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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆クロムウェル家離宮~美と策略の真実~
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71.過去は捨ててもついてくる

 傾きかけた家を立て直すための見合いが持ちかけられていた。仕方ない。家のためにこの身を差し出そう。粋も甘いも知らない少女は、親の言うがままに縁談を受けた。しかし、



ーー今日からはクリストフ、とお名乗りください……ーー



 名も姓も取り上げられた。与えられたのは神とやらの子供と、忌々しい鍵が二つ。子供ができたことで縁談も破綻。家を立て直すどころか、名を穢してしまった。嫁入り前の娘が何処の馬の骨かもわからぬ相手の子を孕んだと、すぐ噂になった。神の寵愛を受けたなど、誰も信じなかった。家族さえも。

 少女は神に与えられた部屋を開いてすぐ家を出た。そして、部屋に山賊のアジトを作る。マザー・クリストフが存在するための、新しい家。不老であることを知られまいと真実を伏せ、姿を隠しては名を変えた。何度も死に、生まれ変わる自分。新しい家もまた、心安らぐ場所ではなかった。


「マザー」


 そんな、ある日。


「帝国が……異国民排除の指令を下したと」


 ガトーが低く、言った。少女は目も合わさず、何も言わない。


「……」

「褐色の肌を持つ者も、殲滅対象だそうです」

「…あたし達は山賊だ。関係ない。来たとしても迎え討つ」

「しかし、ローズウッド家が!」

「黙れ!」


 少女が叫ぶと、ガトーは口を噤んだ。少女は、考えた。



ーーなんてこと……これでは、ローズウッド家は……ーー



 父の絶望に満ちた表情。



ーー答えて!父親は……あなたを穢した男は誰なの!ーー



 母の悲痛な叫び。


「……」


 二人はもうとっくの昔に死んだ。それ程に、時は流れたのだ。自分を知る者も、もういない。少女は、唇を噛み締めて立ち上がった。


「…行くぞ、ガトー」

「母さん……」

「ローズウッド家へ」

「…はい」


 自分を知る者は誰もない家のために、少女は動いた。帝国に攻められる屋敷から、家の者達を脱出させ、ノースまでやってきた。連れ出せたのは当時のローズウッド家当主と夫人。その娘と息子。そして、二人の召使だけ。ノースの森で息を潜め、少女は当主に小さな袋を渡した。中には、鉱山で取れた宝石が入っていた。


「これで暫く暮らせるだろう。ノースであれば身も隠せる。ほとぼりが冷めるまではここにいろ」


 座り込むローズウッドの人々を見下ろし、少女が言った。すると、少し怯えた目で少女を見る当主が、震える声で言った。


「…あなたは、肖像画の……」

「肖像画?」

「家に、あったのです。隠すように置いてあった肖像画の少女に……よく似ている」


 少女は黙り込む。


「その肌、その瞳……あなたはあの少女と関係が……」


 当主に背を向け、少女は言った。


「あたしは山賊だ。褐色の肌を持つよしみで助けてやっただけのこと。お前達とはなんの関係もない」

「そう……ですか」


 少女は、それだけ言って歩き出した。ガトーもそれについてゆく。


「…ありがとうございました!」


 背中に響く当主の声。少女は眉を顰めたまま、振り返ることもなく、森に消えた。当主と夫人は、じっとその闇を見つめていた。


「こんな所で、どうかなさいましたか?」


 突然の声に驚き、身を引く家族達。恐る恐る声の方を見ると、女が一人、立っていた。


「あ、あなたは……」

「私はこの近くの墓地の墓守です」


 女は、優しく微笑んだ。








 暫くして。ゼノフ防衛をきっかけに迫害は鎮まった。何事もなかったかのように、一人の男の命と引き換えに人々の日常は戻る。少女は気に食わなかった。帝国も、気まぐれとはいえ、昔の家に関わりを持った自分も。








「ギール、と申します」


 少女は、大きな傷がついた顔を見て唖然とした。


「これが、ブラックメリーを受け継いだ証」


 男は、黒いナイフを抜いて見せた。それは確かに、ブラックメリーだ。少女は思わず、御簾から飛び出した。近くにいたガトーも、男も驚いている。少女は男の前に立ち、言った。


「お前、ギール・パールマンだな」

「……」


 男の目は泳いでいる。


「答えろ。何故、ゼノフの英雄がここにいる。ブラックメリーを持ち、生きている」


 男は俯き、言った。


「…英雄はもう、死んだのです」

「……」

「今は、一介の盗賊にございます」


 こいつも、また……


「あたしと、同じだな」

「……」

「過去を捨て、世間から身を隠して生きるあたしと」

「…マザーと同じなどと、恐れ多い。自分は死を目前に足が竦んだだけ」

「あたしも、見捨てることに足が竦んだ愚か者だ」


 少女は鼻で笑い、男の前にしゃがみ込んだ。不老の少女以外が悪戯に入れ代わり立ち変わるこの世界で、男と少女は出会う。


「愚かなマスター同士、仲良くしようじゃないか」

「……」


 男は顔を上げ、微笑んだ。


「…どうぞ、よろしく」









ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー








「カイザの妹?」


 何故か貴族の坊ちゃんの輪に加わって酒を飲んでいるフィオール。坊ちゃん方も何も知らないとはいえ、育ちの悪さが目に付く情報屋と馴染んでいた。


「そうなんだ。カイザ様同様、この世の者とは思えぬ程美しいらしいが」

「なかなか拝見できないんだ」


 坊ちゃん方は残念そうに溜息をつく。フィオールは首を傾げて言った。


「聞いたことねぇなあ」

「ルイズ様の妹君は知ってるか?」

「ああ、エルザだったか。いたな」

「そのエルザ様が、実はカイザ様の妹だったんだよ!」


 フィオールは酒を吹き出した。坊ちゃん方はそれを見て少し引いている。


「汚いな……」

「待て、どういうことだ」

「カイザ様が誘拐されてから、クロムウェル家の子供は離宮でアンナ様の子として育てられたらしいんだ。ルイズ様も実は本妻の子ではないかと言われてる」



ーールイズとはよく遊んでいたし……ーー



 カイザの口振りからして、ルイズが本妻の子供だという話はでまかせだろう。フィオールは口元を拭って言った。


「それが、何で今更カイザの妹として公表されてるんだよ」


 フィオールが聞くと、坊ちゃんの一人がフィオールを睨んだ。


「公表なんかされていない。エルザ様の婿候補にだけ知らされたんだ」

「見たぞ フィオラント。随分麗しい奥方と一緒に来ていたじゃないか」

「既婚者になど知らせが行くものか」


 何故か得意気な坊ちゃん方。


「…じゃあ、エルザが結婚できる歳になったから、婿候補にだけ真実が知らされたという事か」

「当然だ。カイザ様の妹と知れればその美しさ目当てにうるさい虫が湧く」


 婿候補なのだろう、すっかりナイト気取りな坊ちゃん方。既婚者設定のフィオールは、少し肩身が狭く感じた。


「…でも、見たことないんだろ? 美しいかどうかは……」

「とんだ田舎者だな。カイザ様の容姿には神ですら嫉妬に狂うんだぞ? その妹君なら美しいに決まってる」


 カイザを見た事もないであろう坊ちゃん方は、夢も想像もパンパンに膨らませている。フィオールの頭には死んだ魚のような目をしたカイザしか浮かばないというのに。


「反帝国軍に入ればエルザ様の婿に立候補できる。ここにいる若い連中の目当ては、大体エルザ様だ」


 ホールを見渡すと、確かに若い男が多い。巧妙だ。顔も見せた事のない妹をカイザの妹だと触れ回って男達に期待を持たせる。そして、妹を餌に革命に引きずり込む。帝国でもかなりの権力を持つクロムウェル家が直々に秘密裏の活動をしているのだから、他家も加わりやすい。男の家に対する尊厳と女に対する欲望を手玉に取った巧妙な手口だ。フィオールが眉を顰めてグラスに口をつけると、後ろから強く頭を叩かれた。勢いよく酒を吹き出すフィオール。坊ちゃん方は慌てて避けた。


「フィオラントー、楽しんでる?」

「…ダンテ、」


 後ろにはニコニコ笑っているダンテとオズマがいた。


「師匠って呼びなさい」


 ダンテの登場に、坊ちゃん方は更に慌て蓋めく。


「ダ、ダンテ様!」

「こんばんわ。弟子と仲良くしてくれてありがとうねー」


 坊ちゃん方と順々に握手を交わすダンテ。フィオールはそれを横目に睨んでいた。


「言葉使いもマナーも悪くてごめんね?」

「いえいえ、そんな」


 口を拭うフィオールに、坊ちゃんの一人が話しかけた。


「ダンテ様の弟子だったのか、フィオラント」

「ん? まあ……」

「じゃあ……魔法、使えるのか?」

「…まあ」


 坊ちゃんは目を輝かせてフィオールを見た。


「見せてくれ! さっきのダンテ様の登場以外、魔法というものを見た事がないんだ!」

「私にも、」

「私にも見せてくれ!」


 次々とフィオールに迫る坊ちゃん方。ダンテとオズマはそれを見て笑っている。


「見せてあげなよー」

「……」


 フィオールは面倒臭そうな顔をしながらも、人差し指を出して見せた。


「…ほれ」


 その指先にぽっと火がついた。すると、坊ちゃん方は感嘆の声を上げる。


「凄い! 指先から火が……」

「ちゃんと熱いぞ!」

「お前は熱くないのか?」

「ダンテ様! 私にも御指南を!」


 フィオールは腕を伸ばして顔を寄せる坊ちゃん方から離れた。


「その魔法は契約が面倒臭いから無理だなぁ」


 笑いながらあしらうダンテ。指先に集る坊ちゃん方に、フィオールはうんざりした顔をしている。


「フィオラント」


 ダンテが辺りを見渡しながら、小声で聞いた。


「クリスは?」

「……」


 フィオールは掌の上に小さな火の玉を三つ作った。火の玉は浮き、フワフワと踊るように動く。それを見て坊ちゃん方は再び感嘆の声を上げる。フィオールは頭を掻きながらその輪から抜けてダンテに言った。


「探したんだが、どっか行っちまった」

「遠くに行かないでって言ったのに」


 困ったようにダンテは溜息をつく。


「アンナ寵妃が来るのか?」

「いや、まだ。だけどそろそろ集めとこうと思って……なんかきな臭いんだよ、このホール」


 眉を顰めて落ち着きなく辺りを見渡すダンテ。


「シドの影響で鼻が良くなったか?」

「そんなわけないでしょ」


 ダンテがフィオールを睨んだ。ニコニコ笑ったまま突っ立っていたオズマが言った。


「床の色、天井の模様、物の配置……たぶん魔法陣になってる」

「天井や物が?」

「まだ教えてもらってないかもしれないけど、色や模様、物やなんかで陣の代用をすることができるんだ」

「…で、何の陣なんだ」

「だから、それがわからないように代用するんだよ」


 オズマがそう言うと、天井を見上げてダンテが言った。


「考え過ぎかもしれないけどね。偶然ってこともあり得る。でも、警戒しておいて損はないでしょ? 一応敵陣のど真中なんだし」


 オズマは腕組みをして視線だけで人混みを見た。


「何か起きた時のために、君達を呼び戻そうと思ったんだけど……クリス様は何処へ行かれたのやら」

「……」


 フィオールは少し考え、言った。


「探してくる」


 フィオールが歩き出すと、火の玉がぼうと燃え尽きた。坊ちゃん方は驚嘆の声を上げる。フィオールは、ざわめく人の波に消えた。


「あの二人は本当にお似合いですね」

「そうかな」


 呑気な笑顔をみせるオズマに、ダンテは首を傾げた。


「男女のことなんて僕にはよくわからないや。クリストフもなんであんなのに惹かれたんだか」

「悩み多き聖母様には、あれくらい単純な男が丁度いいんでしょう。あの真っ直ぐさに引っ張られたいのですよ、きっと」

「…そんなもん?」

「そんなもんです」


 ダンテは、ふーん、と気のない返事をして、天井を見上げた。豪華なシャンデリアが、華やかに煌めく。







 煙管を咥えて、バルコニーで広い庭を眺める。星が燦然と輝く寒空の下、少女は眉を顰めて貧乏揺りをしていた。



ーーカイザ様? それよりも私と今度演劇でも観に行きませんかーー

ーーなんて艶やかな褐色の肌……つい触れてみたくなるーー



「…って気安く触りやがって!」

 

 少女は柱を蹴った。


「あ、あの……」

「ぁあ?!」


 振り返ると、一人の青年が立っていた。逆光で顔はよく見えないが、その風貌は執事に見える。青年は少しビクついて後ずさったが、恐る恐る、言った。


「あなたは……あなたは、肖像画の少女ですよね!」

「!」


 逆光で良く見えない顔。そこに埋まる黄金色の瞳が、暗闇に光る。少女は驚きと、困惑とで動けない。青年は少女に歩み寄り、その肩に手を置いた。


「…ああ、屋敷の絵で見たままだ。お祖母様の言うとおり、力強く、美しい眼差し」


 青年の潤んだ瞳が、クリストフを捕らえて離さない。少女は吃りながらも、その手を払う。


「ひ、人違いです。私はそんな……」

「いいえ! その褐色の肌、黄金色の瞳! 今ではもう、存在するとしたらあなたしかおられない!」


 青年に手を掴まれ、少女は振り返る。バルコニー側になって、順光でよく見える青年の肌は……白かった。その瞳は今にも泣き出しそうな色をしている。


「祖母は、肖像画の少女に助けられたと……彼女は何処かで生きているから、いつか必ず、また会いたいと! 言っておりました……」

「……」


 少女は何も言えずに、立ち尽くしていた。


「お願いです! どうか、どうか私と……!」

「私と? なんだよ」


 聞き覚えのある、怒りを含んだ低い声。少女が顔を上げると、青年を睨むフィオールがいた。


「フィオラント……だったか?」


 混乱している少女の横を通り過ぎ、フィオールは青年の腕を掴み上げた。


「フィオラントだ。おい小僧。俺の家内に何の用だ?」

「か、家内……?」


 青年は困ったようにクリストフを見た。クリストフはフィオールに駆け寄り、言った。


「フィオ……ラント、そいつは!」

「俺はこいつに聞いてんだよ!」


 フィオールに睨まれ、少女は目を吊り上げる。フィオールは構わず青年の胸倉を掴んだ。


「クリスに何の用だって聞いてんだ」


 青年はフィオールの剣幕に圧され、黙り込んでしまう。


「…おい!」

「やめ……ろ!」


 クリストフはフィオールの後頭部を殴った。つんのめって縁に寄りかかるフィオールは、頭を抑えて振り返った。少女は青年の前に立ちはだかり、フィオールを睨む。


「…何すんだ! そいつを庇うのか!」

「こいつはローズウッド家の人間だ!」


 少女の言葉に、青年は確信した。


「…こいつは、あたしの……」

「お前の、何だよ」


 フィオールは少女を真っ直ぐ見て、問う。少女は、きっと目を吊り上げ、言った。


「あたしの、血縁者だ」

「…は?!」

「あたしは元、ローズウッド家の人間だ」

「……」


 少女と青年を見比べるフィオール。青年は涙目になって、片手で口を覆っている。


「…やはり、あなたが」

「……」


 眉を顰めて立ち尽くす少女と、俯き加減に涙を堪える青年。黄金色の吊り目が、二人の血の繋がりを物語る。



ーーあたしも、見捨てることに足が竦んだ愚か者だ……ーー



 少女は、ギールの笑顔を思い出していた。悲し気な、やはり違うのだと拒絶するような笑顔。一緒なんかじゃなかった。ギールは死者となって生まれ変わったが、クリストフは……


「肖像画の少女に……やっと、会えた」

「……」


 ローズウッド家で、生々しく生きていた。

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