92.その再会は待ちうけていた
まん丸の赤い瞳に映るのは、人とは思えぬぶつかり合い。いや、一人は人ではないようだが。シドの右目から噴き出した煙がアダムを追い回す。アダムはずっしりとした大剣を片手に軽々と避け、凪払うように大剣を振るった。シドはその剣に鎌を押しあて、剣の軌道に乗ってアダムの後ろへと飛び上がると煙と鎖鎌をアダムの後頭部目がけて投げつけた。大剣の反動で隙がある。決まった。そう、木の上で高みの見物をしていた猫は思った。
「小賢しい!」
アダムはまだ振りきらない大剣を思い切り翻す。鎌が弾かれた。シドは柄を引っ張り上げ、鎌を引き戻そうとした。すると、アダムは大剣を振るって煙を断ち切った。かと思うと、そのまま勢いのついた剣を手放した。いや、最初から、シドに投げつけるつもりだった。突然目の前に迫る大剣。シドは、それをアーマーで受ける。幼い腕に圧し掛かる重み。空中でシドは吹き飛ばされ、大剣も重みのままに落下する。落下してきた剣を掴み、アダムはシドの真上に飛び上がった。
「……!」
シドは眉を顰めて唇に人差し指と中指を当てる。が、煙はみるみる右目に戻り、黒い羽は空に散った。力が、足りない。
「シド!」
チェシャが思わず立ち上がる。しかし、黒い羽と土煙が辺りを覆い尽くした。森の木々に跳ね返り、往来する轟音。猫の耳の中で、その低い音が児玉する。
「……後先考えずに力を使うから、お前はいつもこうなるんだ」
土煙の中から、知らない声がした。ぼんやりと浮かぶ人影は、三つ。
「お久しぶりです、マスター」
白い羽が、緩くはためく。
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暖炉の火が温かい小屋の中。雨に濡れたカイザは毛布に包まって俯いていた。
「はい、ミルクティー」
白いカップに、落ちつきある白の茶。カイザはそれを無言で受け取る。ミハエルは、くすくすと笑いながらソファーに腰掛けた。
「結婚の心配なんかしちゃって、カイザは本当にマセてるんだから」
「もう10歳だ」
カイザは不機嫌そうに言った。
「そうね、もう5年もしたら成人だものね」
「…5年? 成人は18になったらだろ?」
カイザの言葉に、ミハエルは笑顔のままに視線を反らす。
「……そう、ね。あと8年よね」
「……」
首を傾げるカイザ。ミハエルはベッドに腰掛けるカイザに歩み寄り、隣に座った。
「8年なんてきっとあっという間なんでしょうから、今のうちに10歳のカイザをよく見ておこうかしら」
「やめろよ、恥ずかしい」
カイザは照れくさそうに毛布を深くかぶった。
「それに、俺は早く大人になりたい」
「まあ、何で? 子供は楽しいじゃない」
「……」
楽しくない。とは、言わずにおいた。
「早く大人にならないと、ミハエルが……」
「私?」
「ミハエルが、」
誰かに連れていかれてしまいそうで。などと、言えるはずもなく。黙り込む少年の肩を抱き、ミハエルは優しく微笑む。
「焦ることなんてないわ。ゆっくりでいい。大人になりなさい」
「……でも」
「私はずっとここにいる。立派な大人になるカイザを待ってるわ」
「……」
カイザはチラッとミハエルを見上げる。
「本当に?」
「本当よ。あなたが見た男の人だって、ただの友達。嫁いで何処かに行くことなんて、この先考えられないの」
「…考えられない?」
「そう。私は、ここにいなくちゃならないの」
自分を待つためか。それとも、もっと違う理由があるのか。カイザはもんもんと考えながら、手元のカップに視線を落とす。
「ミハエルにとって、ここはそんなに大事な場所なのか?」
「…この墓地は、私の始まりの場所なの。全てが、始まる場所」
ミハエルの静かな声が、毛布を透けてカイザの耳に染みる。肩に触れる彼女の手からも、じんわりとその温もりが伝わり始めていた。
「今じゃあ、カイザにも出会えた、思い出いっぱいの場所よ」
カイザの頬が、思わず緩む。目は合わせない。彼女の顔を見たら、思い切り笑ってしまいそうで恥ずかしい。カイザはカップを両手に包み込み、立ち上がる湯気を見つめていた。右側に彼女の存在を確かに感じながら。
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「クリストフ、その墓は……」
カイザが話しだすと、少女はふっと振り返った。少女の背後に、かつて頭に思い描いたローズウッド夫人が浮かぶ。カイザはそれを真っ直ぐに見つめ、言った。
「…ミハエルと出会うきっかけをくれた墓なんだ」
「……」
「俺が、初めてここに来た時。その墓を暴いてた。そこに、ミハエルが……」
少女は、何も言わずにカイザを見ていた。その表情には驚きも、怒りも、感じられない。ただ聞き入っている。そんな顔。
「すまない」
「…カイザ、」
「ありがとう」
真剣な眼差しで、はっきりとした声色で。少女は、小さく笑って立ち上がった。
「別に、あたしはもう関係ない。それにたぶんこいつらも喜んでるだろ。運命的な男女の出会いに一役買ったのだから」
少女は穏やかな笑みで墓石を見下ろす。カイザはそんな少女の横顔を見て、笑った。
「そうだったら、俺も嬉しいよ」
「絶対にそうだ。あたしが言うんだから間違いない」
クリストフはそう言って歩き出した。少女の強気な言葉は、いつも不思議な優しさに満ちている。
ーークリストフは性格はアレだが、見れば見る程いい女だなーー
黒猫に言ってやりたかった。この女は、知れば知る程いい女なのだと。カイザは魅力も感じぬ褐色の背中に続いた。少女の中にあるものに引かれるように。
「どうする。予定では先にノースの家を見るはずだったが」
切り株の前まできて、少女は立ち止まった。カイザはミハエルを見下ろした。
「…シドが気になる。二手に別れよう。俺はここを調べるから、クリストフはノースの家に行ってくれないか」
「あたしは場所がわからないぞ。お前がノースへ行けばいいだろ」
「……」
カイザは少し顔を赤くして、困った顔をした。
「…い、行きたいけど。女の部屋を荒すのは……ちょっと」
「……」
クリストフは目を丸くしてカイザを見つめる。
「盗賊だよな、お前」
「……」
「…お前、本っ当にエドガーのことになると肝がちっちゃくなるのな」
「すまない」
クリストフは素直なカイザの言葉に吹き出した。
「フィオールがお前を可愛いと言った意味がやっとわかった気がする」
「? そんなこと、言ってたか?」
不思議そうな顔をするカイザに、クリストフは笑いながら言った。
「言ってた。ノーラクラウンでな」
「……そうだっけ」
クリストフは馬へと歩み寄り、手綱を手に取った。
「仕方がねぇからあたしがノースへ行く。で、場所は」
「町の入り口を右に抜ける道がある。そこをずっと道なりに進んだところの突き当たりの家だ」
「わかった。あたしはノースを調べたらすぐシドのもとへ向かう。思い出に浸るのもいいが、急ぐ身だということを忘れるなよ」
「…わかってる」
カイザが少女を軽く睨むと、馬に跨る少女は鼻で笑って走り出した。
「……」
カイザは少女を見送り、ミハエルに視線を落とす。
「…急ぐ……か。何処かも何かもわからない場所だってのに」
運命の至る場所。何処かも、何かも、わからない……
カイザはミハエルを背負い、小屋へと向かった。背中の重みが、一歩前に出るたびに足から地面へ流れてゆく。そして、少しずつあの夜が蘇るのだ。帰ってきた。大人になった自分は、帰ってきたのだ。
ーー私はずっとここにいる。立派な大人になるカイザを待ってるわーー
立派には、なれなていないが。歳はとうに成人を迎えた。ミハエルより背も高くなり、見た目だけなら大人になったといえるだろう。こんな自分でも、ミハエルは昔のように迎え入れてくれるだろうか。
カイザは小屋の取手に手を伸ばした。
ーーあら、いらっしゃい……--
迎え入れてくれるなら、今度はきっと……
「…おかえり、」
扉を開けると、思い描いた言葉が予想外の低い声で返ってきた。暗く埃っぽい部屋。真ん中のテーブルに、人影が見える。カイザは立ち止まり、それを見つめる。椅子に座り、テーブルに組んだ足を乗っけて何やら本を読む……包帯だらけの男。暗くてその顔は見えない。しかし、カイザにはそれが誰か、一瞬で察しがついた。
「待ってたよ……首を長ーくしてな」
男は読みかけの本を持つ両腕を天井に向かって伸ばす。吊りあがった口角が、窓から差し込む淡い光に照らされる。
「カイザ」
包帯から覗く鋭い目が、カイザを捉えた。
薄く晴れてゆく土煙。地面に深く突き刺さる大剣。両手で柄を持ち、しゃがみ込むアダム。その真正面には、逆手に剣を持ち大剣を抑え込む男が一人。その背後には、茫然と座り込むシドがいた。アダムは顔を上げ、男を睨む。
「…サイ、」
「お元気そうで、何より」
アダムはサイに向かって土を抉りながら剣を振り上げた。サイはシドを担ぎ、大きく飛び上がって後退する。シドは唖然として、サイを見つめる。サイは、横目にシドを見た。
「…また期待を外したようで、悪いな」
「!」
シドは我に返ったように暴れ出した。サイはあっさりとシドを放す。地面に足をついたシドは、鎌をサイに向けた。アダムはそれを見て、大剣を肩に担いだ。
「…二人共、ブラックメリーのアーマーをしているようだが。シドはカイザに、サイはバンディについているようだな」
「まあ、いろいろありまして」
「お前らは和解した、というわけでもなさそうだな」
「……」
サイは鎌を向けて自分を睨むシドを見た。
「…この通りの関係ですが」
サイの言葉に、アダムは笑った。
「三つ巴か。三人で殺し合うのも、悪くないかもな」
「…いいえ、三つ巴ではありません」
サイはアダムに剣を向けた。アダムはぴくりと眉を動かし、サイを見下ろすように睨む。
「今回ばかりは、この愚弟につきますので」
シドは驚いて、一瞬鎌を握る手が緩む。しかし、ぎゅっと握りなおして言った。
「なんのつもり」
「……お前はマスターを消したい。俺もマスターを消したい。だったら俺は、嫌でもお前につくほかないだろう」
サイは剣をアダムに向けたまま、冷たく言った。
「お前が死刑を免れたと知ってからだな。お前が俺以外の奴に殺されるのは癪だと思うようになったのは」
「……」
「シド、お前を殺すのはこの俺だ」
シドは唇を噛みしめ、鎌を下ろした。そして、アダムを見る。アダムは小さく笑い、言った。
「運命に呪われた兄弟が数年ぶりに手を取り合うわけか。涙ぐましいな」
シドは眼帯をして、鎌の鎖を伸ばした。
「泣く必要なんてないよ。マスターをやったら、サイも殺す」
「兄弟の諍いにあなたは邪魔だ。だから先に消えてもらうまで」
サイとシドの足元から、白と黒の煙が湧き上がる。それらは混じり合い、灰色の空に溶ける。斑な空気の中、アダムは楽しそうに笑うばかり。
「やっぱり……最高だよ、お前らは。俺の後継者だっただけある。殺すことでしか自分の存在はおろか、兄弟であることも確かめ合えない。生まれながらの殺し屋だ。そしてお前らは、生まれながらの悪魔だ」
アダムは大剣を振り上げ、二人に向ける。
「上等だ。この際ホワイトジャックのマスターの座、俺を仕留めた方にくれてやるよ」
サイとシドは目を見合わせる。
「…サイ、やりなよ。僕いらないから」
「……」
サイは少し考え、前に向き直る。
「そうか」
深く、そして、何処か後悔しているようにも思える呟き。シドはその雰囲気に違和感を感じたが、一先ず前を向いた。アダムは鼻で笑い、構える。煙だけがもやもやと蠢く森。構えをとった3人は、ぴくりとも動かない。吐息一つ聞こえない沈黙中でただ、向かい合う。
「……」
ずっと見ていたチェシャですら、その緊迫感に息を止めていた。何も聞こえない。何も動かない。何も、揺るがない。動いた一瞬で、決まる。3人は、敵と向き合う前に死と向き合っているのだ。自分の命を絶つであろうそれを、如何に仕留めるか。それが、殺し屋同士の殺し合い。