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守り人は眠らない  作者: ボノボの親戚
序章 巣立ちまで
7/18

序章(七) 月夜 上

今回は多少長くなったので、上下に分割しました。

そのため、文字数が少なくなっております。

 


 客人らが全員水浴びを終えると、太陽は完全に沈んでいた。

 光源がなくなった空はみるみる黒くなり、いまでは藍の色である。

 月が明るく輝いていた。

 やや欠け落ちた下弦の月である。

 月が形を変えるようになったのは、五千年ほど前だという。

 こんな御伽噺(おとぎばなし)がある。


 月には女神が住んでいた。

 女神メテルヴァである。

 夜を優しく照らす役目を持っていた。

 メテルヴァは、優しく、美しい、偉大な神だったが、一つ悩みがあった。

 太陽の神ウジャベに、住む所を莫迦にされたのだ。

 太陽神ウジャベのいますところは、光の大神殿である。

 雄大な空を照らしつくす太陽の輝きは、その神殿の頂きにある燭台に(とも)った《大いなる炎(グラムへーテン)》によるものである。

 メテルヴァの神殿は大きかったが、ウジャベの大神殿に比べれば小さかった。

 メテルヴァは悔しくなって、自分の神殿を大きくしようとした。

 …が、材料がなかった。

 そこで、月の土を削って、自分の神殿を増築した。

 完成した神殿は、ウジャベの大神殿よりも大きく、メテルヴァは満足した。

 これで、住む所を莫迦にされることはないだろう、と。


 しかし、今度はウジャベが、庭の広さを莫迦にしてきた。

 ウジャベの神殿の庭は、とても美しく、広大であった。

 一方、メテルヴァの庭ときたら、土を削り過ぎたのか、みすぼらしく、小さかった。

 メテルヴァは悔しくなって、庭を大きくしようとした。

 …が、土がたりなかった。

 そこで、神殿の壁を崩し、埋め立てて庭を作った。

 できた庭は、ウジャベのものよりも一層大きく、美しいものであった。

 メテルヴァは今度こそ満足し、ウジャベに報告しにいった。

 しかし、今度はウジャベが、住む所を莫迦にしてきた。

 壁をほとんど崩してしまった神殿は、とても小さくなってしまっていた。

 メテルヴァは、また悔しくなって、庭の土を削り…。


 …と、こんなところだという。

 女神メテルヴァが土を削ると、月が欠ける。

 女神メテルヴァが神殿を崩すと、月が満ちる。

 太陽神ウジャベは、それを笑いながら見ているらしい。

 全くもって間抜けな女神様である。

 どちらかを良くすれば、どちらかが悪くなる。

 それに気付かないのだ。

 二つは選べない。


 アスラは、今日も女神さまは月を(いじく)っているのかのう、と空を仰いだ。

 体を洗いながらのことである。

 沼の水面(みなも)に、少女の艶姿(あですがた)が映っていた。

 闇に溶け込んで消えてしまいそうな長い黒髪に、無垢な赤子のような白い肌が映える。

 胸は形よく膨らみ、腰はすらりとくびれてい、水に濡れて艶めいている。

 肉付きの良い太ももより伸びる脚も、細い鎖骨から伸びる腕も、指の一本一本まで、実にしなやかで、繊細だ。

 滴り落ちるただの水滴すらも、至極の宝石のように見えた。

 水面に波が立った。

 少女の姿が揺らいで消えた。


 アスラは水から上がった。

 客人らは、アスラが行水をする間、番をしてくれるというので、好意に甘えた。

 本来ならばいらぬところではあるが、こういうのも(たま)には良い。

 なんとなく気持がほっこりする。

 爺の感性だといえばそれまでだが、それがいいのだから、それでいい。


 相も変わらず乱雑に体を拭くが、髪だけは念入りに、丁寧に拭いた。

 膝の裏にまで達するような長髪なので、拭くのだけでも一苦労である。

 それを丁寧にやるものなので、大いに時間がかかる。

 だが、濡れたままでは敵わないので、少なくとも水滴は無くさねばならない。

 地に着けば泥がつくし、宙を舞えば(ほこり)がつく。

 それでは、身体を清めた意味がない。


 拭き終えると、近くの岩の上に畳んで置いてある服を引っ掴んだ。

 少し汗臭いような気もするが、まあ、気にしてはいけない。

 そのまま上着を着た。

 サラシは巻かないでおく。

 下に身につけるのは、下着のみである。

 行水をした後はすっきりと気持ちいいので、ズボンは履かないのだ。

 残りの服と剣を忘れずに持ち、アスラはサッパリとした良い機嫌で沼を後にした。


 沼から少し歩くと、ドーブらの姿が見えた。

 ドーブと、セーレン、トッテの三人が番をしてくれたようだ。

 残りは船の番であろう。

 そこらから集めてきたのか、焚き火をたいている。

 魔術で着火したに違いない。

 楽しげに会話をしている。

 少し耳を澄ませてみた。


「しっかし、俺達運がよかったよなあ。

 こんなに精気(マナ)が濃い所で人に会えたんだからなあ」


 と、ドーブがケタケタ笑った。


「ええ。

 それも、とてつもない達人に」


 セーレンが相槌をうった。


「そうですよね。

 あんな、怪物(かいぶつ)を一太刀ですもんね、あの人。

 僕なんか、震えちゃってどうしようもなかったですよ」


 トッテである。


「全くだぜ。

 本当にあの虎にゃあ、血の気が引いたよ。

 結構腕に自信があったんだが、俺もまだまだだな」


「例外ですよ、ドーブ。

 あれほどの圧を放てる存在が、世界に何頭もいるものですか」


「でもよ。

 何頭もいるって、アスラさんが言ってたぜ」


「それは、ここ(・・)が異常なだけです。

 こんなに精気(マナ)の濃度が高い場所なんて、私も初めてです。

 あるいは、霊峰のそれよりも勝るやもしれません…」


「ええ!?

 ほんとうですか、セーレンさん。

 確かに凄いとは思いましたけど、十字山(ウバークヒアレン)聖域(ハイリヤ)よりも凄いんですか…!?」


 トッテが大いに驚いた。

 精気という単語は、昼間に、この長身の呪い師に質問済みである。

 大地が、海が、空が生み出す、『この世界の血』ということらしい。

 ようするに、生命の源であり、豊かな地は例外なく精気で溢れてることから、〈豊穣の脈〉、〈見えざる宝物〉とも呼ばれるという。

 アスラは、目に見えないものは信じないことにしている。

 事実、〈見えざる宝物〉の名の通り、視界には一切捉えられない。

 だから、この話は、はっきりといって眉唾である。

 …しかし、ウバークヒアレンのハイリヤとはなんであろうか。


「断言はできませんが…。

 上陸した時は、並の聖域(ハイリヤ)レベルかとも思いましたが、どうも違うようです。

 森に近づいてみて、はっきりと分かりました」


「まあなあ…。

 お前の話だと、ただの着火魔術でさえも失敗・・したんだろ?

 全くもって理解不能だな、ここは」


「そうなんですよ。

 窯に火を点ける時なんか、三回も失敗・・しましたから。

 驚きましたよ」


「はっはっは。

 ()天才魔術師が聞いて呆れるな」


 やはり、トッテは(まじな)い師だったようだ。

 元、らしいが。


「いいんです。

 僕には弓があるんですから」


「まあ、兎にも角にも、ほんと運がよかったぜ。

 魔術が碌に使えない状態で森に入ってたら、どうなっていたことやら」


「ええ…。

 私も予想外でしたから」


「でも、セーレンさんは一回で出来ていたじゃないですか」


「ぎりぎりでしたよ。

 精気(マナ)があれほど扱い辛いものだとは…。

 人生初の体験です」


「流石は、()天才魔術師殿だな」


 と、ドーブが大げさに笑った。


 三人とも、喋ること喋ること。

 特に、セーレンがこれほど話すとは驚きである。

 普段はもの静かだが、話す時は話すタイプなのだろう。

 …それにしても、不明なことが多い。

 ハイリヤがどうしたとか、ウバークなんちゃらとか。

 どうにも、知識不足は否めないようだ。


「それにしても、アスラさんは不思議な人だよなあ」


 と、ドーブが話題を振った。

 アスラのことが会話の話題に上がったようだ。

 当のアスラは、ゆっくりと顎を撫でながら、なおも盗み聞きを続けている。


「そうですよね。

 まず、格好が少なからず不思議ですもんね」


「おおっ。

 ほんとに変だよな。

 第一印象が、包帯巻いた三つ編みのチビだもんな」


 それを聞いたトッテがにやにやと含み笑いをし、


「それは案外的を射ているかも…。

 三つ編みの包帯チビですか?」


「ああ、三つ編みの包帯チビだ」


 と、二人でけらけら笑っている。

 そんな会話を盗み聞ぎしていたアスラは、


 (な、なんと……)


 と、いった風に戦慄していた。

 他ならぬ『チビ』という単語にである。

 子供の頃は体格が小さく、言われ慣れていた言葉だが、外の言語を持って、あるいは、六十五にもなって言われるのでは、訳が違った。

 かつて、これほどに威力を持った悪口(あっこう)があっただろうか…。

 いいや、無い。

 がっくりとアスラは肩を落とした。

 確かに身長は小さいが、チビとやらは酷い。

 言葉の響きが実に悪い。

 もう少し老人に優しくしてくれないのだろうか。


 そこでセーレンが、アスラの心中を汲んだように、


「でも、悪い人には見えません」


 と、いった。


「お、それは俺も思った。

 人がいい朗らかな爺さん…って感じだ。

 飯も奢ってくれたし、少なくとも悪人じゃあないぜ。

 あんなに凄え剣の腕を誇らないのも、何か渋くていい感じだ」


 と、ドーブ。

 どうにも、第一印象は散々たるものであったようだが、今はそう悪くないらしい。

 アスラはちょっぴり持ち直した。

 落としてから上げるとは、憎めない奴である。


「まあ、お人よしそうですよね。

 顔は目しか見えませんでしたけど、優しそうな綺麗な目をしてました」


 まあ、目だけじゃ人は判断できませんけど、とトッテがはにかみながら続けた。

 こちらも、落として上げる戦術を取ってきた。

 目が綺麗とは、初めて言われたな、とアスラは思った。


「クレントに聞いた話だと、六十五歳らしいからな…。

 どこにでも超人爺はいるもんだ」


「デオ侯爵は確か、六十歳でしたっけ」


「デオ・エクスカリバーか?

 あれは別格だぜ。

 あんなのが何人もいたんじゃあ、たまったもんじゃねえ」


「確かに…。

 古龍(エンシェント・ドラグニル)を単騎で討伐したという武威は、間違いなく歴史に残りますからね」


 今度は、デオなる人物が話題に上がった。

 侯爵というのは、何らかの階級だと推察できる。

 なんでも、エンシェント・ドラグニルとやらを単独で討ったらしい。

 歴史に残るということは、相当な偉業なのであろう。

 デオ老人は、外の世界で一角の英傑とみた。

 そこで…。


「まあ、あれだよな…」


「そうですね…」


 ドーブとトッテがニヤリと笑った。

 アスラは何故か嫌な予感がした。

 これがまことに悪い笑み(・・・・)なのである。

 二人は息を合わせると、


「アスラさんの方がちびっこいけど」


 と、いった。

 はっはっは、と笑っている。

 愉快でならないといった(てい)だ。

 セーレンはしれーっとした目で男二人を見ている。


 (こ、こやつら…)


 どれほど身長のことを触れるのであろうか。

 もうちっこいのは分かった。

 確かに今のアスラの身長は小さい。

 目算だが、八十エルデくらいだろう。

 十三、四歳の女子(おなご)並の身長だ。

 …だが、そんなに執拗にいわなくてもいいではないか。

 こちとら、好きで身長が縮んだのではないのだ。


 …そもそも、沼は目と鼻の先であるからして、耳を澄ませば行水中でも聞こえただろう。

 番をしている最中に番をしている者の悪口を垂れるなど、一体どのような神経をしているのであろうか。

 大した度胸であるが、褒められることではない。

 トッテは誠実な印象だったのだが、以外にも悪戯小僧のようだ。

 悪乗りをするタイプであろう。


「二人とも、アスラさんに聞こえますよ。

 それに失礼です」


 セーレンがドーブらを諌めた。

 実によくできた娘である。


「いや、悪い、悪い。

 なんかさ、やっぱりアスラさん小せえなあ、と思って。

 あんなに強えのに、小人(ポッコロ)みたいな体躯だからな」


 このドーブという天真爛漫な若者は、妻子があるというのになんとも子供っぽい。

 三つ子の魂百までとはいうが、本当に子供の心を忘れぬ男である。

 そんなところが魅力なのかもしれないが、人をチビチビと揶揄するのは戴けない。

 万が一、コンプレックスのある者がいたらどうするのか。

 どうせポッコロというのも、碌な比喩ではなかろう。


「すいません。

 悪乗りが過ぎました。

 でも、小柄ですよね、アスラさん。

 声も高いし、実は結構若かったりして」


 トッテが冗談混じりにそういった。

 そりゃあ傑作だな、とドーブ。

 セーレンは何処か思案顔である。


((あなが)ち間違っておらんよ)


 と、アスラは思った。


「でも、ありえるかもな。

 クレントの話じゃ、歳を()いたら六十五歳って答えた、つうことだからな。

 本当かどうかはわからん。

 その実、包帯の下は見目麗しい少女…な~んてな」


 トッテが、それは夢がありますね、などといって笑っている。

 いった本人も、くつくつと笑っており、楽しげである。

 セーレンは相も変わらず思案顔だ。

 パチパチと燃える焚火を見つめている。


「あの包帯は日よけらしいからな。

 行水が終われば、その御顔(・・)が見れるって訳だ。

 いやあ、なんか楽しみだな」


 と、ドーブが狂言めいていった。


「それで、背中を流しに行かなかったのですか」


 セーレンがぼそりと突っ込んだ。


「おう。

 本当はもう一回突撃しようとも思ったんだが、それで思い留まってな。

 楽しみに待っておこう、ってな」


 この男、どこまでも少年のような心を持っているらしい。


「まったく…。

 恩人に対しての態度ではありませんよ。

 本来なら、あの虎が姿を現した時点で相当な被害を(こうむ)っていたのですから」


 セーレンが、溜息交じりにいった。

 それはそうなんだけどよ、とドーブはポリポリと頭を掻いた。

 トッテはくすくすと笑っている。

 果たして、それを盗み見ているアスラの顔にも微笑みが浮かんでいた。

 チビうんぬんの件は置いておくとして、仲良さげなこの若者らを見ていて元気が出たのだ。

 和気藹々(あいあい)と、まるで家族のようである。

 年齢によるものだか何だかは知れぬが、アスラはそんな暖かい関係を見るのが大好きであった。


(ああ、おれにもそんな頃があった。

 キイロ、ジネ、トーニャ、そして親父…。

 懐かしいことよ…)


 さて、いつまでも話を盗み聞くのも悪いか、とアスラは思い、藪から出た。

 話に夢中である三人にゆっくりと近づいて行くと、


「これこれ、そんなに話していて、番ができるのかえ?」


 と、言葉をかけた。

 包帯に遮られることのない声は、澄んだ清水のような透明感をもって闇夜にしみ込んだ。


「おおっ、アスラさん出たのか……い?」


「……え」


「……あえ?」


 アスラの姿を見つけたドーブらは、三者三様の反応を見せた。

 ドーブは、薪をくべる手を宙に留めたまま静止し、セーレンは目を丸くしている。

 トッテに至っては、珍妙な声を上げている。


 対するアスラは、あくまでも優しげな微笑みを浮かべている。

 先ほどの会話を聞いたおかげで、ほっこりとしているのだ。

 生命の神秘をそのまま落とし込んだような深緑の瞳が、月明かりの下できらきらと輝いていた。


「いや、お主らは実に仲がよさそうだな。

 なにより、なにより」


 とアスラは、改めて柔らかに笑った。

 包み込むような笑みであった。

 三者はより呆然とした。

 アスラとドーブらの間を、夜の涼風が通り過ぎた。

 薪の燃える音だけが、パチパチと鳴っている。

 (しば)しの沈黙の後、


妖精(テルフェ)…か?」


 と、ドーブがぽつりと零した。


「テルフェ?

 ふむ、知らんな…」


 アスラは冷静に返した。

 いつもの癖で、ほっそりとした顎に手を当てている。

 テルフェなどという単語は、聞いたこともない。

 恐らくは何らかの固有名詞であろうが、生憎と解せなかった。

 アスラが返答をした後、また沈黙が下りた。

 そしてセーレンが、二、三回瞬きをすると、


「あの、アスラさんですか?」


 と、尋ねてきた。

 焚火(たきび)の光に照らされた顔は、橙の色と驚愕の色に染まっている。

 アスラは不思議なことをくな、と思いつつも、


「そうさ。

 おれは他ならぬアスラだよ」


 と、けらけら笑いながら答えた。

 そして…。


「ええーっ!!」


 というトッテの叫び声が、闇夜を切り裂いた。




 

 7月8日 内容を微修正

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