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18 「譲れぬ場所」

 広大な白い空間で、真は弾かれたように意識を戻し、顔を上げていた。

 目の前には、物言わぬ少女の姿が変わらず佇んでいる。

 無言で、無感情な瞳に何も映さないまま、前を向いていた。


 ……あぁ、そうか。


 過去の追想。その最後に流れ込んできた想いに、彼は僅かの間、立ち尽くしていた。


 そのときのことは、死にかけていたこともあり記憶が曖昧だった。

 死にかけた少年が、生きた魂を持った霊の少女に救われた。

 少年が望むまいと、少女は自らの意志で彼を生かした。

 結果として彼は彼女に取り憑かれ、命を繋いで今も生きている。

 互いが互いを縛る、共存関係になったというわけだ。


「置いて行くな……か」


 光を宿さぬ少女の瞳を見つめながら、真は呟く。記憶の中で見た、感情豊かな彼女の面影はそこにはない。

 そうだ。彼女を置いて行かないために、自分はここにいる。


「しかし……これで良かったのか……?」


 目の前の少女にさしたる変化は見られず、真は不安げに呟いた。


 過去の記憶を振り返ることで、多少の疲労を真は感じていた。おそらく、精神的な負荷のようなものなのだろう。

 何者かに放たれた火により洋館は全焼し、地下も塞がれた。骸たちも全て灰となり、少なくともあの館で行われていたことに関する証拠らしきものは失われたはずである。

 それは、真が依頼で館へと赴いたことも例外ではない。そして、成り行きで同行することになった男の存在も。

 決して忘れていたわけではなかった。むしろ、あのような形で別れてしまった以上、記憶に残らないことの方がおかしいと言ってもいい。

 しかし、真は今の今まで彼の存在そのものを忘れていたかのような、奇妙な違和感に捕らわれていた。

 今だってそうだ。あの男の顔を思い出すことが、うまくできずにいる。

 声は高くもなく低くもない。中性的な顔立ちだった、これといった印象を感じさせない男。


 ……いや、そのことは、今はいい。


 いずれにせよ、終わったことである。今気にするべきことは、ハナコのことだと真は思い直して首を横に振った。


「どうやら、終わったようですねー」

「――! ……お前」


 そうして彼が物思いに耽っていたところ、不意に耳元で声が聞こえた。

 驚いて真が顔を向けると、またしても肩に幼女の姿をしたハナコ――案内人である自称ナビコが腰掛けていた。

 何の前触れもなく、心臓に悪い登場の仕方に真は顔を顰める。今まで考えていたことが、まるで蜃気楼のように霞んで消えてしまっていた。


「思い出しましたか? 彼女との出逢いを」


 しかし、幼い少女は真の視線をまったく気にした風もなく、小さく首を傾げて訊ねてきた。


「……お前も見ていたのか?」

「ここはハナコの心ですから。あなたが見せてくれたものは、わたしたちが見ていますよ。ちゃあんとね」

「じゃあ、俺が最後に見たあれは……ハナコが見せたのか?」


 記憶の最後に見えた、少女の視点からみた自分の姿を、真は思い出していた。

 見るからに満身創痍で、もはや死体といってもよいくらいの情けない姿だった。


「……どうして、ハナコがあなたを助けたのか、分かりましたか?」


 ナビコは真の質問には答えず、逆に質問を返した。それに答えない限りは、こちらも答えないと、幼い目が物語っている。

 真は一瞬黙ったが、ほとんど直感のままに答えることにした。


「不安、だったんだろう」


 流れ込んできた感情。それは強烈なまでの不安だ。

 結局あの洋館の事件を経ても、ハナコは自身に関する記憶を何一つとして思い出しはしていなかった。

 記憶のないまま、己が何者かも分からないまま、放り出される恐怖。

 少年に出逢ったときからが、彼女の全ての始まりなのだ。それがたとえ数時間の出来事だとしても、与えた全てを無かったことにして死のうとしだのだから、今にして思えば酷いことをしたと猛省せざるを得ない。

 本当に、言われた通りだ。軽薄な男である。


「そうですね。ハナコは不安なのです」


 真の解答に、ナビコは頷いた。


「記憶のない自分が、不安で不安で堪らない。あなたを失いかけたとき、ハナコはそう思ったのです。空っぽの自分が、わけもわからない内に一人取り残されることが、たまらなく怖かった……」


 だから、理由があるとすればそれしかない。


「それが、ハナコがあなたを助けた理由です。好きな人を助けたいだとか、そんなロマンチックなものではないのです。とても自分勝手で、我儘な理由でしょう?」


 一人になりたくなかった。置いて行かれるのが恐ろしかった。

 だから、勝手に死なれては困ると、真を死の縁から引き摺り上げた。

 彼を思いやる気持ちがなかったわけではない。軽薄だと怒ったのも嘘ではない。だが、その根本にあるのは、我が身可愛さくる利己的なものなのだ。


「……そうでもないさ」


 その自虐的ともとれるナビコの台詞に、真は苦笑を漏らしていた。


「ハナコだって言ってたぞ。あいつに不安を与えたのは、そもそも俺だ。俺が……あいつを見つけたからだよ。責任は俺にある」

「甘いですね。あなたが、そこまでハナコに責任を感じる必要は、本当はないのですよ?」

「いや、ハナコを成仏させてやるって言ったのは俺だ。責任は取るさ……あいつも、最後にそう言っていたじゃないか」

「……ふーん、そうですか」


 真の言葉に納得したのかしないのか、微妙な呟きを零しながら、ナビコは彼の肩からひらりと降りた。


「では、もう一度お訊ねします」


 そして、物言わぬ少女の前で振り返り、真の顔を見上げる。


「ハナコは、あなたの命を救ったことに対する後ろめたさも持っています。一人は嫌だという自分勝手な都合をあなたに押し付けて、共にあることを望んだことは、本当は悪いことなんじゃないかって」


 真は、黙って彼女の言葉を受け止め、その目を見返す。口調から無邪気さは抜け落ち、冷たく突き放し、問い詰めるかのような瞳だった。

 この少女はハナコの心の一部。その口から紡がれる言葉は、紛れもなくハナコの本心であり、彼も知らない部分なのである。


「あなたを救ったことを、少なからず後悔している。あなたの命を縛っていることを、悪いことだと心のどこかで思っているのです」


 だが、ハナコが真の命を救った時点で、二人の関係は始まってしまった。

 彼女が離れれば彼は死ぬ。

 だから、二人はもう後戻りはできやしない。

 そうした、ある種の強制的な関係を作ってしまったことが後ろめたい。


「そう……その一方で、ハナコはあなたにとても依存しています。まるで赤ん坊が親を求めるように、あなたという存在がいないと不安で仕方がないのです。何故なら、今のハナコにとって、全ての始まりはあなただから」


 勝手に命を救われて、彼に迷惑だと思われていることも分かっている。

 彼が義理を通して記憶を探す手伝いをして、成仏させてくれようとしていることも分かっている。

 それでも愚かにも、この関係に心は居心地の良さを感じている。

 それが、少年に取り憑いた少女が抱く、はじまりの想い――


「ね? うじうじと面倒臭い子でしょう?」


 ふと、寂しげな微笑みを浮かべ、ナビコは背後の物言わぬ少女を振り仰いだ。


「これ以上踏み込めば、彼女のもっと醜い感情を見ることになりますよ? 呆れちゃいますよ? 愛想が尽きるかもしれませんね?」


 まるでわざと汚いものを語るかのように、真の決意を嘲笑うかのように、大仰に手を広げて彼女は言った。


「真さん……それでも、あなたはハナコを救いに行きますか?」


 幼い瞳は挑戦的だった。こんなに自分は醜いのだと、救ってもらう資格などないのだと、ただそれを押しだして言い募っている。


「何度も言わすなよ。そんなのは、当たり前だ」


 だから、真は躊躇なく答えた。


「お前が面倒臭い奴だってことは、俺が一番よく分かってんだよ」


 呆れた顔で、笑みすら浮かべながら、彼は幼い姿のハナコの頭に軽く手を添える。


「何も難しいことじゃない。俺を救うことで、お前が救われたって話だろ。だったら、それでいいじゃねえか」

「……だから、それが自分勝手だって言ってるんです。ハナコは自分のためだけに、あなたを助けたのですよ」

「それでいいんだよ。もし、それでもお前の気が済まないのなら、言ってやる。俺は、お前を許すよ」

「え……?」

「そりゃ、取り憑かれて迷惑だと思ったことも一度や二度じゃないさ。けど、俺は救われて嬉しかったんだ」


 あのとき救われ、息を吹き返した魂は、熱を――痛みを喚起させていた。

 気が付けば、心が生きたいと喚き散らしていた。

 死にたいと思っていても、やはり自分は生きたかったのだろう。

 取り戻した視界には、蒼然と燃える空が映っていた。

 見る者によれば、なんてことない景色。

 しかし、死に損なった命で初めて見る、あの眩しさを自分は生涯忘れない。

 少女が救われたように、少年もまた救われた。

 だから、これはそれだけの話なのだ。


「お前に救われて、俺は良かったんだよ。お前は、違うのか?」


 共に過ごした日々は、そう長くはない。けれど、それは掛け替えのないもので、間違いなく『楽しい』と言えるときであったはずだ。


「そんな、ことは……」

「こっちはもう覚悟はできてんだよ。つまらないことで悩むな」


 なんだか不安で今にも泣きそうな顔をしている幼女から手を離し、真は顔を上げて物言わぬ少女を見つめる。そして、その虚像へと手を伸ばし、頬に触れた。


 不安と言うならば、真の中にだって少なからず存在する。

 ハナコは一人になることを恐れている。それは極論で言うならば、彼女の側にいるのは自分ではなくてもよいということでもある。

 出逢いが偶然であるのなら、彼女にとって必要なのは自分ではなくてもよかった。

 それを思えば、焦りに胸が掻き立てられた。

 今、ハナコは昔の記憶に押し潰されそうになっている。

 その結果、また彼自分の心を殺してしまいそうになるほどに追い詰められようとしている。

 真の脳裡に、バルコニーで見た、夏の空へと手を伸ばす、儚げな少女の姿が浮かび上がった。

 何故あのとき、目を合わせた彼女の瞳に、光が宿ったのか。


 胸に、微かな痛みが走る。

 きっとあのとき、二人は心を共有したのだ。

 心の片隅で死を望んでいた少年が道にさ迷う中、何度も死を経験しながらも――肉体を失っても生き続けている少女に出逢った。

 この出逢いが偶然でもいい。救われたこともただ流されただけ。それでも構わない。

 けれどその先は、間違いなく二人で歩いて来たはずだ。

 それを、こんな形で失わせてたまるものか。


「心配するな。二度と、お前に自分を殺させるような真似はさせない」


 真は、自分の姿を映さぬ少女の瞳に訴えかける。

 ここから先は偶然などではない。流されているわけでもない。

 今自分は、他ならぬ己の意志で、彼女の隣に立ちたいと願っているからここにいるのだ。


「道をあけろ。俺たちの過ごした時を、『なかった』ことになんかさせてたまるかよ!」


 白い空間が身を竦ませるように、僅かに震えた。その揺れに呼応するように、少女の像がゆっくりと揺れる。

 その瞳に、真は自分の姿を見た。

 少女のその口元には、うっすらと笑みを刻まれている。彼の言葉を抱くように両手を胸に添えた彼女は、光り輝く糸のように宙へとほどけていった。


「……第一関門、突破ですね。おめでとうございます」


 少女が消え去るのを、ナビコが見送る。残された幼い少女は晴れやかな笑みを浮かべ、真の健闘を称えるように手を打つ真似をしていた。


「ハナコを受け入れる、あなたの心はきっと届いたと思いますよ。それでも、まだまだでしょうがね」

「第一関門か……。次はいったい何だ?」

「始まりの次は……おっと、うっかり口を滑らすところでした。それは見てのお楽しみですかねー」


 いけないいけないと、ナビコは口を押えてちらりと真の顔を上目づかいで見て微笑んだ。


「では、行きましょうか」

「行きましょうかって……どこにだよ?」

「おや、見えませんか? よく見てくださいよ」


 そう言われ、真は消えた少女の跡に残されたものに気が付いた。

 白い空間の中に、青白い光が道標みちしるべのように直線状に浮かび上がっている。

 光の帯は、視界を遮るもののない空間の果てへと伸びていた。


「少しは心を許した、ということでしょうかね? 道を外れて迷子になるとどうなるか分かりませんから、ちゃんとついて来てくださいねー」


 ナビコは表情と言葉遣いを気楽なものへと戻し、さりげなく恐ろしいことを言いながら真に背を向けると、光の道を進み出した。置いて行かれぬよう、大人しく真も彼女の後を追う。


「そうそう、うっかりついでに一つだけ」


 と、そこで何か思い出したように振り返ったナビコが、悪戯っぽく細めた目を真へと向けた。


「ハナコが最後に見せた想いの欠片とも言うべき映像なのですが、あれは本当に、うっかり零れてしまったものなのですよ」

「どういうことだ?」


 いきなり何を言い出すのかと、真は首を傾げる。しかし、彼女はますます口を横に引き延ばし、それを隠すように口元に手を添えた。


「本当は隠しておきたかったのでしょうが、心はままなりませんよね。あなたを助けるときにハナコは、とてもとても恥ずかしい思いをしたのですよ。そこのところも、ちゃんと分かってあげてくださいねー」


 真は何か言いたげに口を開きかけたが、ナビコは朗らかな笑い声を上げてそれを無視し、再びくるりと彼に背を向けるのだった。

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