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守り人は眠らない  作者: ボノボの親戚
序章 巣立ちまで
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序章(五) 来訪者 上

 


 八日後のことである。

 精霊の木の奇跡(・・)からは十四日たったこととなる。

 アスラは静かに日々を過ごしてした。

 旅をすると意気込んでも、色々と準備が必要だ。

 食料であったり、応急用の薬草であったり、移動手段であったり…。

 アスラは着々とそれを進めながら、静かに日々をおくっていた。



 ♢



 カランと薪が転がった。

 散らばった薪を一纏めにすると、次の丸太を石の台に乗せた。

 再び鉈が振り降ろされ、薪が散らばった。

 アスラは薪割りの最中である。

 かれこれ四半刻はこの調子だ。

 鉈が木に突っかかることはないし、下の台が傷つく様子も微塵もない。

 実に見事な(きこり)ぶりである。

 長年の経験、歳の功は伊達ではない。


 薪は生活の必需品である。

 火を扱うのならば、燃料がなければならない。

 枯れ枝を拾い集めてきても良いが、そのつどやっていては面倒である。

 蔵の薪が少なくなって来たので、アスラはこうして薪割りに時間を割いているという訳である。

 永久に燃え続ける燃料があれば楽なのだが、あいにく薪は消耗品なのでそうはいかないのだ。


 しかしながら、この薪というやつは厄介である。

 存分に乾燥させなければ良く燃えないのが薪というものであり、新しく斬り倒してきたものなど全くもって火が()かない。

 使用するためには、蔵で幾ばくか乾燥させなければならないのだ。

 果たして、そこが大いに問題なのである。

 この島は晴天も多いが、それと同じくらいに嵐も多い。

 嵐三日に晴れ三日などという天気にまつわる(ことわざ)が存在するほど天候が変わりやすいのだ。

 当然、湿気が少ない方が薪の乾燥期間は少なくて済むが、この島ではそうはいかない。

 晴天の間隙を縫って、嵐やら大凪やらが吹くのだ。

 仕様のないことだと割り切るしかないが、何とも煩わしい。


 (近頃のような晴天が長く続けばよいがな…)


 そんなことを考えながら、最後の丸太を細かく裁断してアスラは鉈を置いた。

 辺りは薪で埋め尽くされている。

 薪を貯蔵しておく蔵は目の前である。

 アスラは(おもむろ)に薪を掴むと、軽いスナップをつけて蔵へと投げ込んだ。

 カラン、という衝撃音が聞こえ、薪は見事に蔵の中へ入った。

 続いて薪を投げる。

 カラン、カラン。

 また投げる。

 カラン、カラン、カラン。

 その後も、ぽいぽいと薪を放っていき、程なく最後の一本を投擲し、薪割りは終了した。


 アスラは、うーむ、と大きな伸びをきめて腰に手を当てた。

 薪割りを終えると、えもいわれぬ達成感がある。

 面倒な作業だが、この一時のためにやっていると思えば、そう悪いものでもない。

 

 アスラはどっこらしょ、と立ち上がると、集落を出て西へと向かった。

 昼間はやるべきことが多いのだ。


 天候が変わりやすいとはいったものの、今日は晴天である。

 頭上には憎々しいほどに青い空が広がっている。

 最近は晴れが多い。

 昨日はどうにも天候が崩れたかとも思ったが、海が多少荒れるに留まった。

 沖の方では嵐だったかもしれないが、島は一貫して蒼穹に包まれていた。

 今日も今日とて、海風は相も変わらず穏やかであり、陽光もいつも通りの眩しさである。


 アスラは南西の入り江へと向かっていた。

 何故かと云えば、そこには船があるのだ。

 もっとも、乗れそうもないような残骸ではあるが。

 旅に出るため、アスラは善は急げと、廃船の修繕(しゅうぜん)を始めたのである。


 地面を蹴って目的地へと駆ける。

 わずか一歩の踏み込みで、風を纏うように加速する。

 耳にひゅるひゅるという音が鳴って、編んだ髪の毛が躍り出す。

 目まぐるしく景色が変化し、程なく視界に青が広がった。

 アスラは足を止めた。

 入り江へと到着したのだ。


 南西の入り江である。

 内側に窪んだ陸地に、海の青が映えて美しい。

 アスラの好きな場所の一つである。

 子供の頃は妻や悪友らとよく遊びに来たものだ。


 下の岩場には数隻の船が見受けられる。

 件の廃船らである。

 賊たちの乗ってきたものだ。

 (いず)れも随分痛んでおり、まともに使えそうなものなどなさそうである。

 アスラが最近こつこつと修理をしているのは、その中で一番小ぶりの船であった。


 アスラは岩場を下りて、船の近くに寄った。

 恐らく定員数十名程の小型の船である。

 見事な廃船ぶりだが、これでもマシなほうなのだ。

 外観はボロボロでひどい有様なのだが、中身はそれほど腐食していなかった。

 帆を掲げるマストは折れており、直すのに手間取った。

 船底の水漏れもあったが、それも同じく直した。

 もっとも、詳しい船の修繕の仕方など知る筈はないので、全てが木板を使ったものであるが。 


 その他に目立つのは、甲板の穴や傷みである。

 一応直しておいた方がいいように思える。

 帆の張り替えもしなければならない。

 今張ってある帆は穴だらけで、風を受けることは到底できなそうである。


(甲板の修理はまだいいが、帆の修理は時間がかかるぞ。

 もっとも、この小さな船は腐食が少なくて助かったのは事実だ。

 他のものなど、かろうじて海に浮いているに過ぎぬものだったからな)


 船の修理を始めてから七日程だが、中々良い速度で進んでいる。

 この調子で行けば、そう遠くない時期に船は直るだろう。

 そうすればこの思い出の島を出て、旅に出られるという訳だ。


 アスラは船に乗っかると、早速修繕を始めた。

 道具一式は船の中に置いておいたのだ。

 修理に使っている木板は、その辺に流れ着いたものや、他の船の腐食していない部分をつかっている。

 問題は釘だ。

 釘は今あるもので全てであるが、もう百本もない。

 船底の修理に随分使ってしまったのだ。

 近々、鉄を打って拵える必要がありそうである。


 今日は甲板の修理だ。

 トントンと木板を打ち、ときには傷んだ甲板を引きはがしながら作業を進める。

 揺れる船と金槌が別々のリズムを刻む。

 時に重なり、時に乖離し、時間だけが過ぎる。

 波の音と潮の薫がアスラの聴覚をしめる。

 ときおり海鳥の囀りが響いて、波と金槌の二重奏に華をそえる。

 海風が湿り気のある空気を運んでくる。

 清涼感のある風に押されるように、ただ金槌を振るい続ける。


 そのまま暫く作業を続けると、太陽が真上へと昇った。

 昼時だ。

 アスラは今打っている釘を最後にして作業を止めた。

 太陽を見上げると、ギラリと光に睨み返された。

 今日も陽光は眩しい。


(飯にするか)


 アスラは金槌や釘を片すと、船から降りた。



 ♢



 昼餉を終えたアスラは日向ぼっこの最中である。

 僅かに草の生えた岩場に横になっている。

 肌は弱くなったとはいえ、好きなものは好きなもので、これはアスラの日課である。

 顔には包帯を巻いているし、手袋も付けている。

 日焼けは怖くないのだ。


 昼飯は(きのこ)だった。

 森に入れば沢山の茸が生えている。

 中には恐ろしい毒を持つものもあるが、外見を知っていれば問題ない。

 茸は焼いて食うのが一番だというのがアスラの持論だ。

 茸を火で炙って、それに軽く塩を振ると何とも格別だ。

 種類にもよるが、茸は薫りが良く味も良い。

 濃厚な口当たりは、肉に勝るとも劣らない。


「ふうむ…」


 風は穏やかにそよぎ、疎らに生えている草がそよそよと揺らぐ。

 透けるような空には一点の濁りすらない。

 心地良い眠気が寄せてきて、(まぶた)が重みを増す。

 このまま昼寝をするのも悪くないか、とアスラは思った。


 そうして寝返りをうつと、寝ぼけ(まなこ)に海が映った。

 そのままぼうっと眺めていると、青の色の中にぼんやりと黒いものが浮かび上がる。

 髪の毛かとも思ったが、違う。

 水平線の彼方であろうか。

 本当に薄らとであるが、確かに何かがある。


 (なんだ…?)


 アスラは身体を起こして海を望んだ。

 眠気が一気に抜けた。

 アスラは目を凝らした。

 薄らと見えるその姿。

 あれは――。


「船だ」


 間違いない。

 船である。


 アスラは両の眼を大きく開いた。

 もう一度目を凝らして、水平線を睨む。

 帆の形がクッキリと見える。

 やはり船だ。

 

(船だと…?)


 アスラは右手で顎を(なぶ)った。

 包帯のざらついた感触を、手袋越しの(てのひら)がうけた。


 船といえば真っ先に思いつくのは賊どもだ。

 あの(ごう)(がん)不遜(ふそん)な不届き者らが、戻って来たとでも言うのか。


 (何故だ、もう随分前に奴らは姿を消した筈だ。

 いや、この島に向かっているかどうかも分からぬ。

 もうしばし待つか)


 アスラは剣を佩びて背を真っ直ぐに張った。

 顔の包帯の間から覗く表情は厳しい。

 これは当然の反応である。

 船には本当に(ろく)な思い出がない。

 まともな奴らなど、最初の船乗り位だった。

 後は酷いものだ。


 「船乗りは賊である」という発言が過去にあったことをアスラは記憶している。

 偏見に満ち満ちた意見ではあるが、ある種的を射ているといえる。

 島での船乗りのイメージとは、船を着けるや否や、帝国だなんだと威張り散らし「お前らの島を寄越せ」と喚く者らである。

 …まあ、賊でよいだろう。

 逆に、賊ではなかったらなんなのか。

 断る意を伝えると、いつも決まっていくさになる。

 何もかも、力でどうにかなると思っているのだ。


 何故島を襲う、と何度も()いた。

 が、答えは返ってきた(ためし)がなかった。

 答えるつもりがないのだ。

 彼奴(きゃつ)らは、戦の度に相当な被害を被っていた。

 どの戦も、島側の圧倒的勝利で終わったからだ。

 それでも賊どもは執拗に島を襲い続けた。

 賊どもが完全に姿を消した今、何が目的だったのかは今となっては分からない。

 だが…。


 (碌でもないのは確かであろう。

 いたずらに武力で訴え続けた何か(・・)なのだ。

 (ある)いは、おれの身に起きた奇跡がそれに関しているかもしれん。

 しかし、分からぬ。

 おれには学がない。

 この島を出たら、そのことも調べたいところではあるな)


 何も、船乗りが全て下種の類だとは思ってはいないが、印象は良くないのも確かである。

 息子を含めて、幾人か島民も討たれているのだ。

 人の命とはやはり重い。


 遥か先に見えた船は、大分近づいて来た気がする。

 やはり、この島を目指しているのだ。

 もう間違いはないだろう。

 あの船の針路はここだ。

 この島だ。


 (賊か何かは知れぬが、おれの目の青い内は好きにはさせぬ。

 この島に居るならば、おれは似非(えせ)でも守人だ)


 アスラは鋭く海を睨むと、海岸へ急いだ。

 この島に上陸するのなら、南の海岸だ。

 南の海岸は恐らく最も船を着けやすい。

 島に来た賊どもも、大半はそこからやって来た。


 海岸に着くと、近くの茂みに入って自然体に構えた。

 何時でも剣を抜けるようにする。

 ここ最近の鍛錬で大分勘を取り戻した。

 小さな身体や、揺れる乳にも幾らか慣れてきた。

 状態は万全だ。

 千の数で攻められてもこの島を守り抜ける自信がある。

 幸い船の数は一隻。

 追い返すのは容易だ。

 悪辣極まりない者らであったなら、斬り捨てればよい。


 (さて、何が飛び出すかな)


 船は既に沖の近くまで迫っている。

 海風がアスラの三つ編みを揺らす。

 依然として、垣間見えるアスラの表情は険しい。

 が、その佇まいは自然体そのものだ。

 全く緊張していない。

 風に揺らぐ花を思わせる穏やかさである。


 (しばら)くして船が座礁した。

 砂が擦れる音が鳴る。

 錨が下ろされた。

 大きな船だ。

 旗は掲げていない。

 全体的に白っぽい造りで、所々に彫刻が施してある。

 中々に趣があるな、とアスラは思った。


(ふむ、感じが違うな)


 違うというのは船の印象である。

 賊どもの船は、決まって黒であった。

 それに、紅蓮の旗を高々と掲げていた。

 実に威圧的で、不穏な印象を抱く船に乗ってくるのだ。

 しかし、この白っぽい船ときたら、むしろ対極といえる。

 無骨で凶悪な感はなく、えもいわれぬ風情がある。

 どことなく上品なのだ。


 船上には人の影が確認出来る。

 気配を探ってみると、ざっと十名はいそうだ。

 船の甲板の上でしきりに何かを叫んでいる。

 聞き覚えのある言葉だ。

 外の言語のようである。


 船から縄が下ろされ、それを伝って人が降りてきた。

 がっしりとした体格に、短い金の髪を生やした若い男だ。

 身に纏う服は簡素なものだが何処となく高級そうだ。

 腰には剣を佩びており、中々できる(・・・)とみえる。


 その男を皮きりにして、次々に人が降りて来る。

 全体的に男が多いが、女も混じっている。

 格好はやはり軽装で、動きやすそうである。

 合計六人が降りて来た。

 船の上や内部にはまだ人がいる。

 全てが島に降り立った訳ではなさそうだ。

 恐らくは偵察といったところであろう。


(ううむ。

 ますます賊らしくないぞ。

 彼奴らならば、全員で降りてきて威嚇してきても良いものだが…)


 降りてきた者らは、何ごとかを話し合っている。

 若そうな者が多い。

 表情は明るいが、どことなく緊張の色も見える。

 あれやこれやと話し合う姿は、下卑(げひ)た雰囲気を欠片も感じない。

 少なくとも、アスラの良く知る賊どもではなさそうである。

 とりあえずは安心であろうか。


(そうなると、こ奴らは何者か。

 新手の賊でないことを祈るが…)


 と、アスラは茂みから姿を現した。

 隠れていても仕方がないのだ。

 あちらに接触をしなければ、此方はどうすることもできないのである。

 持て成すにしても、追い払うにしても、だ。


 金髪の若者がアスラに気付いた。

 先陣をきって降りてきた、剣士風の男である。

 驚いたような表情だ。

 人がいたことによる驚愕であろうか。

 それともその他の要因によるものであろうか。


「誰かいたぞ、おい」


 と、その金髪がいった。

 話し合っていた者らが一斉にアスラの方を向いた。

 中々に面白い光景だ。

 顔にはやはり、驚嘆の色が見えた。

 金髪の言動からすると、人がいたことに驚いているようだ。


 アスラは来訪者らを一瞥した。

 剣を佩びているものが三人。

 杖を携えているものが二人。

 弓を背中に挿しているものが一人。

 驚きつつも警戒を忘れていない。

 どうにもひよっこではなさそうだ。


 杖を持っているのは(いず)れも女である。

 (まじな)い師の類だな、とアスラは思った。

 手に持つ杖は、相手を打擲ちょうちゃくする為のものではなく、呪いの道具なのだ。

 賊どものそれを何度も見てきた。

 あの杖を振りかざすと、何処からともなく火や水が出現するのだ。

 中には、凄絶(せいぜつ)な術を扱う者もいたので、十分に注意をする必要がある。


 びしびしとアスラに視線が突き刺さる。

 相当に凝視されている。

 呪い師風の女など、目がまん丸である。

 珍獣でも見つけたとばかりだ。

 アスラは、とりあえず挨拶をすることにした。


「や、いい天気だな」


 アスラは良く通る声でいった。

 大きな声ではなかったし、包帯で多少くぐもっていたが、そよ風のような穏やかな声質だ。

 来訪者らは驚愕の色をより一層強くした。

 今度は喋ったことに驚いているのだろうか。


「お、おう。

 いい天気だな」


 と、金髪の男である。

 なるほど、言葉は通じるようだ。

 外の言葉を使うのは実に五年ぶりであったので、通じるかどうか心配であったが、一先ず問題ないようである。

 良く考えてみれば、人と会話をするのも二年ぶりのことだ。

 島に人がいなくなってからはアスラ一人で暮らしていたので、会話の相手がいなかったのだ。


「今日は海風が心地良いと思わんか。

 涼しくて、なんともすごしやすい」


「そうか?

 結構暑いと思うが」


「なに、これでも涼しいほうなのさ。

 本当に暑い日など、火の中にいるようだぞ」


「そんなにか。

 じゃあ、今日はいい日だな」


「そう。

 今日はよい日なのさ」


 何故か金髪との会話が続いた。

 金髪が律儀に言葉を返してくるのだ。

 そんな他愛もない会話で、アスラは地味に感動していた。

 言葉が返って来るのが嬉しいのである。

 久々にする会話の破壊力は絶大であったようだ。


(これぞ会話よ。

 一人では絶対にできん。

 なんと素晴らしいものか)


 二年も一人で暮らしていると、感性がおかしくなるらしい。

 言葉が返ってくる度に、ジーンとくるものがあった。

 アスラにとってはそれほどのことであったのである。

 この感覚は、孤独を味わった者しか分からないものといえる。

 話したくとも相手が誰もいない辛さは、言葉で言い表せない何かがある。

 心に、ぽっかりと穴が開いたような虚しさがあるのだ。

 平たくいえば、途轍(とてつ)もなく淋しかったのである。


「ドーブ、世間話をしている場合ではないですよ」


 と、女が言った。

 長い杖を持った、栗毛の女だ。

 けっこうな長身で、切れ長の目をしている。

 長い杖を両手でしっかりと握っている。

 警戒十分といった感じだ。


「おお、そうだな」


 ドーブと呼ばれた金髪の男は、ばりばりと頭を掻いた。

 人懐っこい笑みだ。

 表裏のなさそうな男である。

 そういった人種は嫌いではない。


 アスラはしみじみとした気分を鼓舞した。

 爺が一人で感動している場合ではない。

 この者らと情報交換をしなければ。


「自己紹介をしたほうが良いかな。

 おれはアスラ・カルナという。

 この島に住んでいる爺さ」


 と、アスラは簡易的な自己紹介をした。

 すると、一瞬、来訪者らが胡散臭いものを見る目をした。

 ほんの刹那のことであったので、アスラは気のせいかや、と思うことにした。


「おお、そちらから悪いな。

 俺はドーブ・エットラ。

 用心棒をしている」


 金髪の若者が自己紹介を返してきた。

 なんとも実直そうな男である。

 なめし皮を張ったような浅黒い肌に、鼻筋の整った精悍な顔立ちである。

 少々無精髭が目立つが、きらきらとした青い目がそのうっとうしさを打ち消している。

 重ねていうが、できそう(・・・・)である。

 体躯は存分だし、筋骨も隆々としている。

 それだけでなく、足運びが流麗であった。

 何らかの歩方を習熟しているのは間違いない。


 続けて、長い杖の女が口を開いた。


「私はセーレン・ヘストリングスといいます。

 同じく用心棒をさせてもらっています」


 凛とした声である。

 声の質に実に良く合う、ピリッとした華のある容姿だ。

 鮮やかな栗毛を肩の辺りで切りそろえている。

 線は細そうだが、しなやかな筋肉がついている。

 年はかなり若そうである。

 見た感じでは、二十代前半といったところであろうか。


 その後も自己紹介が続いた。

 ここにある者らは、みな用心棒だという。

 なんでも、船の護衛をしていたらしい。

 そういう仕事があるそうだ。

 やはりというか、金髪のドーブと長杖のセーレンは護衛達のリーダーのような存在らしい。

 腕も相当に立つのだとか。


 アスラは島を訪ねた理由を()いた。

 すると、


「食糧の調達だ」


 という答えが返ってきた。

 なんでも、思ったよりも航海が長引いて、食糧が底をつきそうになっていたらしい。

 釣りなどをして誤魔化していたが、限界が近く、飢餓の恐怖が目前に迫っていたという。

 そんな中この島を偶然に見つけて立ち寄った、とのこと。

 明瞭な回答であった。

 嘘を言っているようにはみえない。

 会話の途中で分からない単語もあったが、そこは割愛した。

 重要そうではなかったからである。

 いずれにしても…。


 (船旅というのは、思った以上に大変そうだな)


 と、アスラは思った。


 その後も、そつない情報交換をしていると、アスラの背後の茂みが揺れた。

 アスラを含め、その場にいる者が皆、茂みに目を向けた。

 アスラの居る位置から、おおよそ十歩ほどの距離である。

 ぐるぐるという低い(うな)り声が浜に響いた。

 アスラは、その獣の気配を感じ取り、眉を釣り上げた。

 来訪者らは凍りついた。


 まず始めに現れたのは、足である。

 黄金(こがね)、琥珀、真鍮(しんちゅう)

 それらを混ぜ合わせたような、艶やかな色合いを見せる毛皮が目につく。

 当然の如く、その美毛(びもう)が生え揃う前足は、太陽の光を受け、煌々(こうこう)と輝いている。

 ぬらりと、頭が出てきた。

 同じく、金色とも飴色ともつかぬ、美しい体毛が生え揃っている。

 獰猛さと知性を併せ持った緋色の瞳に、堂々たる威風を纏った顔立ちは、一介の獣でありながら、王者の風格を匂わせる。

 口内に生え揃った白牙(はくが)は、ぎらぎらと険呑な光を宿している。

 琥珀色の巨大な体躯の中に、雷が轟くかのように幾筋もの黒い線が走っている。

 獣らしい筋肉に覆われた骨格は、神々しくもあり、禍々しくもある。

 

 これ(・・)が森から出てくるのは珍しいことだ。

 本来の縄張りはこの島の深奥であり、滅多に外へ出ることはないのだ。


 ――黄虎(ピラ・バガ)


 この島の生態系の頂点に位置している生物の一角。

 風のように森を駆け、雷鳴の如き咆哮を飛ばし、大地を揺らすような一撃を放つ。

 これにやられた新米戦士は数知れず。

 森でこれの群れにあったのなら、死を覚悟したほうが良い。

 また、非常に鋭敏な感覚を持った生物であり、特に嗅覚の異常さは測り知れぬものがある。

 餌の匂いを感じたら、疾風のように現れるのだ。

 今回の登場も、何かを嗅ぎつけて森から出てきたのであろう。

 餌が沢山やってきたとでも思ったのだろうか。


 黄虎(ピラ・バガ)の登場によって、浜は異様な空気に包まれていた。

 辺りに満ち満ちているのは、圧倒的な存在感である。

 ほかならぬ黄虎(ピラ・バガ)の放っているものだ。

 獣の王たるに、(いささ)かの遜色もない威風といえる。

 果たして、その重圧の中にあって、アスラただ一人だけが涼しい顔をしていた。


「なんだ、こいつは……!」


 と、来訪者の一人がいった。

 声が、情けなく裏返っている。

 程もなく、来訪者らが震えだした。

 顔からは血の気が抜けている。

 黄虎を見て怯えているようだ。


 (肝っ玉が小さいね、どうも。

 しかし、この(バガ)は気が立っておる…)


 黄虎は、どう猛だが、同時に高潔な獣である。

 己のテリトリー外での狩猟を嫌うのだ。

 好奇心につられてこんなところまでくる辺り、まだ若い個体とみえる。

 老虎は、こんな大外まで獲物を追ってはこないのだ。

 若い黄虎は、大したことはない。

 所詮、いきがいいだけである。


「こりゃあ、やばいな…」


 金髪のドーブが冷や汗をかきながらいった。

 よく見ると、手が僅かに震えている。

 表情も優れていない。

 完全に気圧されているようだ。

 とはいえ、格好は悪くなく、剣はさやにしまって、いちおうの自然体を維持している。

 黄虎を刺激しないようにしているのだ。


 セーレンの方を見てみると、長杖を真っ直ぐに黄虎(ピラ・バガ)へと向けている。

 しかしながら、身体ががたがたと震えており、顔が真っ青である。

 こちらもまた、気力を振り絞ってやっと立っているような具合だ。

 この娘も、呪い師であれば、強力な呪いを持つはずであると、アスラは思う。

 臨戦態勢とはとてもいえず、やはり青さというか、若さが滲んでいる。


 ともかく、このままだと話し合いもできない。

 黄虎には退場を願うとする。

 アスラは黄虎に話しかけた。


(バガ)よ、森へ帰ってくれんか。

 今は取り込んでいてな」


 黄虎はグルグルと此方を威嚇するのみである。

 やはり、機嫌が悪そうである。

 普通であれば、力の差(・・・)が分からぬ獣ではない。

 ここで退かねば手酷くやられるのは予想がついている筈だ。

 これは聡明な獣である。


「あ、あんた何やってんだ。

 刺激するとやられるぞ」


 ドーブである。

 剣の柄に手を掛けてはいるものの、震えた手では碌に振れまい。

 そもそも、最低限度の剣をつかう姿勢は維持しているが、そんなへっぴり腰ではろくに剣は振れない。

 剣を志す者ならば、足と腰の重要性は痛く理解していて然りだ。

 踏み込みの十分でない剣など、宙を舞う羽に等しい。

 打ち合えば、間違いなく弾かれる。

 平俗な獣ならまだしも、相手は黄虎である。

 生温(なまぬる)い剣戟では、堅牢無比な身体を持つ黄虎を討つことはできない。


 アスラとて、挑発をするつもりはない。

 …ただ、特に退くつもりもない。

 剣があるし、健常な四肢がある。

 黄虎が森へ帰ればそれでよし。

 こちらを襲うならば、それもいいだろう。

 それは、黄虎(ピラ・バガ)が決めることだ。 


「もう一度言うぞ、虎よ。

 森へ帰ると良い」


 と、アスラが言った転瞬であった。

 黄虎が消えた。

 もと居た背後には特大の砂塵があがっている。

 一瞬遅れて轟音が鳴った。

 此方へ飛びかかってきたのだ。

 電光石火の速力である。

 そのあまりの速度に、風がきりきりと音を立て、世界が悲鳴を上げた。

 ほんの一瞬、獰猛な爪が瞬いた。

 研ぎ澄まされたそれの餌食になれば、怪我をするでは済まない。

 ばらばらの肉片にされてしまうことは、予想に難くない。

 来訪者らは、指の一本たりとも動かすことが叶わなかった。

 黄虎(ピラ・バガ)の方とて、獲物を仕留めたと確信したに違いない。


 …しかし。


 黄虎(ピラ・バガ)だけが動く世界に、何者かが侵入してきた。

 須臾しゅゆ(とき)の中で、その者と黄虎だけが自由であった。

 だが、一枚も二枚も上手であったのは、後から動き出した矮躯(わいく)の持ち主である。

 翡翠のような深緑の瞳が、黄虎(ピラ・バガ)を真っ直ぐに捉えていた。

 その者は、黄虎のスピードを要ってしても捉えられないであろう速度で剣を抜き放ち、雷光の(ひらめ)きの如き横薙ぎを放った。

 血の飛沫が咲いた。

 その者――アスラは宙を舞う虎の(くび)を目で追いながら、神速の剣をピタリと静止させた。


「え…」


 といったのは誰であろうか。

 虎の(かぶり)がドスンと落ちた。

 続いて胴体も地面に転がった。

 首の断面からは、とめどなく血が流れている。

 アスラが剣を薙いで鞘に納める音だけが辺りを支配していた。


(その選択は、悪手だったな)


 ふ、とアスラは小さく鼻を鳴らした。

 艶のある三つ編みが、風になぶられて揺れている。

 ふとドーブを見ると、呆然としている。

 いや、唖然の方が正しいのだろうか。

 剣を中途半端に抜いた態勢で止まっているのである。

 そこまで抜けたのなら全て出してしまえばよい。

 変な奴よ、とアスラ思った。


 セーレンの様子を窺ってみると、こちらは身構えたまま静止していた。

 切れ長の目を、これでもかと(みは)っている。

 器用なものであるが、ここで披露する必要性は皆無である。

 他の四人に目を向けてみれば、同じく固まっている。

 珍妙な光景である。


「さて、お前さんら。

 立ち話も難であろうから、家へ案内するぞ。

 腹が減っていたら、丁度いい。

 肉もあるしな」


 と、アスラは、黄虎の胴体を軽々と持ち上げながらいった。

 その場にいた全員が、ぼーっとアスラを見つめていた。

 だがやがてハッとなると、目をパチクリとしながら、


「き、斬ったのか」


 とか、


「何をしたんだ、全く見えなかった…」


 とか、


「呪いだ…。

 きっと、呪いだぞ。

 第一、あんな一瞬のうちに…」


 などと、(わめ)いている。

 しかし、喜んでいることだけは間違いがなさそうだ。

 中には、抱き合っている者らの姿もある。

 危機を脱したというような心情なのだろうか。

 だとすれば、鼻が高いような気もする。

 アスラは、ふふん、と心中で、こっそりと笑った。


「それで、どうするかえ?

 肉もあることだし、寄って行ったらどうだ?」


 アスラは再度尋ねた。

 懸念があるとすれば、虎の肉である。

 当然食肉にするつもりだが、場合によれば、肉を摂食できない人種もあるのだ。

 菜食主義というやつであろうか。

 以前、島にやってきた遭難者の中にもそんな輩があった。

 駄目であったら森に返すしかないが、それはもったいない。

 これの肉は、捕食動物にしては美味である。

 あるいは、燻製にすればいいかもしれないな、とアスラは思った。

 虎の肉は筋肉が多く堅いので、本来燻すのに向いていないのだが、我慢できないこともあるまい。

 良く噛めばそのうち柔くなる。


「あ、ああ。

 お邪魔させてもらうよ。

 腹が減っててな」


 と、ドーブが返した。

 少々声が裏返っていたが、意外にも乗り気のようである。

 食欲に屈したのだろうか。

 険しかった表情も、すっかり元通りになっている。

 忙しい若者である。


 アスラは、そうか、そうか、とけたけた笑った。

 お主らもそれでよいのかな、と他の来訪者らに尋ねると、肯定の意が返ってきた。

 こちらを見る目が、随分と改まったのが印象的だ。

 ともかく、先ほどまでの恐慌状態は概ね脱したようである。

 浜には穏やかな風が吹きつけていた。


「残りの船の者らはどうするのかえ?

 まだ、幾らか乗っているのであろう?」


 じっと此方を見てくる長杖のセーレンに声をかける。


「え?

 そ、そうですね。

 どうしますか、ドーブ」


「うーむ。

 大半の奴らが大分酔って(・・・)いるんだよなぁ。

 もうしばらく休ませた方が無難じゃないか」


「そうですね。

 ただでさえ酔って(・・・)いるのに、ここへ上がってきたら倒れてしまうかもしれませんし…」


 内容の良く分からない会話である。

 酔っているというのは、かの船酔いのことであろうか。

 なんでも、揺れる船の上では平衡感覚が狂い、気分が悪くなってしまうのだとか。

 重度になると、立ち上がれないような状態になることもあるという。

 (いづ)れも最初の船乗り達がいっていたことである。

 今の話を聞く限り、随行の者らは中々に重症のようだ。

 それも、大半が酔っているらしい。

 船乗りが向いていないのではないか、とアスラは思ったが、口には出さなかった。


「して、どうするのだ?」


「ああ。

 とりあえず俺達だけで行かせてもらうよ。

 他の奴らは動けるような状態じゃなくてな」


「ええ、歓迎に感謝します」


 やはりというか、酔っている者らは招かないらしい。

 それほどに辛いのであろうか、船酔いというものは。

 …まあ、よいというのだから、よいのだろう。

 こちらが強制するようなことではない。


「うむ、そうか。

 では、船をここらの木に繋いでおくとよい。

 この島は天候が変わりやすいので、いつ嵐になるともしれぬ。

 船が波に攫われたら敵わんだろう」


 来訪者らは頷いた。

 アスラは、そうそう、ともう一つ付け足した。


「この虎の血を辺りに撒いておくれ。

 森の獣らは、まず近寄ってこなくなる筈よ。

 黄虎(ピラ・バガ)も含めて、な。

 そうした方が、船も安全であろう?」




 

3月23日 以外⇒意外 修正致しました。

3月26日 指摘のあった文章を修正しました。

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