企画三題噺「ヒカリゴケ、夜明け前、ハンケチ」
「ヒカリゴケ・夜明け前・ハンケチ」 担当:ぢょ
少年は、洗濯カーストの貧家に生まれた。
「見下す」ことで身分を安定させる画期的なシステムは、世界的にも早い段階での平和を実現することとなったが、なまじ社会制度として優秀であったがために、現代に至るまで生活の根幹に君臨し続けている。
少年は、洗濯が嫌いであった。
正確に言うなら、服を綺麗にする行為としての「洗濯」はさして嫌いではなかったが、一生このルーティンワークに縛られるという自分の未来を呪っていたのだ。
この国には面白い映画がある。
少年の夢は、自分で映画を撮る人になることだった。
彼は、努力家であったし、正直者であったし、誠実であったし、少しではあったが映画を見た経験と、自分ならこんな映画を撮るのになぁ、というヴィジョンも持っていた。
家族の反対や矯正用の暴力をかいくぐって家出をする行動力もあれば、まるで人権を尊重しない過酷な下働きから入って、愚直さだけでまともに映画に携われる立場に上り詰める、不屈のモチベーションも持っていた。
彼は、決して夢を捨てなかった。
地の底でも、わずかにこぼれ落ちた光を十全に吸収して輝ける、ヒカリゴケのようにしたたかな少年だった。
しかしながら、この国における映画という産業は、某コーヒー大国におけるサッカーのように、大衆娯楽として人の目を最も集める場所であり、ここでの成功とは、「勝ち組」の代名詞の一つであった。
映画が好きでなくとも、「勝ち組」になることを強いられた上位カーストの人間も、ここには多く集まる。彼らにとって、目覚ましい進歩を遂げていく少年は目の上のたんこぶに他ならない。
古くからの慣習に枠組みを規定された社会ではあったが、現代国家のはしくれ、戸籍というものはやはり存在する。
身寄りのない少年は、身分を隠しながら現場に立っていたが、上から見上げられることとなった彼は、嫉妬というエネルギーによって身辺を暴かれようとしていた。
足を引っ張られながらも彼の躍進は止まらず、猛スピードで実績を重ねていくことで、自分のプロジェクトを通すことが、とうとう叶うこととなった。
報われる時が来る。
愚直で、貪欲で、強かな人間の、歯をくいしばって前を向いてきた人間の、
待ちわびた、夜明け前。
彼と彼らとの、生まれ持った虚構のギャップが、発覚した。
露骨な侮蔑も、無骨な中傷も、横柄な干渉も、全てが一緒くたになって少年に襲いかかった。
自分を育てた親を暴力を理由にあっさり捨てた彼なら、夢に一直線なだけの彼なら、それでもきっとものともしない。
しかしながら、彼は学んだのだ。現実に映画を撮ろうとする中で、人とのつながりを描く映画というメディアの海に飛び込む中で、四肢をもがれたら、何もできないのだということを。
何も、できなくなるのだということを。
映画界に転がり込んだお坊ちゃん達の力は絶大で、餌を見つけたハイエナのように、少年という存在は、名声というレイヤーから食い潰された。
少年に目をかけ、一部始終を目撃した中途半端なカーストの下働きは、少年の排斥とは、汚いものをハンケチで拭き取るような、まるで気軽なものだったという。