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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆ナタリー~心と足と目~
91/156

90.猫と青年は語らう

 夕暮れの街。入り口の前にカイザ達はいた。ミハエルを背負うクリストフがルージュと向かい合って言った。


「じゃあ、フィオールを頼んだぞ」

「はい」


 ルージュは軽く頭を下げる。そして、杖を地面についた。杖の先から炎が現れ、フィオールとルージュを浮かせる。フィオールは炎の上からクリストフに手を伸ばす。クリストフはふっと笑ってその手を握った。フィオールは、少し寂しそうに言った。


「気をつけてな」

「ああ」


 フィオールはカイザを見た。フードをかぶったカイザは、フィオールを真っ直ぐに見つめる。


「…すぐ、戻る」

「待ってる」


 フィオールは小さく笑い、クリストフと手を離した。


「では、私達はもう」

「ダンテによろしく伝えておいてくれ」

「はい。火の妖精より、皆さんに心ばかりの祝福を」


 ルージュは帽子を抑えて炎の上で跪いた。すると、炎が激しく燃え上がり、空へと舞い上がった。火の粉が赤い空に散り、キラキラと光る。それを見上げるクリストフは、ふぅ、と鼻から息を吐く。


「…フィオール、」


 シドの不安そうな呟き。クリストフは振り返って、微笑んだ。


「あいつなら大丈夫だ」

「…うん」


 シドはこくんと頷く。カイザはシドの肩を優しく抱き、背後に止まらせていた馬に歩み寄る。


「辛気臭ぇ顔しやがって。ほら、さっさと乗れよ」

「…ずっと思ってたんだが、こいつはなんだ」


 馬の背中にちょこんと座っている黒猫を見て、クリストフは眉を顰めた。シドは黒猫を抱きしめた。


「ルージュとフィオールがいなくて寂しいから……」

「…シドのペットか」


 馬の手綱を手にクリストフが言うと、黒猫はミャーミャーと怒鳴り始めた。


「ペットじゃねぇよ! お前の男が死にかけてんのを教えてやったのは俺だ! お前らが魔法や悪魔に疎いから代わりについててやれって妖精様に頼まれたんだよ!」

「そうだったのか。随分と可愛げのない猫だな」

「チェシャだ!」

「名前だけ猫っぽいのも腹立つな。どうでもいいが、自分の身は自分で守れよ。猫にまで気を使ってる余裕はない」

「なんなんだよこの女は!」


 チェシャはカイザに向かって声を荒げる。既に馬に跨っていたカイザは、シドを手招きして言った。


「クリストフ。リノア山賊のお頭だ」

「お頭?! リノア山賊って……あ!」


 クリストフがあのマザーだと気付いたのか、驚いた顔をするチェシャ。そんな黒猫を抱いたシドは、カイザの前に座らせられた。同じく馬に乗ったクリストフは黒猫を睨み、言った。


「言っておくが、使えないようなら食うからな」

「食うな! お前、新しい対魔術要員になんてこと……!」

「行くぞ」

「おい!」


 クリストフが走りだすと、カイザ達もその後に続いて走り出した。

 切り開かれた山道。ノースまでは街を二つ跨ぐ。着くまで馬を走らせても2日はかかる。しかし、ナタリーでろくな情報も掴めなかったため、迂闊に街には入れない。ノースに着くまでは野宿をすることになった。誰も、何も喋らない。ただ風を切り、走る。少し雨が降りそうな曇り空。クリストフはチラッと空を見上げて眉を顰めた。






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「ヴィエラ神話?」

「…知らない?」


 宴の日。ベンチに座るミハエルは珍しく物を持ってきていた。それは、一冊の本。表紙にも裏表紙にも何も書かれていない、古ぼけた赤い本。


「私の地元では有名だったんだけど……」

「地方の神話か。なんでまたそんなものを持ってきたんだ? あいつとは話もしないでただ一緒にいるだけなんだろ?」

「そう、なんだけど」


 ミハエルは本を開き、微笑む。


「今日は話しかけてみようかな、と思って」

「…何で」

「…今までは怖かったのよ。話しかけたら、もう消えてしまうような、夢から覚めてしまうような……そんな気がして」


 夢から覚める。それは、宴の終わりを指しているのだろうか。少女は本の中を盗み見て、言った。


「ここが好きなのか」

「……」


 ミハエルは少し黙って、顔を上げた。その目はやはり、雲の向こうの遠くを見つめる。


「特別好きなわけじゃないわ。ただ……あの人が隣にいる時間が好きなの。私に一時の安楽を与えてくれる、あの時間が」


 神が、ミハエルに安楽を。神を満足させるためだけに呼びつけられていると思っていた少女は、その言葉に妙な違和感を感じた。自分は、ここで何かを与えられたと思ったことがないからだ。


「お前、覚えてるのか? あいつと過ごす時間を」

「覚えてないわよ。でも、地上に戻るといつも胸が高鳴っているの。だからわかるの。私は、誰と会っていて、誰の隣に座っていたのか」


 そういうミハエルの表情は、まるで恋する乙女だ。これが、信仰心、というものなのか。


「クリストフ、戻れ」


 背後からヤヒコの声がした。辺りには白い靄が広がり始めている。来た。クリストフは腰を上げて、ベッドに戻る。





 脳が溶けるような快楽。じっとしているだけでまどろむ温もり。顔もわからぬその相手は、ふっと離れる。それを感じて、少女は目を開ける。そして、枕に顔を埋めてベンチの方を見た。やはり、姿がはっきりしない。その隣に座るミハエルの後ろ姿は、くっきりと見えるのに。ぼんやりと二人を眺めていたが、どちらも動かない。ミハエルは本を膝に置いたまま、何も言わない。



ーー…今までは怖かったのよ……--



 まだ、踏ん切りがつかないようだ。話しかけようと決めて、何故あの本を持ってきたのだろう。そんなに面白い話なのだろうか。少女はうとうとしながら、靡く黒髪を見つめた。そして、瞼はとろりと眼球をなぞり、白い視界は黒に染まる。身体に残る余韻に浸りながら、少女は夢の中に落ちた。







---------------------------------------








 暗い洞穴の中。焚火がパチパチと小さな火を揺らめかせる。クリストフは羽織にくるまってすやすやと眠る。悪い夢でも見ているのだろうか。眉間に皺が寄っている。カイザはそれを見つめて溜息をつく。


「おい、カイザと言ったか」

「?」


 カイザの膝に頭を置いて寝息を立てるシド。その羽織からもそもそとチェシャが出てきた。そして、カイザの隣に座る。


「クリストフは性格がアレだが、見れば見るほどいい女だよな」

「……」

「フィオールって男が羨ましいよ」


 カイザはクリストフを見た。半分しか顔が見えないが、確かにその寝顔から美人であることが伺える。羽織りが描く腰の曲線や、裾から覗く褐色の足もどこか艶めかしい。などと、考えるわけもなく。


「そうか?」


 怒鳴られたり殴られたり蹴られたり……首まで締められているカイザにはもはやクリストフがそういう対象に見えなくなっていた。


「そうだろ。こんな生きたいい女を目の前にして、まだあの死体の方がいいってのか?」


 チェシャがそう言うと、カイザは少し赤面して下を向く。おかしな話だと、自覚していた。生きた女を目の前にしても何とも思えないのに、死んでいるミハエルのことは考えただけで胸が熱くなるのだ。


「…ほっとけ」

「言葉も交せず、抱きあうこともできず、何がよくて死体に執着してんだか。やっぱり俺にはわからねぇよ」

「俺だってよくわからないんだ。頼むから放っておいてくれ」


 カイザは眉を顰めて煙草を咥える。火をつけるカイザを横目に、チェシャは言った。


「……発情とか、しないのか?」


 カイザがげほげほと煙に咽た。カイザに睨まれると、チェシャはしれっと焚火を見た。


「…するか」

「男としては不自然だな」

「うるさい。元々、俺はそういうことに興味が薄い」

「ないわけじゃないんだろ?」

「…本当にうるさいな」


 カイザは舌打ちをして焚火に灰を落とした。


「不思議でならないだけだ。俺や妖精様が人間の女に惚れるのとはわけが違うからな。折角お前は人間なのに、あえて死んだ女を思ってる。いい顔もしてるのに、勿体無いと思ってよ」

「いいだろ。俺が誰に惚れようと」

「…そうだけどよ」

「俺はお前が不思議だ。何で俺らに協力しようなんて思ったんだ。俺達は初対面どころか、敵だろ。地獄門を閉じようともしてるんだからな」

「……」


 チェシャはぼーっと焚火の火を眺める。






--------------------------------------







「俺が?!」

「ええ」


 宿屋の屋上。相変わらず風が強く、ルージュは始終帽子を抑えている。ベンチに腰掛けつルージュの隣には、黒猫がころりと腹を出して気持ちよさそうに寝転んでいたのだが……その顔はやけに神妙だ。


「お、俺はこの街から出たくない! 好きな女に添い遂げると決意したんだ! あんたの言葉で!」

「……それすら叶わなくなるかもしれないのですよ」

「…楽園の門のせいでか。そんなもん、どうとでもなる。地獄の獣共がここへこようが、俺はあいつを守り切る自信がある」

「そういうことでは、なのですが」


 ルージュは小さく溜息をついて空を見上げた。赤い瞳が、ごうごうと流れる雲を捉える。


「…カイザは、神に選ばれた御子なのだそうです」

「あの金髪が?」

「はい。これから世界は裁かれます。そんな世界を救おうと、彼らは旅をしているのです。妖精の私が共にいることが、その証明にもなるのではないでしょうか」

「…まあ、妖精様の言葉を疑うつもりもねぇよ」


 チェシャは態勢を整え、ルージュの隣にちょこんと座る。


「彼らに何かあっては今度こそ……おしまいです」

「か、関係ねぇよ。魔族の俺には!」

「…火の雨が降り、地獄の門が開く」


 ルージュが呟くと、チェシャは顔を上げた。


「それが、我々が戦おうしている相手……審判の日です。カイザ達は、最初は自分の目的だけしか見えていませんでした。愛しい人のために盗まれた物を取り返したい。大事な人を守りたい。それだけ、考えていました。世界などどうでもよかったと思います。あなたと同じで」


 チェシャは、ふいっと視線を落とす。


「しかし、真実が明かされてゆくうちに気付いたのです。大事なものを守るには世界を守らなくてはならないと。たった一つの宝物探しが、いつの間にかこんな大きな話になってしまったのだから……彼らも戸惑ったことでしょう。しかし、守るべきもののために突き進むことを決意したのです。あなたと同じで」

「……」

「私が戻るまででいい。どうか、彼らについていてあげてくれませんか。あなたの愛しい人を、守るためにも」

「……」


 ルージュはチェシャを見た。チェシャは俯いたまま、動かない。ルージュが諦めたような溜息をついた、その時。


「…わかった。ついてってやる」


 ルージュは少し驚いたようにチェシャを見た。


「シドは友達だし、あんたは恩人だからな」

「…ありがとうございます」


 チェシャは微笑むルージュを睨んで言った。


「でも! 何かあったらすぐ俺はナタリーに戻る!」

「ええ。いいでしょう。ああ、あと、頼んでおいてこんなことを言うのも申し訳ないのですが、クリストフ様のことは怒らせないようにしてください」

「クリストフ? あの女か?」

「忠告ですよ。使えないと判断されれば非常食になりかねませんからね」

「非常食?!」

「私も踊り食いされそうになりました。瓶に入っていなければ今頃……」


 思いだして疲弊感漂う溜息をつくルージュ。そんなルージュにミャーミャーと声を荒げるチェシャ。


「そんな連中のところに俺を放り込むのか?!」


 ルージュはニッコリと笑った。


「皆、仕事柄短気ですから。どうか殺されないよう気をつけてください」

「……やっぱり、やめてもいいか」

「駄目です」


 ルージュの笑顔が、嫌に冷たい。固まるシドと微笑むルージュの間を、強い突風が吹き抜けていった。







----------------------------------








「…思えば、あれは脅しだな」

「?」


 チェシャの呟きに、カイザは首を傾げる。


「神に選ばれるってのはどんな気分だ」


 首を傾げたカイザの顔が、驚いたような困ったような表情で固まる。カイザは少し唸って、言った。


「……よくわからない。勝手に人に言われただけだから、実感もない。今まで神に見放されたとしか感じたことがなかったからな」

「何言ってんだ、そんな顔して」

「…だから、顔のことはもういいって」


 カイザは吸い殻を焚火に放り込んだ。赤い炎の中に、小さな吸い殻が溶ける。


「…生まれた時は、神に嫉妬される子供だと言われてた」


 後ろに手をつき、小さな炎を見つめるカイザ。


「生まれて5年で誘拐されて、盗賊になった。盗賊になったことで……なんだ、命を救われたんだよ。そして、ミハエルと出会えた」


 ミハエル。チェシャはふと、白い布に包まれた死体を見た。


「……十分神に祝福されてんじゃねぇか」



--これ、カイザにぴったり--

--カイザのお花は、"神の祝福"だって--



 頭を過る、シドの言葉と青い花。カイザは赤い炎をその青い瞳に映しながら、言った。


「…そうだな。でも俺は、命の恩人を自分の手で殺めた」

「……」

「俺がもといた家は、ミハエルに酷い仕打ちをした。そして、俺がやっと再会した時にはもう……あの姿だ。そのうえ組織に追われるわ、東の刺客に狙われるわ……世界がどうだの審判の日だの、運命の至る場所がなんだの」


 チェシャには彼の言うことが全くわからない。しかし、その表情からカイザの身が如何に特別な立場にあり、彼が如何に悩んでいるかが伺えた。ルージュの言う通り、困惑しているのだろう。


「こんなことが神に選ばれたってことになるなら、俺は決して祝福なんかされてない」

「……」


 カイザの目は、嘆きというより憤りで染まっているように見える。焚火の明かりが反射しているからだろうか。チェシャは少し考え、言った。


「…生きてて楽しいのか?」

「楽しくない。わけでもない」

「どっちだよ」

「…大事なものができた。そして、生きろと言われた。だから辛うじて生きてる。俺は生かされてるだけなんだよ」

「寂しい人生だな」

「寂しいもんか」


 カイザは、シドの小さな頭を優しく撫でる。


「選ばれたということに関しては、神に嫌われているものだと……思っていたが。こいつらに会えた。それだけで、今は十分一人の人間として祝福を受けたと感じる」

「……」

「やはり、俺は生きてるわけじゃない。生かされてるんだ。こいつらと、神に。そんな恵まれたことはない。寂しいことなんて、今まで何一つなかった。…と思う」



--心の有様一つで楽園にも地獄にもなりえる。それが、地上なのです--



 困惑も、苦しみも、悲しみも……全てを打ち破って、こいつは生きている。いや、生かされている。自分が彼の立場であったなら、こんなことを考えられただろうか。いや、できない。自分の運命を憎むか、自分の悲劇に驕るか。正気でなど、いられないだろうに。何が彼をこんなに強くしたのだろう。猫の赤い目に映るカイザは、とてつもなく奥深い。その青い瞳の向こうで揺らぐ火には、やはり……あの死体がちらつく。蒼白の肌に黒い髪が美しい、あの死体。

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