83.煙と帽子は空に溶ける
「おかえりー!」
何やら楽しそうなクリストフと、げんなりしたカイザが宿に帰ってきた。シドはルージュとテーブルの席についていた。
「…見つかってしまったのですか?」
「ああ……買い物に付き合わされた」
ルージュの隣に座り、新箱の煙草を開けるカイザ。クリストフはミハエルに駆け寄り、その足元でガサガサと買い物袋を漁る。
「シドは何やってんだ?」
カイザはシドが眺める資料を覗き込む。
「世界の宝物見てるんだよ」
「今晩の獲物選びだそうで。盗賊の勉強をしてるんです」
「フィオールの資料も凄いけど、ルージュも沢山知ってるよ」
カイザ一枚紙を取り、煙草を咥えた。
「…こんなのもあったのか。宝の相場から移動まで細かく書いてるな……大体あってるし」
「今晩はー、コレにする。 テナーの遺作」
少年が指を指す宝とは、テナーという画家が最後に描いて死ぬまで所持していた作品だ。これは帝国美術館に置かれたとても価値のある絵。
「あー……それ盗めたら大したもんだな」
少年のごっこ遊び。カイザは火もつけずに煙草を咥えたまま資料を眺め、それに付き合う。
「そんなに凄い?」
「美術館や博物館の代物は盗み出すのも難しい。あと、盗んだ後が問題だ。そういうのは一点物だから売る相手によっては足がつく。だから盗賊もあまり狙わない。金にするだけなら金細工や宝石、小さくて、世間に幾つか出回ってる物の方が効率的だ。ほら、」
カイザは見ていた資料をテーブルに置き、シドに見せた。カイザが指を指すところには、マンドレイの燭台、と書いてあった。
「俺が8つか9つくらいの時に盗んだやつ。金細工にルビーが埋め込まれた、世界に3つしかない燭台だ」
「カイザの名前書いてる!」
火をつけようとしていたカイザは、資料を食入るように見た。確かに、燭台の移動にカイザの名前が。
「…なんでフィオールが知ってんだ」
「ねぇねぇ、じゃあ美術館にある物は盗っちゃ駄目なの?」
シドが聞くと、カイザは煙草に火をつけて言った。
「依頼人がいればそいつに売れるし、足がつくことはないから駄目ということはない。あと、自分が欲しけりゃ盗る」
「カイザは、美術館とか博物館へ盗みに入ったことある?」
「あるよ」
ルージュはカイザの前に灰皿を置いた。
「殺されかけた」
「…うわぁ」
「国宝だからな。どのみちギバーが使えないと入れない。美術品狙うつもりなら、お前もそろそろ開錠の練習するか」
「する!」
シドは嬉しそうにパタパタと足を動かした。
「お前ら。盗賊談議はいいけど、フィオールはどうした」
靴をミハエルに履かせたクリストフが言った。ルージュが首を傾げる。
「すぐ戻ると言っていたのですが……」
「仕事してるんじゃないか?」
鼻から煙を溢れさせながら、カイザが言った。クリストフは、ふーん、と言って真白なワンピースを広げた。
「でも、お金もろくに持ってませんよね」
「質に行ったんだし、大丈夫だろ。あんなボロが4着じゃ2万いったかも怪しいけどな」
カイザは灰皿に灰を落とした。夕日が窓から差し込み、シドが眺める資料を赤く染める。文字だけで表された宝物に、少年は胸を躍らせていた。
夕日が曇り硝子を赤く染める店内。客も数人しかいない静かな喫茶店には、紅茶の匂いとケーキの甘い香りが立ち込める。
「2年前と全然変わらないわね」
「そ、そうか?」
「変わらないわよ。相変わらず照れ屋で」
フィオールは顔を赤くして視線をそらし、紅茶を一口飲んだ。
「……ユリヤも、全然変わってない」
「私は変わらないわよ。25過ぎたら2年やそこらじゃそう変化しないものよ」
ユリヤは小さく笑って、長い髪を掻き上げた。露わになる大胆な胸の谷間。波打つ金髪に、優し気に垂れた茶色い瞳の目。何もかもが、昔のまま。フィオールは彼女を懐かしそうに見つめる。
「…何? そんなに見つめて。寄り戻したくなった?」
「や! そ、そういうわけじゃ、……」
慌てるフィオールを見て、ユリヤは微笑む。
「そうよね。フィオール、結婚してるみたいだし」
「……」
金の指輪を見て、フィオールは言った。
「結婚、してるわけじゃない」
「…ふーん」
ユリヤはカップを手に、笑う。
「ユリヤだって、ナタリーに引越してるってことは嫁いできたんだろ?」
「…違うわ」
「?」
ユリヤはカップを置き、言った。
「…あの街は、思い出が多過ぎたから。逃げ出したのよ、ここへ」
寂しそうに、沈む声。
「フィオールと、別れてから」
「……」
見つめ合う二人。互いの思い出がその視線を交差する。共に笑い、共に泣き、身を寄せ合って眠りについた夜も……全てがここに、蘇る。離れた恋人達の、再会。
月が昇る深夜。大きな袋を持ったカイザとシドが宿屋の階段を上っていた。
「シドは飲み込みが早いな。ブラックメリーの馬鹿共とは大違いだ。普通の鍵はもう開けられるから、今度はもっと特殊な鍵にも挑戦してみるか」
「やる!」
扉を開けて部屋に入ると、白いワンピースを着たミハエルの前にしゃがみ込むクリストフがいた。ルージュは心配そうな顔をしている。
「…どうした?」
「あ、お疲れ様です……」
ルージュがカイザ達に気付いた。クリストフはじっとミハエルを見つめ、動かない。カイザは盗品をテーブルに置き、羽織を脱いだ。
「何してんだ? クリストフは」
「…それが、フィオールがまだ戻らなくて」
「…あいつがね」
カイザが脱いだ羽織をシドが受け取り、羽織かけにかけた。カイザはルージュの隣に座った。
「早速浮気の心配か?」
「…先程は、"さっさとノースに行かなきゃならないのに!"と怒ってらっしゃいましたが」
「そうか。あいつが浮気なんて考えられないしな」
「フィオールは一途そうですしね」
「ああ。前も凄かったぞ? 俺にはこの女しかいない、って。2年前に別れたけどな」
シンクで水を汲むシドに振り返るカイザ。
「俺にも」
「わかったー」
シドはコップを二つ手に持った。
「クリストフ様以外にいたんですか。そんなに夢中になった女性が」
「俺の知ってる限り、その女だけだな。激しかった女遊びも、その女一人と出会ってぱったり落ち着いて。確か、浮気されて別れたんだよ」
「それは……可哀想に」
「だからあいつが浮気するなんて考えられないんだ。どうせ何処かの酒場で飲んだくれてんだろ」
並々と水を注いだコップを手に、シドはカイザの正面に座った。
「はい」
「ありがとう」
シドからコップを受け取ろうとした時、コップはカイザの手からするりと抜けた。ゆらりと波打ち、零れる水。その水滴が木のテーブルに黒い点になって染みた。コップは、ゆっくりとテーブルに向かって落ちてゆく。
目が覚めると、朝だった。知らない天井、知らない匂い。慌てて起きてみると、何も着ていない。額を抑え、枕元に目をやると手紙があった。
「……」
"また一緒に過ごせて嬉しかった。すぐに寝てしまったから言えなかったけど、もう一度、フィオールとやり直したい。今晩、4番街の酒場で待ってる ユリヤ"
手紙を持つ手が震える。そして、気付いた。指輪が無い。周りを探すが、見当たらない。フィオールは見知らぬ部屋を見渡した。
「……何、してんだ? 俺」
何も思い出せない。しかし、ぽつりぽつりと脳裏を過る……髪を振り乱して自分を見下ろすユリヤの顔。
「……やっちまった」
項垂れるフィオール。手をついたベッドには仄かに、ユリヤの温もりが残っていた。
朝日が眩しく、仕事で人々が忙しなく駆け回る商店街。そこを、虚ろな目をしてフィオールは歩いていた。宿に戻り、扉の前に立つ。指輪が無くて違和感のある指を触り、ごくりと生唾を飲み込んだ。そして、扉をゆっくりと開いた。
「…あ、」
「おかえりー!」
「お、おかえりなさい、フィオール」
部屋に入ると、皆で朝食をとっていた。無表情のカイザと呑気なシドはいいとしてルージュの困ったような笑顔から何かを察するフィオール。恐る恐る、ルージュの正面に座っているクリストフを見ると……鬼の形相で睨んでいた。
「…てめぇ、朝帰りとはいい度胸だな」
部屋に一歩踏み入れたまま、固まるフィオール。クリストフはテーブルを叩いて立ち上がり、見下ろすように睨みながらフィオールに歩み寄る。ルージュが慌てて止めに入る。フィオールの前に立ち、言った。
「ク、クリストフ様! フィオールだって仕事で疲れてるでしょうし今日のところは……!」
「お前は黙ってろ!」
クリストフはルージュに向って拳を振り下ろした。ルージュの顔面に拳が沈むと、ルージュは炎になって消えた。そして、空振った拳はフィオールの顔面に直撃する。廊下に殴り飛ばされ、鼻を抑えるフィオール。
「…あれは、本気で怒ってるな。まさかルージュごと殴りにかかるなんて」
パンを片手にカイザが言うと、蜥蜴になったルージュがカイザの肩に登ってきた。
「死ぬかと思いました……」
「フィオールは死ぬかもしれないな」
廊下を見つめる二人。シドもぽかんとしてクリストフの背中を見つめていた。
「お前、何してた」
「な、何って」
「朝まで何してたんだって聞いてんだよ」
そう聞かれても……夕方から朝まで、約半日の記憶が定かでない。記憶の断片を言おうものなら、殺されかねない。廊下の壁に寄りかかって座り込むフィオールは、クリストフに見下ろされながら必死に言い訳を考える。
「金も持たねぇで、何処ほっつき歩いてたんだよ」
「金……」
フィオールは思い出したかのように財布を開いた。ある。質で受け取った5万。クリストフは財布を取り上げ、言った。
「何でこんなに持ってんだ? ここにくる前は小銭しかなかったよな」
「そ、それは質に冬物を売った金だ!」
「あんなボロで、5万?」
「本当だ! 店主の親父に聞けばわかる!」
「だったら……お前は1ペルーも使わずに朝まで何してたんだよ!」
クリストフがフィオールに向かって足を振り下ろした。フィオールは腕で顔を覆い、目を瞑る。すると、電気が弾けるような音がした。
「……」
身体にどさりと、重みが加わる。目を開けると、クリストフが自分にもたれかかって倒れていた。
「クリストフの蹴りなんかくらったら死にそうだからな。気絶させた」
「…カイザ」
カイザは面倒臭そうな顔をしてフィオールを見た。
「でも、お前本当に何処で何してたんだ?」
「……」
フィオールは俯き、クリストフを見た。
「……場所変えて、クリストフが寝てる間にでも話そう」
「…わかった」
ぐったりする少女の指には、金の指輪が光っている。生と愛に感謝したあの日、交換した指輪が。
朝の日差しが眩しい宿の屋上。洗濯物が干され、白いシーツが風に靡く。
「…何で全員で来るんだよ」
ベンチに腰掛けるフィオール。それを囲うように、男三人とカイザに背負われたミハエルがいた。
「あいつ起きたら暴れ出しそうだからな」
「私も殴られたくありません」
「僕も」
要するに、避難していた。フィオールは左手を隠すように組み、溜息をついた。
「で? 何してたんだ?」
カイザはベンチにミハエルを座らせ、フィオールの隣に座った。フィオールは少し黙って、話し始めた。
「……質に行ってから、喫茶店に行って……」
「喫茶店? お前が?」
カイザが眉を顰める。
「似合いませんね」
「うるせーな! 俺がお茶しちゃ悪いのかよ!」
ルージュに怒鳴るフィオール。カイザはぼうっと突っ立っているシドに言った。
「シド、本当か?」
「本当」
シドはこくりと頷いた。
「何で俺じゃなくてシドに聞くんだよ」
フィオールが横目に睨むと、カイザは言った。
「喫茶店の茶一杯で朝まで過ごしてたわけじゃないだろ?」
「そ、そりゃあ。まあ……」
「俺達には本当のこと言えって。それで皆でクリストフを宥めよう。面倒臭いから」
「……」
宥められるのか、本当に。カイザに至ってはユリヤの事も知っているし、記憶が無いなんてどう話せばいい。フィオールは意を決して、言った。
「…喫茶店を出てからは、酒場で……」
「嘘だ!」
決した意はシドの叫びに打ち砕かれた。
「だから、何でお前にわかるんだよ!」
「僕にはわかるの!」
カイザはシドの頭を撫で、言った。
「お前は知らないか。こいつ目が無い間凄く感覚が鋭くなってたろ。その時、耳や鼻以外にも、人の発する空気を読み取る感覚も鋭くなってたんだよ。気配で人を見分けてたくらいだ。殺気はもちろん、落胆や怒りなんかも顔が見えない分、空気で感じてた。だからわかる」
「……」
「お前の嘘もな」
フィオールはがっくりと俯いた。
「歩く嘘発見器かよ……」
「嘘以外もわかるよ。今、凄く絶望してるでしょ」
「…聞いてねぇよ」
フィオールが言うと、カイザは背もたれに寄りかかって言った。
「とにかく、無駄だとわかったろ。さっさと吐いて楽になれ。口裏を合わせるにも、話聞かないとどうしていいかわからない」
「…わかったよ。言う。でも、シドにはちょっと……」
「……ルージュ、」
カイザが呼びかけると、ルージュは頷いてシドを連れて向こうのベンチへと歩き出した。
「ミハエルさんもちょっと……」
「何で。お前は死体としか思えないって言ってたじゃないか」
「…怒られそうだ」
「……」
シドとルージュは手を繋ぎ、遠くを見ている。ミハエルはじっと、風に吹かれるだけ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ぼんやりした視界。それは少しずつ焦点が定り、景色を映し出す。ゆっくりと身体を起こすと、部屋には誰もいない。少女は舌打ちをしてベッドを殴った。
「…あたしは一体、何してんだよ……」
湧き上がる怒りが抑えられなかった。フィオールが何をしていたかすらわかっていなかったのに、頭ごなしに怒鳴りつけて。自分のしたことに後悔しながらも、考えていた。
ーーな、何って……ーー
ーー本当だ! 店主の親父に聞けばわかる!ーー
昼前から出て、朝まで。一銭も使わずに何をしていたのか。フィオールの情報収集は酒場が主だから金を使わないわけにもいかない。よって、昨晩は仕事をしていたわけではないことになる。
少女はベッドから立ち上がり、窓に歩み寄る。すると、椅子に座っていたはずのミハエルまでいない。確かに、あれだけ怒鳴り散らせば死体も逃げ出す。少女は窓の縁に手を置いて、外を眺めた。天気もよく、心地よい風が入ってくる。
「……」
ふと、空を見上げた時だった。小さな炎が燃え上がり、消えた。煙の塔で、竜巻の中フィオールとはぐれた時のことを思い出す。風が吹き荒れる暗い空で、一瞬燃え上がった火。消え去った時の、悲しみ。クリストフは、空を睨んで踵を翻した。そして、部屋から出て行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「…喫茶店から記憶がない?」
「無い、というか、その……最中の記憶は何となくあるんだ」
「最中……最中って、まさか」
「そのまさかだ」
フィオールは深い溜息をついた。カイザは唖然としている。
「でも、本当に記憶が途切れてて、何で朝になってたのかも……」
「…その街で会ったって女、ユリヤだろ」
「!」
フィオールは驚きに顔を引き攣らせた。
「な、なんで……」
「勘」
「…お前ら親子は、本当になんなんだよ!」
フィオールは両手で顔を覆った。
「まあ、見知らぬ女なんかにお前がついていくはずないからな」
「……恐れ入りました」
カイザは煙草を取り出しながら言った。
「話を聞く分には、不可抗力だったわけだ。喫茶店で薬でも盛られたんじゃないのか?」
「席も一度も立ってないし、あいつもそんな仕草は見せなかった。薬盛られたらわかる」
「……そういやお前、指輪どうした」
フィオールは手を放し、眉を顰めて指を撫でた。
「…たぶん、ユリヤにとられた」
「あの女、大人しそうだったのにやる時はやるんだな」
「そうなんだよ。普段は淑やかなのに夜になると思いっきり跨って……」
「……」
「……」
煙草を咥えたカイザにじとっと見つめられ、フィオールははっと我に返る。そして、小さく首を横に振って、溜息をついた。
「今日の夜、4番街の酒場に呼ばれてる。もう一度……会ってくる」
「よせ。記憶ないんだろ? 何されたかもわからないのにまた会うのは危ない」
「…あの指輪だけは、すぐに取り返したいんだ。じゃないと、クリストフにも……ルージュにも、顔向けできない」
左手に重ねた右手は、小さく震える。カイザはそれを見て、溜息をついた。そして、煙草に火をつける。
「わかった。俺が見張ろう。なんかしでかしそうになったら俺が止める」
「それは、助かる」
フィオールはふっと笑って、顔を上げた。
「ちゃんと情報も集めてくるからよ」
「ああ、頼む」
カイザは大きく煙を吸い上げ、吐き出す。紫煙は風に流れて、青い空へと消えてゆく。
「クリストフはどうするんだ?」
「…指輪が戻ったら、全部話して謝る」
「殺されるぞ」
「いい。あいつの気が済むなら」
フェンスの外に灰を落として、カイザは言った。
「クリストフのこと本気なんだな」
「中途半端な気持で美女を愛せるかよ」
カイザはミハエルを見た。
「…そうだな」
「それなのに、俺は」
フィオールは口に手を当てて背もたれに寄りかかる。カイザは、少し目が潤むフィオールを見て言った。
「お前、女にとことんまで惚れられる質だよな」
「なんだよそれ」
「クリストフには殺されかけて、ユリヤにはわけわからないことされた挙句指輪までとられて」
「…情けねぇよ」
「二人とも、それだけお前のことが好きなんだろ。俺はないな、そんなになるまで惚れられたこと」
「それはお前が女と付き合ったことないから面倒事まで行き着かなかっただけだ」
「…そうだな。あの二人をああしたのはお前だ」
カイザの言葉に、フィオールの表情が固まった。カイザは煙を吐き出し、灰を落とす。
「ユリヤと喫茶店に入ったのは、昔話でもする程度の気持だったかもしれない。でも男と女だ。その上、昔の恋人とあれば何が起こるかわからない」
「……」
「ユリヤがお前を忘れられなかったように、お前の心の何処かにもユリヤがいたんだ」
ろくに女と付き合ったことのない5歳も年下の青年に、心を突かれる。それはやはり情けなく、悲しい気持にもなった。しかし、女と付き合ったこともなく客観的に男女交際を見てきたカイザだからこそ、よくわかることもある。当人ではわかりえない心の奥底まで、透けるように見えることが。経験の多さでは、男女は測れないのだ。
「クリストフとユリヤ、一人しか助けられなかったらどちらを選ぶ」
いつかも強いられた選択。フィオールは前を見て、抑揚の無い声で言った。
「クリストフ」
カイザは、チラッとフィオールを見た。
「…もっと悩むと思ったんだが」
「前にも同じ事を聞かれた。俺は泣きながら殺したよ、ユリヤを」
カイザには、フィオールの言うことがよくわからない。しかし、その少し力んだ声色でわかった。心は、決まっていたのだと。
「…それが、俺の選択なんだ」
風が吹き抜け、大きくシーツをはためかせた。向こうではシドがフードを抑えている。ルージュも帽子を抑えようとしたが、帽子は風にさらわれて空高く舞い上がった。そして、ぼうと燃え上がり、消えた。




