09 「封魔省」
「ごちそうさまでした。美味しかったです!」
「はい、お粗末様でした。そう言って頂けて光栄です」
珊瑚の作った昼食を食べ終えた後、リビングで食後のお茶を飲みながら柄支は再三となる礼を言った。
食事中、彼女は珊瑚の料理を絶賛しており、終始楽しそうだった。
「先輩は一人暮らしなんでしょう。料理はしないんですか?」
「自炊はしてるよ。それなりに得意だと自負していたんだけど、千島さんの料理を食べた後じゃ、そうも言ってられないかなぁ」
「十分じゃないですか。珊瑚さんに任せきりな真さんとは大違いですよ」
「お前は、いつも一言余計なんだよ」
ハナコの横槍に、すかさず真が牽制を入れていた。
「そこまで褒められると面映ゆいですね。それと芳月様、どうか私のことは下の名前で呼んで頂けますか? そちらの方が、慣れていますので」
「そうなんですか? もしかして兄妹がいたりします?」
「ええ、妹が一人おります」
「わぁ! 偶然ですね。わたしにも妹がいるんですよ!」
柄支は驚いて口に手を当て笑みを作っる。彼女の感情に同調するように、珊瑚も微笑んだ。
「そうでしたか。お姉さん同士ということですね」
「改めてよろしくお願いします、珊瑚さん。わたしのことも、柄支と呼んでくださいね」
「かしこまりました、柄支様。真さん、ハナコさん共々よろしくお願い致します」
すっかり盛り上がってしまった女子二人を、お茶を啜りながら真はしばし眺める。本来の目的を忘れているようであるが、口を挟むのも無粋に思えた。
「それにしても――まさか、浅霧くんが珊瑚さんみたいな女の人と一緒に暮らしているなんてね。わたしの調べだと、浅霧くんは一人暮らしのはずだったんだけど」
と、真がぼんやりとしているところへ顔を向けた柄支が意味深に目を細めて口端を吊り上げる。無駄な弱みを一つ握られてしまったと、彼は背筋が寒くなる思いだった。
「というか、何で俺がそんな情報を知ってるんですか?」
一人暮らしというのは学校側への表向きの事情である。
お手伝いさんとはいえ、珊瑚もまだ若い。そういうことにしておいた方が、体裁としては面倒が少なくなるという配慮であった。
「初めて会ったときに言わなかったっけ? ある程度言質は取ったって。個人情報とは言うけど、人の口には戸が立てられないものだよ」
実際そうして情報が漏れても大丈夫なように備えていたのだが、こうして現場を見られてしまえば意味もない。抵抗虚しく、真は項垂れる他なかった。
「とりあえず、全面的に秘密にしておいてもらえると助かります」
「オッケー、大丈夫だよ。わたし、口は堅い方だから」
気軽に手でサインを作って見せる柄支に、「とてもそうは見えないですけどね」とは口が裂けても言うまいと真は思った。
「私としましても、そうして頂けると助かります。では、そろそろ本題と参りましょうか」
珊瑚もフォローして話を一区切りつけたところで、ようやく今日集まった目的について、彼女の口から語られることとなった。
「まずは質問なのですが、柄支様は霊魂というものを信じていますか?」
話を聞くべく身構える柄支に、手始めに珊瑚はそんな質問をした。
「ハナちゃんを見ちゃっている以上、信じる他ないって感じですけど……正直、どっちでもなかったですね。いたらいたで、面白いなぁくらいには思っていたかもしれませんけど」
ハナコを一瞥して柄支は答える。自分でも意外なほどに、それは曖昧な回答だった。
「それが正しい認識でしょう。オカルトを始めとして、霊を題材にしたメディアは様々な形で人の世に溢れています」
珊瑚の言いたいことを柄支は理解できた。テレビ番組での心霊スポットの紹介、悲愴なキャッチコピーを銘打ったホラー映画、媒体は様々だがその手のモノは多くある。
提供されるということは、需要があるということだ。
「ですから、現在の人の霊に対する認識は曖昧です。作り物に慣れ過ぎたが故に、心の底からその存在を信じ切ることはできていないのです」
そう、大衆が求めているのは娯楽としてのそれだ。作り物で安全であるからこそ、そこにスリルを求めて欲しがる。
「ですが、柄支様はハナコさんを認識なさいました。今まで己の中にある曖昧なものを、確かなものへと昇華されたのです」
そのきっかけとなった出来事を、柄支は既に思い出していた。
廃ビルで見た火事の光景。実際にはすぐに気を失ったはずなのに、身を外と中から焦がすような熱と息苦しさが思い返される。
知らぬうちに、柄支の手には汗が滲んでいた。
「私は直接見たわけではないので明言は避けますが、柄支様は強制的な霊視により、霊と同調させられたのだと思います」
「霊視……っていうのは、霊を見えるようにするってことですか?」
「はい。正確には、自分の視覚を強化して見え易くする、ということです。退魔の技を持つ者は、霊気と呼ばれる力を使って様々なことを行います」
柄支は珊瑚の言葉を自分なりに咀嚼しながら質問する。珊瑚も彼女に合わせるように話を続けた。
「同調は、自分の霊気に別の霊体の霊気を一時的に取り込むことで、その記憶等を共有することです。柄支様の見た光景とは、廃ビルの霊の記憶ということになりますね」
「でも……わたし、そんな複雑そうなこと……あ、そうか。だから強制的なんですね」
柄支は廃ビルに案内した二人組のことを思い出す。
「真さんの話から察するに、その方たちも退魔の技を持っていることは明らかです」
「……それで、わたしは今どんな状態なんでしょうか? ハナちゃんが見えるっていうこと以外は、別に普段と変わりないんですけど」
深刻に語られる中、柄支はそこが解らずに首を傾げた。
霊を認識したといっても、今のところハナコ以外の霊を目撃していない。それとも、霊はそんなに頻繁に現れるものではないのだろうか。
「柄支様はもともと退魔の技をお持ちでないので、普段は気にするほどのことはないと思います。ですが、見え易さは霊の力の強さに比例します。今後、強力な霊を柄支様が見てしまった場合には、対処する術が必要です」
「……参考までにですが、そうなった場合、どうなるんですか?」
「霊に襲われれば、同調の現象が起きるでしょう。昨夜は強制的に行われ、解除も同様だったのでしょうが……柄支様が一人のときではそうはいきません。今回は気絶で済みましたが、最悪、命に関わることにもなりかねません」
「命に……!?」
さっと柄支の顔色が変わる。まだまだ短い人生ではあるが、日常ではそう聞かない言葉だ。
「ご安心ください。そうならないために、こうしてお話させて頂いているのです」
「……もしかして、わたしに退魔師になれとか言いませんよね?」
恐る恐るといった感じの柄支の問いに、珊瑚は思わず微苦笑した。真も同じような顔をしており、呆れた溜息を吐いている。
「先輩……そんなにお手軽に言われると、俺の立場がないですよ」
「柄支様、流石にそれは無理です。退魔の技は特別な修練が必要になります。ですから、これを差し上げます」
そう言って、珊瑚は柄支にあるものを手渡した。
手に取って見ると軽い金属音が鳴り、全容が明らかになる。
銀色のチェーンで作られたペンダントだった。宝石を嵌める数センチ程度の小さな意匠が下げられ、そこに黒い宝石があてがわれている。
「綺麗ですね! お守りですか?」
落ち込んでいた顔を輝かせ、柄支は感嘆の声を上げていた。
「そうです。魔除けのようなものを思ってください。私の霊気を込めておきました」
「でも、悪いですよ。いきなり……いえ、迷惑とかではなくて、嬉しいんですが」
「これは柄支様のために用意したものです。命に関わるというのは冗談ではありませんので、遠慮なさらないでください。その代わりに、身につけられるときにはつけておいてください」
強めに押される形で、最終的に柄支はペンダントを受け取った。余程気に入ったのか、言い付け通り、少し緊張気味ではあったが早速首にかけてみせる。
「浅霧くん、ハナちゃん、どう? 似合うかな?」
「いいですね! 綺麗ですよ、柄支さん。ねぇ、真さん」
「そうですね。似合ってると思いますよ」
ハナコに同意し、真は頷き返す。どちらかというと騒々しい性格の柄支には大人しめのデザインかとも思ったが、それが逆に良かったのだろう。
彼女の内面にある優しさを引き出しているような気がするのは、昨夜彼女と接した影響かもしれない。
「……それにしても珊瑚さん、いつの間に用意していたんですか?」
その記憶に気恥ずかしさを覚えて真は首を横に振り、誤魔化すように珊瑚へ訊ねた。
「備えあればということです」
はっきりとは答えて貰えなかったが、『こんなこともあろうかと』ということなのだろう。先読みに関してはまだまだ珊瑚には及びそうもないと思う真だった。
「……あの、この際なので聞いておきたいんですけど」
と、柄支が不意に声のトーンを落としてそんな風に切り出してきた。「なんでしょうか?」と珊瑚が首を傾げると、柄支は思い切って質問を口にした。
「珊瑚さんは浅霧くんと、どういう関係なんですか?」
明らかに興味本位な質問であり、真は眉を顰める。しかし、珊瑚は落ち着き払った様子で口元に湛えた笑みを崩すことはなかった。
「そうですね……ここまで話したのだから良いでしょう」
浅く頷いて応じると、彼女は続ける。
「浅霧家は退魔師の家系で、私はとある縁から使用人として厄介になっているのです。現在では、真さんの監督役を務めさせて頂いております」
「監督役……恋人じゃなくて?」
期待した答えとは違う返事に、柄支は質問を変える。途端に、真が思い切り渋面を作った。
「先輩、変なことを訊かないでください。そんなわけないですし、失礼でしょう」
「え!? 浅霧くん、その言い方はちょっと酷くない?」
「……? あ、違いますよ、珊瑚さん。決してそういう意味で言ったのではないですから……」
「真さん、そういう意味とは、どういう意味でしょうか?」
「あぁ……今のは、真さんのド鈍い失言の減点ですねぇ。わたしでも分かりますよ」
血の縁こそないが、真にとって珊瑚は家族だ。憧れを抱いたことがないと言えば嘘になるが、今後そういう関係になることはないということは理解している。
そんな浮ついた気持ちがあるのなら、実家も彼女を自分の元へ寄越すような真似はしないはずだ。
「こほん……話を戻しますと、監督役とは真さんが退魔師としての職務を全うし、成長しているかを見守るお役目のことです」
「へぇ……師匠みたいなものですか?」
「いえ、私は霊気を扱うことはできますが、退魔師ではありません。あくまで真さんをサポートし、見守る立場です」
「なるほど……なんだか事情が複雑そうなので、その辺りは、今はいいですね」
ようやく納得したのかしないのか、柄支は珊瑚と真の関係から話題の矛先を収めた。
「では、次に真さんが会ったという二人組についてです」
気を取り直して、珊瑚は次の議題へと移った。
封魔師と名乗る男と、黒い霊気で真を襲った女。
男の方は戦っていないので実力の程は判らないが、激突する勢いで飛び込んだ真と女を軽く往なしていてことから、尋常ではないことは確かだ。
「封魔師について語る前に……真さんは、退魔師についての歴史はご存知ですか?」
「歴史? そう言われると、なんとも。家が代々引き継いできたってことくらいしか」
頼りなく答える真に、珊瑚は落胆するわけでもなく頷いた。
「そうですね。本来であれば、必要のない知識です。ですが、向こうから接触してきたのであれば是非もありません。情報の開示については、御実家の方から許可は頂きました」
「実家と連絡を取ったんですか……」
「真さんとの橋渡しも、私の役目ですから」
実家の話題に苦い表情を浮かべる真を見て、柄支は内心首を傾げたが口は挟まなかった。
「退魔の歴史は、霊がまだ今よりかは多くの人々から認知され、恐れられていた時代にまで遡るそうです。というのも、起源がいつなのかは定かではないからです。彼らは集団で、組織として霊に対抗し、浄化の活動を行っていたと聞きます」
この世に留まる霊を払い、魂を次の命へと転生させるための回帰を促す。今の真が行っていることと同じ内容だ。
「あの……素朴な疑問なんですが、何でその方たちは、霊を浄化させようと考えたんですかね?」
話の腰を折るように、ハナコが質問をする。彼女もまた霊のため、浄化の対象と言えばそうなってしまう。自分の存在意義に関わるところの疑問ではあった。
「恐らくは、私怨ではないかと」
珊瑚の口から出た答えは、真が予想していない理由だった。
「先ほどの話は相対的なもので、やはり見える者よりも見えない者の方が圧倒的に多いという事実は覆りません。その者たちから見れば、退魔師は霊という見えない偶像を作り出し、無用に世を騒がすだけの集団でしかなかったということですね」
現代でも霊を信じる者が少数派であるように、昔も立ち位置は変わらない。そういうことなのだろう。
「ですから、退魔の組織は正義感や世を正すために動いていた、ということではありません。霊によって被害を受けた者たちが、自衛や怨恨から活動に身を費やしていたということがほとんどだったようです」
「それでも、中には例外はいたと私は思いますが」と、珊瑚は希望的に付け加えた。
「時と共に組織は大きくなります。そして、霊をこの世から浄化するという根底は同じでしたが、その手段と目的の違いから内部で対立が起きました。その中でできた一つの組織が、封魔省呼ばれるものです」
「だから、封魔師なのか」
「便宜上そう名乗っているだけでしょうが……ちなみに、真さんの家系は退魔省と呼ばれるところに属しています。こちらの目的は真さんも知っての通り、浄化による魂の回帰を目的としています。また、世俗を迎合した集団でもあります。時には大衆から依頼という形で霊を浄化し、報酬を得ていたようです」
上手く世間と折り合いをつけながら生きる術として、退魔の技を磨いてきた。それが真の家系――退魔師としての在り方の一つだと珊瑚は語る。
「対して、封魔省とは霊の魂を自ら取り込み、自己の力を伸ばすことに重きを置いた集団です。憚らず言えば、彼の者たちは外道と呼ばれています」
珊瑚の口から出たとは思えない言葉に、思わず真は唾を飲む。
「魂を取り込む……そういえば、あの女の人、捕食とか言ってましたね」
その時の光景を思い出しながら、ハナコは己の身体を両手で抱いた。
「一つの肉体には一つの魂が宿ります。彼らの考え方は、その根本を覆すものです。霊体に捕らわれた魂を浄化せずに取り込む――言い方を借りるなら、それを捕食と呼ぶのでしょう」
「そうなると……どうなるんです? 魂が二個になって倍強くなるとか?」
話を呑み込み切れていないといった顔をしながら、柄支が思ったことを口にする。珊瑚は首を横に振った。
「魂にはそれを持つ人の意志があって、はじめて真価が発揮されます。捕食された段階で、食われる側の魂は自壊して形を失くすでしょう」
ですが、と珊瑚は続ける。
「ゼロではありません。先ほど話した同調を超えた先……とでも申しましょうか。捕食する魂の意志を、己の自我で塗り潰して我が物にするという、失敗すれば自分が呑まれかねない危険な行為です。
そのため、封魔省に属している方は、良くも悪くも個性的な方ばかりと聞きます。他者の人格を抑えて自分の中に取り込むほど強烈な自我を持つということですね」
真は思い返す。確かにあの二人は個性的と言って差し支えはないだろう。出来ることならば、二度とお目に掛かりたくはない部類の相手であることは間違いない。
「あいつらの素性は分かりました。で、今後の対処をどうするかなんですが」
それこそが真にとって一番の問題だった。あちらの言い分は、この土地は彼らの縄張りで、他所からやってきて勝手に霊を浄化している自分の事が気に食わないということらしいが。
「それと、どっち側とも聞かれたな……俺が退魔師ってことが意外って感じでしたけど……」
「おそらく、封魔省と対立する組織の手の者と勘違いしたのではないかと。そのことについては、今は置いておきましょう」
真の疑問を棚上げしながら、珊瑚が続けて口を開く。
「今後の活動に支障をきたす可能性が残るのは問題ですね。せめて相手の名前でも判れば、根回しも出来ると思うのですが……」
「根回しって……そんな交渉ができるんですか?」
「浅霧家も退魔省に属している家系です。気は進まないでしょうが、真さんにこれ以上危害が及ぶ可能性があるのなら、御実家も動いて下さるはずですよ」
しかし、真はそれ以上二人の情報を知らない。封魔師というのもでまかせという可能性も捨ててはいない。
それ以前に、彼の中で実家を頼るのは最後の手段だ。
このような形で自分が何かの組織の一員であるということを知らされ複雑な気分ではあったし、敢えて教えなかった実家の方針にも腹が立つ。
「真さん……御実家の判断は、真さんのことを考えた上でのことです。あなたを蔑ろにしているわけではありません」
「……分かってますよ」
内心を読んだような珊瑚の言葉に、真は吐き捨てるように言って彼女から目を背けた。そんな八つ当たりのような態度を取っている時点で自分の小ささにも嫌気がさす。
結局は珊瑚も、実家側の立場なのだと、子供のようないじけた気持ちが芽を出そうとしていた。
「あの……わたし、知ってるかもしれません」
と、真と珊瑚が思案している中、柄支が小さく片手を上げて言った。
「あれから――昨日、浅霧くんと別れてから色々と思い返してみたんだけど、わたし、あの人たちに自己紹介されてたんだよ……えっとね」
柄支は記憶を探るように視線を宙に投げ、しばし考えた後、頷いて続けた。
「女の人が咲野寺で、男の人が紺乃っていったかな」
「紺乃……まさか、紺乃剛ですか?」
後者の名前に反応を示し、珊瑚は柄支に訊ねた。
「あ、はい。確か下はそんな感じだったと思います」
「珊瑚さん、知っている名前なんですか?」
訊ねる真に、珊瑚はゆっくりと頷いた。
「咲野寺という方に心当たりはありませんが、紺乃の名には覚えがあります。彼の肩書きは、封魔省副長……神出鬼没と聞きますが、その通りの方のようですね」
珊瑚の表情は僅かに固くなったように見える。副長と言う肩書きが本当であるなら、かなりの大物なのではないのか。
「えっと……副長って、二番目に偉い人ってことでいいんですかね?」
そして、今一つにピンと来ていない風なハナコが、そんな疑問を口にした。
「はい。もっとも、序列が正確な実力を表しているというわけではありませんが……」
それでも並大抵の人物ではないことは珊瑚の口調で十二分に伝わった。そんな人物が何故わざわざ出張って来たのかのかも謎だが、相手の名前を知ることができたのは大きい。
「あとね、手掛りっぽいのもあるんだ」
そこで柄支はポーチの中かから何かを取り出し、テーブルの上に置いた。
手の平に収まる程度のサイズの、白い長方形の形をしたそれは、何かの機器のようだった。液晶画面に何かを示す文字と、電池残量のマークが映っている。
「先輩、それは――」
「ボイスレコーダーですね。柄支様、まさかとは思いますが……」
柄支が答えるより早く珊瑚が口を開く。険しい表情で顔を上げる珊瑚に、柄支はバツの悪そうな笑みを浮かべた。
「廃ビルでのやり取り、多分録音できちゃってると思います」
◆
柄支の言葉通り、彼女のボイスレコーダーには、廃ビルにおける彼女と紺乃、咲野寺との会話が録音されていた。
「ここが例の廃ビルか。随分と難儀な場所にあるもんじゃのぉ」
「そうですね。わたしも、数える程度しか来たことはありませんし」
「それは、事故の見物的な感じで来たってことですか?」
「ええ、まぁ……そんなところです」
「詮索はあまりしたるなよ、現。そしたら、早速中に入ってみるとするか」
「え? 中に入る気なんですか!?」
「別に儂らは観光しに来たわけやないんじゃ。外面だけ眺めても意味はなかろうが」
「でも……一応、立ち入り禁止ですし」
「まぁまぁ、かたいことは言わないでください。あなたも気になっているんでしょ? だったら、実地調査に勝るものはありませんよ」
「わ! ちょっと、困ります!」
「そら、行くぞ。調査開始と行こうかい」
どうやら道案内を終えた後、柄支は半ば強引に廃ビルの中に付き合わされた様子が窺える。聴きながら柄支も記憶を辿り、頷いていた。
それからは然したる会話もなく、途切れ途切れに雑談を交えながら進んでいたようである。
「――あの、お二人はなんでこの場所に来たかったんですか?」
「なんや嬢ちゃん、儂らのことが気になるんか?」
「それなりには……答え難いことだったらいいですけど」
「そうじゃのぉ。詳しいことは言えんのじゃが、知人を訪ねに来たとでも言っておくとするか」
「知人?」
「私たちの身内が、ここで亡くなっているんです。大分時間が経ってしまいましたが、都合がついたのでこうして現場に足を運んだ次第でして……」
「そうだったんですか、すいません……無神経なことを……」
「なぁに、構わんよ。身内とはいっても、さほど親しかったっちゅうわけでもないし、自業自得みたいなもんじゃ。義理じゃよ」
「またそんなこと言って、紺乃さんは口が減らないから困ります」
「それが儂の売りじゃからのぉ。と、次が最上階か」
「五階ですね」
「うわぁ……結局、最後まで来ちゃったよ……」
「ここまで来たんじゃから、最後まで付き合ってくれよ?」
「ええ……流石に、ここから一人で帰れと言われても心細いですから」
「いいですね。こういうのって吊り橋効果って言うんでしたっけ?」
「うーん、合ってるようで微妙に違う様な気がしますね……」
「残念ながら、儂の趣味に合うのはおらんようじゃがな。しかし、ここから先はちと気を付けた方がいいかもしれんぞ」
「紺乃さん、さり気なく失礼なことを言わないでください」
「ええと、気をつけろって、どういうことですか?」
「なに……ここまでは何もなかったが、ここからは霊がおると思ってのぉ。それだけじゃ」
「それだけって、霊が見えるんですか?」
「まぁな。嬢ちゃんに解り易く言ったると、儂らは霊感が強いんじゃ。なんなら、嬢ちゃんにも見せてやってもええぞ?」
「え――」
そこで柄支の声は途切れ、以後の記録に彼女は登場しなくなる。本人も、この辺りからの記憶は曖昧になっていると言う。
「……ほぉ、この嬢ちゃん、案外丈夫な魂をしとるらしいのぉ。傷つかずに残ったようじゃぞ」
「へぇ、これは捕食すれば強くなれますかね?」
「がっつくな。嬢ちゃんは、ここに来るっちゅう坊主に対する餌にする」
「餌? そんなの必要あるんですか?」
「一般人に対してどんな反応を見せるか観察じゃ。見捨てるようなら好きにせい。今は屋上の霊を仕留めるぞ」
「それは紺乃さんがやってくれませんか? 私は後からここに来る人の相手があるんですから」
「阿呆。ウォーミングアップやと思って気張れ。好き嫌いをしとったら成長できんぞ」
「……いや、だって屋上にいる霊って、あの人でしょ? 私、嫌いだったんですよね。雑でしたし。だから自分で起こした火事に巻き込まれて死ぬんですよ」
「さっきと言うとることが変わっとるぞ。同意はしたるがな」
「それに、私がやらなくても、やらせればいいじゃないですか。市長さんからの依頼なんでしょ。全うさせてあげれば良いんですよ」
「それこそ論外じゃ。身内の始末は儂らでつける。この階の霊は雑魚じゃからくれてやってもええがな。まったく、新堂の市長さんも余計なモンを雇うてくれたもんじゃ。近づいて情報を得るのも骨やっちゅうのにのぉ」
「はいはい、では行きましょうか。悪霊退治に――」
柄支は一旦置いて行かれたのだろうか。二人の声は遠ざかり、やがて何も聞こえなくなる。
記録はそこで途絶えた。
この会話から新たな疑惑が浮上する。
紺乃と咲野寺は凪浜市市長と、少なからず繋がりがあるのではないか、と。




