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守り人は眠らない  作者: ボノボの親戚
第一章 最初の街
13/18

一章(幕間) 紅の浜

 凄惨な描写が多くなっております。

 本編とはやや風向きが違う内容となっておりますので、ご注意を。

 





 風が吹いていた。

 むせかえるような血の香りと、何かが焼け爛れるような異臭をはらんだ腥風(せいふう)が。

 そこは、この世の地獄(・・・・・・)であった。

 夕陽に薄らと照らされた浜辺に、幾千(いくせん)、あるいは(いく)(まん)にも(わた)ろうかという屍が落ち転がっている。

 脳漿(のうしょう)をまき散らしたもの、首が見当たらないもの、胴体を抉り取られたもの、ばらばらの肉片になったもの…。

 いずれも息は無く、壮絶な形相を浮かべたものばかりである。

 骸が流す血潮によってか、あるいは沈みゆく()の光によってか、海が(くれない)に染まっていた。

 辺りは、波の寄せる音のみが響き渡っている。


 折り重なる屍の上に、何者かが佇んでいた。

 男だった。

 年頃は壮年ほどに見え、すらりと背丈が高く、涼やかで整った顔立ちをしている。

 一本に結った長い黒髪を風になびかせ、傷だらけの褐色肌を夕陽にさらしこんでいる。

 練達の戦士といった風体だが、薄闇にぽつりと浮かぶ生気の無い(みどり)の瞳が不気味だ。

 身に纏う簡素な服は何者かの血で染まりきっており、もとの色はうかがい知れない。

 手に握られた(つるぎ)からは血潮が滴っており、まことに奇妙(・・)な、恐ろしげな光が放たれていた。


 …暫しの後。

 遠くの海に、何やら影が立ち上がった。

 堕ちゆく夕日を背にした不気味な影。

 それは、船影であった。

 数は複数あり、いずれもかなりの大きさである。

 だんだんと影が大きくなるにつれ、その影の掲げた紅蓮の旗が夕闇に映えてくる。

 その様は、真っ赤な(ほむら)がいくつも天に立ち昇るようであった。

 ――刹那、ぼうっと佇んでいた男の目つきが変わった。

 生気が抜け落ちていた双眸に、えも言われぬ感情が浮き上がってきたのである。


また(・・)来たか…」


 男が、ぼそり、と呟いた。

 低く、小さな、と息のような声であった。

 しかしその声は、静寂で満たされた浜部に、嫌に明瞭な響きを持ってしみ込んでゆく…。

 また風が吹いた。

 浜の奥に生えそろう木々が、何かに怯えるかのようにぞわぞわと音を立てる。

 森から鳥類が一斉に飛び立ち、大きな群れとなって暗い空に溶けていった。

 黄昏(たそがれ)の闇が男の殺気でぐにゃぐにゃと歪み、陽炎のごとく揺らぎ始めたのはその時である。


 男は、血で染められた腰帯で、べちゃり、と剣身の血潮を拭った。

 そして、また元のように脱力し、だらりと剣を構えた。

 …が、構えの柔らかさとは裏腹に目つきが尋常ではない。

 憎悪、怨嗟、絶望、憤怒…。

 それらをぐちゃぐちゃに混ぜ込んだ、悪意の坩堝(るつぼ)のごとき目だった。

 表情にこそ何ら感情を表していないが、それが逆にうすら寒いものを感じさせる。


 男が歩き出した。

 べちゃ、べちゃ、と肉片や臓物を踏みつけながら海の方へと進んでゆく。

 ふらふらとした覚束(おぼつか)ない足取りであったが、凄まじく洗練された「歩」であった。

 砂という不安定な地べたの上、数えきれない程の金属片や木片、屍が落ち転がっているにも関わらず、上体が微動だにしない。

 これだけでも男の尋常ならざる腕前が見て取れる。


 波が、男の赤黒いブーツを洗った。

 男は足を止めた。

 その時には、紅蓮の旗を揚げる黒い大船が沖まで迫っていた。

 船上には数多(あまた)の人の影がある。

 男の翡翠色の瞳が、一層の(あや)しさを帯び始めた。

 それに呼応するかのごとく、握る(つるぎ)も放つ妖気(・・)を強めている…。


()る…。

 ()る…。」


 男である。

 やはり、低く、小さな声であった。

 風が、男の髪を強く撫でつけている。


斯様(かよう)な数のくず(・・)共が…」


 ぼそぼそと男が呟く。

 目の焦点が合っていない。

 迫りくる船の一団を見据えているようで、そうではない。

 水平線の遥か彼方、夜の帳が落ちつつある(ゆう)(ぞら)何処(いずこ)か…。

 その虚空に何かを見ていた。


「殺さねば…。

 (はよ)(みなごろし)にせねば…」


 誰かに言い聞かせるようでもあり、何かを確認するようでもあった。

 どちらにせよ、明らかに常軌を逸した言動である。

 男の炯々(けいけい)とした眼光が、狂気の色さえも帯び始めた。

 口元に、ほんの僅かながら笑みが浮かんでいる。

 (いや)な風が、強く、強く吹いていた。


「守るのだ…。

 島を、精霊様を…。

 守るのだ…。

 (みな)を、家族を…」


 男の背後に、影が伸びていた。

 どす黒く、長い影が。

 夕陽が、今にも沈もうとしている。

 浜は、どうしようもなく静かだった。


 その時…。

 妙なことがおきた。

 沖に見える黒船の船上に、赤いものが浮かび上がったのだ。

 小さな夕陽のようにもみえるそれは、炎の玉であった。

 船上にある(まじな)い師が、何やらの術を使ったのだ。

 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ…。

 水面が再び紅くなってゆく。

 (しばら)くすると、それぞれの黒船の上に、数十もの(ほむら)の球体ができあがった。

 (あか)りの代わりに使う、といった感ではない。

 男はそれを、相変わらず焦点の合っていない目で見据えていた。


 黒船から声が上がった。

 恐らくは、術を使った(まじな)い師らであろう。

 その声が空へと吸い込まれるや否や、浮かんでいた焔の弾が一斉に浜へと向かってきた。

 数にして、千と数百。

 まるで炎の壁である。

 空が昼のように明るくなり、浜が真っ赤に染まった。


 それを目にするが早いか、男が、ぬらり、と剣を振るった。

 腰だめの形から横薙ぎに一閃。

 その勢いをいささかも落とすことなく、唐竹で一閃。

 計二つの光芒(こうぼう)が瞬いた。

 いずれも虚空に向けての剣戟である。

 それは、本来ならば何ら意味を成さない行為…。


 ――しかし、実に次の瞬間である。


 目を疑うようなことがおきた。

 赤く染まった空の中心が十字に割れ、夜の帳が下りつつある(ゆう)(ぞら)が顔を見せ始めたのである。

 男のなぞった剣筋の延長上にある炎の壁が、四つに分断されたのだ。

 つまり…。

 斬ったのだ。

 あろうことか男は、空に浮かぶ炎を斬って見せたのだ。

 全くもって並ではない。

 最早、奇跡ともいえる剣の練度である。


 少しの後、男のいる辺りを除いて、浜に火の雨が降り注いだ。

 幾つもの爆音が響き、砂塵が舞った。

 肉が焼ける(おぞ)ましい臭いが立ち込め、あちらこちらで炎が上がり始める。

 骸の振りまく死臭と相まって、浜は一層の地獄と化していた。


 落ち転がった死肉の油によってか、炎の勢いが強まっている。

 生暖かかった空気が、肌を焼くような熱風となって吹きすさぶ。

 浜が、鮮やかな紅の色に照らされていた。

 そのような中でも、男は表情一つ変えない。

 ただ、ただ、海を見据えるばかりである。


(あか)だ…。

 なんと綺麗なことよ…」


 男が再び呟いた。

 そして何を思ったのか、足元に転がっていた何者かの頭部を、ぐしゃり、と踏み抜いた。

 脳漿と血液が、盛大に飛び散った。

 無残に潰された頭部から流れ出る血液が、海へと溶け出でゆく。

 男が、初めてはっきりとした笑みを浮かべた。

 例えようのないほど歪んだ笑みだった。


 沖の辺りで止まった黒船から、無数の小舟が下ろされた。

 小舟には、鎧などで身を固めた戦士が乗っている。

 長剣、短剣、槍、槌鉾、戦闘槌、連接棍…。

 手にする武器は多種多様であり、纏う気迫からして各々が相当な(つわもの)である。

 誰もが浜にある男を睨みつけており、いつでも武器を扱えるように油断なく構えていた。


 炎の色を映した水面を切り裂いて、幾隻もの小舟が浜へと向かってくる。

 馬鹿馬鹿しくなるような舟の数である。

 (くれない)の浜にある男は、それを黙りこくって見つめている。

 両者の雰囲気からして、この先戦闘になることはまず間違いない。

 黒船から降りてやってきた戦士は、数千にも及ぼうかという大軍。

 対して、浜には男の姿しかない。

 者の数だけ見れば、黒船から降りて来た戦士らに分があるのは当然だ。

 数千対一など、結果は火を見るよりも明らかである。


 …しかし。

 …しかし、である。


 浜に落ち転がり、物言わぬ(むくろ)と化した者らの壮絶な形相が。

 灼熱と異臭を孕んで吹きわたる、おどろおどろしい腥風が。

 先ほど起こった、(まじな)いにも勝るような奇跡が。

 なにより、一切(いっさい)衆生(しゅじょう)を殺戮せんと放たれる、狂気に満ち満ちた男の殺意が。

 この場において、その常識が通じないことを、ありありと示していた。


「さて…。

 もうそろそろ夕餉の時間だ。

 早々に掃除(・・)を済まさねば…。

 皆が待っておる…」


 男はそう言うと、ちらり、と西側に見える高台を見やった。

 どうやら、そこに男の住む集落があるらしい。

 …だが、それにしては暗い。

 既に陽は沈みきっているというのに、灯りの一つさえも確認できない。

 まだ(あか)りを(とも)すには時間が早かったのだろうか。

 集落全体が油不足で、(あか)りの節約でもしているのだろうか。

 それとも…。


(みな)が、待っておるのだ…」


 地を這うような声が、浜を駆け抜けた。

 いい終ると、男の姿がかき消えた。

 紅に染まる浜で、ごうごうと真っ赤な炎が燃え盛っている。

 天へと登る黒煙を海風が切り取り、何処かへ運んでゆく。

 空気が、乾ききっていた。

 沖の方で、何やら叫び声が上がった。

 夕闇が立ち込めた夜空の中、(ひでり)(ぼし)が一際怪しく輝いていた。




 ♦




「おーい、アスラさん。

 夕飯の時間だぜ」


 快活そうな低い声が、鼓膜を揺さぶった。

 夢うつつだった意識が、まどろみの水底から掬い上げられる。

 何故だか、異様に喉が渇いていた。


「おーい。

 聞こえてっか、アスラさん。

 爺臭いとはいえ、さすがに昼寝のし過ぎってもんだぜ。

 そろそろ起きな」


 ぺちぺちと、包帯の上から頬を叩かれている。

 手付きは優しく、どこかやりなれている感があった。

 ゆっくりと瞼を開けると、目の覚めるような金髪と、蒼い目が飛び込んできた。

 ドーブである。

 辺りは夕闇に包まれており、空にはぽつぽつと星が見える。

 吹く風が涼しく、鮮烈な潮の香りがする。

 

「おや…。

 ドーブ…。

 もうそんな刻限かえ?」


 渇いた喉に反して、高く澄んだ声が鳴った。

 背を預けていた樽から離れ、アスラは、うーむ、と伸びを決めた。

 ぽきぽきと関節が鳴り、心地よい感覚が身体を走り抜ける。

 押しあがって来た欠伸(あくび)を噛み殺し、掌で強めに頬を叩くと、すっかり眠気は飛んでいた。

 上を見ると、ドーブは呆れた顔だった。

 ぽりぽりと形の良い鼻の頭を掻いている。

 ドーブは腰に手を当て、いかにも父親めいた雰囲気を纏うと、


「まったく…。

 そんな所で寝てたら風邪引くぜ。

 海の上は風が吹くから、結構冷えるんだ」


 と、いった。

 どうやら心配をしてくれたらしい。

 一児の父ということもあってか、このドーブという男は面倒見が良い。

 故に、護衛連中を始め、水夫連中からの信頼も厚い。

 狂言の才能にも優れていることであるし、意外にも良くできた男である。


 ドーブの注意を聞いたアスラは、あっはっは、と明朗に笑い、


「いや、すまん、すまん。

 今日はあんまり日和が良かったのでな。

 思わず惰眠(だみん)を貪ってしもうた」


 と、いった。

 相変わらず柔和な雰囲気である。

 これを受けたドーブは、


「おいおい…。

 確か昼飯の後には眠ってたよな…。

 いくらなんでも貪り過ぎってもんだぜ」


 と、苦笑した。

 全くだな、とアスラも微苦笑した。

 

 「まあ、なんにしても夕飯だ。

  今日はなんちゃらのスープらしいぜ」


 「スープということしか分からぬな…」


 「なんでもいいじゃねえか。

  美味けりゃそれでよしってな」


 早く来いよー、と言い残してドーブは船内へ引っ込んだ。

 誰もいない船の甲板を、夕日の残光が薄らと照らしている。

 アスラは、よっこらしょ、と立ち上がった。

 腕に抱いていた剣を腰に佩びると、軽く服装を整えた。

 大きく息を吸い込んで、数回深呼吸をした。

 やはり、酷く喉が(かわ)いている。

 まだ薄らと(あか)い空を、翡翠色の瞳で見据えると、


 「やれやれ…。

  なかなかあじ(・・)のある夢をみせやがる…」


 と、アスラは(ひと)りごちた。

 長い三つ編みが、風に揺られている。

 すると…。

 

 「おーい、アスラさんの分も食っちまうぜ」


 と、船室の窓からドーブが顔をのぞかせた。

 へっへっへ、と良く分からない声を上げ、にかにかと笑っている。

 窓越しの光が眩しかった。


 「ああ、分かったよ。

  今行くさ。

  おれのスープは残しておいておくれ」


 と、アスラは微笑んで、扉の方へ歩いて行った。

 

 (ああ…)


 喉が(かわ)く。

 酷く(かわ)く。


 (喉が渇いたのう…)

 

 スープでも、酒でも何でもいい。

 とにかく、水分が取りたかった。

 (かわ)いて、渇いて、仕様が無い。

 喉が、カラカラに(かわ)いているのだ。


 風が吹いている。

 海は静かに凪いでいた。

 ブーツが甲板を踏みしめる音が良く響く。

 船内からのぼんやりとした明かりが、アスラを照らす。

 その背後には、長く、暗い影が伸びていた。

 

  

 

 





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