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守り人は眠らない  作者: ボノボの親戚
序章 巣立ちまで
9/18

序章(九) 食糧集め

 



「アスラ殿、私の護衛の命を救って下さったそうで。

 なんとお礼を申し上げたらよいか…」


 と、目の前の男が言った。

 男はネルガン・デービスと名乗った。

 ドーブらの雇い主であるという。

 燃えるような赤毛と、綺麗に揃えられた顎髭が特徴である。

 体躯は、すらりとしており、背が高い。

 年齢は壮年から老年程度である。


 アスラが朝の鍛錬をしている最中に、ドーブらを伴ってデービスは現れた。

 水夫らしき者らも確認できた。

 どうにも、酔い(・・)とやらが治ったらしい。

 アスラが、デービスに抱いた第一印象は、品が良いということであった。

 白を基調とした落ち着いた色合いの服は、高級そうであり、センスもいい。

 武を嗜んでいるわけではなさそうだが、研ぎ澄まされた雰囲気を纏っている。

 それは、何らかの道を研鑽し続けた者が纏う、特有の雰囲気である。

 分野はしれぬが、なんらかの道の玄人であることは間違いなさそうだ。


「うん?

 おれが何かしたかえ?」


 と、アスラは剣を収めながら返答した。

 全く身に覚えがないのである。


「ええ、ドーブらに聞きました。

 なんでも、窮地を救って下さったとのこと…」


 ああ、とアスラは思いついた。

 恐らく、黄虎(ピラ・バガ)の一件である。

 どうやら、あれを斬ったことをまだ言っているらしい。

 虎を斬ったのは、アスラが好きでやったことなのである。

 そう恩を感じることもない。


「ふうむ、あの虎のことは気にすることはないよ。

 おれが好きで狩ったのさ」


「いえいえ、こちらは大助かりですぞ。

 優秀な護衛を失う所でした。

 本当に感謝しています」


 少々大げさな物言いではあるが、


「そうか。

 では、有難く感謝の言葉を受けさせてもらうよ」


 と、アスラは包帯越しに微笑んだ。


「それと、酔い(・・)とやらはもう良いのか?

 中々に重症であるとの話だったが…」


 気になったアスラがそう質問をすると、デービスはハッとした顔になり、


「その件も感謝しております。

 水夫も、私も、護衛の一部の者らも、立ち上がれぬほどのものだったのですが、アスラ殿の作った薬膳を口にしたところ、たちどころに体調がよくなりましてな。

 今朝は、ここ一番の好調さでした」


 と、興奮気に語った。

 これまた大げさな話である。

 薬膳一つで体調がそれほど良くなる筈はない。

 専用の薬とやらを用いても治療に数日はかかるという船酔いを、気付けの意味合いの強い薬膳などで治せる筈がない。

 まあ、心当たり(・・・・)が無いわけでもないが。

 ともかく…。


「まあ、体調が良くなったのなら重畳だ」


 と、アスラは頷いた。

 続いて、


「そうそう、汁の味はどうであった?」


 と、いたずら気に質問した。

 デービスは、人のよさそうな表情をさらに緩めると、


「これが見事なまでに美味でしてな。

 食欲が失せていたのに、あっという間に完食をしてしまって…。

 素晴らしい料理の腕をお持ちですな」


 と、嬉しそうにいった。

 なるほど、口にあったようだ。

 なんだかんだといっても、薬膳は癖があるため万人受けはしないのである。

 今回は大成功のようであったが。


「くっくっく、それは良かった。

 作った方も鼻が高い」


 アスラはそれを聞いて、機嫌を良くした。

 ここで…。


「なあ、アスラさん」


 と、付き添いのドーブが声を掛けてきた。

 なんだかソワソワしているようである。


「うん?」


 と、アスラは返事をした。

 すると、


「俺と一手立ち会ってくれねえか?」


 と、ドーブが言い出した。

 ワクワクした(わらべ)のような、なんとも楽しげな声である。

 これにいち早く反応したのは、隣に居たセーレンである。


「ドーブ、今はそういう話をする時ではありませんよ」


「いやさ。

 なんか、うずうずしてきちまってよ。

 昨日はどうにか我慢したんだが、これがどうにも今日はだめそうだ」


 そんなことをいい、ドーブは溌剌(はつらつ)とした笑みを浮かべた。


 確かにそういった感はあった。

 昨晩の夕餉の語らいで、剣の話になった。

 これに興奮したのは、他ならぬドーブである。

 あれやこれやと話している内に、また黄虎(ピラ・バガ)を斬った話になり、アスラの腕は凄まじいという結論に落ち着いた。

 他の者らも、それには特に異論がないらしく、アスラの腕を褒め称えた。

 最後には、興奮しきったドーブが武人らしい顔つきになっていたのだ。


(若いというのは良いのう。

 血潮が(たぎ)るのだろう、身体が疼くのだろう)


 と、アスラは内心微笑みを浮かべた。

 (ちな)みに、昨晩の会話の中には、可愛いとか、可憐だとか、妖精(テルフェ)のようだとか、アスラの容姿に関する話もあった。

 …が、それを狂言の類だと思い込んでいるアスラは、その話題が出る度に、はっはっはと笑い飛ばしていたのは完全な余談である。


「デービスさんも、何か言ってやって下さい」


 と、セーレンが、ネルガン・デービスにいった。

 ネルガンは、蒼い目をキラキラと輝かせると、顎の髭を数回(なぶ)り、


「うむ、その立ち合い、見てみたいものですな」


 と、いった。


「デービスさん…」


 セーレンが、ネルガン・デービスを半目で睨んだ。


「いや、私も男でね。

 虎の化け物を一刀両断するほどの剣の腕をお持ちであるアスラ殿と、〈鉄剣(フェッロ・スバーダ)〉のドーブの立ち合いがあれば、見たくもなる」


「当初の予定と違うのではないですか?

 アスラさんにお礼を言って、食糧集めを手伝ってもらえるかどうか尋ねる…その筈でしたね」


 セーレンが少し冷たい声でネルガン・デービスにいった。


「ああ、その通り。

 しかし、予定は未定という(ことわざ)もある。

 こんなに面白そうなことがあるというのに、態々横槍を入れることもあるまい」


 と、当のデービスは柳に風であり、むしろ楽しげだ。

 セーレンは溜息を一つ吐いた。


「なんで、こんななのに(だい)(しょう)(にん)をやっていけるのでしょうか…」


 デービスは、けらけらと笑い、


(あきな)いでは、時として大胆に動かねばならぬことがある。

 そういった時、堅実にちまちまと金を稼ぐ者は、必ず波に乗り遅れる。

 商人に必要なのは、柔軟な発想と行動力。

 私のような適当な人間は、そういった能力に長けているのだよ」


 と、いった。

 自信が全身から溢れるようである。

 なるほど、この男は商人あきんどか、とアスラは思った。


 島では、自分の欲しいものは自分で取ってくるのが当たり前である。

 それが叶わぬ場合は、物々交換にて欲しいものを得るのが常だ。

 しかし、外の世界では違うのだという。

 長老が言っていた。

 外の世界には、(かね)という概念が存在する。

 金は、大概が金属でできており、円形に切り取られているそうだ。

 なんでも、それを物々交換の物代わりにして、自分の欲しいものを手にするらしい。

 金を手にしたものは、また別のところで金を使って物々交換をする。

 そうして、世の中が成り立っているという。

 なんとも不思議なことである。


 商人とは、金による物々交換を生活の糧としている者らのことらしい。

 詳しいことは不明だが、長老の話だと、商人は概ね利潤な生活を営んでいるとのこと。

 このネルガン・デービスという男も、確かに生活には困っていなさそうな風貌をしている。


「アスラ殿。

 自己紹介も早々に悪いのだが、私からも一つ頼む。

 ドーブと一手交えてやってくれまいか」


 と、ネルガン・デービスは軽く頭を下げた。

 アスラは、けらけらと笑うと、


「よいよ。

 丁度いま、鍛錬をしていた最中であったからな。

 ドーブ、一手交えようぞ」


 と、快く承諾した。


「おおっ、そうこなくっちゃ。

 へっへっへ、アスラさんは分かる人だぜ」


 と、ドーブが嬉しそうに笑った。

 アスラは、場所を移すかどうかドーブに尋ねた。

 アスラが鍛錬をしていた場所は、南の浜である。

 少し離れた所には、この者らの船が見える。

 ドーブは、


「いいや。

 かまわねえよ、ここで」


 と、いったので、アスラは、


「そうか、そうか…」


 と言って、自然体に構えた。




 ♢




 アスラの後ろで、編んだ黒髪が右へ左へ揺れている。

 包帯の合間から(うかが)える瞳には、楽しげな輝きが(とも)っていた。

 試合など、幾年ぶりであろうか。

 少なくとも、五年はしていないだろう。

 近頃は、する相手もいなかったし、できるような体調ではなかった。


 アスラから十歩ほど先に、ドーブが佇んでいる。

 目をつむり、集中しているらしい。

 アスラには分かった。

 ドーブの剣気が、だんだんと研ぎ澄まされていることが。


 ドーブが腰に下げている剣は、鞘の形状から見て、恐らく両刃(もろば)のものである。

 両刃の剣は、乱撃で片刃の剣に一歩劣るが、その分突進力に優れる。

 切っ先が尖っているために、アスラが愛用しているような片刃の剣には向かない「刺突」という攻撃が可能となるためだ。

 刺突は点の攻撃であり、(かわ)すのは容易い。

 しかし、受けるとなれば話が違う。

 手元まで伸びてくる一撃は、後手に回ると厄介だ。

 当たり所が悪ければ、致命傷ともなる。


 ドーブが目を開いた。

 その顔つきは、間違いなく武人のそれである。

 ドーブは、ふーっと息を吐くと、剣の柄に手を掛け、ゆるりと抜いた。


(ほほう、良い剣じゃ)


 と、アスラは思った。

 刃渡りは、およそ四十エルデ。

 太く、長い、長剣(スィス・トーレル)である。

 剣の中心には血溝が彫り込まれている。

 一体何の鉄を使ったかはしらないが、良い輝きを放つ剣だ。


「さ、始めるか」


 と、ドーブが剣を構え、猛々しい笑みを浮かべた。

 対するアスラは、


「はっはっは、気が早いな。

 おれはまだ剣も抜いておらんぞ」


 と、いって笑っている。

 意気込みはよいが、構えに力が入りすぎている。

 適度の緊張は、剣の動きに磨きをかけるが、過度のそれは毒となる。

 アスラはドーブに、力が入りすぎておる、程よくリラックスすると良い、と声を掛けた。

 ドーブはそれを聞き、もう一度深く深呼吸をした。

 そして、迷いなく剣を正眼に構えた。

 先ほどよりも格段に良くなった。

 アスラはそんなドーブを見据え、二、三度頷くと、


「さて…」


 と、いって愛剣の柄に手を掛けた。

 浅黒い手袋に包まれた手によって、剣が抜かれる。

 やはり、ゆっくりとした鞘走りの音が鳴った。

 剥き出しになった片刃の剣は、ドーブのそれとも勝るような獰猛な光を纏っている。

 アスラの剣を見たドーブは、冷や汗を垂らし、


「おうおう、なんて剣だよ…。

 そりゃあ、とんでもねえ業物だな」


 と、呟いた。


「そうか?

 お主の剣もなかなかの品と見たが…」


 アスラが下段に構えるのを見ると、ドーブは息を整え、


「じゃあ…」


 と、といった。


「ああ、試合開始といこう」


 アスラがそう返すと、


「おおっ!」


 と、ドーブが裂帛の気合を入れて飛び出した。

 十歩の間合いが、みるみる内に詰まって行く。

 (からだ)の軸がぶれていないのは、特殊な歩法のせいか。

 構えは上段、先手必勝といったところであろう。


「ふむ」


 足場の悪い砂浜で、これだけの速度が出せれば、とりあえず見習い戦士(ひよっこ)は卒業できるだろう。

 纏う気迫も悪くはない。

 アスラがそんな考察をしていると、その鼻先にドーブの剣が迫った。

 首を左にちょいとずらした。

 剣が通り過ぎる。


「うんっ」


 ドーブは袈裟懸けの剣筋を跳ね上げて、切り上げてきた。

 剣速をそれほど欠いていない。

 中々の切り返しだ。

 足の踏み込みも、下の砂浜を考えれば上々といえる。

 アスラはまた首を逸らした。

 風を裂くような勢いの剣が、アスラの包帯にまみれた顔に肉薄し、また離れていく。


 ドーブは軸足を中心に回転し、そのまま蹴りを放った。

 対するアスラは、片膝を折ってしゃがむと、こちらも独楽(こま)のように回転し、足払いを放った。

 ドーブの蹴りはアスラの頭の上を通り過ぎたが、アスラの蹴りはドーブの軸足をしっかりと捉えた。

 ドーブの脚はこれを受け、その猛烈な威力に(きびす)が浮き上がった。

 大きな砂塵が舞った。

 程なく、見事にすっ転んだドーブの首筋に、けらけらと笑うアスラが剣を突きつけていた。

 瞬く間の決着であった。


「くっくっく、お主の負けだな」


 と、アスラはからかうようにいった。


「おいおい…。

 剣すら振らせずに負けちまったよ…」


 と、半ば砂に埋まりながら、ドーブが答えた。

 尻を上にして砂に埋まるとは、中々に滑稽(こっけい)である。

 この男、笑いの才能があるに違いない。


「おおっ、あの、〈鉄剣〉のドーブをこれほどまでに圧倒するとは…。

 話には聞きましたが、これはすさまじい」


 と、少し遠くで見物していたネルガン・デービスが感嘆の声を上げた。


「圧倒はしとらんよ。

 ちと、足を払っただけさ」


「何を謙遜することもないでしょう。

 実に見事でしたぞ」


 と、こちらに歩いてきた。

 他の者らは、一部を除いて相当に驚いたらしく、呆然と砂に埋まったドーブを見ている。

 一部の者らとは、アスラの家に招かれた者らのことである。

 ともかく、このままではドーブが哀れである。


「ほれ、大丈夫か?」


 と、アスラは手を貸してやった。


「おう、ありがとよアスラさん…。

 ペッペッ、口に砂が入っちまったぜ」


 ドーブは、口の中の砂を吐き、上半身に纏わりついた砂を払いながら立ち上がった。

 アスラはもう一度けらけら笑い、剣を鞘に納めると、


「もう少し精進せよ、ドーブ。

 剣筋、(たい)さばきは悪くなかった。

 後は速度じゃ。

 基礎の鍛錬に励むとよい」


 と、ドーブに進言した。

 ドーブはこれを聞き、自分の長剣をボーっと見つめ、溜息を吐いた。

 程なく剣を鞘にしまうと、ニヤリと笑い、


「全く歯が立たねえな。

 あーあ、こりゃあたまんねえぜ。

 アスラさん本当に(つえ)えのな」


 と、いった。


「これでも六十五なのでな。

 まだまだ若い者には負けんよ」


 と、アスラは包帯の下でにこにこしている。

 ドーブはそれを受けて苦笑し、


「ったく…。

 顔はすげえ可愛いのに、どうしてそう爺臭(じじいくせ)えのか…。

 俺には分からん」


 と、いった。

 対するアスラは、


「ふふん。

 その戦術はもう効かぬぞ」


 と、胸を張った。

 そういった類の狂言には、昨日の晩耐性ができたのだ。

 今日はもう笑わない。

 ドーブはぽりぽりと頬を掻き、


「アスラさん、やっぱり天然だろ?」


 と、いった。


「なんだ?

 その天然というのは」


「あ~…。

 いや、なんでもない」


「なんだ、変なやつよ」


 と、アスラは笑った。

 ネルガン・デービスがにこにことしながら、それを見ていた。




 ♢




「ふむ、おれに狩りを手伝って欲しいとな?」


 アスラの自宅である。

 簡素な絨毯の上には、ネルガン・デービスと、ドーブ、セーレンの三人が座っていた。

 他の者は外で待機しているようである。

 三人とも、手には陶器の椀を持っており、湯気がやんわりと上がっている。

 セルウ草の茶だ。


「ええ、そうなのです」


 と、ネルガン・デービスはいった。

 アスラは茶を(すす)った。


「アスラ殿の腕を借りたいと思いましてな」


 ネルガン・デービスは、助けていただいておきながら誠に僭越(せんえつ)ですが、と前置いていった。

 ふうむ、と一つ唸り、顎を手で撫でると、


「まあ、手伝っても良いが…。

 お主らだけでも出来るのではないか?」


 と、アスラは当然の疑問をぶつけた。

 ドーブの腕を見た限りでは、そこらの獣にはやられぬであろう。

 ましてや、こ奴らの中には(まじな)い師もいれば、射手(いて)もいる。

 陣形としては、かなり完成されているといって良い。

 近接で剣士が牽制し、後衛の射手や呪い師が仕留める。

 あるいは、逆でもよい。

 そうそうやられはしないだろう。


「いえいえ、とんでもない。

 我々はこの島の勝手が全く分からないのです。

 そこで、アスラ殿にご同行願えぬかと…」


「確かに一理あるな…」


 と、アスラは顎を撫でた。

 この島は豊かな土地だが、故に危険な場所も多い。

 考えてみれば、件の黄虎(ピラ・バガ)のような例外も考えられる。

 精霊の木が枯れてから、少しおかしな行動を取るようになった獣もいる。

 それに、この者らの穏やかな性質を踏まえると、まず考えられないことだが、森を荒らす可能性も皆無ではない。

 軽い監視の意味も含めて、同行するのが最善やもしれん、とアスラは結論付けた。


「…よし、よし。

 あい分かった。

 おれもついて()くよ」


「やや、本当ですかな!

 これは助かります」


 それを聞いたデービスは、手放しで喜んだ。

 隣のドーブも、けらけら笑い、


「アスラさんがついてくりゃあ、百人力だな。

 こんな危ねえ森も、大したことねえように思えるぜ」


 と、上機嫌だ。

 一方、隣で静かに茶を啜っていたセーレンは、


「アスラさん。

 ご助力感謝いたします。

 なんとお礼をいったらよいのか…」


 と、あくまで冷静である。


「よいよい、気にするでない。

 これはおれが好きでやるのだ」


 アスラの自宅での話し合いの後、森に入る人物が選抜された。

 まずは、笑いの才能が高いと推察される、ドーブ・エットラ。

 変わった行動の目立つ射手、トッテ・インベン。

 小さい童顔の呪い師、イマイ・テート。

 これにアスラを交えた一行は、ネルガン・デービスらに見送られながら、森に入っていった。

 セーレンは、何やら準備があるらしく同行しなかった。




 ♢




 森は生命の宝庫である。

 地を這う苔。

 辺りを飛び交う虫。

 樹上を駆け回る猿。

 これら植物、昆虫、動物は、島で暮らす者に大きな恵みをもたらしてくれる。

 島民は――今となってはアスラしかいないが――今も昔も、その恵みによって日々を営んでいるといって良い。

 …しかし、勘違いしてはいけない。

 森は平等ではない。

 恵みを与えるものを選別するのだ。

 力ないものは、瞬く間に猛獣の餌になり、暗愚なものは、ずる賢い植物の養分となり地に還る。

 森は、強きものに大いなる恵みを、弱きものに大いなる恐怖を与えるのである。


「この島の森は生命力に満ちていますね」


 と、トッテがいった。

 森に入ってから、すぐのことである。

 昨晩のよそよそしい感じは抜けているようだ。

 一行は、深緑の森の中を進んでいる。

 (いま)だ、主要な獣にはあっていない。

 アスラは散歩気分だが、他の者らは違った。

 皆、辺りを鋭く警戒している。


 小さな呪い師イマイが少し震えていた。

 黄虎ピラ・バガの一件が相当後を引いているらしい。

 アスラは、そんなイマイの背中を軽く叩いてやった。

 イマイは不思議そうな顔をしたが、アスラの意図がわかると、ありがとうございます、といって微笑んだ。

 アスラも笑った。


 巨大な木の根を避けながら一行は進む。

 見上げるほどの大木に、(つた)がこれでもかと絡みついている。

 足元には、長い丈の草が鬱然と茂っており、進みづらい。

 そんな中、辺りに得もいわれぬ香りが漂ってきた。

 甘いような酸っぱいような、まるでいい表わせぬような良い香りが。


「おおっ、すげえいい匂いだな。

 こりゃあなんだ?」


 と、ドーブがいった。

 草を掻き分けながら、辺りを見回している。

 警戒することは忘れていないらしく、右手は剣のそばにある。


「この匂いか?

 これはイボレの花の香りだよ」


「イボレ?

 なんだそりゃ、果物か?」


「ああ、果物だよ」


 と、アスラは楽しげにいった。


「そりゃあいい。

 こんなにいい匂いがするんだから、味も美味(うま)いんだろ?」


 と、ドーブは嬉しそうである。

 匂いがいいから美味いとは、これまた早計だ。

 世の中、そんなにうまくないのだ。


「ああ、うまいぞ。

 甘くて、程よく酸っぱくて、得もいわれぬ味がする…」


 …らしいぞ(・・・・)、とアスラは心の中で付け足した。


「おお、いいね。

 そりゃあ、取ろう」


 と、ドーブが匂いの(みなもと)を捜し始めた。

 これだけ精気(マナ)の濃い所だから、すげえ果物に違いねえ、とぶつぶつ言ってもいる。

 実に愛嬌のあるやつである。

 アスラはからかうように笑うと、


「その木を見つけても、実っている果実は決して食ってはいかんぞ?

 ドーブや」


 と、いった。

 これに大きく反応したのは、イマイである。

 確か、果物が好物なのであったか、とアスラは微笑ましく思った。


「な、なんでですか?

 おいしそうな匂いですけど…」


 アスラは、しかり、しかり、と頷きながら、


「そう、美味(おい)しそう…。

 いや、実際に美味(うま)いのかや。

 ともかくな、イボレは食えんのだ」


 と、いう。


「えっと…」


「くっくっく、答えになっていないかえ?

 …おお、丁度よい。

 お主らの目当ての木があったぞ」


 と、アスラは右手を指さした。

 ドーブらは、そちらを一斉に見た。

 そして、絶句した。


「どうだ?

 食う気が失せたかえ?」


 と、アスラはけらけら笑った。

 一行の視線の先には木がある。

 イボレの木だ。

 が、その下には(むくろ)があった。

 獣のそれである。

 それも、一つではない。

 (とう)では足りず、二十では多い。

 中には、骨になっているものもある。

 甘い香りに混じって、獣の腐臭が漂ってきた。


「な、なんだ、ありゃあ」


「イボレの実には毒があるのさ。

 これがまた強力な毒でな。

 食べるとたちまちに動けなくなって、死んでしまうのだ」


「なるほど。

 この香りは、獲物をおびき寄せるための罠というわけですね」


 と、トッテが呟いた。


「その通り。

 それと、獣の腐臭を消すためでもある。

 この森は、鼻が優れた奴が多いからな」


 ドーブが、半目になりながら、


「おいおい、そういうのは先にいってくれよ…。

 味の話は嘘だったんだな」


 と、文句を垂れた。

 アスラは顎を撫で、


「いいや、味の件は本当だよ」


 と、答えた。


「は?」


「おれの友人があれを食ってな。

 死にかけになりながら、味の詳細を伝えてきよったのだ。

 それで知っておる」


「…そ、そうか」


「さてさて、イボレはもうよいかな…」


 と、アスラは一行を先導した。




 ♢




 ほど歩くと、激しい獣の咆哮が聞こえてきた。

 近くに獣がいるようだ。

 それも、相当に殺気立ったそれが。

 アスラを除いた三人は、より一層警戒を強めた。

 咆哮の種類は二つ。

 声の数からして、合計十はいそうだ。

 どうやら、獣どもが、集団で喧嘩をしているらしい。

 アスラには、二つの咆哮とも覚えがあった。


「なるほど…。

 これは運が良いぞ、お主ら」


 一行の目の前の木がなぎ倒された。

 倒したのは獣である。

 舞い上がった土煙の中に、捻じり曲がった牙が覗いた。

 大きな図体の影もある。

 間違いない。

 獣の片割れは、ムーボーである。


「よし、狩りをするか」


 と、アスラはいった。

 ドーブは剣を抜き、トッテは弓に矢を(つが)え、イマイは小ぶりの杖を構えた。

 土煙が次第に晴れてゆく。

 獣らの姿が顕わになった。

 まず、手前側にムーボーが五頭。

 これだけの数で固まっているとは、実に珍しい。

 一頭だけでも発見できれば、重畳(ちょうじょう)だというのに。


 そして、その奥には鳥がいる。

 森を闊歩する鳥である。

 名を足鳥(イエー)といい、鋼鉄に足跡を残せるというほどの脚力を持っている。

 体長は百エルデ、つまり一エオルデほどの怪鳥だ。

 ぎょろりとした丸い目玉が不気味である。

 くすんだ黄色い羽毛に身を包み、(だいだい)鶏冠(とさか)を頭に生やしている。

 長い脚の爪は鋭く、人間などひとたまりもない。

 気性は荒い方であり、時たま獣同士の争いをおこす。

 自分の卵を取ろうとした相手を、どこまでも追いかけて行く性質があり、子供思いな一面もある。

 基本的には群れないのだが、どういうわけか今回は七羽もいる。

 ムーボーも群れる性質はないのだが、同じく群れている。

 果たして、アスラには心当たりがあった。


(恐らく、黄虎(ピラ・バガ)であろうな)


 本来ならば島の深奥に縄張りを持つ黄虎が、森の浅い所に出没したのが原因だろう。

 あれは強い獣なので、他の獣が恐怖を感じて群れを作ったのだ。

 本能的な行動といえる。

 そして哀れなことに、その群れ同士が遭遇しあってしまい、今に至るのではないだろうか。

 なんにしても…。


(これは運が良い。

 ムーボーが五頭なぞ、滅多にあるものではないぞ)


 と、アスラは思った。


「ありゃあ、血の気が多そうだな。

 それも、合計十以上と…」


 と、ドーブがニヤリと笑いながらいった。

 イマイは、穏やかそうな表情をキッと引き締め、杖を獣らに向けている。

 トッテはすでに弓を引き絞っており、準備万端だ。

 アスラも、すらりと剣を抜いた。


「さてと…。

 トッテや、あれらに矢は当てられるか?」


「大丈夫です」


 アスラは、うむ、と頷いた。


「イマイや。

 (まじな)いで、退路を塞ぐことはできるかえ?」


「は、はい。

 大丈夫です」


 うむ、ともう一つ頷くと、


「では、おれが彼奴(きゃつ)らを狩ろう。

 ドーブは、トッテらの護衛を頼む。

 なに、念のためさ」


 と、アスラはいった。


「おうよ」


 と、ドーブから力強い返事が返ってくるのを確認し、アスラは前へ出た。

 剣を下段に構えると、まっすぐに獣らの闘争の中心に割り込んだ。

 十歩以上の距離があったのだが、アスラはそれを一歩で詰めてみせた。

 右からムーボーの牙が、左から足鳥(イエー)の爪が迫る。

 アスラは左足で地面を蹴ると、その場から直角に方向転換し、右のムーボーの頭上を転がるようにして飛び越えた。

 無論、ただで飛び越えるアスラではない。

 ムーボーの頭から血しぶきが上がった。

 飛び越える刹那せつなの間に、剣戟を放ったのだ。

 まずは一頭である。


 アスラは音もなく地面に着地すると、今度は左に飛んだ。

 その先には、足鳥(イエー)が二羽。

 突然の介入者に混乱しているのか、棒立ちである。

 剣を構えたまま空中で旋転せんてんし、右のものに一太刀(ひとたち)浴びせた。

 右にあった足鳥の頸元くびもとを、アスラの剣が通り過ぎた。

 アスラは空中でもう一回転すると、今度は左の足鳥に狙いを定め、猛烈な回し蹴りをうった。

 森に響き渡るような鈍音が鳴り、左の足鳥はあっけなくくびをへし折られた。

 そして、右にあった足鳥のくびが、大量の血潮と共に(こぼ)れ落ちる。

 これで一頭と二羽。


 一羽の足鳥(イエー)が、標的をアスラに移した。

 仲間を殺され、怒りに燃えたのである。

 足鳥は、アスラ目掛けて突進してきた。

 かなりの速度である。

 さっと剣が振られ、足鳥の長いくびが血と共に宙を舞った。

 一頭と三羽。


 様子をうかがっていたムーボーに、矢が突き刺さった。

 トッテである。

 矢は、ムーボーの眼球に深々と突き刺さっている。

 眼球に矢を刺されたムーボーは、激痛からか唸り声を上げている。

 良い腕だ、とアスラは思った。

 しかし、それでは終わらなかった。

 突き刺さった矢は、突如(とつじょ)火を放ち始め、ムーボーの頭を焼いた。

 アスラは驚いてしまった。

 トッテが撃ったのは、普通の矢ではない。

 まじないの込められた矢だ。


 驚いた隙を狙って、足鳥イエーがアスラを襲う。

 しかし、その奇襲は失敗に終わった。

 アスラが、まるで後ろに目が付いているかのように、身体を左へ逸らしたからだ。

 足鳥の鋭い爪は、アスラの右下腹部を(かす)めたが、服にすら触れられていなかった。

 アスラはすぐさまあおぎ気味に振り向き、横薙ぎの剣戟を放ち、その足鳥の(くび)ね飛ばした。

 ちらりと確認すると、トッテが放った不思議な矢は見事にムーボーを仕留めていた。

 これで、二頭と四羽。


 一頭のムーボーが逃げ出した。

 賢明な判断である。

 アスラはそれを横目で捉えると、腰に下げていた小ぶりの刃物を抜き、十分なスナップをつけて投げ放った。

 弾丸のような速度で撃ち出されたそれは、ムーボーの大きな体を容易たやすく貫通し、先にあった大木を三本ばかり貫いて停止した。

 逃げていたムーボーは転げて動かなくなった。

 三頭と四羽。


 今度は、追い詰められたからか、一頭のムーボーがドーブら三人の下へ突貫した。

 アスラよりは勝機があると思ったのであろう。

 ムーボーの突貫に立ちはだかったのは、他ならぬドーブ・エットラである。

 剣を大上段に構えている。

 あれで打ち倒すつもりだ。

 ムーボーが、ドーブの剣の間合いに入った。

 ドーブの眉間が、カッと開いた。

 転瞬、激烈の咆哮と共に長剣(スィス・トーレル)が振り下ろされた。

 森に重音が響いた。

 ドーブの剣は、ムーボーの突貫を受けきり、その体を地へと沈ませた。

 血だまりができた。

 四頭と四羽。


 残りの獣らは身の危険を感じ、すぐさま逃げようとした。

 が、突如盛り上がった土の壁がそれを阻んだ。

 イマイが、何らかの(まじな)いを使ったのだ。

 それを見逃すアスラではない。

 瞬く間に森を駆けると、逃げようとした獣らに迫った。

 白刃がひらめいた。

 哀れなムーボーが、また一頭命を落とした。


 アスラは続けざまに踏み込むと、剣を振るい、目の前のムーボーの牙を落とした。

 アスラの視線の先には、二羽の足鳥イエーがある。

 剣を投げ上げ、捻じれた二本の牙を両の手でそれぞれ引っ掴むと、腰を存分に回転させ、呆然と立ちすくむ二羽の足鳥へ、ブーメランのように投擲した。

 くるくると激しく回転したムーボーの牙は、二本とも、逃げようとした足鳥の頭に深々と突き刺さり、止まった。

 バタンと、二羽の足鳥が倒れこんだ。


 アスラは落ちて来た愛剣を手にすると、素早く身体をひるがえし、残った一羽の足鳥イエーくび目掛けて投げた。

 鋭い風切り音を振りまきながら剣は飛び、やがて足鳥を捉えた。

 いとも簡単にそれのくびを切り離した飛剣ひけんは、後ろの木へと深く突き立った。

 どさりという音がして、切り離された足鳥の頸が落ちた。

 これで、十二。

 終いである。


 船の乗組員は確か三十名くらいであったから、ムーボー五頭と足鳥七頭もあれば、十分じゅうぶんなのではないか。

 節約して食えば、十日分くらいはあると見てよい。

 あとはこれを燻製にしてしまえば完璧だ。

 そうすれば、当面の食糧となる筈である。

 来訪者らの食糧危機は、これにて概ね解決された。

 あとの細かいところは、帰り際に食える(・・・)果物などを集めればよい。


 …しかし、このように動くとはっきりと分かる。

 まだまだ、勘を取り戻しきっていない。

 どこか違和感があるのである。

 はっきりとしたものではないが、六十五年の鍛錬がそういっているのだ。

 今後も、一層の精進をせねばならない。

 ともかく…。


「ふう…。

 案外たやすく終わったのう」


 と、アスラは息を吐いた。

 辺りには血の匂いが充満している。

 計十二もの獣を狩ったのだから、必然である。

 獣どもの生首が散乱している光景は、死屍(しし)累々(るいるい)という形容がピッタリだ。

 この惨状をほぼ一人で作り出したアスラは、


「や、良い連携であった。

 ドーブも、トッテも、イマイも見事であったぞ」


 と、三人に包帯の下で微笑みかけると、木に突き立った自分の剣を回収しに歩いて行った。

 特に気取った様子も見せず、あくまでも穏やかな雰囲気である。

 当の三人は、そんなアスラを呆然と見つめ、互いに顔を合わせると、誰からともなく苦笑した。


 ――自分らは、いらなかったのではないか、と。



 






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