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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆煙の塔~最後の記録~
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80.感謝の言葉は他の意も持つ

「パリスへ向かうのは良しとして、あたしは寄りたい所があるんだ」


 クリストフは、小さな小瓶を出した。その中には、白い粉が入っている。カイザは小瓶を見て、少女に問う。


「…それは?」

「……あたしの親戚だ」


 親戚。その白い粉が何なのか、カイザは察した。


「クロムウェル家で偶然会ったんだが……殺された。エドガーと違って腐るからな、ダンテに焼いてもらったんだ。これを、ノースの墓地まで持って行きたい」

「ノース?」

「こいつの家の墓があるんだ。エドガーが守っていた墓地に」


 少女は伏目がちに、呟く。何故ノースに、何故親戚がクロムウェル家に。少女の悲しげな目を見て、カイザは聞きたいことを飲み込んでしまう。


「…ノースのことなんですが」


 黙っていたガトーが、おずおずと話し始めた。


「ブラックメリーに潜伏させていた者との連絡が途絶えてしまいました。諜報員と知れてしまったのでしょう」

「……」

「他の情報屋に聞くと幾つか町を渡り歩いているようですが、どれも話がバラバラで……バンディの確かな足取りが掴めませんでした」

「あっちも仕掛けてきたか」


 クリストフは眉を顰めて舌打ちをした。そう、かつてクリストフがフィオールにやらせていた情報操作。クリストフ達が煙の塔にいた間、今度はバンディがそれをしていた。フィオールの場合、自分達の足取りと伝説の内容を撹乱させる役割を担っていたが、バンディの場合は違う。獲物がかかるのを待っているのだ。


「もしかしたら、ノースにはバンディがいるかもしれません」


 カイザ達が、行方知れずの自分を警戒して罠にかかるのを。


「遺骨を墓へ持っていくだけなら、またの機会にでも……」

「いや、またの機会なんてない」

「……」

「ないかもしれない」


 ガトーは口を噤んだ。


「…カイザ、」


 少女に呼ばれ、少し驚いた顔をしながらも顔を上げるカイザ。


「…お前も、ノースは見ておきたいだろう」

「…ああ。気にはなっていたからな」


 カイザが複雑そうな表情で答えると、少女は考え込むように唸って、言った。


「ノースには行く。しかしあたし達も煙の塔にいる時間が長かった。一度何処かで情報を仕入れた方がいい」


 クリストフは小瓶を腰にかけ、言った。


「ナタリーだ。あそこならでかい繁華街もあるし、ノースも近い」

「…そうですね。人が多い方が身も隠せるでしょうし」


 ガトーはクリストフの言葉に頷いた。


「エドガーの家や墓地にも何かあるかもしれないしな。これで決まりだ。ナタリーへ行って、ノース。その後、パリスへ向かう。いいな」


 頷くカイザとフィオールを見て、クリストフは席から立ち上がる。ソファーに歩み寄り、どっかりと腰掛けてダンテに聞いた。


「ダンテはどうする」

「僕? 僕は地獄門とクロムウェル家をどうにかするよ。とりあえず方々回って革命家達に声かけておく予定。ついでに君達をナタリーに落としてあげるよ。馬使うより速いしね」


 ダンテは空っぽのカップを眺めて言った。クリストフは、ありがとう、と言ってソファーにもたれかかる。ガトーはそんなクリストフの元へ駆け寄る。


「…お前、大丈夫か?」


 資料を片付けながらフィオールが聞くと、カイザは首を傾げた。


「何が」

「いや、だって……」


 先程の話し合い。クロムウェル家で見たこと聞いたことをクリストフは何の躊躇いもなく話していた。それが、フィオールは気に掛かっていたのだ。カイザは冷静を装ってはいるが、すぐにでもアンナ寵妃に報復したいのではないかと。


「…ああ、さっきの話か。大体、予想していた通りだったし、特に驚くこともなかったよ」

「そ、そうか。ならいいんだが」


 カイザは小さく笑って、言った。


「俺、好きな食べ物は最後にとっておく主義なんだ」

「……」

「楽しいことも最後にとっておく主義なんだ」

「……」

「報復は、全部終わってからにする」


 その冷たい笑顔が、妙に恐ろしい。彼は確かに旅を通して変わったが……こういうところは変わらない。感情に素直で、怒りだすと止められないところ。少し、表現が柔らかくなった気もするが。


「心配してくれて、ありがとうな」

「ど、どういたしまして」


 フィオールは苦笑いした。






「リノア鉱山はどうなった」


 ガトーが隣に座ると、クリストフがボソリと聞いた。


「それが、俺達が行った時には蛻の殻で……今は山賊達に守らせてます」

「そうか。フィオールを動かしておいて正解だったな」


 あの山が部屋だと勘付かれぬよう、クリストフは根回ししていたのだ。上手くいけば、鍵を求めて山を出るかもしれないと。


「それはそうと、ホワイトジャックがブラックメリーを潰そうと動いているようです」

「…海閻は」

「あの方達は、何も」

「…だろうな。あの呑気な海賊共は」


 クリストフが溜息をつくと、ガトーは少女を見た。


「ブラックメリーとホワイトジャックで潰し合ってくれる分には結構だが……次は、あたしの首が狙われかねないな」

「……」

「お前は引き続き、リノア山賊と行動しろ。山を守れ」

「はい……」


 ガトーは少女の指輪に視線を落とした。


「母さん、その指輪……」

「ん、ああ……これか」


 少女はチラッと指を見て、鼻で笑った。


「まあ、そういうことだ」


 ガトーは困ったように笑う。


「…ついに、義父さんができるわけですか」

「父が二人もいたら、いい子のお前もさすがにぐれそうだな」

「そんな……」

「嫌にならないのか」


 暖炉の火を見つめる少女。口元は笑っているが……その目はどこか、悲しそうだ。


「こんな母で、嫌にならないか?」

「……なるわけ、ないでしょう」


 ガトーはにっこりと微笑み、俯く。


「なれるわけ、ないでしょう」

「……」


 クリストフはガトーの手を握り、言った。


「いつも、すまないな」

「……」

「ありがとう」


 母が遠くに行ってしまった。ガトーは、そう思った。いつか、こんな日がくることはわかっていた。たった二人きりの奥宮で親子として生活してきた二人を分つのは、それぞれに愛しい人ができた時だろうと。いつか必ず、一人になると。この手の温もりはもう、自分だけのものではないのかと思うと……やはりどこか、寂しかったのだ。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






 柔らかな日差しが、座敷の畳を白く照らす。鹿威しの音が時折耳を突き、少し冷たい風が首元を掠める。



『運命は変えられない』


 意地悪そうな笑いを含んだ男の声。


『お前しか……お前しか、この固く閉ざされた門を開くことはできない!』

 

 悲痛な聖母の泣き声。


「……カイザ、か」


 少女は呟き、かけていた烏天狗の面を外した。


「ヤヒコ様、」


 襖の向こうから声がした。少女は仮面を膝の上に置き、入れ、と応える。襖が静かに開くと、そこには一人の男が立っていた。男は座敷に一歩踏み込み、正座した。


「イトサマのご容態は落ち着きました」

「そうか、御苦労」

「…しかし、気は抜けませぬ故また何か些細なことでも異変がございましたらすぐお呼びください」

「もう呼ばぬ」


 少女は、真っ直ぐ前を見据える。何があるわけでもない。だだっ広い座敷に視界を置いているだけだ。男はそんな少女を眉を顰めて見つめていた。少女が呼ばない、と言った意味が、わかっていたから。


「…翡翠、お前は運命を信じるか」


 少女は仮面に視線を落とした。翡翠は無表情で、言った。


「信じません。人が今まで歩んできた道を振り返り、勝手にこの道しかなかったのだと判断してそれを運命と呼んでいるだけにしか思えませぬ。ただの足跡を轍と勘違いしているようにしか」

「…医者らしい、現実的な返答だな」


 少女は小さく笑った。しかし、翡翠はぴくりとも笑わない。


「たとえ、あなた様の耳が未来を聞くものだとしてもそれとて決して運命などではありません」

「……」

「イトサマのことも、世界のことも……諦めるには些か早いのではございませぬか」


 諦め。自分はそんな顔をしていたか。少女は溜息をついて、言った。


「近い未来、火の雨が降る」


 翡翠の眉が、僅かに寄る。


「その時に、世界は一人の男の選択にゆだねられるのだ」


 少女は翡翠を見て、笑った。


「その先が聞こえない」

「……」

「聞こえないのだ。何も。運命など信じたくもないが……定めには逆らえぬことを思い知らせるようにこの耳は未来を聞かせる」


 少女は左耳に手を当てた。


「死ぬのか、余は」


 烏天狗の面にポタポタと落ちる涙。それは黒く艶めく面をつうと流れて畳に染みる。


「あなた様は死にません」


 翡翠の抑揚のない声。塞いだ耳に割り込んできた。


「鬼の威信にかけて、我々はあなた様をお護りいたします」

「……」


 目を点にして、少女は翡翠を見た。翡翠は深々と頭を下げている。


『エドガーの鍵はもらった!』

『地獄の門が……』

『これが、審判の日……世界は、裁かれる』


 鼓膜を震わす様々な声、叫び。少女は小さく嗚咽しながら、言った。


「……翡翠、」

「……」

「お前がいて、よかった」

「…勿体なきお言葉……」


 そう言って首を垂れる翡翠の手は、震えていた。少女はそれに気付かない。ただ、その耳に手を添えて涙を流す。








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







「邪眼?」


 ぐつぐつと煮える壺の中から目を離し、オズマはシドを見た。


「へぇ……300年くらい前にも人間で邪眼を持つ女がいるって噂を聞いたけど。本当にいるもんなんだねぇ」

「使い方教えてー」


 シドは眼帯を上げた。すると、泉の間が黒い煙に包まれる。


「こら、無闇矢鱈に力を解放してはなりませんよ」


 仕込み杖で煙を断ち切り、ルージュは眼帯を下ろした。黒い煙が消え去ると、へらへら笑って動じないオズマの姿が現れた。


「それね、使い用によっちゃかなり強い武器になるよ」


 オズマは木製の棒で壺の中をかき混ぜながら言った。


「精神感応……その中でも邪眼が得意とするところの精神汚染。それができればもう軍隊だって瞬殺できる」

「汚染?」


 シドは眼帯の位置を整えながら聞いた。


「人の心を乱す技ですよ。悪魔や妖魔の専売特許です」


 そう言ってルージュは横目にオズマを睨む。


「シドに変なことは教えるなと言ったでしょう」

「変じゃないでしょ。使えるよこれは。敵同士殺し合わせたり、嫌いな奴を廃人にしたり。頑張れば人も殺せるし、意のままに操ることもできるようになるよー」


 シドは目を輝かせてオズマを見つめる。そんな少年にルージュは不安気な顔で言った。


「もう殺し屋ではないわけですし、そんなことできなくてもいいのですよ?」

「でも、会得しておいて損はないでしょ?」


 シドはニコニコと笑う。すっかり目が気に入ったらしい。


「練習したいなぁ」

「俺にはやらないでね」


 オズマがシドの眼帯に手を置いた。ルージュは溜息をついた。その時、部屋の扉が開いた。


「皆さん、母がお呼びです」


 入ってきたのは、ガトーだった。シドはそれを見て勢いよく立ち上がる。


「練習台が来た!」

「シド!」


 ルージュが止めようと手を伸ばしたが、シドは眼帯を解いた。目が赤く光り、右目から黒い煙が溢れ出す。それは触手のようにガトーへと襲いかかる。


「……」


 ガトーは自分を捉えようと畝る煙を避け、シドの懐に飛び込む。そして、人差し指を立ててシドの右目に腕を突き出す。シドは鎌を抜いた。


「やめなさい!」


 鉄がぶつかる音。ルージュの剣が、シドの鎌を受け止める。


「ガトー君も大人気ないよー?」


 ガトーの人差し指を指の間に挟み、手を握り込むオズマ。ガトーはにっこりと微笑み、手を下ろした。


「ほら、しまって」


 ルージュに言われ、シドは渋々眼帯を下ろす。ガトーは笑顔のままじっとそれを見つめる。


「…なんですか? あの薄気味悪い目は」

「あれ? 邪眼だよ」


 オズマは再び壺の前にしゃがみ込み、消えかけた火を扇で仰ぐ。


「シド君、力の伝達は煙を利用してるから目に見える。ガトー君みたいな強者を相手にするなら、まずは当てる練習しないと」

「えー……狙いを定めたらこの煙、勝手に動くし……」


 シドは鎌をしまってオズマに駆け寄る。ルージュも申し訳なさそうにガトーに歩み寄った。


「すみません、悪気は……あったかもしれませんが。子供のしたことだとどうか大目に見てあげてもらえませんか」

「別に構いませんよ。俺とシドは前からこんな感じだったじゃないですか」

「…そうでしたね」


 ルージュとガトーは困ったように笑う。


「月の力は自由に操れるのに……なんで? なんで右目から出る煙は自分勝手なの?」

「俺は精神感応使えないからよくわからないや。ダンテさんにでも聞いてみれば? あの人無駄に物識りだから」

「わかったぁ……」


 シドを見下ろし、ガトーは呟いた。


「…何があったかわかりませんが、厄介な玩具をもらったようですね」

「そうなんですよ。カイザも私も気が気じゃなくて……クリストフ様にも何と申したらよろしいのやら」

「母、ですか?」


 ガトーは帽子に手を置いて溜息をつくルージュを見た。ルージュは困った顔をして言った。


「シドのことは可愛く思ってらっしゃるようでしたので、目の事を知ったら手術した医者の身が危ぶまれます」

「母が、シドを……」


 不思議そうにしているガトーを見て、ルージュはふっと笑った。


「ええ。最初は妙な面子だと思ったのですが、今じゃあ皆さん家族のように仲がよろしいのですよ?」

「……」


 オズマと談笑するシドを見つめるガトー。自分しか家族がいなかった母に、そんな大事な存在ができた。あの労いの言葉も、悲しげな笑顔も。全て、カイザ達が母に与えてくれたのだと、そう思った。母を、一人の人間にしてくれたのだと。


「…ありがとうございます」


 ガトーの唐突な感謝の言葉に、ルージュは顔を上げた。ガトーは、穏やかな笑顔でシドを見つめていた。


「これからも母を……よろしくお願いします」

「……」


 シドを見つめるガトーの、ルージュにしか聞こえない呟き。誰に向かって放たれたものでもない。母を変えた全ての人に対する、心から滲み出た声。ルージュは、何も答えずに微笑む。壺の中の黒い液体はぐつぐつと……湯気をたてる。







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