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退魔師の二度目の生は幽霊少女と  作者: 尾多 悠
第五部 遠き背中
119/185

10 「異界の門 3」

 真との会話を打ち切ったハナコは、ほぅと溜まった熱を吐き出すように息を零した。彼には悪いと思ったが、これ以上声を聞いていると、せっかくの決意が揺らぎそうで怖かったのだ。

 幸いにも、意識をすれば真の思念とも呼べる声は聞こえなくなった。電話をするのと同じようなもので、いくら発信しても受け手が拒否すれば届かないようである。この霊体からだになって電話なんてしたことはないが、それくらいの経験は自分にもあったらしい。


「……よしっ。じゃあ、行きますか」


 誰にともなく気合を入れて、ハナコは改めて首を巡らせる。建物の中というのは間違いなく、彼女がいるのは廊下の一角だった。

 天井も、壁も、床も、つるりと光沢のある眩しいくらいの白である。染み一つない、綺麗というよりも不気味さが際立つ感じだ。正面に真っ直ぐに伸びた廊下は途中で幾つも枝分かれしており、部屋の入口であろうドアも散見される。

 何だか病院みたいだと、ハナコは第一印象で思った。如月が施設と称したのは、もしかするとそういった意味を含んでいるのかもしれない。

 ここは不特定多数の人々を収容して、管理するための場所。無機質な静けさを放つ廊下に佇んでいたハナコは、覚悟を決めて動き出した。


 実を言うと、彼女は真に一つ隠していることがあった。

 この建物に転移させられたとき、一度外に出られないか試してみたのだ。逃げるためではなく、外から何か情報が掴めないかと思ってのことである。

 しかし、結果として外には出られなかった。

 壁をすり抜けようとしたところ、霊体であるにも関わらずに阻まれたのだ。触れてみて分かったことだが、この建物の内側には霊気の膜のようなものが張り巡らされており、ハナコの霊気を押し返しているようなのである。

 それは強固な結界であり、まるで牢獄だ。ハナコにはこの場にかどわかされた時点で、逃げることは許されていなかったのだった。

 もっと霊気の出力を上げれば力押しで抜け出せる可能性はあるのかもしれないが、現時点でその選択を取る意味は少ない。翼を見つけることが第一目標である以上、この場に留まることは必定だ。敵も潜んでいるのであれば、霊気を高めて居場所を特定されてもまずいことになる。


 だが、それも無用の心配だったのかもしれないと、進み始めてすぐにハナコは思い知らされた。

 目を凝らして見ると、床から薄く広がる靄の塊のようなものが立ち昇り始めたのである。点々と続くそれは、霊気の残滓で作られた道標だった。

 明らかに自分を誘導しようとしている。おそらく、結界に触れたことでこちらの居場所など、とっくにばれていたに違いない。


 罠であろうと何だろうと、この先に翼がいるかもしれない。今、動けるのは自分だけだ。手遅れになる前に、行かなくては。

 浅霧家の人たちに、これ以上辛い思いをしてもらいたくはない。皆、掛け替えのない家族のために戦おうとしている。自分も家族の一員だなんておこがましいことは言えないが、温かに接してくれた彼らの恩に報いるためにも、ここで助けを待つだけだなんてできるはずがない。


 ハナコは慎重に霊気の痕跡を追い、廊下を進んだ。途中何度も道を折れ曲がり、階段も上らされて、複雑な迷路を歩かされている気分になる。窓の類も一切なく、外の景色を見ることもできなかった。

 廊下に並ぶ多くの部屋については、入れないかと試してみたところ、外に出ようとした時と同じで侵入を阻まれた。必要以上に中を見せるつもりはないということだろう。

 そうして決められた順路を辿り、ハナコはとうとう終点に行き着いた。

 散々動き回らされた廊下の突き当りには、壁と同化したみたいな真っ白な扉がある。辛うじて扉と認識できたのは、ハナコの目線よりも少し低い位置に、四角い装置が壁に付けられているからだった。

 どうやら何らかの認証をしなければ扉は開かないらしいが、ハナコがそんなものを持っているわけがない。どうしたものかと彼女が思案し、扉を見上げたときだった。


「――壁は作ってねえから、入って来な」


 年老いてはいるがよく通るその声を聴いた瞬間、ハナコの全身が強張った。

 その人物は中にいる。つまり、時間的に考えても相手は自分と同じくこの建物に転移してきたということになる。

 ここまで来たが、素直に誘いに応じるべきか迷いが生じる。しかし、その逡巡も部屋の中から告げられた次の言葉に砕かれることになった。


「どうした? 翼を捜しに来たんだろう。ここにいるぜ」

「――!!」


 ハナコはほとんど体当たりするようにして、一気に扉をすり抜ける。抵抗なく飛び込んだ部屋の中身は、またしても白一色だった。

 だが、今までと異なる点が一つある。正面が一面ガラス張りになっており、その向こう側に、脚の長い寝台らしきものの上で横たわる少女の姿を見つけたのだ。


「翼さん!」


 堪らずハナコは叫んでいた。翼に反応はなく、瞳は閉ざされている。病院着のような簡素な服を着させられており、眠らされているみたいだった。


「大人しく来てくれて助かるぜ。ハナコ」


 そして、寝台の奥手に立つ白衣の老人の姿にハナコは気付く。今すぐにでも翼のもとに駆け寄りたかったが、正面のガラス越しに彼に見つめられて、立ち竦んでしまっていた。


「如月……先生」


 真と静はこの男を前にし、その所業を知って怒りを露にしていた。ハナコもやるせない怒りがあるし、彼のことを許せないという気持ちはある。

 だが、彼女の中で先行する感情は、どうしようもない悲しさだった。


「どうして……、どうしてですか!? どうしてこんな酷いことを……!」


 翼のことだけではない。多くの人々をよく分からない実験のために犠牲にして――自分のような歪な存在を生み出してまで、この老人が何をしたかったのか。

 彼が全ての黒幕であるならば、その答えを持ち合わせているはず。ハナコは自分の中の疑問を全て吐露するように、ただそれだけを叫んでいた。


「どうして……か。俺の目的が知りたいのか? それとも、お前はまだ自分のことを諦め切れてないのかよ?」

「わたしのことは、もうどうだっていいです! これ以上翼さんを傷つけて、何をする気なんですか!」


 感情を露にハナコが声を高くする。しかし、如月は何も心に響いていない風に、肩を竦めただけだった。


「なるほど、そうかよ。ま、聞かれたところで被検体の素性は全て抹消済みだからな。そのつらを見たところ、俺の残した写真は見たんだろ?」

「ええ……見ましたよ。いいから、こっちの質問にも答えてください!」


 神経を逆撫でされていると知りながらも、ハナコは声を大きくしてしまう。しかし、白い室内に反響する声はそのまま彼女の中へと跳ね返り、震えを増させるばかりだった。

 その震えを押し殺すように胸の前で右手を握り締めて、彼女は真っ向から強い眼差しを如月に向ける。ややあって、如月は軽く口端の皺を持ち上げて小さく笑った。


「……まぁ、いいぜ。暇潰し程度になら話してやるよ」


 そう言って寝台を回り込んだ如月は、横たわる翼を放置してガラスの前まで進み出た。彼との距離が近くなり、ハナコは後ろに下がりそうな足を叱咤して、動揺を悟られぬように腹に力を入れた。


「まずは、そうだな……。お前は、無色の教団の目的を何だと聞かされている?」


 出し抜けに問われて、咄嗟にハナコは記憶を探る。その答えには、すぐに思い当たった。


「不死……」

「そうだ。不死、それが教団の掲げていた目的であり、研究のテーマだ。お前の言う酷いことってのは、そのために行われてきたことだ。だがな――」


 そこで如月は含みを持たせるように言葉を区切り、僅かに身を乗り出した。


「不死とは何だ? 肉体の老いを克服することか? 首を落とされようとも、心臓を貫かれても死なないことか? 肉体を失ってなお、同じ魂で永遠に生き続けることか?」


 立て続けに言葉を並べられて、ハナコは返答に窮する。一口に死なないと言っても、その形は様々だ。

 仮に肉体が消失することを死と定義するのであれば、魂が生きているハナコの存在も、ある意味死なない形の一つとも言える。薄ら寒くなる思いに耐えながら、ハナコは唇を引き結んだ。


「答えは、どれも否だ。肉体も魂も生き続ければ、老いにより劣化は免れない。答えは……不死とは肉体や魂に捕らわれない、意識の継続によって成されるものだ」


 どういう意味か理解しかねて、ハナコの瞳に疑念が満ちる。興が乗ったのか、如月は生徒に教える教師のような口ぶりで話を続けた。


「何をもって人は個人を判断するのか。あるいは、自分を自分たらしめるものは何だって話だ。一つの要素に肉体による外見があるが、本質はそこじゃねえ。個とはその者が持つ記憶であり、意識によって形成されるものだ。俺たちは自我という意識を魂に刻み付けることで、唯一の己なのだと強く認識する」


 如月は乗り出した身を一旦引いて、ハナコの反応を確かめるように言葉を切る。そして、核心を告げた。


「意識ってのは、つまるところ魂の操縦者だ。教団の実験というのはな、人はどうすれば意識のみを殺せるのかという方法を探ることだ。そして、意識を殺した魂の上に別の人格の意識を上書きすることだ」

「上書き……?」

「そう、生きた肉体から魂を引き抜くっていうのは、その過程だ。とはいえ、この加減が難しくてな。魂が肉体に縛られていると、意識が受けた苦痛ってのはどうしても直接跳ね返る。おかげで意識を殺す前に魂が保たずに失敗続きだ。まあ、失敗して機能を失った魂と肉体は『人形』として意識接続の実験に役立ってはもらったがよ」


 ただの失敗談を語るような口調に、ハナコは腹の底から込み上げる嫌悪感に身体を震わせた。悪意に濁る瞳を向けられて、魂が凍り付いたみたいに動かない。

 それは正に、自分が受け続けた耐え難い苦痛――筆舌に尽くしがたい悪魔の所業だ。


「お前は数少ない成功例……だったんだがな。まさか消したはずの意識が再生するとは誤算だった」

「……え」

「まだ分からねえか? 真の魂を殺し、意識をお前の魂に繋げ直す。その上で浅霧真という人格が生きているのだとしたら、魂と意識は分離し得る。その証明になるはずだったんだよ」

「何を言ってるんですか? わたしと真さんが出逢った日のことを、あなたは知ってるんですか!?」

「舞台は整えたが、現場にはいなかったよ。直接手を下したのは、別にいる。と言っても、お前らは思い出せねえんだろうがな」


 揶揄するように如月は声を漏らして、ハナコに向けて広げた片手を突き出す。


「まあ、それは過ぎたことだ。とにかく、そこで試したかったのは、魂を入れ替えてもなお自我を存続できるのかっていうことだったわけだが、未遂に終わった」


 もしもハナコが今の彼女の意識を呼び起こさなければ、真は彼女の魂に直接意識を繋がれるという実験を無理矢理に行われることになっていたのだろう。

 しかし、そうはならなかった。魂に繋げることができる意識は一つのみ。ハナコという意識があれば、その席に真が座ることはできない。仮にそうしようとするならば、それはどちらかの意識を消さなければならないのだ。

 だからこそ、一度消えたはずの彼女の意識が復活したことは誤算だった。死に瀕した真を助けるために、ハナコは彼の魂と己の魂を繋げた。そうして、互いの意識を残したまま生き長らえたのである。


「そういえば、お前は真の死んだ魂を助けたいんだったな。死んだ魂の治療の方法はないが……もう分かるだろ? 意識を消してお前の魂を真に明け渡せば、お前がいなくてもあいつが生きる芽はあるってことが」


 ハナコは目を見開く。怖気に震えていた身体は、自分でも驚くほどに熱くなっていた。


「ふざけないで! あなたにだけは、そんな勝手を言われたくありません!!」


 勝手に人の命を弄び、触れて欲しくない心の聖域に土足で踏み込もうとするその言動は、到底許せるものではなかった。

 この命は、真が認めてくれたものだ。彼が共に生き、共に死んでくれると言ってくれた、自分の魂なのだ。例え自分が消えて真が助かるのだとしても、その選択をさも決められたことかのように、訳知り顔で突き付けられてたまるものか。


「そうだろうな。選択権はお前にある。話を戻すか。今回の俺の目的――実験は、ある方の意識を異界から呼び寄せることだ」

「……なんですか、その、異界って。それと翼さんに何の関係があるんです」


 如月はガラスから身を離して、ハナコを横目に再び寝台の方へと戻って行った。聞きなれない単語に、怒りの冷めないながらも思考を止めぬよう、ハナコは彼の言葉を聞き逃すまいとする。


「異界ってのは、死者の魂が行く先だ。知ってるか? 肉体から離れて浄化された魂は、その瞬間にここではない世界へと吸い込まれる。そうして、次に生まれ変わる命を宿すのを待つのさ」

「死後の世界……? そんなものが本当にあるんですか」

「多少意味合いは違うがな。別に驚くことじゃあねえだろ。退魔の稼業をやってんのなら常識の範疇だ」

「じゃ、じゃあ、そこから呼び寄せるって……まさか、死人を蘇らせようって言うんですか!?」

「見ていりゃ分かるさ。さて、そろそろ頃合いだ。お喋りはここまでとしようぜ」


 そのとき、ハナコは如月の身体から滲み出る霊気を見た。その色は黒く禍々しい歪みを内包している。そして、無数の帯状になった霊気がのたうち、横たわる翼の身体へと突き刺さるように伸びていったのである。


「やめて!!」


 ガラスをすり抜けたハナコが手を伸ばす。しかし、如月の発する霊気の衝撃の方が強く、翼に触れる前に弾かれた。痛烈な痺れが指先に走り、欠けた霊気が蒸発するように零れていく。意識をしなければ霊体が崩れそうだった。

 そうしている間にも翼に群がる霊気の数と勢いは増していき、その姿さえも覆い尽くさんばかりになっていく。その様は、黒い繭か蛹か。少女を食らい尽くさんと群がる蟲の群れか。


「たった一つ魂を浄化した限りでは、針の穴にも満ねえ隙間だ。だが、大量の魂を一度に浄化すれば、異界への穴はより大きく、長く開けることができる」


 昏く渦巻く霊気の中から、如月の声がする。


「あの三組織の会談で使った人形どもの魂は、結界を通して回収した。中には食われたり消されちまったりで減っちまったが、問題はねえ。翼を回収したのはな。こいつには大量に魂を繋げてなお生き残った実績があるからだ」

「この……ぉ!!」


 ハナコは自身の霊気の出力を上げて、再度渦の中へと手を伸ばした。弾かれ、消し飛ばされそうになるのも構わず、それでも霊体を再構築しながら無理矢理に捻じ込んでいく。


「魂ってのは、肉体の中にある方が安定するんでな。既に翼の魂には繋ぎ直してある。今から、改めて浄化させてもらうぜ。治療とは違って丁寧にはいかねえから、本体が耐え切れるかは分かないがな」

「そんなこと……させない……! させるもんかああ!!」


 迸るハナコの青白い霊気が翼の表面にまとわりつく如月の霊気を一瞬払いのける。その隙に、ハナコは翼の身体に己の腕を突っ込んでいた。


「は……面白え。翼の中に入り込む気か」

「あなたの思い通りになんてさせません! この子は……わたしが守ります!」


 侵食されようとしている翼を救うためにはこれしかない。これが自分だけにしかできない方法だということを、ハナコは本能的に理解していた。

 外側ではなく内側から。翼に巣食う魂を全て切り離して、彼女の魂を解放する。


 ……真さん、力を貸してください!


 この魂の繋がりに懸けて必ず助けるのだと誓いを立て、ハナコは闇に染まりつつある翼の中の、深く、奥深くへと潜り込んで行った。

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