81.それぞれの時間が過ぎゆく
ほんの、出来心だった。墓石の名前、そして、一緒に埋めた金の輪。この存在を、あの微笑みを、心の中で美しく色褪せないものにするための……
「…見つけた」
下弦の月が空に光を刻む夜。あの方が眠る、墓地。墓石の名を覆って伸びる黒い影。
あんなことになるなんて。誰が想像しただろう。
「栄光と破滅をもたらす業輪……」
こんなことに、なるなんて。
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「いいか、絶対に面倒事は起こすなよ」
宿屋の一室。ベッドに一列になって座るカイザ、シド、フィオールを見つめてクリストフは言った。クリストフの肩には赤い蜥蜴が乗っかっている。フィオールは不満気な顔をしてボソリと呟く。
「ノーラクラウンじゃ自分が面倒事に首突っ込んだろ……」
「バンディやクロムウェル家の動向も掴めてないんだし、文句言うとまた怒り出すぞ」
カイザが小声で囁いた。シドはニコニコ笑ってルージュを見つめていた。
「…可愛い」
「……」
ルージュは、ちゃんと話を聞くよう赤い尻尾を振って見せた。
カイザ達が宿を取ったここ、ナタリーは二つの顔を持つ街として有名だ。日が昇る時間は和やかな雰囲気が漂うが月が昇るとそれが一変して華やかな繁華街となる。この街の人間は皆、昼と夜の顔を持つのだ。それが本業と副業との切り替えに繋がり、街の繁栄に一役買っている。住民達の変化を楽しみにくる観光者も少なくない。
「これまで通り羽織は必ずかぶっとけ。あと、人と接する時は自分の身上が知れないように気をつけろ。アーマーも見せるな。カイザ、お前は顔もだ」
クリストフが言うと、カイザは眉を顰めた。
「どいつもこいつも人の顔を……」
「文句言うな、クリストフのゲンコツは脳みそ揺れるぞ」
フィオールが横目にカイザを見て宥める。
「夜までは好きに過ごしていいぞ。動くのはこの街が夜の顔に変わってからだ」
「了解、マザー」
やる気の無い声で言うと、フィオールはばったりとベッドに倒れ込んだ。赤い蜥蜴をシドに手渡し、クリストフは隣のベッドに横たわるミハエルに歩み寄り、抱き起こした。少女は早速、ミハエルの身体を綺麗に洗うつもりらしい。カイザがそれをぼーっと見ていると、フードにルージュを乗っけたシドがベッドから立ち上がり、言った。
「カイザ! 街に行こう!」
「ああ、いいぞ」
カイザが立ち上がろうとしたその時、
「駄目だ」
ミハエルを背負った少女が言った。
「顔も見せるなと言ったのに真昼間に外に出てどうする。カイザは夜以外外出禁止だ」
「えー! 街に行きたい!」
シドは少女に駆け寄り訴えかける。カイザを外に出せ、と言っているようにも聞こえるが、一人で出歩いたことがないがためにそう聞こえるだけで、少年の訴えは自分を外に出せ! といったところだ。
「うるせーなこのクソガキ!」
「だってカイザがー!」
見兼ねたカイザが、口を開いた。
「一人で行ってみたらどうだ? シド」
少年はカイザを見た。
「そうだ! 行くなら一人で行け!」
少女はぷんぷんと怒りながら部屋から出て行った。残された少年は眉をはの字にして俯いた。
「一人でお外出たの仕事でしかないし……不安だよ」
「…俺も不安だけど、」
カイザは頭を掻きながら言った。
「たまには一人で好きなように街を歩いてみるのもいいんじゃないか? いつも俺にくっついて来てただけだし」
「…うーん、何処行けばいいかわからない。他人に話しかけられたらどうしたらいいの?」
「とりあえず殺さなきゃいいよ」
不安そうに鎌をぎゅうと握っていた少年は、パッとそれを腰にしまった。
「昼間に面倒が起こることはまず無いだろうし……そうだな、物盗ったり、威嚇したり……相手に危害を加えるようなことをしなければいいんじゃないか?」
「……わかった、行ってみる」
「いいか? 殺らない盗らない威嚇しない、だぞ」
「うん」
フィオールは頬杖をついて二人のやりとりを眺めている。ルージュも何か物言いたげにカイザを見つめる。シドはそんなルージュをカイザに渡した。
「じゃあ……僕、一人で行ってくる!」
「うん、行ってこい。日が暮れる前には戻れよ」
「わかった」
カイザは財布から金を取り出してシドに渡した。シドはそれを受け取ると、嬉しそうに窓から出て行った。
「…玄関から行けって言えばよかった」
カイザが呟くと、膝の上の蜥蜴が喋り始めた。
「その前に。殺らない盗らない威嚇しないは当たり前のこととして、シドが他人に危害を加えられた時のことも教えるべきだったのでは?」
「普通はそれ教えるだろ。知らない人についていくな、とか。危ない所に近付くな、とか……」
フィオールに言われて、カイザは思い出したかのようにルージュを手に立ち上がった。
「……」
そして、座った。
「あいつが他人に何かされるところも、危険な場所行って死ぬところも想像できない」
「…確かに、ホワイトジャックで生き残ってきた小さな死神ですからね」
ルージュもそれには同意のようだ。フィオールはケラケラと笑った。
「お前、親らしいんだかどうなんか」
「シドのことはよくわかってると思いますよ?」
カイザは想像できないながらもそれなりに思い返してみる。小さく唸りながら、ポケットに手を入れた。
「…あ、煙草」
「無いのか?」
フィオールが身体を起こして覗き込む。カイザは溜息をついて頷いた。
「仕方ねぇ、買ってきてやるよ」
「いや、煙草くらい自分で買いに行く。お前は昼も忙しいだろ」
「あ、うーん……」
立ち上がろうとしていたフィオールはふと思い留まる。
「冬物、質に入れに行けってクリストフに言われたろ」
「…あ!」
フィオールは部屋の隅に丸まった羽織やらブーツやらに目をやった。カイザはルージュをベッドに置き、言った。
「クリストフに文句言われる前に戻る」
「…そうか、気をつけてな」
カイザの背中を見送り、フィオールは怠そうに冬物をまとめる。
「面倒臭ぇ……」
「手伝いましょうか?」
「大丈夫だ。今日の昼はこれ売って街の様子見に行くだけだから。お前はクリストフのお守りしてやっててくれ」
フィオールは大きな袋を手に、部屋出て行った。静かになった広い部屋。赤い蜥蜴は一匹残って、ただその尻尾をゆらめかせる。
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「ガトー君さあ、お母さんのこと凄く信頼してるよね」
水晶の間。槍の手入れをしていたガトーは顔を上げた。
「詳しい話もわからないのにはいはい言うこと聞いて。いい子だよねー」
「…別に、いつも従順なわけでもないですよ。詳しく問い質さないのは母を信頼しているからですが」
魔術書のページを捲り、オズマは言った。
「お母さんのこと好きになったりしないの?」
ガトーの手が、止まる。
「ずっと二人連れ添ってきたわけでしょ? それがいきなりあんな頭悪そうな男に取られて腹立たない?」
「……」
ガトーは小さく笑い、言った。
「オズマさんは、自分で自分に恋焦がれることができますか?」
「できないね。自分は嫌いだから」
「そうでしょう」
「……で? それが?」
「俺は母の分身です。自分の分身たる母をそのような目で見ることはできません」
「ふーん。親子は分身か。面白いね」
オズマはガトーを見た。ガトーは笑顔で槍の柄を拭いている。オズマは魔術書に視線を落とした。
「…昔さあ、泉に映った自分を好きになっちゃった男がいたらしいよ」
「それは……不毛ですね」
「不毛も不毛。触れない、話せない、ただ見つめるだけの恋さ。結局、男は死ぬまで泉に張り付いてたらしいね」
オズマが言うと、ガトーはクスクスと笑う。
「鏡越しの恋ですか。なかなか浪漫があると思いますよ」
「君も鏡に張り付いてくたばらないよう気をつけなよ?」
「…俺は違うって言ったじゃないですか」
ガトーの笑顔ふと冷たくなる。オズマは鼻で笑い、言った。
「鏡に映る自分に目を奪われて、はたして、それが恋だと気付けるかな」
「光の反射に心を奪われること自体難解です」
「それもそうだ」
オズマが笑うと、ガトーは大きく鼻から息を吐き出し、ソファーの背もたれに寄りかかる。
「悪かったよ。別に引っ掻き回そうってつもりはなかったんだ。ただ、君が何か心に押し込めているものがあるなら吐き出させてあげるのも悪くないかな? と思って」
「余計なお世話ですよ」
「たった二つの分身なら尚更だ。一方が白くなれば一方は黒くなる。君達を見てればわかるよ」
「……」
一方が白くなれば、一方が黒く……ガトーは槍の先をオズマに向けた。
「悪魔の言葉には惑わされませんよ? そうやって面白かっているのでしょう?」
「何? 図星つかれちゃった?」
テーブルに頬杖をつき、笑うオズマ。そんな意地悪い笑顔とは正反対の、穏やかな笑顔のガトー。
「…寝言が寝て言えるように、永眠させてあげましょうか」
「わかったわかった、やめやめ。さすがの俺も神の子とやったらただじゃ済まないからね」
オズマは力なく手を横に振った。ガトーはオズマに槍を向けたまま、柄を拭く。
「…親子は分身なんだよね」
「その話は終わったんじゃないんですか?」
「君は神の分身でもあるわけだ」
「……」
ガトーは少し黙り、言った。
「そうですね。父さんの分身、でもあります」
「じゃあ、クリストフさんは神だね」
「いえ、俺が母さんと父さんの分身だから母さんが父さんの分身というわけでもないですよ」
「何それ」
「ほら、例えば……シド。彼って髪質がカイザさんに似て独特のクセがあり、エドガー様に似て黒いでしょう。でもカイザさんとエドガー様は全く違う」
オズマは少し考え、まあ、とだけ呟く。ガトーはにっこりと微笑んだ。オズマは彼の言いたい事がさっぱりわからない。そして、彼がその胸に秘めたものも。オズマは前から思っていた。彼は絶対に何も知らないようで何か知っている、と。ベリオットで拘束された夜の、ガトーの言葉がそれを匂わせていた。しかし彼は、微笑むばかりで何も言わない。最後まで……言わない。
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「おい、」
後ろから話しかけられ、立ち止まるカイザ。その頬には冷や汗が伝っている。宿屋の廊下、一階の玄関のすぐ近く。部屋は2階。弁解はままならない。なんと言い訳しようか考えていると、肩を思い切り掴まれた。
「カイザ」
ゆっくり顔を向けると、肩には金の指輪をした褐色の手が乗っている。ミハエルを背負った少女は、ニコニコと恐ろしげな笑顔を浮かべている。カイザは少女を見つめ、生唾を飲み込んだ。
少し曇り気味な空。宿屋を出てすぐ大きな路地にでると、そこは活気溢れる人で賑わった通り。店が立ち並び、行商人もお零れに預かる。その一角の質屋にフィオールはいた。
「ノーラクラウンの冬物か。まだ新しいじゃねぇか。随分ボロっちいのもあるが……」
「まあな。だが、目利きの親父だからわかると思って持ってきたんだ」
フィオールはクリストフが着ていた羽織を手に取り、言った。
「この羽織とそこのブーツは世にも有名なマザー・クリストフの物。こっちは伝説の美青年、こっちは堕天使のガキが着ていたものだ」
「何処でそんなもん……偽物じゃねぇだろうな」
「まさか。この血のシミや焦げ跡、そんじょそこらの平民が着ててもできねぇぞ?」
「…まあ、それもそうだな。で、こっちは」
背中に大きな穴が空いた羽織を手に取る店の主人。
「俺が着てた」
「……」
主人は黙って金庫を開けた。
「マザーの羽織に1万、美青年の羽織に7千、堕天使の羽織に1万5千、お前の羽織は捨てる」
「何で!」
フィオールはカウンターに拳を叩きつけた。店主はブーツを物色しながら言った。
「こんな穴空いたのよく質に入れようと思ったな! 馬鹿かお前は!」
「そんなの、俺のも美青年の羽織だなんだ言って売ればいいだろ!」
「物の放つオーラが違うんだよ、オーラが」
「…さすが、親父」
「だろ?」
店主はクリストフのブーツをカウンターに置き、金を取り出した。
「羽織の合計は3万2千。ブーツは一足5千で1万5千。合計4万7千ペルーな」
「待てよ、おかしいぞ。一足5千ならブーツの合計は2万だろ」
「お前のは捨てる」
「……」
店主はフィオールが履いていたブーツを手にぶら下げて見せた。
「…畜生! 本当に目利きかだったのかよこの親父!」
「商人をなめるなよ」
「傷ついたから5万にしろ!」
「うるせぇ奴だな。穴あきの羽織と汚いブーツ押し付けといて。仕方ねぇから5万にしてやるよ」
店主は金庫から5万ペルー出してフィオールに渡した。
「毎度。今度は妖精の帽子でも持ってこい。10万ペルーで買ってやる」
「……」
フィオールは金を手に店を出て、立ち尽くす。
「何なんだあの親父」
そう思いながらもどうやってルージュの帽子をかっぱらおうか考えていた。
「…フィオール?」
呼び声に振り返る。そして、固まった。
ーー…これが、お前の選択だーー
白い部屋で響く、子供の声。二つの棺、一本の剣、二つの扉。
「やっぱり! こんなところで会えるなんて……」
クリストフを生かすことを選び、涙ながらに剣を突き立てた……あの棺。
「また会えて、嬉しいわ」