65.雨の日の夕暮に
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古から続く大盗賊団ブラックメリーは、大きく二つに別れている。国中に点々と存在する第八師団までの乙衆。宝を求めて津々浦々するマスターと行動を共にする幹部と若衆。若衆は齢25を過ぎると乙衆に加えられ、腕を見込まれた者は乙若関係無く幹部として迎えられる。決まり事はただ一つ、上の者に逆らわない。それだけ。しかしそのたった一つの決まり事が、また厄介。極端な例えをするならば、死ねと言われれば死なねばならない。上司は王のように振舞うこともできる。下の者は逃げることもできない。国中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた組織網が、それをさせないのだ。ゆえに、誰もが権力を求め互いを見張り合い、不気味な結束力を生み出す。それが、ブラックメリーの強みだ。
「お前ふざけてんのか」
今日こそ殺される。そう、思っていた。第七師団のアジトにあるマスターの部屋。フランはバンディの胸倉を掴んで壁に押し付けた。バンディはしれっとそっぽを見ている。フランの顔は、ますます険しくなってゆく。
「そのへんにしとけ」
酒瓶片手にベッドに腰をかけているマスターが言った。フランはバンディを睨みつけ、荒っぽく手を離した。
「お前、何したかわかってるよな」
フランが言うと、バンディはチラッとフランを見た。
「……」
「何度も言ってるよな。無駄に殺すなと」
バンディは面倒臭そうな顔をして、フランを見た。
「見つかっちまったんですよ、使用人に。死体が見つかれば賊が入ったことがバレるけど、無人の館にしちまえば事が知れても無くなった宝石一個より、死体に目がいくしホワイトジャックかそこらの仕業に見せられる」
「それがやり過ぎだって言ってんだよ! 俺らは殺し屋じゃねぇ、盗賊だ!」
フランが声を荒げると、フランの髪とバンディの頬を掠めて剣が扉に突き刺さった。バンディは思わず息を止めてしまっている。フランは舌打ちをした。
「うるせぇぞ、いつまでも」
剣を投げたのは、マスターだった。フランは剣を引き抜き、バンディに背を向けマスターの方へと歩み寄る。そして、近くの椅子に座った。扉に寄りかかり立ち尽くすバンディを、マスターはじっと見据える。
「…バンディ、お前明日から第七師団の乙衆に加われ」
バンディは唖然としてマスターを見た。フランも驚いた顔をしている。
「マスター! バンディはまだ問題も多いです! 乙衆に上げるのは……」
「物盗りで殺しに頼るのは若衆の癖だ。こういう奴程、さっさと乙衆にしちまった方が後々使える人材になるんだよ。お前みたいに」
「……」
フランは眉を顰めて視線を落とした。マスターは、何が起きたかわかっていないバンディに微笑んだ。
「期待してるぞ、お前には」
「……」
バンディは目を丸くして、こくりと頷く。殺されると思っていたところ、まさかの昇格。そして、期待をかけられていると知る。その攻撃的な性格から人に疎まれてばかりだったバンディにとって、これ程嬉しいことはない。この時、このまま部屋を去っていたなら……破壊衝動はマスターへの奉仕心に変わっていたかもしれない。
「でも、若衆団長はどうするんですか。サガードも近々乙衆に上がりますし、次に団長になる予定だったバンディまで上げてしまうんじゃあ……」
フランが言うと、マスターはケラケラと笑った。
「大丈夫大丈夫、カイザがいるじゃねぇか」
「カ、カイザですか!」
バンディははっとしてマスターを見た。
「あいつに団長やらせるんですか! 10歳になったばかりですよ?!」
「カイザがいるから団長は誰でもいいってことだよ。ギバー使いこなしてんのもあいつだけだしな。器量も勘もいい。あいつがいれば若衆の稼ぎも安泰だろ」
バンディの心臓が、大きく脈打つ。マスターがこんなにも信頼しているのは、陰気で、無口な子供。稼ぎなら自分の方が貢献しているのに、どうしてカイザが……嬉しさが焦りに、憎悪に、変わる。
「それも、そうですが」
フランはまだ不安そうだ。しかし、マスターは呑気に笑う。
「じゃあ、団長は適当に決めといてくれ」
「わかりました」
「バンディ、」
名前を呼ばれ、バンディは慌てて顔を上げる。
「明日昇格証やるからそれ持って第七師団の団長に渡せ。それで、お前もめでたく乙衆だ」
「……」
何であんなガキに目をかけてるんですか。カイザがいれば自分は要らないんですか。要らないから乙衆に上げるんですか。
「…ありがとう、ございます」
言葉を全て飲み込み、バンディは深く頭を下げた。子供相手に焦っている自分を、知られたくなかったのだ。バンディは俯いたまま、部屋を出た。扉を閉めて、早足に薄暗い廊下を進む。そして、思った。カイザを殺そう。ふいに訪れた衝動。こうなるともう、止まらない。
バンディが若衆を上がる日。激しく雨が降り、少し肌寒く感じる夕暮れ時。昇格証と荷物を手にして第七師団のもとへ向かう用意も整っているというのに、バンディはアジトの入口が見える草陰で、じっと息を潜めていた。バンディは、カイザを待っていたのだ。カイザは仕事がない日はいつもこの時間に出掛ける。そこを、突く。雨に打たれながら待っていると、アジトの扉が開いた。
「…マスター?」
黒いコートでフードを深くかぶるその男は、まさしくマスターであった。外に出る時は常に副総団長のフランを連れているというのに……この日は、一人。それも、なんだか周りを気にしているようにも見える。マスターはそそくさとアジトを離れ、森に消えてしまった。
「……」
なんとなく、バンディはその後を追った。森の中をただただ真っ直ぐ歩いて行くマスター。町に行くわけではなさそうだ。暫く歩いていると、バンディは立ち止まった。その視界の上方、木の上に人影が見えたのだ。それは、明らかにマスターを狙っている黒い髪の少年。その冷めた表情にカイザの面影を見たバンディは、物音立てずに少年に近付く。木に登り、枝を渡り、そっと。マスターを追う少年を追うバンディ。そして、幹を挟んで少年の背後にまで追いついた。あとは……気の向くままに。バンディがナイフを手にした、その時。
「!」
少年が突然、隣の枝に飛び移った。そして、両手に剣を持ってバンディに向かってくる。物音を立ててはマスターに気付かれてしまう。バンディは少年の剣を避けた。すると、少年は少し後方に下がった。少年も密かに追っていただけに、騒ぎにしたくないようだ。金属音も控えたいらしく、バンディがナイフを持っているのを見て剣をしまった。
「……」
「……」
バンディは横目に遠くなるマスターの背中を確認し、言った。
「この距離なら、剣でも戦えるだろ」
「……」
少年は、無表情でバンディを見つめて言った。
「いらない。万が一の事もある。それに、素手で充分。」
その一言に、バンディの中で何かがぷつっと音を立てて切れた。バンディは少年にナイフを振り上げて突進する。すると、少年はそれを軽くかわしてバンディの腹を蹴り上げた。少年とは思えない、重たい蹴り。息ができなくなりながらも、バンディは少年の首を掴んで押し倒した。二人、真っ逆さまに落ちてゆく。今なら落下音くらいなら聞こえないだろう。そう考えていると、少年がバンディの腕を掴み、首に足をかけてきた。バンディを下にして、着地するつもりのようだ。バンディは眉を顰めて、ワイヤーを木の枝にかけた。少年はそれに気付いてバンディの顔を蹴るが、バンディはその首を離さない。ワイヤーが伸び切った瞬間、少年はそのまま木に叩きつけられた。
「……」
少年は首を吊られた状態で剣を取り出す。バンディはワイヤーを離して振りかざされた少年の両腕を掴んだ。そして、幹を蹴って少年を引き寄せ、地面に向かって思い切り投げつけた。背中から落下した少年は血を吐き出す。そこに、追い打ちをかけるようにナイフを振りかざしたバンディが落ちてきた。少年は首を捻ってナイフを避けた。少年は馬乗りになったバンディに見下ろされ、小さく溜息をつく。バンディは鋭く睨んで静かに聞いた。
「…そのアーマー、ホワイトジャックだろ」
「……」
「あの人が誰だか知ってて狙ってんのか」
「…英雄、ギール・パールマン」
少年の冷たい目は、バンディを真っ直ぐ見つめる。バンディはナイフを抜き、少年の首に突きつけた。
「そいつは死刑になったはずだ」
「死刑になるはずだった男、と聞いている」
「人違いだ」
「人違いじゃない」
刃物にも、バンディの威圧にも動じない黒い瞳。少年は口から血を流しながら、言った。
「情報が全て一致してる。顔に大きな傷があり、二ヶ月以内に必ずこの森へ現れる。今日でちょうど二ヶ月張っていたが、この道を通った条件の合うのはあの男だけだった」
「……」
「間違いない。あいつはギール・パールマンだ」
バンディは、その冷たい瞳を目の前に混乱していた。少年は、静かにバンディを見ている。
「…で、あんた誰? ギール・パールマンの知り合い?」
ーー期待してるぞ、お前にはーー
ーー大丈夫大丈夫、カイザがいるじゃねぇかーー
バンディは、にやりと笑ってナイフをしまった。そして、呟いた。
「使える」
「……」
「お前、それ誰から聞いた?」
「言えない」
「じゃあ、そのまま誰にも言うなよ? 俺と会ったことも」
少年は少し不思議そうにバンディを見ている。バンディは立ち上がった。
「名前は?」
「…サイ」
サイはゆっくりと立ち上がり、バンディを見上げる。バンディは鼻で笑った。
「サイか。ガキのくせしてこんな仕事請け負ったんだ。相当期待されてんだろうなあ、あいつと同じで」
「……」
「張ってたところ悪いが、今回は引け。ブラックメリーに邪魔されたと言えば、依頼人も上の連中も文句言わないだろうからよ」
「あんた、ブラックメリーなのか。なんであの男を庇う」
「ガキにはわかんねぇか。まあいい。いずれわかる。まだ確証はないがその時がきたら、俺はお前を迎えに行く」
少年は真っ直ぐに、バンディを見つめる。その目は、僅かに光が宿ったようにも思える。バンディは少年にその怪しい笑みを向けたまま、言った。
「俺が頂点に立った時、お前は俺の隣に立つんだ。秘密を共有する、共犯者として」
「……」
「それまで死ぬなよ」
バンディは少年に背を向け、歩き出した。少年はその背中をじっと見ていた。仕事の邪魔をされたはずなのに……あの男に、興味が湧いてしまったのだ。頂点に立つという、あの男に。これが、サイとバンディの出会い。サイがまだ、8歳の頃のこと。
バンディは森を突き進み、マスターを探した。マスターがギール・パールマンかもしれないということがわかり、バンディはその核心的なことがこの先に待ち受けていると考えたのだ。一人で外に出るなど、人に知られてはいけないところへ行くつもりなのだろうから。疑念が確信に変わったなら、バンディは容赦なくその秘密を使おうと考えていた。ブラックメリーの頂点に立つために。
歩いていると、森を抜けてしまった。そこは位置で言うなら、ノースの端だろうか。ポツンと小さな家がある、寂しげな場所。道を行った先には町も見えるが……バンディは、その家に近付いた。そして、中を覗き見ようと扉に手をかけた。
「買いかぶりですよ」
マスターの声が聞こえた。中にいるのはマスターが敬う人物か。バンディは手を引っ込め、聞き耳を立てる。
「本当よ」
若い女の声がした。まさか、ブラックメリーのマスターともあろう者が女と敬語で話すなんて。考えられなかった。バンディはもう、その人物が誰か気になって仕方なかった。
「…俺なんか、あなたに出会わなければ逆賊として殺される運命だったんですから」
マスターの低い声。それが発する言葉は、マスターがギール・パールマンであったことを物語る。バンディは思わずにやつく。あとは、その話相手が誰なのかを聞き出すだけ。
「そうならなかったじゃない。それは運命じゃなかったのよ」
「…確かに、ブラックメリーのマスターになってカイザに出会えました」
「本当に、不思議よね」
また、カイザ。しかも、この女も知っているようだ。この女は……カイザは、一体。
「カイザは選ばれたのね」
女の、優しく穏やかな声。
「私と、あなたに」
「どうだか。神の悪戯にしか思えませんね」
「あら、神の寵愛を受ける私の前でそんなこと言うなんて」
バンディの心臓が、中に聞こえるのではと不安になる程鼓動する。神の寵愛を受ける女。妄想か。いや、マスターがそんな可笑しな話に付き合うとも思えない。それに、女の話が本当ならマスターが敬語を使う理由にも納得がいく。女は得体の知れない特別な人物で、マスターの恩人のようだ。
「神様は悪戯なんかしないわよ」
「いや、わかりませんよ。マザー・クリストフが俺を知っていましたから」
「クリストフが?」
「褐色の肌ですからね、迫害の被害にでもあったのでしょう。ゼノフの行く末に注目していたようです」
「…言ったの?」
「ええ。ギール・パールマンだと、マザーだけに」
マザー。何故ここで、リノア鉱山の山賊が……それに、女はマザーとも面識がある。本当に、この女は何者なのか。
「…私がブラックメリーを取り戻すよう唆したことも?」
ブラックメリーを……取り戻す?
「いえ、あなたとのは言っていいものか迷って言いませんでした」
「そう、よかった」
「…マザー・クリストフも、神の寵愛を受けているんですよね」
マザーが、神の寵愛を……話についていけない。マスターの秘密を知るどころか、混乱させられてばかり。
「言った方がよろしいのでは。このナイフは元々あなたの大事な物ですし」
ナイフ。マスターはナイフを使わない。ナイフとは、なんのことだ。
「…言わないでおくわ。言ったら、きっと私に気を遣ってブラックメリーを返そうとするに決まってるもの」
「俺は構いませんよ」
「もう、今はカイザの物じゃない。あなたがよくても、駄目なのよ」
バンディの頭に、カイザのナイフが浮かんだ。黒い柄の、ブラックメリーの紋章が入ったナイフ。あれか。
「今じゃあ後継者の証にまでなっているようだし、そんな重要な物を取り返すわけにもいかないわ。カイザの……カイザとしての未来を担っているナイフなのだから」
カイザが、後継者。あの、子供が。バンディは荒くなる息を抑え、一歩、後ずさった。
「…カイザのこと、そこまで思ってくださるなんて」
「こんな偶然続きなのよ? 大事に思うのは当たり前じゃない」
「顔も良いのに盗賊としての腕も良いなんて、神はカイザに二物を与えたようですね。クロムウェル家では、その容姿に神も嫉妬する、なんて言われていたのに。俺の方が嫉妬しそうですよ」
「まあ、あなたも充分魅力的よ。だから、カイザのことも大事にしてね」
「…エドガー様のためにも、そうさせていただきます」
二人の穏やかな談笑を耳に、バンディは俯いてじっと立ち尽くしていた。ギール・パールマン、寵愛を受けるエドガーとクリストフ、そして、カイザ。何もわからない、繋がらない。繋がらないが……これを辿れば、頂点が見えるような気がした。ブラックメリーを越えた、高峰が。自分が掴んだのはマスターになるための鍵じゃない。覇者への門を開く鍵だ。乙衆の次は幹部、幹部の次は副総団長、その次はマスターの椅子に座り、最後は、この女を越える。神に並ぶその術がわかるまでは、ブラックメリーで上り詰めよう。バンディは小さく笑いながら静かにその場を去った。冷たい雨も熱くなるような、野望を抱いて。
「あら、カイザ」
彼女が傘を手に墓地へ向かうと、墓守小屋の前でカイザが震えながら立っていた。
「ずっと待っていたの? ごめんなさい、遅くなってしまって」
彼女はカイザを抱き寄せ、濡れた頭を撫でた。少年は小さく震えながら、言った。
「…あの人、誰?」
「あの人?」
「…俺、一度ミハエルの家に行ったんだ。そしたら、男の人がいたから」
「……」
カイザの頭を過るのは、雨の中家の前で立ち尽くす男の姿。
彼女は黙り込む。カイザは、俯いたまま泣きそうな声で言った。
「…ミハエル、結婚するのか?」
彼女は優しく微笑み、言った。
「しないわ。私はずっと待っているの」
「…誰を?」
冷たい雨も光の粒に見えるような、温かな時間。
「あなたをよ」
物語が始まる10年前。この時、乱世をいち早く嗅ぎつけていたのはバンディだった。いや、嗅ぎつけていたのではない、世界を乱世に陥れようとしていた。カイザが若衆、バンディが乙衆、マスターとミハエルがまだ、生きていた頃のこと。
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