72.導き出されたそれが答えとは限らない
「それって……愛人ってやつじゃねぇのか?」
フィオールの言葉に、青年は恥ずかしそうに俯く。
「は、はい……アンナ様に気に入られてしまって、その……」
「愛人の愛人って」
縁に寄りかかり、呆れた顔をするフィオール。青年は辛そうな顔をして言った。
「仕方なかったのです。迫害がおさまって屋敷に戻っても、やはり風当たりも強く家は廃れゆくばかりで……そんな時、クロムウェル家からお声がかかったのです。私が離宮に仕えれば、ローズウッド家に支援してくださると」
「…で、ローズウッド家は」
「私の兄が、引き継いでいます。母と叔父は、ローズウッド家最後の褐色の肌を持つ人種でしたが……二人とも、病で」
「……」
屋敷から助け出した娘と息子を思い出し、クリストフは目を閉じて、俯く。
「そうか」
「母はいつも貴女を思っておりました。肖像画を部屋に飾り、眺めていて」
「……」
「だから、母の墓前に一度でいいのでいらして欲しいのです。母はノースの近くの墓地に眠っています」
「…ノースの?」
クリストフの眉がピクリと動く。青年は頷いた。
「話にしか聞いておりませんが……救い出された後、墓守の女性の手助けもあってノースで身を隠すことができたそうです。貴女とその女性への感謝を忘れぬようにと、祖父母がローズウッド家の墓をその女性が管理する墓地に建てました。お恥ずかしいことに、財産も無くて質素な墓ですが……祖父母と母、叔父はそこに眠っています」
目を点にしたフィオールが、青年に聞いた。
「その墓守の名前、わかるか?」
「あ、いえ……わかりません。母が亡くなった時にいた墓守でしたら、確か……ミハエル、と」
クリストフは、小さく笑った。フィオールはそんな少女を不思議そうに見る。
「…何なんだ、これは。もう、わけがわからない」
「…クリス」
「ローズウッド家までも、エドガーと関わりがあったなんて」
少女の呟きに、青年は青い顔をした。
「…今、何と仰いました」
「……」
クリストフはふと無表情になり、青年を見据えた。青年は真っ青な顔をして、言った。
「エドガー、と……申されましたか」
「…ああ、何か知っているのか」
「…不思議な事が、起こりまして」
青年は、震える声で言った。
「…カイザ様をご存知ですか」
「ああ。よく知ってる」
クリストフが言うと、青年は俯いた。フィオールは青年の言葉をじっと待つ。青年は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「公にはなっていないのですが、実は……カイザ様の御遺体が見つかったのです」
「…カイザの死体が?」
「それはもう、原型を留めぬ程めちゃくちゃにされていたそうで」
「何でそれがカイザだとわかった」
「屋敷の医師達がそう判断致しました。惨たらしいそのお姿を当主様にお見せするのは酷であろうと、すぐ棺に納められ、葬儀が行われました」
フィオールもクリストフもわかっていた。その中に入っていたのは、ミハエルであると。青年はミハエルの事について何も知らないようだ。
「毎年、命日になると私が墓へ出向いていたのですが……つい先日行ってみたところ、墓に刻まれた名前が変わっていたのです。エドガー……と」
青年は思い出して恐怖に駆られたのか、息が荒くなってゆく。
「ふと思い立って墓を掘り起こしてみたら、空っぽでした」
ーークロムウェル家の墓からこいつが出てきたーー
フィオールはアイダでカイザが死体を見せてきた時のことを思い出した。青年が墓の異変に気付いたのはカイザがミハエルを掘り起こした後なのだろう。しかし、墓石の名前が変わっていたというのは……フィオールが考え込んでいると、クリストフが言った。
「他に、それを知る者は?」
「わ、私だけです……そのエドガーとは何者です! カイザ様の御遺体が盗まれたと知れたら、私は……ローズウッド家は!」
クリストフは青年の頬に手を当てた。青年は黙り込み、少女を見つめる。
「大丈夫だ。お前も、ローズウッド家も」
「……」
「それより、お前は暇でも貰って早々にこの家から逃げろ」
「…エドガーという人物が、関係しているのですか」
「まあな」
落ち着きを取り戻した青年を見て、クリストフは手を下ろした。青年は少女を見つめ、呟いた。
「クリス様……と、申されましたか。あなたは、時に縛られぬ救世主なのですね」
少女は溜息をついた。
「…違う」
「ローズウッド家を救い、今も……何かのために奔走しておられたのでしょう。救世主としてのお役目を果たすため、ローズウッド家をお出になられたのですね」
青年の涙ぐんだ目は、鋭く力を帯びてクリストフをとらえる。
「貴女は、ローズウッド家の誇りです」
「……」
「お引き止めして、申し訳ありませんでした」
青年は深く頭を下げると、二人に背を向けた。
「…おい!」
クリストフに呼び止められ、青年は振り返る。
「あたしの名はクリストフだ」
「……」
「墓にもいずれ、顔を出そう」
青年は、嬉しそうに微笑む。
「私はアドルフ。心よりお待ちしております」
アドルフはぺこりと頭を下げ、バルコニーから出て行った。
「……」
「……」
「…悪かった」
妙な沈黙の中、フィオールが申し訳なさそうに言った。クリストフは横目でフィオールを睨む。
「あたしじゃなくて、アドルフに謝れよな」
「…ごもっとも。だけれども! 誰だってあの状況を見たらな……!」
「あー、わかったわかった」
クリストフは縁に頬杖をつき、庭を見下ろした。
「…エドガーは本当にここにいたのか」
「死体は医者しか見てないんだ。葬儀の棺にはエドガーが入っていたとしか考えようがないだろ」
フィオールも縁に肘をつき、庭の方を向いた。クリストフは眉を顰めて、言った。
「墓石の名前が変えられた意味は」
「知らん」
「その時にエドガーを棺に詰めた可能性もある」
「…誰が」
「知らん」
沈黙が流れた。すると、フィオールが大きな溜息をついた。
「…エドガーを殺した奴、墓石の名前を変えた奴、業輪を盗んだ奴……一体、誰なんだよ」
「知らん」
「それがわかれば苦労しないな」
「…複雑に絡み合ってはいるが、少しづつ、解けつつはある。乱世の中心に立つカイザと、エドガー。全てを解き明かすには、まだ何かが足りない。足りないんだ」
クリストフはじっと庭を睨みつける。フィオールはなんとなくその視線の先を追うが……整えられた花壇しかない。
「…そういうのは、大体時間が解決しちまうんだよな」
「時間が解決しちまったら、何もかもが終わっちまうんだよ」
ーー時に縛られぬ救世主なのですね……ーー
少女は、縁を握り締めた。
「時間が迫り来る前に、あたし達が終わらせないと……駄目なんだよ」
「わかってる。改めてこの壮大な謎解きと向かい合わなきゃなんねーなと思ったんだ」
「壮大な謎解き、ね……」
ーー本当に、一緒にいるだけなのよ……ーー
答えなど、あるのだろうか。漠然とした不安。長い時間の波に揺られて複雑に絡まった糸はもう……切れてしまっているのではないか。それが、あの穏やかで温かい笑顔の答えなのではないか。クリストフはふと、そう思った。
「ちょっとー、こんなところで何してんのー」
振り返ると、困った顔をしたダンテがいた。ヘラヘラしたオズマも一緒だ。
「あ、忘れてた」
「探しに行くって言って、本当に探すだけだなんて……どこまで馬鹿なの」
「ちょっと立て込んでたんだよ!」
ダンテはキョロキョロと辺りを見渡す。
「こんなところで?」
「おい、何考えてんだ。違うに決まってんだろ」
フィオールがダンテを睨むと、クリストフが言った。
「何だ、アンナ寵妃が来るのか?」
「うん。もう来るらしいよ。ルイズはいないらしいけど」
「充分」
クリストフは縁から離れた。フィオールもダンテ達に歩み寄る。室内に戻った二人に、ダンテは心配そうに言った。
「…もっかい言っとくけど」
「荒立てて足引っ張るな、だろ? わかってるって」
クリストフは強気な笑顔で言った。ダンテはまだ不安そうだ。そんなダンテの後ろで、オズマがケラケラと笑う。
「クリス様は頭に血が上ると手がつけられないから」
「大丈夫だって言ってんだろうが!」
言い合う二人を他所に、ダンテは人混みの向こうに目をやった。そして、目を見開いて固まった。
「…どうした? おーい、師匠ー?」
フィオールが呼びかけるが、ダンテは答えない。クリストフとオズマも、ダンテの異変に気付いた。フィオールが視線を辿ると、人混みの中に一人の女がいた。
「…アンナ寵妃、」
フィオールが呟くと、クリストフも女を見た。そして、ダンテの肩を掴んだ。
「おい、来たぞ」
「……」
「ダンテ?」
クリストフが顔を覗き込むとダンテの瞳孔は開いていた。アンナ寵妃はダンテと目が合うと、怪しく……笑った。