95.自分を騙して生きる
燃え上がる民家。曇り空を突く悲鳴。誰もが逃げ惑う中、盗賊の群れに突っ込む一人の少女。少女は鉄扇を広げ、盗賊達を薙ぎ払う。
「あ、あなたは……」
町民の一人がクリストフに話しかける。クリストフは出口に向かって手を伸ばし、言った。
「さっさと行け! あたしに構ってる余裕があんなら住民どもを避難させろ!」
「は、はい!」
町民はあたふたと走りだした。クリストフは前に向き直り、走り出す。すると、再び悲鳴と爆発音が響いた。クリストフが音の方へ行くと、そこはごうごうと火に捲かれた広場。
「マザーだ!」
「捕えろ!」
少女の出現に、盗賊達はわらわらと集まり始める。人が集まる大きな古い広場。少女は、盗賊達に囲まれた。
「お前ら、あたしをマザーとわかっててやろうってんだな」
少女はぐるりと見渡し、鉄扇を畳んだ。鉄が重なる音が、広場に響く。
「いい度胸だ……生きてこの町を出れると思うなよ!」
少女に睨まれ、盗賊達の顔に焦りの色が浮かぶ。盗賊達の呼吸が、急に重くなる。そして、その目は次第にきつく吊りあがってゆく。少女は、その様子に鉄扇を構えた。来る。少女が膝を曲げた瞬間、盗賊達は一斉に襲いかかってきた。少女は大きく飛び上がった。すると、少女の真下まで盗賊達で埋め尽くされる。そこに、少女は細い腕を振り上げて重い拳を振り下ろした。轟音と共に亀裂が入る地面。そして、吹き上がる血飛沫。少女は地面に手をついたままに両足を空に掲げに大きく足を開き、手を軸に一回転した。周囲の盗賊達を一蹴し、地面と死体をずりずりと引きずりながら着地する。盗賊達に考える間も与えず、少女は鉄扇を振りかざした。踊るように闘う少女。次々と空に舞い上がる盗賊達。誰一人、少女に傷一つつけられそうにない。少女の剣幕と恐ろしさに、盗賊の一部が町の出口へと走りだす。
「!」
少女はそれを見逃さず、盗賊の群れを飛び越えて追った。
「あたしを怒らせといて、逃げようってのか!」
少女は盗賊の後頭部に飛び蹴りをした。逃げていた一人は前に倒れ込む。残った3人はぐったりとして動かない仲間を見て、再び走り出す。
「往生際が悪い!」
少女が鉄扇を開き、追おうとすると、必死に逃げていた盗賊達はぴたりと足を止めた。
「?」
すると、盗賊達が首から血を噴き出して倒れた。
「……あれ、もしかして……クリストフ様?」
血が滴る刀。白い烏天狗の面。和装の男は、面を上げて首を傾げた。その男の後ろには、ぞろぞろと列を成す烏天狗の軍団。
「……お前、和か」
少女は構えを解いて男を見る。和と呼ばれた男は、おお、と声を漏らして笑顔を浮かべる。襟足だけが黒い髪。当人の明るさが滲み出る黒い目。和は面を額に置いて、クリストフに歩み寄る。
「久しぶりですねー! あれ? ガトーは?」
「それよりお前ら! 何でこんなとこにいんだよ!」
クリストフに怒鳴られるが、和はへらへらと笑う。
「何でって、業輪探しっすよ。それ以外に俺らが大陸なんぞに足を伸ばす理由なんかないじゃん」
「だから、業輪探すのに何でノースにいんだって聞いてんだ!」
「え? ヤヒコ様のご指示だけど」
「ヤヒコが?」
少女の中で、ある疑問が浮かんだ。ヤヒコの耳も、真実を語る花も……業輪の行方を知ることはできなかったのだろうか。
「あ、そうそう。はい、」
考え込むクリストフに、和は一枚の皺くちゃな紙を差し出した。
「なんだ、この汚い紙は」
「失礼だなー。ヤヒコ様からの手紙なのに」
少女は少し荒っぽく手紙を取り上げ、その場で開く。
「なんて書いてんの?」
和はひょっこりと手紙の内容を覗き見る。そして、げ、と一言……いや、一文字声を漏らす。クリストフは手紙を畳み、嫌そうな顔をする和を見た。
「と、いうわけで」
「……」
「早速、この町の盗賊どもを片づけてこい。住民は保護。盗賊のうち数名は生け捕りにしておけ」
「わ、わかりました……」
和は笑顔を引き攣らせて仮面をかぶる。
「クリストフ様はどうすんの」
「あたしはこの近くの墓地へ向かう。後でここへ来る」
「はーい、お気をつけてー」
クリストフは手紙を握り、馬を置いたところへと戻る。そして、馬に跨って墓地へと走りだした。
"前略
母が病で床に伏しており自ら戦地へ赴くことはできない。よって、業輪を探すべく軍を送った。御扇家の和に任せてあるが、合流したらば軍は聖母の手に委ねるものとする。
審判の日、何が起こるかはこちらも見当がつかない。しかし、決戦の地は西の神殿であるとわかった。
時間が無い。この程度のことで役に立てたとも思えぬが、どうか、業輪を守り抜いて欲しい。日の出る国より、世界に聖母の加護があらんことを。
草々 弥彦"
「……十分だ、ヤヒコ」
少女は、炎の明かりに陰る町を突っ切って墓地へと向かう。新しい手札を、その手に握って。
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溶ける。そんなわけ、ないのに。自分は溶けるということがない。あるはずがない。しかし、それでも……溶ける。どろどろと、何か黒いものにこの身が、魂が……浸食されてゆく。わかっていた。これが罰だと。神の意に逆らった、罰なのだ。痛みも何もない。ただ、黒く染まるのだ。これほど悲しいこともない。これほど、名誉なこともない。自分が何者であって何者であるかなど、もはやどうでもよかったのだ。あのお方の思いを、守れるのならば。それだけで、よかったのだ。
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激しく爆発する墓地。ミハエルを抱きかかえ、逃げるカイザ。
「捨てろ!」
バンディが余裕たっぷりに歩み寄りながら言った。すると、カイザが飛び乗った墓石が爆発した。吹き飛ぶカイザ。ミハエルを抱きかかえ、荒く呼吸をする。どうしても、手放せなかった。
「お前を騙してたその女のために死ぬってのか? 冗談じゃねぇ。そんな腑抜けをやったところで、何も面白くねぇよ!」
バンディがポケットに手を突っこんだまま強く地面を踏みつけた。カイザは反射的にその場を離れる。すると、地面が土煙を上げて爆発した。辺りは木々に火が移り、思い出の切り株も燃えていた。焦げた匂い。時折鼻をかすめる腐臭。カイザはミハエルを抱きしめ、身体の痛みとともに激しくなる胸の痛み。騙されたなんて実感もわかない程、何もわからない。どうして今闘っているのか。生きようと逃げ回っているのか。ミハエルを、手放せないのか。
「怒るか狂うか、どっちかにしろ! お前がいるのは乱世の渦中だぞ! 自覚もねぇ奴が、偉そうにブラックメリーを持ってんじゃねぇよ!」
バンディの余裕めいた笑みが、憎悪の色に変わってゆく。カイザを迷わせたのは自分だというのに、バンディはカイザの様子に苛立ちが隠せずにいた。予想外だったのだろう。こうまでして、ミハエルを守るカイザが。
「……自覚なんて、ない。昔から……そうだった」
そう。自分の知らないところで、皆、こそこそと。何一つとして、自覚あるものなんてなかった。そして、この旅がなければ知ろうとも思わなかった。他人の目にも、真実にも、興味なんてなかったからだ。そんな自分が、どうして自分を知らねばと思ったのか。
「……誰にどう思われてるかなんて、もう……どうでもいいんだよ。ミハエルの恋人も、神に選ばれし戦士も。誰だろうが関係ない。俺が何者であろうがなかろうが関係ない」
自分が彼女を特別に思っている。彼女が大事だと思う気持ちからこの旅は始まり、友人の存在と数々の出会いがあったから世界を救いたいと思った。ただ、それだけ。最初から、拘る必要なんてなかった。ミハエルが誰を好きかも、自分が何者なのかも。沢山の人に生かされ、自ら心の赴くままに生きてきたのだから。
「俺はミハエルを……守りたいものを、自分の力で守り抜く」
「馬鹿かお前、その女はマスターどころかお前まで死人のために……!」
「それがどうでもいいって言ってんだよ!」
カイザが叫ぶと、空が白く光った。そして、厚い雲の向こうでごろごろと雷の唸りが聞こえてくる。バンディは言葉を噤み、カイザを睨む。
「俺は俺の望むままに生きてる。俺の心は、俺だけのものだ」
「……狂気に落としてやるつもりが、どうやら吹っ切れさせちまったようだ」
バンディはナイフを構え、言った。
「そんな綺麗事を言うような奴とは遊ぶ気すら起きねぇよ!」
その瞬間、墓地のいたるところで連続した爆発が起きた。爆炎が立ち込める中、カイザはミハエルを抱いたまま辺りを警戒する。そして、大きく身を翻した。背後には、ナイフを持つバンディがいた。
「カイザ、その女を放せ」
「……」
「狙ったりしねぇよ」
バンディはナイフをくるくると回しながらカイザを睨む。
「俺はお前に勝たなきゃならねぇ。それなのにお前は、女のために命をかけるような馬鹿に成り下がりやがった。そんな腑抜けとやり合う程俺も暇じゃねぇんだよ」
バンディの顔に、先程までの嫌な笑みはない。
「面倒臭ぇから、ここからはまどろっこしいことは抜きだ。こうなっちまったからには、お前に本気出させようなんざ考えねぇ。もう終わらせようじゃねぇか……カイザ。ブラックメリーの因縁を」
「……」
バンディの目を見て、カイザはミハエルを下ろす。カイザは、バンディの本当の思惑がわかったような気がした。ただ、自分に勝ちたかったんじゃない。カイザの背負うものも何も無くした上で闘い、勝ちたかったのだと。しかしそれは、失うものが無ければ強くなれると思っているバンディの考えに過ぎなかった。
「……バンディ、お前は見事に俺を本気にさせてくれたよ」
カイザは槍を握りしめる。すると、槍は光を放って消え失せ、ナイフの姿に変わった。
「守るものがあるからこそ、強くなれる」
「…綺麗事はうんざりだ」
白っぽい爆炎の中、二人はナイフを手に向かい合う。一度も勝てたことのない兄貴分を目の前に、カイザはブラックメリーで過ごした幼少の思い出す。暗く荒んだ、盗賊団。唯一の遊び相手だったフィオール。今握るナイフを自分に授けてくれたマスター。掃き溜めのような場所にも、自分の大切なものは確かに存在した。
ーーあなたはもっと光で溢れたところに住みなさい……--
陰湿で、薄汚い手口を得意とするバンディ。しかし、その本質は違った。狂気や怒りで本能のままにぶつかり合うことにこそ彼の闘いの意味があった。黒く淀んだ感情でしか、自己表現ができない不器用な男の真剣勝負。カイザはそれを知った上で、ナイフで向かい合う決意をした。兄貴分に、カイザなりの闘いを示すために。