79.全ては物語の結末に
花が咲き乱れる泉の間。そこに、オズマの笑い声が響いた。
「ダンテさんと、シド君が! いいじゃない、おめでとう!」
「ありがとう!」
花を摘んでいたルージュが困った顔をして言った。
「オズマ……あまり変に刺激してはカイザに怒られますよ」
「いいじゃんいいじゃん。どうせシド君もいつか女体の神秘に魅了された獣になるんだから」
泉の縁に腰掛け、シドは首を捻っている。とどのつまりが、盛りがつく、ということだ。ルージュは眉を顰めてオズマを睨んだ。
「男の身体に魅了されたらどう責任をとってくれるんです」
「ないない。この手の子供は早熟なんだ。数年のうちに目覚めるよ」
オズマは泉の近くで焚火を作り、網を設置している。ルージュは摘んだ花を持って立ち上がった。
「早熟と言いますが、シドはうちの娘にはなんの興味も示さなかったのですよ?」
「大丈夫だってば。ダンテさん見た目は女の子だし。シド君の興味は間違いなく女に向かってる。神の酌童に目をつけるくらいだからね。ただ単に、シド君は超ド級の面食いなんだよ。ね?」
「?」
全く話の意味がわからないシドは、とりあえず微笑んだ。ルージュは不安そうな顔でオズマに花を差し出す。
「……そりゃあ、ダンテ様に敵う女児もそういないとは思いますが。面食い過ぎるのも問題かと」
「だって育ての親があれじゃない」
ミハエルを背負うカイザが、ルージュの頭を過る。
「……こうなるべくして、なったのですね」
溜息をつくルージュ。オズマはヘラヘラと笑いながら花を受け取った。シドはニコニコと微笑み、首を傾げるばかり。
「久しいな、ガトー」
「はい、皆さんお元気そうで何よりです」
「……で、ヤヒコの方は」
クリストフの声が部屋に染みる。ガトーは難しい顔をして、言った。
「…それが、ヤヒコ様は女王になっておられませんでした。それどころか、エドガー様のことも知らなかったようで……」
「蘭丸については」
「…刺客を送った様子もありません」
「……」
クリストフは腕組みをして、考え込む。
「当たり前だな」
「でも、それじゃあ蘭丸の存在に説明がつかないだろ」
フィオールが言うと、ダンテが口を開いた。
「…そもそもさ、その人本当に東の国の人なの? 仮面してるんでしょ?」
「…確かに、蘭丸が撹乱を目的とした扮装をしていると考えれば……何かと辻褄は合う。伝説しか知らない異国民なら、中途半端な東の情報でヤヒコをイトサマだと勘違いしていてもおかしくない」
クリストフが言うと、カイザが口を挟んだ。
「待て、俺は……蘭丸とヤヒコにも、何らかの接点があると思う」
接点。ギールが様々な人と深くも浅くも関わりがあったことから、ヤヒコと蘭丸もまた、そう深い関係でなくとも何処かで繋がっていたのではないかと考えたのだ。
「……ゼノフで、何か掴んできたか」
クリストフが言うと、カイザは静かに頷く。クリストフは湯気の立つカップを手に取り、言った。
「クロムウェル家とゼノフの話。照らし合わせれば何かわかりそうだな」
紅い茶に、黄金色の瞳が写り込んで揺らぐ。心の準備をしているかのような、緊張感のある沈黙。そこにいる誰もが思い返していた。これまで、手にしてきたそれぞれの真実を。
カイザはクロムウェル家で神に選ばれた子として生まれる。それをよく思っていなかったアンナ寵妃は、エドガーの存在を知って"選ばれた"者達を排除しようと決意する。
手始めにカイザを亡き者にしようとした。そこに現れたのが、ギール率いる大盗賊団ブラックメリー。アンナ寵妃にとっては予期せぬ誘拐であったが、これを利用してカイザを殺してしまおうとした。クロムウェル家当主が血眼になって捜索する中、ブラックメリーには身代金も払わず、殺せと唆した。
「俺が交渉していたが……おそらく、その取次は離宮で処理されてたんだろうな」
フィオールが紙にペンを走らせ、言った。カイザは真っ直ぐにクリストフを見ている。
「…それで、不信に思ったマスターが……俺を」
「…そうだ」
クリストフの声は、いつになく優しい。カイザは俯くことなく、ただ、真実と向かい合う。
ギールはカイザにブラックメリーを渡した。理由は定かでないが、ミハエルとギールに面識があったことが関係してると思われた。そして二人は、カイザのことを"選ばれた子供"だと話していた。その言葉の真意もわからぬままに、二人は……死ぬ。
いつからかはわからない。しかし、カイザがミハエルと別れた後、ミハエルはアンナ寵妃に捕らわれてしまう。そこで、鍵を奪われたミハエルは不老不死の身でありながら死を迎える。アンナ寵妃はそれをカイザの死体と偽り、ミハエルの死体を処理すると共にカイザの捜索も打ち切ることに成功した。
「何故、ミハエルの鍵が二つ……」
「わからん」
考え込むカイザにずばっと言い放つクリストフ。
「…墓にはエドガーと書いてあった」
「……」
「そもそも不老不死なら、一体誰がミハエルを…」
カイザの疑問の言葉を遮り、クリストフが言った。
「どれもこれもわからん。わからない事と言えば、盗まれた業輪のこともそうだ。カイザ、お前は墓に入っていた宝物箱に残る跡から、輪っかのような物が盗まれたと気付いたんだろ?」
「そうだが……」
「鍵を狙っていたアンナ寵妃が、業輪を埋めるはずがない」
カイザははっとして、少女を見つめる。
「元々、その箱には別の宝物が入っていたか。あるいは……業輪を収めた者と盗んだ者が、別々に存在する、か」
記録をしていたフィオールの手が止まり、小刻みに震える。
「な、なんだよそれ……不老不死の死体、変えられた墓石の名前、あるはずのない業輪の宝物箱……不気味過ぎる」
怖がっているフィオールを横目に見ながら、少女は言った。
「墓に関することは全くわかっていないが。その不可思議な墓を暴いたのが、お前だ」
カイザの身の上の事で悩んでいたギールは、意を決してカイザにその墓を暴くよう命令する。そこで、混乱したカイザは怒りに任せて殺してしまう。育ての親であり、命の恩人であるギールを。
ギールに対する罪悪感か、それとも死への羨望か。導かれるようにしてカイザは自分の墓へと足を運ぶ。そして、ミハエルを掘り起こした。
バンディがブラックメリーと鍵を求めてリノア鉱山を攻めたことにより、ホワイトジャック、海閻、リノア山賊の盟約は破られた。クロムウェル家は革命派と帝国軍の重鎮の座をその手に握る。皆各々の戦いの中で鍵を追い求めてきた。そこにカイザが参戦したことで、日陰で淀めいていた野望の渦は……鍵戦争として、その姿を現した。
「そして、乱世に終りをもたらす審判の日……か」
フィオールは紙に並ぶ字を見つめ、呟く。
「で、カイザは蘭丸の情報がヤヒコから流れてると考えたわけだ」
「まあ、あいつの耳や真実を話す花なら……審判の日を知ることもできるだろうけどな」
クリストフが言うと、フィオールは首を傾げた。
「……本当に、シドとその審判の日ってのは関係があるのか?」
「それはまだわからないでしょ」
カップを片手にダンテが言った。
「でも僕は、火の雨、地獄の門のどちらもシドの堕天と関係があるとは思わないね」
「そうなのか?」
「だって、火の雨は500年前にも起こった自然現象なんだよ。神の啓示、なんて言われる程の大災害さ。地獄の門を開こうとしてるのはヨルダだし。ルージュちゃんの杞憂だよ」
ふーん、と相槌を打ってフィオールは何やら書き込んでいる。カイザは、その紙を覗き込みながら言った。
「しかし、蘭丸もシドとサイについて聞いてきた以上、あいつらの身の上も鍵戦争と関係がある気がしてならない」
ダンテは面倒臭そうに頬杖をついた。
「……その蘭丸って本当に厄介だね。彼がいなければヤヒコの事を疑わず、シドの事も考えなくて済んだのに」
「だがあいつがいたから知ることができたんだ。エドガーのこと、業輪のこと、運命の至る場所のこと、そして、審判の日のことも……」
蘭丸の言葉。部屋を開いてはならない。業輪は滅さねばならない。エドガーは生きながらにして死んでおり、その御霊は火の精霊と共にあり。あの言葉の意味が、少しずつ紐解かれる。
「部屋を開けば世界が閉じられる。だから業輪は滅さねばならない。ここまではわかった」
クリストフは足を組んで大きく息を吐いた。
「だが、やはりエドガーのことになると行き詰まるな」
「僕、精霊とお話できるけど……一緒にいることってできるの? しかも魂で」
「まさか……幽体離脱!」
フィオールの言葉に、部屋がしんと静まり返る。ダンテが呆れたように言った。
「あのね、そもそも幽体離脱ってどうやるかわかる?」
「やれるのか?」
「やれるよ。あれはね、魂じゃなくて精神が離脱してるんだ。魂は身体の中に収まったままだから、死なずに済むんだよ。エドガーはもう脈も呼吸も止まってるでしょ? 幽体離脱なんかじゃない」
「じゃあその魂が離脱して……!」
「そりゃそうだよ。死んじゃってるんだから。問題はその魂の行場だよ。普通は転生の輪に加わって生まれ変わる準備をするはずなのに、そこにはない」
「何でわかる」
「この弟子、本当に頭悪いな。降霊術の話ししたでしょー」
ダンテは眉を顰めてフィオールを見た。
「転生の輪から魂を呼び出す術。生まれ変わってちゃ手遅れだけど、5年じゃまず、転生は無理。死んでから経った5年しか経ってないのに見つけられないということは……エドガーの魂は何処かを彷徨っていることになる。生きてる人間と同じように、この広い地上でね」
生きている人間と同じ。
ーー人間と私共とでは、生死の捉え方が違うのですーー
カイザは、漠然としていた赤い蜥蜴の言葉をやっと理解できた気がした。
「エドガーがエドガーとしての魂を保ち続け、新たな命としての目覚めを迎えないこの状態を"魂の眠り"と言う」
真っ直ぐにダンテを見つめて固まる4人。ダンテは呆れた顔をして言った。
「だから、今その魂の在り処について話してたのに……幽体離脱? おふざけも大概にして欲しいよねー、クリストフ」
「ん? そんな話知らなかったからあたしはフィオールの考えに関心してたけど。こいつすげぇ! って」
煙管を咥え、開き直っているクリストフ。額を抑えて俯くカイザが言った。
「俺も、目から鱗落ちてた……」
落ち込むカイザを見てクリストフはケラケラと笑った。
「関心してた自分を殴りたいよ。おいフィオール、殴らせろ」
クリストフはテーブルに足をかけて身を乗り出し、フィオールの胸倉を掴んだ。
「何で! 勝手に俺の発想に感動してたくせして!」
「…痴話喧嘩は後にしてくれる?」
ダンテが冷ややかに言うと、クリストフは荒々しくフィオールを放した。
「ここまできたら、やはりパリスで手掛かりを得られることを期待する他ないだろ」
クリストフは不機嫌そうにそっぽを向く。カイザは顔を上げ、ボソリと言った。
「火の精霊を祀ってた神殿があるんだったな」
「そうだ。それに、」
少女は腕組みをして少し見下すようにカイザを見た。
「鍵戦争の結末が、アンナ寵妃の目的が絡む審判の日なら……審判の日をあたし達が終わらせるしかない。終末の先を読み解いてな」
「ヴィエラ神話を、読み解くってことか」
カイザが言うと、少女は小さく笑った。
「神に選ばれた勇者が世界を救う鍵は、むかーし昔の御伽噺が握ってる」
「……確証は」
「ない。様々な情報から間接的に練り出した仮説だからな。でも、もうこれに縋る他あるまい」
クリストフは頬杖をついた。
「ここに答えがなければ、敵と呼べる者は皆殺しにして鍵を守り、あとは火の雨に当たって死なないように祈るしかないのだから。容易じゃないだろう」
「……」
「国やら闇組織やら、世界中の殆どがあたし達の敵になった今、これを覆す一手が必要なんだ」
「…そうだな」
カイザは眉を顰めて目を瞑った。
「御伽噺の結末……運命の至るべき場所に、行くしかない」
フィオールのペンが、サラサラと紙の上を走る。行間を空けた、下部の右隅。
"全ては物語の結末に"
意外と言われた、綺麗な字で。