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23 「黎明」

 それは、ありえない自傷行為だった。


「――おおおおおおッ!!」


 真の手にした剣が閃き、襲い来る死の泥を斬り払った。太く強い輝きを放つ斬撃は光の尾を引き、ひしめき合う闇のことごとくを分断する。

 彼が一歩踏み込めば、足下に命の火花が舞い踊る。今の彼の身はさながら流星の如く、苛烈な光線と化して進撃していた。

 重力に引かれ、己が身を燃やしながら、ただ真っ直ぐに疾走する。


「こ……のおッ!!」


 しかし、忘れてはならない。たとえ真が屈せぬ力を得たからと言って、それで少女を倒し切れると決まったわけではないのだ。

 彼が宿すのは、たった一人の願い。それに対し、少女が率いるのは万の軍勢。その圧倒的な戦力差は、依然として立ちはだかっているのだから。


「行きなさい……! あんな光……全部、消してしまうのよ!」


 この段になって、少女は一切の手心を加えることなく、真を殺しにかかっていた。そこに余裕はまるでなく、優勢であるはずなのに表情は追い込まれたものになっている。


 ――あれは邪魔だ。取り込もうとしたことが、そもそもの間違いだったのだ。


 少女が放つ獣が、四方から真に襲い掛かる。彼は光の一振りで獣たちを薙ぎ払うが、すぐさまその影から飛び込んで来た新手が彼へと食らいついた。

 手足に腹、真は全身余すところなく噛みちぎられるが、彼の肉を食らった獣たちは、その瞬間に光に呑まれて消滅した。

 いまや彼の身体を構成する霊気は、死の闇を払う生の輝きを内包している。少女の闇は、絶対にその光を侵すことはできないのだ。


「これは……ハナコの意志。あいつも、お前も、もとは同じだ。折れない限り、この光は消えない……ッ!」


 魂が燃え上がるや真の手足が再生し、傷口が瞬時に塞がる。新たに生み出した得物を構え、彼は更に前進した。

 その気迫だけで、旋風が巻き起こる。小さな命の輝きは嵐へと成長し、いまや死の渦を吹き飛ばさんとしていた。


「前に乗っ取られたときにも言ったよな。俺はあいつが生きたいと願う限り、支持してやるって……」


 始まりの彼女の想い――哀切な少女の願いは、この胸に刻み付けている。

 この心の中で、最初に獲得したハナコの心の一部が、しっかりと息づいているのだ。

 そばにいたいと、共に生きていたいという、その願い。

 それも紛れもなく、ハナコが生み落とした輝ける意志だ。


「――だから何だって言うの? あの子が一人生きたいと喚いたからといって、わたしたちの意志は覆らない! 消え去りたいのよ! この世から!」

「同じなんだよ! 人が生きるか死ぬかを多数決なんかで決められるか! あいつ以外の全てが死にたいと言ったからといって、それが正しいことだとは限らない! ハナコの意志は、俺が守る!」

「最低の詭弁ね! わたしもハナコだって、知ってるくせに!」


 少女は血走った目を見開かせ、闇を爆発的に増幅させた。


 真が今、膨大な死に対して自己のイメージを固められているのは、ハナコの願いによるものだ。

 ここは少女の領域ではあるが、それ以前にハナコの心の一部なのだ。だからこそ、ハナコの意志一つで状況も変わる。

 真が第一の関門において得た彼女の想い。それが、この場において彼を支える寄る辺となっている。


 ハナコの心が、彼に力を与えている。


 己の中に存在する、相反する想い。それもまた彼女が抱く真実の気持ちなのだ。

 だからこそ、この輝きは目の前で憎悪を滾らせる少女には消すことができない。ハナコが心のどこかで生きたいと願っている限り、彼女の光は真を守り続ける。

 理屈としてはそういうことだ。真はハナコの魂が記憶する浅霧真という像を頼りに、己を再構築している。

 彼女から与えられる霊気をもって、彼は何度でも復活を遂げる。そして、少女はそれを上回る死で彼を組み伏せようとする。


 二つの少女の意志が、少年の魂を巡りせめぎ合っている。

 死の群体の数は圧倒的だ。万を超える魂の残骸が、一つの生きたいと言う意志に群がっているのだから、本来ならば勝負にすらなりはしない。

 しかし、折れない。消せない。真の意志をハナコが支えているように、その逆もまた然り。彼の存在こそが、ハナコの心の中において異端だった。

 彼女の生きたいと願うその意志は正しいと、死にながらも生き続けた亡霊に、彼が確たる芯を与えたのだ。

 故に、決着はつかない。互いの意志は尽きず、折れることは決してない。二つの少女の意志は延々と食い合いを続け、自傷となって心を痛め続けている。


「詭弁なものかよ……! お前たちだって……そうだったはずだろう!」


 覆い被さろうとする泥を打ち払い、真は叫んだ。


「逆だろ! お前たちがこの輝きを眩しいと思うのは、焦がれているからだ! 諦めかけていたものに火が点いて、それを認めたくないから喚ているだけなんだよッ!」

「――――」


 少女の顔が動揺に歪み、攻勢が一瞬止まる。その隙を逃さず、真は体勢を深くして距離を一気に詰めようとした。


「よくも……ぬけぬけとッ!!」


 しかし、次の瞬間には真の足下から泥が噴火し、彼の身体は宙へと打ち上げられる。憤怒の形相となった少女は周囲に霊気で形成した無数の触手を生み出し、真へと照準を定めた。

 真と少女の視線が、交錯する。


「その目を……やめなさいッ!!」


 生きる意志に満ちた瞳。彼の放つ霊気が天に広がり、無窮の空を描いている。


「お前が自分で言ったんだろ! 眩しいから、起きたんだって!」


 霊気を噴射して空中で体勢を制御した真は、一直線に少女のもとへと落下する。少女は鋭い刃と化した触手の全弾を彼へと照射し、空に血色の風穴をぶちまけた。

 真の肉体は再生するとはいえ、その痛みまでを消すことはできない。全身を余すことなく貫かれる衝撃、痛み、熱さは想像を絶するものだ。

 しかし、彼は止まらない。血の濁流に溺れ、そこに秘められた情動を呑み込みながら、もがき、足掻き、届かせる――!


 少女は言った――死にたいのだと。


 だが、眩しいのだとも言った。

 ハナコが放つ意志が、生きようとする輝きが、眩しいのだと。

 その気持ちの源泉は、きっと同じだ。

 積み重なった魂の残骸は、殺してきた心の象徴。

 心を殺したのは、苦痛から逃れるためか? 次の心に全て押し付けて、さっさと自分が死ぬためなのか?


「そうじゃ……ねえだろうがッ!」


 もう少女は忘れてしまっているのかもしれないが、その根底にあったものを、真は見つけたのだ。

 死にたいと、消え去りたいという感情だけが残ってしまったが、他にもあったはずなのだ。

 そうするしか、もう方法はなかったから。魂が責め苦に耐え切れなくなる前に、切り離すほか、取れる手段がなかった。

 多くの心を殺したのは、次の自分へ生を繋げるため。

 死ぬためじゃない。生きるために、心を殺してきたのだ。


 ならば、真が抱く想いこそが、かつての少女が願っていた本当の願いではないのか――


「……やめて! 消えてよッ!!」


 少女は真を止めようと霊気を紡ぎ、彼にぶつけつづける。もう、世界は彼の色に半ば染まりつつあった。

 そんなものは見たくないと、駄々をこねる子供のように、喚き散らしている。

 それを受け入れてしまえば、またあの悍ましい悪夢に苛まされる。苦しいのも、痛いのも、もう沢山なのだ。

 誰も救ってくれやしない。ならばもう、死ぬしかないではないか。

 たった独りで生きて、苦痛に喘ぐだけの命に、なんの意味がある――


「――俺がいるッ!!」


 真の叫びが、まるで弾丸のように少女の思考を撃ち抜いた。


「お前は、独りじゃないッ!!」


 少女は降り来る少年の影に、自分とは異なる色を帯びた少女の姿を幻視した。

 砕けた思考の欠片が、バラバラと崩れ落ちていく。


「あぁ――そう、ね……」


 辛くないのかと、彼女に問うことは無粋だろう。少年と共に居たいと願ったのは、他ならぬ彼女なのだから。

 救われたかったと言うのなら、もうとっくに彼女は救われていたのだ。

 彼に出逢うことで――死ぬことではなく、生きることで救われた。


 降り立った少年と彼を支える少女の幻影を、彼女は眩しそうに見つめる。

 羨ましい。妬ましい。憎らしい。何故、あなただけが、そんなにも輝いているというのか。


「これは、お前だよ」


 真は立ち尽くす少女を前にして、手にした得物を捨て去り、歩み寄った。

 迫られれば、少女はいやがおうにも目にしてしまう。

 胸がドクドクと脈を刻み、死んだはずの身体に熱が巡る。求め、焦がれてしまうのだ。


 まだ闇は彼を射殺さんと蠢き、獣は牙を剥いて威嚇をしている。

 だが、代弁者たる少女が認めてしまった以上、彼をこれ以上傷つけることはできない。

 戦いの趨勢すうせいは、ここに決した。


「……いいんだな?」

「ええ……好きにしなさいな」


 最後に、せめてもの抵抗にと少女は口元を緩め、両手を広げた。

 そんな少女の態度に戸惑ったのか、バツの悪そうに真は視線を逸らす。その仕草がおかしくて、少女は思わず笑みを零した。

 心から楽しいと思ったのは、果たしていつぶりのことだろうか。


「しっかりしなさいな。あなたは、これからあの子を迎えに行くんでしょう? 恥ずかしがってもらっちゃ、こっちが困るわ」


 からかわれていることに気付いた真は眉をひそめ、首を横に振って息を吐く。そして、覚悟を決めたように表情を切り替え、少女の目の前まで進んだ。

 少女を取り囲む闇は真に触れようとするが、その力はもう弱り切っており、彼を貫くことも焼き尽くすこともできずにいる。

 世界はいまだ死を望む声も多くある。だが、一色ではなくなった。彼の意志に接触した彼女のように、ハナコの願いを受け入れようとする動きが見え始めていたのである。


「ちょっと気が早いかもしれないけれど、忠告しておくわね」


 少女は真を見上げ、彼の胸に右手を添えた。霊気に染まる青い瞳で、真は少女を見つめ返す。


「わたしの心を、あなたに預ける。そのことで、今までわたしが制御していたハナコの中の力を、あなたは意図的に使えるようになるわ。覚えていない? 前に一度だけ、力を貸してあげたことがあったでしょ」

「いや……覚えてるさ。あの会館で戦った時の力か……」

「そういうことよ。なんであの時ハナコに力を貸したのか自分でも不思議だったけれど、今にして思えば、当然の帰結だったのかもしれないわね」



 ――だって、わたしは生きたかったのだから。



 顔を伏せた少女の両腕が、真の背中に回される。彼の霊気に照らされた彼女の闇は払われ、彼女自身の姿さえもが朧げになっていく。


「けど、忘れないで……。この力は、本来人の身にはありえないほど大きなもの。使い過ぎれば、いずれ心が蝕まれることになるわ」

「……分かってる。いざという時にだけ、使わせてもらうさ。無理にお前を起こしたりはしねえよ」

「ふふ……そうだと、嬉しいわね……」


 真の放つ輝きは、少女にとっての曙光だった。温かな兆しに包まれながら、眠るように彼女の身体は消え去り、彼の中へと溶けていった。



 世界は今、夜明けを迎えようとしていた。

 足下には灰色の大地が広がり、彼方へと広がっている。生命など何一つない枯れ果てた地でしかないが、上空には雲一つない蒼穹が果てしなく伸び、陽は昇り始めている。

 そして、真が頬を撫でる心地よい風を感じると、不意に景色がぶれた。

 世界が歪み、形を変えていく。しかし、悪い予感はしない。これは、次の道へ導くための変化なのだろう。


「ご明察ですね」


 と、青白く輝く魂の空間に落ちたところで、もはや耳に馴染んだ声が聞こえた。


「お前か」

「はい。おそばに置いて安心と信頼の、あなたの案内人ですよー」


 真の前に両手両足(足は途中で霞んでいる)を伸ばして浮かび上がった幼女が、にこりと満面の笑みを浮かべている。


「いやはや。まさかあの彼女を御することができるとは、御見それしました」

「その言い方だと、期待されてなかったみたいだな」

「いえいえ、そんなことは。ですがまあ、わたしの見立てでは可能性は半々といったところでしたかね。真さんに、ハナコの意志をきちんと受け止めてもらえて良かったです」

「なんだ、見てたのかよ」

「正しくは感じていた、ですかね。なので、決着がついたこともすぐに分かりましたし、こうしてまた、飛んでこれたというわけです」

「……それで? また、ここから先はお前が案内してくれるのか?」


 何でも来いという気持ちをこめつつ真は訊ねる。しかし、返ってきた答えは彼の予想を裏切るものだった。


「いいえ、ここがゴールです」


 ゆっくりと首を横に振った案内人ナビコは、大きな黒い瞳で真の目を覗くように見つめた。


「あなたの覚悟は十分に示されました。あとは当人同士で結論を出してください」

「いや……そう言われても、お前以外に誰もいないじゃないか?」


 いきなりそう言われても、真は状況を掴めず辺りを見回すことくらいしかできなかった。

 改まって見てみると、この空間は多少狭く、小部屋のような雰囲気がある。壁といっても良いのか、空間の端には青白い霊気のうねりが発生しており、ここが魂の内側であることを象徴していた。床と言えるものもなく、浮かんでいるのか立っているのかも曖昧だ。



 ――わ! ま、待って下さい! まだ、心の準備が……!



「…………ん?」


 空耳か、真は酷く懐かしいような、気の抜けるような声を聞いた気がした。訝しげな彼の顔を見た案内人は笑いを噛み殺し、愉快そうに瞳を輝かせている。


「ダメでーす! もう真さんに示してもらうものは、一つしかなくなりました。それを聞くのは、あなたですよ」

「おい、誰と話して……」


 自らの腹の中にでも声をかけるように、案内人は身を屈めていた。いや、真にも何となく想像はついているのだが、その行為の奇怪さに戸惑いを禁じ得なかったのである。


「種明かしをするとですね。わたしは、今すぐにでも真さんのところへ行きたいという、ハナコの心の表れだったのですよ」


 そこで案内人は顔を上げ、にんまりと微笑んだ。


「ふふ、あなたに来て欲しくないと思いながらも、やっぱり助けたいと思う心はあったわけですよね。だって、ハナコはあなたのことが――」



 ――うわー! うわー!! やめ! やめてくださいいいッ!!



 じたばたと、何かが不格好に蠢いているような気配がする。とんだ茶番を見せられて、真は眉間に刻んだ皺を撫でつつ案内人を睨み据えた。


「何でもいいけど、出て来るなら早くしろよ」

「……だ、そうです。では、オジャマ虫は退散するとしましょうか。彼女のこと、よろしくお願いしますね」

「連れ帰っても、いいんだな?」

「その表現は適切ではありませんね。彼女も心の一部ですから、正確にはあなたが会いたがっている彼女ではありません。限りなく、近くはありますがね」

「……ややこしいな。けど、これで最後なんだな?」

「ええ。じゃあ、ここまでの御褒美に、せっかくですから最後にヒントだけ出しておきましょうか」


 霊体を薄れさせながら、案内人は己の内側に光る魂を両手に掲げる。


「この質問に、きちん答えてくれればいいだけです。あなたは、ハナコのことをどう思っているのですか?」


 手放した魂が一際強く瞬いたと同時に、その影に隠れるように彼女の姿は消えていた。

 そして、代わりに現れた黒髪の少女の姿に、真は胸をなでおろす。


「……やっと会えたな。ハナコ」


 本当に無理矢理放り出されたみたいに、ハナコは前につんのめりながら姿を現していた。慌てて背中を伸ばして体勢を整えたはずみで、彼女の目線が真とばっちりとぶつかる。


「あ……ぅ」


 居辛そうにハナコは目を伏せ、腰のあたりで組んだ両手をもじもじと擦り合わせていた。その様子に真も何故だか居た堪れなくなり、妙な間が生まれてしまう。


「……思ったよりも元気そうだな。安心したぞ」


 声をかけられたハナコは、一瞬身を竦ませるようにして顔を上げる。真の声は穏やかで、いつもの彼女に対するものよりもいくらか優しかったはずだった。

 だが、何故ハナコはこんなにも不安そうな顔をしているのか。


「帰るぞ。みんな、お前のことを心配している」


 真はその理由をはっきりと説明できないまま、そんなありきたりな文句を口にして手を差し伸べる。

 ハナコが彼の手を取り、受け入れてさえくれれば、この心の旅は終わるのだ。


「……ありがとうございます……真さん。わたしのために、こんなところまで来てくれて……とても、嬉しいです」


 だというのに、感謝を述べる言葉とは裏腹に、彼女は瞳を悲嘆に揺らしていた。


「でも……わたしは、真さんといっしょに帰れません」


 告げられる拒絶の言葉。そこに秘められた決意を感じた真は、ここが最後の正念場であることを理解した。

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