70.外見に惑わされるなと何度言ったら
「…やっぱ慣れねぇなぁ。こういうの」
鏡に映る自分を不満気に見つめるフィオール。ルージュと色違いのタキシードを着て、帽子をやたらに弄る。それを横目に、ネックレスをつけながらクリストフが言った。
「見てるこっちも不安になる程似合ってないからな」
「なんだと!」
クリストフのドレスの裾を整え、オズマが笑う。
「こういうのはルージュやカイザ君が適役だったかもね」
「悪かったな! 育ち悪くて!」
「でも似合ってるよー、予想よりは」
フィオールは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。準備ができたクリストフはフィオールを押し退け、鏡の前に立つ。フィオールはそれをじっと見ている。
「…そうしてみると、やっぱりお前は美人だよ」
「なんだ、その普段はそうでもないみたいな言い方」
鏡越しでクリストフに睨まれ、フィオールは激しく首を横に振る。
「いや! いつも美しいけども! 俺には勿体無いくらいの美人だけども!」
「クリストフさんて一般人に比べたら美人だけど美女の中では普通じゃない?」
その瞬間、フィオールが後ろからオズマの首を締めた。オズマは苦しそうにフィオールの腕を叩く。
「ヤ、ヤヒコって美女は見たことないからわからないけど、俺の好みはエドガーみたいなタイプで……」
「ん? なんだって? 大きな声で言ってみろ」
クリストフが意地悪い笑顔でオズマの頬に指を刺した。
「あ、あなたが一番です」
「そうかそうか」
フィオールはオズマを放して何事もなかったかのように、笑うクリストフに駆け寄る。オズマは首を抑えて呟いた。
「…あの二人、凶悪さが増してる」
フィオールはクリストフの肩を抱いて言った。
「その肌には白が映えるな!」
「見る目があるじゃないか、育ちが悪いわりに」
「まあな!」
ここぞとばかりに見事な機転でオズマに責任転嫁したフィオール。自分の言動にも落度があったことは認めるが、それよりもオズマはクリストフの扱いを覚え始めた彼に脅威を感じつつあった。
「できたー?」
聞き慣れない低い声。クリストフとフィオールが扉の方を見た。そこには一人の青年が立っていた。緩く巻かれた銀の短髪、大きな銀の瞳がキラキラ輝く吸引力のある目。スラリと伸びた身長に、端正な顔立ち。背景に花畑が見えるような華やかな雰囲気。
「…誰だよ!」
思わずフィオールが叫んだ。男は無邪気に笑い、部屋に足を踏み入れた。
「ダンテだよ。これが18歳の姿」
「魔法か。顔も変えてんじゃないだろうな」
クリストフが訝し気にダンテを見つめる。
「いじってるのは身体年齢だけだよ。さすがに10歳のままじゃあ改革も捗らないからねー」
ダンテは椅子に座り、カフスをつける。
「これでわかったでしょ?」
オズマが真剣な顔で言った。
「人は育ちでも、外見でも、中身でもない」
「「……」」
「雰囲気だ」
オズマの言葉に、フィオールとクリストフは一斉にダンテを見た。視線に気付いたダンテは、笑顔で手を振ってみせた。彼が口角を上げるだけで辺りは柔らかな空気に包まれる。二人は得意気に笑うオズマに振り返り、頷く。首を傾げて二人を見つめるダンテの肩を叩き、楽しそうにオズマは笑った。
カイザ達を見送った泉の間。そこには大きな魔法陣が描かれている。カイザ達を送ったものと、よく似ている。4人は陣に入った。オズマは壺を中心に置く。
「…おい、フィオールにやらせるのか」
クリストフが聞くと、陣を確認するダンテが言った。
「今日はちょっと無理だなー。出口がズレたら困るし」
クリストフはホッとした顔をしてフィオールを見た。
「そうか、安心した」
「俺もそっちの方が安心だ」
むくれっ面でフィオールが言うと、いつ間にやら悪魔の装いに変わっているオズマが言った。
「でもすごいよ? 短期間で雪花水まで扱えるようになったんだから。器用だよね」
「…さすが俺だな!」
調子にのるフィオールを呆れた顔で見つめるクリストフ。ダンテは下を見ながら後ろ歩きで陣の中心に入る。
「魔術書見てたからできただけでどうせ覚えてないくせに。この弟子は器用だけど頭がちょっとねー……」
クリストフがフィオールの頭を撫でながら言った。
「頭のことに触れてやるな、傷つくだろ」
「お前の物言いに若干傷ついたんだけど」
フィオールは頭を撫でられ困った顔をする。すると、ダンテが振り向いて二人に言った。
「出発前に確認するけど、今日はクロムウェル家の情報収集に行くんだよね」
「そうだ」
クリストフは軽くフィオールの頭を突き飛ばして答えた。
「あっちもどう出るかわからないんだから、くれぐれも騒ぎ起こして僕の革命の足を引っ張るのはよしてよ」
「わかってる」
クリストフが静かに言うと、ダンテはにっこりと笑った。
「そう。今日は僕もいるからね、久々に目も駆使して情報提供してあげる」
「それは助かるよ」
クリストフはあまり期待していないのか、鼻で笑った。フィオールはオズマにクロスタイを直してもらっている。
「じゃあ、カイザ達の時と同じだから呪文唱えたら目的地に着くまで息はしないでね。フィオール、聞いてる?」
オズマに直してもらったタイを見ながら、軽く手を上げた。ダンテは不安そうに言った。
「…フィオール? 息しちゃ駄目なんだからね」
「わかったって! どいつもこいつも人を馬鹿にしやがって!」
「いやー……グレンと話したら馬鹿の認識が改まったっていうかなんというか」
「あんな重症な医者と一緒にすんな!」
ダンテはその眩しい笑顔ではぐらかし、陣に手をついた。
「行くよー、風の精霊と契約せしダンテの名において命ず……」
呪文を唱え始めると、陣が白く光りだしだ。壺がカタカタと揺れ、中から黒い液体が溢れ出し、空で踊る。
「雪に埋れし花の屍よ、黒き大海となりて望む場所へと船を導け……開門!」
黒い液体が、四人を包み込む。驚いたフィオールは口を抑え、目を瞑る。柔らかな水の感触。しかし、温度も何も感じない。ゆっくりと瞼を開けると、下から上へと流れる光の群れがあった。ダンテは陣から手を放して光の球を手に遊んでいる。それを見て、オズマはニコニコと笑う。クリストフは、じっと上を見上げていた。
「…フィオール」
クリストフが小さな声で呼びかけた。フィオールは手を放し、少女を見た。
「お前は、お前自身のことをわかっていない」
「……」
「あたしも、たまにわからなくなる。お前は何者であたしは、何者なのか」
少女の頭を過るのは、苦し気に自分を抱き上げてサイと対峙していた……フィオール。少女は目を閉じた。
「今のうちに言っておこう。何が起きて、何を知ろうと、あたしはお前と共にいる」
「なんだよ、急に」
少女の真剣な声色が、フィオールを不安にさせる。少女は光を反射する黄金色の瞳で、フィオールをとらえた。そして、笑った。
「お前達の、側にいる」
「……」
少女の不安が、その瞳から流れ込む。フィオールは少女の肩を抱き、笑って見せた。
「当たり前だろ。離れようとしても、離さないからな」
強がって、笑い合う二人。オズマはそれを悲しそうに見つめる。哀れむような目で。
「あ、着くよ! 皆、登場準備!」
光の球を放して勢いよく両手を上げるダンテ。オズマもにっこりと顔を作る。フィオールとクリストフは顔を見合わせ首を傾げた。その時、下から大きな光が迫り、暗闇を飲み込んでゆく。そして、目の前には広く豪華なホールが表れた。天井を飛び交う白い鳥に、高い天井いっぱいに弾ける色とりどりの光の火花。歓声と拍手が響くホールの中心に、四人は立っていた。
「ダンテ様!」
「革命軍の御一行だ!」
唖然とするフィオール。眉を顰めてオズマの背中を小突くクリストフ。
「…おい、些か登場が派手なんじゃねぇか?」
「だから登場準備って言ったじゃないか」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
コソコソ言い合っていると、一人の男が満面の笑みでダンテに近付いてきた。
「お待ちしておりました! ダンテ様!」
豊かな白い髭が優し気な目が細くなるたびに揺れる。クリストフは小声でオズマに言った。
「誰だ」
「シュノーゼル卿。反帝国軍の参謀だ」
「この爺がねぇ……」
ダンテと話していたシュノーゼルは、オズマを見て嬉しそうに微笑む。
「これが、噂に聞いていたヴァピュラ公爵ですか! 本当に獅子公を使い魔になさっておられるとは……」
「お会いできて光栄です」
オズマが笑顔で会釈すると、シュノーゼルは興奮気味にダンテに言った。
「これは……! 素晴らしい! さすがダンテ様!」
子供のように喜ぶシュノーゼルを見つめ、クリストフが言った。
「お前、悪魔の姿で会ったことないのか」
「前はオズマで会ったから。悪魔だって知れたら俺の職人人生が終わっちゃうし」
「二足の草鞋か」
オズマは笑顔のまま大きく息を吐いた。
「三足だよ。公爵、隊長、眼鏡屋」
「どれか脱げよ」
クリストフとオズマがコソコソとくだらない話をしている間、フィオールが辺りを見渡していた。そして、ゴクリと生唾を飲み込む。彼の目に映るのはネタに事かかなそうな国の重要人物や、華やかな貴婦人。情報屋の血が疼いてならない。
「…フィオール、涎垂れてんぞ」
クリストフに睨まれ、慌てて口を拭うフィオール。クリストフはフィオールの視線の先にいた女を見て、鼻で笑った。
「お前、あんな不細工見て涎垂らしてたのか? 殺すぞ」
「いやいやいや! 違うくて! あれはリドリー家の娘で何処ぞの画家と噂になっててだな……」
「随分詳しいじゃないか。殺すぞ」
クリストフに凄い剣幕で睨まれ、戦慄が走る。フィオールはその視線に怯えながらも、必死に誤解を解こうとした。
「だから、違うって! 俺はあの女を色目でみてたわけじゃなくて、ネタとしてだな!」
「此方の方々は?」
シュノーゼルが痴話喧嘩をする二人に目を留めた。二人は慌てて作り笑いをする。
「この二人はねー、フィオー……」
「フィオラント・ラドクリフ様とクリス・ラドクリフ様。ご夫婦で親衛隊副隊長をしておられます」
ダンテの言葉を遮って、オズマが言った。ダンテは少し考え、流れを察したのか笑顔で頷き始めた。二人には偽名を使ってもらうことにしたようだ。
「ほぉ……お若いのにご夫婦で革命軍の副隊長とは。関心致しますなあ」
「これはこれは。お褒めに預かり光栄です、シュノーゼル卿」
やけに社交界慣れしているクリストフに目を点にするフィオール。オズマは肩を震わせて笑いを堪えている。
「お美しい奥方で、羨ましい限りです」
「え、あ、はは……」
フィオールはどう返していいのかわからず、苦笑いをした。シュノーゼルは和やかに微笑み、言った。
「もうすぐアンナ様とルイズ様もいらっしゃるでしょう。では、皆さんに声をかけられるのを心待ちにしてる方々もおりますでしょうし、私はこれで」
「わかった。また後でね」
会釈をして去ってゆくシュノーゼルに、ダンテは笑顔で手を振った。彼が人混みに消えると、オズマが腹を抱えて笑い出した。クリストフはオズマの足を蹴った。
「笑うな! くそっ……」
「なかなかやるじゃない。まるで貴族のお嬢様みたいだ」
「あたしは元々貴族だ!」
「「…え、」」
オズマとフィオールが少女の一言に固まった。クリストフは不機嫌そうにそっぽを向く。
「ねぇ、クリスト……じゃなかった。クリス」
混乱している二人を他所に、ダンテがクリストフに話しかけた。
「アンナ寵妃はまだみたいだけど、どうする? 僕の挨拶回りについてくる?」
「いや、いい。面倒臭い。その辺りから聞き出せそうなことがないか探ってみる。アンナ寵妃が来たら呼べ」
「わかった。あんまり遠くに行かないでよ?」
「ああ」
クリストフは軽く手を挙げて踵を翻した。フィオールはあたふたとその後に続く。オズマは二人の背中を見つめ、言った。
「クリスト……じゃなかった。クリス様、貴族だったんですね」
「んー? まあね。ずっと昔の話だよ」
「褐色の肌で貴族というと……」
ダンテの表情が、ふと陰る。
「…悲劇の名家、ローズウッド家だよ」
「そうでしたか」
オズマは、物悲しそうに人混みを見つめた。
「お前、貴族だったのか?」
「……」
褐色の肌とその容姿にまとわりつく視線。人の波を縫って歩く二人。少女は、小声で言った。
「…もう100年近く前の話だ。ガトーが成人してすぐ家を出たからな」
「貴族って一体何処の」
「過去のことはいいだろう」
立ち止まり、クリストフがフィオールを睨む。
「思い出したくないんだ。捨てた家のことなど」
「……」
「名も姓も取り上げられたあたしに、家なんてない。あたしは……山賊だからな」
少女はそう言って、再び歩き出した。フィオールは思った。少女の本当の名前すら、自分は知らない。
ーーあたしも、たまにわからなくなる。お前は何者であたしは、何者なのか……ーー
何も、知らない。