませんけど、僕と浅霧の話に、あなたは関係ないでしょう?」

「本当に失礼だなぁ……。生憎だけど関係あるよ。浅霧くんは、わたしの命の恩人だから」

「命の恩人?」

「ものの例えとかじゃないからね。本気で命を救われたの」


 そんな状況が想像できず、進は柄支の物言いに戸惑いの色を顔に浮かべる。しかし、然したる興味も湧かなかったのか、即座に思考を切り捨てて息を吐いた。


「それは良かったですね。とにかく、僕と浅霧の話は終わったんです。引っ掻き回すのは止めてください」

「ごめん、それは無理」


 向き合う姿勢を崩さない柄支の態度に、進はいらつきに僅かに表情を歪めた。

 無視して帰ることも考えたが、それで諦める感じではない。そうなれば、柄支は引き止めにくるだろう。そこまで考え、やっと進は、まともに柄支の顔を見た。


「先輩は、そんなに浅霧を信用できるほど、長い付き合いなんですか?」

「知り合ったのは先週の金曜日だよ」


 進は息が漏れるような笑いを零した。それで、よく大層なことが言えたものだと呆れもする。


「それで僕に信用してあげてくれ、なんてよく言えますね。先輩は相当なお人好しなんじゃないですか? そうでないというなら、ちょっと神経を疑いますよ」


 辛辣な言葉を投げられても、柄支は大して堪えた様子もなく頷いた。

 実際、彼女自身も理解はしていた。自覚がある分、まだましだとは思っているところだ。もしかすると、自覚があって治らないのだから、その方が重症なのかもしれないが。


「客観的に見れば、わたしも新堂くんの言うことが正しいとは思うよ。そりゃ、浅霧くんのことは、まだ良く知らないし。事情だって全部解っているわけじゃない」


 柄支は進の目を見据えて言葉を紡いだ。


「でも、そんなのは問題じゃないの。わたしは自分の見方を信じるし、その人のことは、これから知っていけば幾らでも補えるんだから」

「……どんなことをされたのかは知りませんが、それも全部、浅霧の策略だったとしたら?」


 柄支の主張に進は反駁する。彼女の言動は、もはや進にとっては奇妙を通り越して不気味ですらあった。

 命を救われたからというが、それだけで昨日今日会った人間に全幅の信頼を寄せられるものなかのか。

 人の悪意に限りはない。進は真を敵とまでは言わないが、疑わしい者として捉えている。柄支が恩義に感じている出来事も、真が彼女を騙すために行っている可能性だってある。

 穿った見方ではあるが、それが今の進の心境だった。


「浅霧くんが、わたしを騙す……かぁ」


 その可能性は考えなかったのか、柄支は口を閉ざして一考し、真の顔を横目で覗く。

 仮に、廃ビルで襲われた一件が真の仕組んだことで、今度こそ柄支は命を落とすことになってしまうとしたら。

 想定するだけ無駄で意味もない仮定だ。そんなことはあり得ない。ただ、気持ちは固まった。


「そのときは、自分がバカだったって思って死ぬだけだね」


 柄支は胸を張って、迷いなく言葉を放つ。


「わたしは、浅霧くんが正しいことをしようとしているってことを信じている」


 自分の為に傷を負って守ってくれた、この少年の正しさを信じている。

 少なくとも、その行為に報いるだけの覚悟は持っているつもりだ。


「だって、命を救われたんだよ。他に返せるものなんて、わたしにはないもの」

「……付き合いきれない。古宮先輩、知り合いなのでしたら、なんとか言ってもらえませんか?」


 柄支に対抗し得る言葉を思い付けず、進は苦し紛れに視線を逸らして麻希へと助けを求める。

 彼女の言葉を信じることは出来ないが、ばかばかしいと一蹴する気にもなれなかった。


「私に振るな、と言いたいところだが……まあいい」


 不甲斐ない後輩の姿に、教育不足だなと思いながら、麻希は一歩前に出た。


「芳月、一つだけ聞かせろ。お前が浅霧に肩入れするのは止めはせんが、新堂に突っかかる理由はなんだ?」

「そんなの決まってるよ。麻希ちゃんなら、分かるでしょ?」


 付き合いの長い友人が理解してくれることを信じて疑わない目で、柄支は言う。


「正しいことをしようとしている人が、不当な扱いを受けることが許せない。それだけだよ」


 柄支の言葉を聞き、麻希は黙考する。やがて彼女は肩を竦め、進の方へ向き直った。


「新堂、諦めろ。こうなったらこいつは、梃子でも動かない」

「え、そんな……じゃあ、僕にどうしろと……」


 早々と白旗を上げる麻希に進は顔を曇らせる。「簡単だ」と麻希は返した。


「浅霧のことを信用してやれ」

「は?」

「この場を収めるにはそれしかない。いつまでも、この場所で騒いでいるわけにもいかん」

「いや、おかしいですよ。古宮先輩は芳月先輩の肩を持つんですか!?」


 進が麻希に説明を求めて詰問する。麻希は責める後輩に対し細めた目を向けた。


「別に肩を持とうという気はない。しかし、お前よりは芳月のことを理解はしている。そいつが信用しているのなら、私もまた、浅霧を信用してもいいと判断しただけだ」


 それに、と麻希は続ける。


「信用くらいくれてやれ。信頼には時間が必要だが、信用は条件付きで一時的にでもできる。今後の浅霧の行動次第で、破棄するも自由だ」


 進は返答に詰まる。麻希の提案は心情からすれば了承できるものではない。

 しかし、麻希のことは先輩として尊敬はしており、彼女が信用するというのなら、自分の中の方針を多少は変えてみるのもありかと判断した。


「先輩が、そこまで言うのなら。父さんと会える機会が設けられるか聞いてみますよ。確約はできませんけどね」


 深く息を吐いた進は、真と柄支へと不信感をいくらか和らげた目を向けた。その感情には、いくらか諦めの色も混じっている。


「芳月先輩、それで良いですか? あと、浅霧も」

「ああ、感謝する」

「ありがとう新堂くん! あ、紺乃って人にはこのことは内緒にしておいてね」

「分かりましたよ。じゃあ、僕は帰ります。進展があれば連絡しますので」


 進は短く了解の言葉を告げて、疲れ切った顔をして屋上を後にした。ひとまず事態は前進したかと、真は一息ついた思いで視線を下げる。

 真の視線に気づき、進を見送っていた柄支が振り返る。屋上に吹く微風に乗って、彼女の髪の匂いがした。


「どう? わたしは、役に立てたよね?」

「ええ……先輩には驚かされてばかりです。凄い人ですよ、あなたは」


 素直に賞賛されて照れ臭さかったのか、柄支は微かに頬を赤くする。

 そして、誇らしげに笑みを浮かべ、右手にピースサインを作って真に向けて突き出した。

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