61.鐘楼は高らかに鳴る
「勝てるのか? 武器の長さも顔も俺に劣るお前が」
フレンは血を吐き出した。腹部に突き刺さる三又の槍。カイザがそれを引き抜くと、フレンは一瞬よろめいて腹を抑え、大きく飛び上がり、後退した。カイザは槍の先を床につけ、首を捻る。フレンは顔を歪めて言った。
「そんな槍……何時の間に」
「…秘密」
フレンは苦しそうに笑い、懐から一包の薬を取り出して飲み込んだ。そして、はあ、と大きく息を吐き、屈めていた身体を伸ばした。腹からはぼたぼたと血が流れる。
「鎮痛剤飲むより止血した方がよかったんじゃないか?」
「そんなことをしていたら君にとどめを刺されかねない」
「…それもそうだな」
カイザは槍を構えた。フレンはカイザを睨み、鉤爪を構える。
「君を殺して、早く治療しないと」
「だいぶ出血してるようだが間に合うのか?」
フレンは駆け出し、カイザの懐めがけて突っ込む。カイザが槍を突きつけると、フレンはそれに沿うように大きく鉤爪を突き出した。カイザはそれを紙一重で避けて槍を振るう。フレンはその槍を鉤爪で弾く。カイザの切先を身軽にすり抜け、腹部の傷と槍に劣る武器の長さを微塵も感じさせないフレン。カイザが振るった槍を鉤爪で受け止め、フレンはそのまましゃがみ込んでカイザの足を蹴り払った。
「…!」
「長さより、速さだ!」
よろめくカイザにフレンの鉤爪を振り下ろした。カイザは、フレンに向かって羽織を投げつけた。その時、天井に光の筋が走った。
フレン目を鋭く光らせ、容赦なくカイザの羽織を切り裂いた。ハラハラと床に落ちる布切れ。そこに、カイザの姿はない。フレンは背後のパチパチと何かが弾ける音を耳に、立ち尽くす。
「君、速いね」
「そうか? お前の方がよっぽど速い」
フレンの背中に槍を突きつけて、カイザは言った。
「ただ、速さだけじゃ勝てないのが……殺し合いだ」
「…じゃあ、最後に僕を敗北させた手品の種明かしをしてくれないか」
背を向けたままフレンは言った。その腹からは赤黒い血がだらだらと垂れている。
「避ける暇などなかったはずだ。なのにどうして……今、僕の後ろにいるんだ?」
「…自分でもよくわかってないんだが。俺はどうやら雷だったらしい」
フレンが苦しそうに首だけで振り返り、笑った。
「…そう。ああ、確かに。見れば見る程、綺麗な光だ」
「ありがとう」
カイザがそう言うと、槍が激しく光った。カイザは目を見開き、槍をフレンの背中から心臓目掛けて深く突き刺さす。フレンは血を吐き、眩い光を放ちながら二人は円柱の硝子を突き破った。そして、勢いのままに何やら青い水が溢れる切れ間の脇に突っ込んだ。罅はさらに広がり、滝は激しさを増す。光の糸が逃げてゆく暗い機材の中で、カイザは槍を引き抜いた。フレンは黒焦げになり、ぐったりとして動かない。それを見て、カイザは滝を避けるように室内へと戻った。
「…あれ、」
「カイザ、終わった?」
砕け散った円柱の向こう、先程まで自分がいたところにシドと……クレアの死体があった。カイザは槍を肩にかけてシドに歩み寄る。
「お前、あっちで戦ってなかったか?」
「カイザもこっちで戦ってなかった?」
二人は一緒に首を傾げた。
「先生!」
二人が扉の方を見ると、肩で息をするミレーがいた。
「上はどうなった」
「ルージュさんに任せてます! しかし、帝国の増援が来て……!」
カイザは眉を顰めて舌打ちをした。
「もう限界です! ここは引き上げるしか!」
「……」
カイザは、歪んだ扉の方を見た。足元は、青い水でひたひたと満たされてゆく。
「…あいつは、どうするかな」
銃声がする暗がりを、カイザはただ、見つめていた。
棚から崩れ落ちた本が、小さく燃えている。砕けた本棚に寄り掛かり、荒い息を整えるグレン。
「もう終わりか? では、最後に真珠の在り処を言ってもらおうか」
男は筒口をグレンに向けた。グレンはよろよろと立ち上がる。白衣は煤焦げ、額からは血が流れている。
「…言わないっす。真珠ちゃんも萎れたおっさんより、血気盛んな若造の方がいいって言ってたっすよ?」
グレンは笑いながら袖口からメスを一本出し、握った。そして、男を睨む。男は溜息をつきながら片方の擲弾筒を背中にかけ、腰から弾を取り出してもう片方に詰め始めた。
「そんな萎びた五十の中年に手間取っているじゃないか。若いくせに、情けない。月の女神ディアナは戦女神だ。強い男の手に収まることを望むに決まっている」
男は弾を詰め終え、筒口をグレンに向けた。
「弱い若造より、強い中年をな」
「…少し情けないくらいが可愛いとも言ってた気がするっす」
「…冗談に乗った私も私だが。お前は本当に馬鹿だな。」
男は背中の擲弾筒も手に取り、グレンに向かって引鉄を引いた。銃声と煙を上げて二つの弾が飛び出す。グレンはそれに向かって走り出し、メスを投げた。弾は空中で爆発し、部屋を煙で撒いた。男が筒口を上げて煙を見つめていると、その中からメスを構えたグレンが出てきた。グレンは男の懐に飛び込んで勢いのままにメスを振るう。男は首を捻って避け、擲弾筒でグレンの頭を殴り飛ばした。
「…くそっ、」
吹き飛ばされたグレンは受身を取って着地し、再び男に向かってゆく。男は走り込んでくるグレンに一発、撃ち込んだ。グレンはそれを避けた。弾は壁に当たり、爆発した。背中を押す爆風と共に、グレンがメスを数本投げつける。男は擲弾筒でそれを弾いた。グレンは再び、メスを投げる姿勢を取った。
「馬鹿の一つ覚えか」
男は擲弾筒で弾き飛ばす構えを取る。すると、グレンは素手で男に飛びついた。男は押し倒され、腕を押さえつけられた。グレンは擲弾筒を取り上げ、投げ捨てる。そして、男の首を鷲掴みにして、男を見下ろす。
「…これで、終わりっすよ」
荒い息をして、グレンは小さく笑う。男は冷ややかにグレンを見つめている。
「メスも尽きたのだろう? 首でも締めようというのか。」
男はグレンの手首を掴み、言った。
「メスが無くては手術はできない。金が無くてはメスすら買えない」
「…またその話っすか。金、好きっすね」
グレンは鼻で笑う。が、首を掴む手は震えていた。
「金が好きなのではない。それが事実だ。お前達の活動資金はどこからきている」
「……」
言いたくなかった。しかし男は躊躇うことなく、言った。
「戦争だろう。人が死に、街が焼け、そこに集って金を手にしているのだろう」
「……」
「患者から受け取る治療費で家を支える私と、戦争で得た金で組織を支えるお前。どちらが医者に相応しいと思う」
グレンは唇を噛み締め、男の首を締めた。男は苦しむどころか平然としてグレンを見つめる。グレンの指が、男の首に食い込んでゆく。
「あんたが死ねば、俺が……俺こそが」
ボソボソと、目を見開いて呟くグレン。男は手首を掴む手を放し、グレンの胸倉を掴んむ。そして、足を蹴り上げてグレンを投げ飛ばした。背中から床に落ちたグレンは、げほげほと咳き込む。グレンの霞んだ視界で逆さまに映る男は、ゆっくり立ち上がり首もとを整えて振り返る。
「私が死んだところで、どうともならん。お前は空虚な偽善に生き、誰にも必要とされなくなって一人寂しく死んでゆく。それだけだ」
グレンは悔しそうに男を睨んで立ち上がった。
「…僕、あのおじさん殺したい」
「俺も……そろそろ堪忍袋の緒が爆散しそうだ」
「黙って見てろと言ったのはカイザさんでしょ!」
歪んだ扉から顔を出して中を覗き込んでいたのは、カイザとシド、そして、真っ青な顔をするミレーだった。
「黙ってられないなら早く助けましょうよ!」
「……」
「カイザさん!」
カイザは複雑そうな顔をして中を見つめている。シドは落ち着きなく貧乏揺すりをしていた。
「…俺達が助けて、どうにかなるのか」
「どうにかって、でないと帝国軍が!」
「あいつ、どう見ても親父の言葉に乱されてるぞ」
ミレーは肩で息をするグレンの背中を、辛そうに見つめる。
「今助けても、このままじゃ親父の言葉に悩ませられ続けるだけじゃないのか」
「……」
「いや、これまでもそうだったのかもしれない。だったら、今こそが答えを見つける最初で最後のチャンスだ。グレンが考え続けてきた……医者の在るべき姿の答えを」
ミレーは黙り込み、ハラハラと涙を流す。カイザも言葉とは裏腹に、槍を握る手に力を込める。シドも、貧乏揺すりをやめた。その時、背後の扉から何かが迫ってくる音がした。足音と、声。人の群れだ。
「帝国の増援が、ここまで」
ミレーは膝を折り、両手で顔を覆った。カイザとシドは、武器を手に扉を睨む。槍はバチバチと光を放ち、鎖鎌は黒い煙を立ち上らせる。
立ち上がったグレンは俯いたまま、言った。
「…俺の手で誰かが救われたなら……そのことだけが確かなら、それでいいっす」
「何度言ってもわからないようだな。それでは医者としてやっていけないと……」
「手術をしても診察をしても、自分が正しいことをしているのか、本当に医者なのかすら、わからなかったっす。戦争の金で活動してるわけっすから……あんたの言葉が頭から離れなくて……胸を締め付けてたんすよ」
「…少しは、話を理解していたか」
グレンは涙目になって、顔を上げた。
「でも、患者の笑顔が見れたその時だけは、自分は医者だと思えるんすよ!」
グレンは声を震わせ、叫んだ。男はじっと、グレンを見つめる。
「金が尽きて偽善者と呼ばれて、誰からも必要とされなくなっても……目の前で苦しむ患者が救えるなら、それでいいっす。俺は今この瞬間、医者であれるならそれでいいんすよ!」
目を潤ませながらも、真っ直ぐに男を見つめるグレン。男は、溜息をついた。
「…言いたいことは、それだけか?」
グレンの目から、一筋の涙が零れた。その時、隣の部屋から人の声がした。グレンは振り返り、聞き耳をたてる。一人や二人ではない。まさに、軍勢だ。それは大きな足音共にグレンのいる部屋に迫る。
「援軍が来たようだな」
グレンははっとして男を見た。男は、嫌味な笑みを浮かべた。
「グレン先生!」
「先生!」
背後からする呼び声に振り返るグレン。グレンは目を見開き、固まってしまった。冷静だった男の顔にも驚きの色が浮かぶ。
「…あんたら、」
「先生! 助けに来ましたよ!」
「あいつだ! あいつで最後だ!」
部屋に雪崩れ込んできたのは、見るからに一般市民。鍬や包丁を手に、どっと男に襲いかかる。
「なっ、なんだ! 貴様らは! 援軍は……!」
組み伏せられた男は、人の群れに隠れてグレンの視界から消えた。グレンは唖然と、立ち尽くしていた。群の間から見えたのは…噴き上がる血しぶきだけ。
「グレン」
振り返ると、今度はカイザ達がいた。無表情のカイザ、ニコニコしているシド、優しい微笑みを浮かべるルージュに、べそべそと泣いているミレーと、ミレーを慰めながら泣いているルノー。
「これは、どういう」
わけもわからず、混乱した頭を抱えてグレンは扉に歩み寄る。ルージュがニッコリと微笑んで、言った。
「ゼノフ市民の方々が、助けに来てくださったんですよ」
「な、なんで! 反逆者の俺らなんか助けたら、あの人達は……!」
カイザは呆れたように笑った。
「そうだ。帝国に逆らうことになるとわかっていながら、あいつらはお前のために立ち上がった」
「……」
「聞いたぞ? 治療費も取らずに市民の診療してんだって?」
「い、いや、酒とか食糧とか恵んでもらってて……」
カイザは笑いながら困った顔をしているグレンの肩を叩いた。
「それでも、あいつらはお前にこれ程の恩を感じてる。お前を必要としてるんだ」
グレンはカイザをじっと見つめた。カイザの穏やかな笑顔は涙で滲み、歪んでゆく。
「グレンは立派な医者だよ」
カイザの言葉に、グレンはがっくりと項垂れた。その肩は震え、足元には涙が垂れる。
「先生!」
「先生……!」
顔を涙でぐしゃぐしゃにしたミレーとルノーが、グレンに抱きついた。すると、ゾロゾロと市民が集まり、三人を囲む。カンパニーレを讃える歓声の中で三人は抱き合い、泣いた。