56.殺すのに最も手間がかかるのは感情である
暗い廊下。紙の束を読み漁りながら歩くオズマと、大量の荷物を持って後に続くルージュ。
「革命とは、ただ戦争を行うだけではないのですね」
「まあねー。根回しとか交渉とか、ダンテさんの使いっ走りで忙しいよ」
オズマは溜息をついて紙束を小脇に抱えた。
「あなた方はロストスペルと魔術に関する抗議を主としているみたいですが……カンパニーレというのは?」
「医療の独占に関する抗議団体だよ。金のある連中だけが医者にかかれる世の中はおかしい! って喚いてるのさ」
「喚くだなんて。どんな目的にしろ、国を丸ごと変えようとしている仲間でしょう」
「…俺さ、もともと医者っていうのが嫌いなんだよね。この世で一番の冒涜行為は医術だと思うんだ」
ルージュは、悲しそうに俯く。
「神に与えられた時間はそれだけで価値があるというのに。それを人が人の手で引き延ばそうなんて……強欲にも程がある」
「彼らは私達と違って短命。生に縋る気持ちもわかりますが」
「短命だからなんなのさ。虫やなんかはもっと短命だ。地球上で自分らが特別だと思っているあたりが腹立つんだよ。だから美女達が業輪を担わされるはめに……」
オズマは扉を開いて、立ち止まった。
「わかった?! グレン!」
「…要するに、北の魔女ダンテと革命軍のダンテは同一人物と」
「そう!」
「…でも、あんた女じゃないっすか! 俺が会ったダンテはもっと年とった男っすよ!」
オズマは額に手を当てて俯く。ルージュは背後から部屋を覗き込んだ。
「おかえり、お医者さんが来てるよー」
テーブルに座るシドが手招きをしている。その周り、ダンテ、カイザ、フィオール、クリストフは何故かどんより肩を落としている。オズマとルージュはその異様な空気が漂う部屋に入った。
「どうもっす」
「ど、どうも……」
グレンに挨拶をされ、おずおずと頭を下げるルージュ。オズマは眉を顰めて数度瞬きし、言った。
「これ、どういう状況なの」
「助けてオズマ!」
ダンテは椅子から飛び降りてオズマに抱きついた。
「話が通じない!」
「俺だって通じませんよ。だから嫌いなんだ」
「オズマ! 久しぶりっすね!」
舌打ちしてグレンを睨むオズマ。グレンは満面の笑みでオズマに手を振る。カイザは、あー…、と小さく声を漏らし、言った。
「とりあえず、ダンテの説明は後回しにしよう」
「なんで!」
ダンテを無視して、カイザは項垂れるクリストフを見た。
「クロムウェル家に関する情報を、グレンが握ってた」
「…この馬鹿が?」
クリストフは眉を顰めてグレンを見た。
「まずは、それから話をしようか」
カイザは大きく息を吐き出し、帰って来るまでにグレンが言っていたことを話した。クロムウェル家に謀られたこと。グレンが殺されそうになった理由と思しき秘密のこと。話が進むとともに、クリストフの眉間にはみるみる皺が寄ってゆく。
「…寵妃のアンナか。カイザは知ってるのか、その女」
「一応、何度か顔を合わせたことはある。息子のルイズとはよく遊んでいたし……」
緊張しているグレン達に、ルージュが笑顔でティーカップを配っている。同じ茶の用意をしていたオズマがカイザの目の前に茶を置き、言った。
「どうりで、当主どころかお抱え騎士とのお目通りも叶わないわけだ」
「お抱え騎士って、レオンのことか?」
オズマから手渡しでカップを受け取り、クリストフが聞いた。
「彼しかいないでしょ? 当主の右腕なんだから。質実剛健、騎士道の鑑と評判高い遍歴騎士。クロムウェル家の近衛隊隊長になったと聞いた時は驚いたけどね」
「レオンに会えない時点で怪しいとは思わなかったのかよ」
クリストフの問いにオズマは小さく溜息をついた。端に座ってココアを飲むダンテは、テーブルの角を撫でた。すると、テーブルが伸びて木製の椅子が床から生えた。茶の用意を終えたオズマとルージュは、その椅子に腰掛けた。目を点にしてそれを見つめるグレン達。
「なんせ、次期当主のルイズ君とは顔を合わせてるからね。微塵も疑わなかったよ。反帝国軍がまさか、離宮の勝手な挙兵だったなんて」
「僕が会ってればいろいろ見抜けたかもしれないんだけどね……」
ダンテがカップを置いて言った。
「そうだ、お前その目を持っててなんで重要人物と会わないんだ? こんな馬鹿とは顔見知りなのに」
クリストフが言うと、ダンテは、えー…、とやる気のない声を出した。
「外は寒いし、危険だし。面倒だし。自分とこの戦場仕切るので手一杯だよ。グレンとはたまたま会っただけで」
「…そんなんでよく英雄になれたな」
呆れるクリストフ。話をわかっていないフィオールが、テーブルに肘をかけてオズマの方へ身を乗り出した。
「目って、なんのことだ?」
「知ってるでしょ? ダンテさんが神から賜った愛の証さ。心の景色が見える目」
「「…あ、」」
カイザとフィオールが揃ってダンテを見た。
「じゃ、じゃあ……俺らの心も」
フィオールが恐る恐る聞くと、ダンテは面倒臭そうに言った。
「見えてるけど……僕はその人がその瞬間頭に思い浮かべた情景や、心に強く残っている映像なんかが見えるだけ。心が読めるわけでもないし、大して便利な目じゃないよ。フィオールがクリストフといちゃついてたりカイザが生前のエドガーと遊んでるところを見ても何も面白くない」
ダンテの言葉に、3人は言葉を失い赤面した。
「ななな……おい! てめぇがたらたら記憶を垂れ流すから!」
「お、俺のせいかよ!」
クリストフがフィオールの胸ぐらを掴んで激しく揺すった。カイザは頭を抱えて俯いている。オズマはケラケラと笑って一息つくと、動揺している3人に向かって言った。
「君たちの赤裸々な心情はともかく、クロムウェル家は今二つの勢力に分けられる」
クリストフは我に返ったのか、フィオールを揺する手を放した。フィオールは咳き込み、カイザもだるそうに視線を上げる。
「レオンがいる本家と、アンナ寵妃の離宮だ」
「では、今のクロムウェル家は派閥争いでもしているのでしょうか」
ルージュが言うと、少し考え込んでカイザが口を開いた。
「…いや、レオンが本家の軍を統率しているとはいえ、次期当主のルイズも本家に出入りしているはずだ。そんなまどろっこしいことをする必要はないはず」
「あれだ、あれ」
フィオールが頭を抱えて唸る。そして、何かを思い出したのか、顔を上げた。
「あれだ! よく覚えてないが、当主は帝国軍大将だろ? 死んだとなれば帝国での指揮権も失っちまうから、何らかの手を使って生きてることにしてるんだ。当主の死を隠す理由は、それくらいしかない」
「お前、よく覚えてないわりに冴えてんな」
クリストフが少し驚いたようにフィオールを見つめる。フィオールは顔を作って得意げな笑みをクリストフに向けた。
「…本当にそれが目的なら、あいつらとんでもねぇこと考えてやがる」
クリストフはフィオールの頬を叩いて頬杖をついた。カイザも視線を上げ、小さく頷く。
「間違いない。おそらく、国取りだ」
「…国取り?!」
カイザの言葉に、黙って聞いていたグレンが驚嘆の声を上げた。
「く、国取りって、革命派は国王制を廃止するために動いてるんすよ! なのに……!」
「だから、帝国と革命派。両方を内側からぶっ叩くって腹なんだよ。おそらく、離宮の連中がな」
クリストフがそう言うと、グレンは茫然として俯いた。
「…騙されてたんすね。俺達」
わかっていることだというのに、改めて自分に言い聞かせるよう呟くグレン。そんなグレンを、助手達は心配そうに見つめる。
「だったらカイザを殺せと言った理由も、アンナは自分の息子に家を継がせたかったからだろう」
クリストフが茶を啜りながらそう言い放つと、オズマは横目に隅で椅子に腰掛けるミハエルを見た。
「国取りを企むくらいだからねぇ。美女の鍵にも目をつけたと考えておかしくない」
「……」
カイザは俯き、静かに言った。
「…クロムウェル家の現状はわかった。だが、一応言っておく」
オズマとルージュ、クリストフとフィオールがカイザに視線を集めた。全く話に加わろうとしていなかった子供達も、顔を上げてカイザを見た。
「革命軍のダンテやオズマには悪いが……俺は、クロムウェル家をどうこうしたいとは思ってない。俺が最終的に求めるのは、鍵戦争で勝つ事だけだ」
グレンは、はっと我に返ってカイザを見る。
「個人的な怒りや恨みを持ち込んだりはしない。ただ、業輪をミハエルに……あるべき場所へ、戻したい。そして伝説の終末を、新しい未来の……始点にしたいんだ」
辛そうな表情のカイザ。しかし、その声は力強く……穏やか。部屋の壁にぶつかるような叫びでもなく、染み渡るような切実な訴え。フィオールはカイザを真っすぐに見つめて、言った。
「…結末まで付き合うとダリで言っただろ?」
「……」
「やけくそ気味だったかもしれないが、今はこれでよかったと思ってる。いや、これからも」
カイザが顔を上げると、フィオールは優しく笑った。彼にはわかっていたのだ。カイザが、これから自分の感情を押し殺してでも前に進もうとしていることを。過去に後ろ髪を引かれながらも、必死に未来を見つめているのだと。
「勝つんだろ? 鍵戦争。バンディも蘭丸も……クロムウェル家も蹴散らして、業輪を手に入れるんだろ?」
「…ああ」
カイザの強張っていた顔がふっと弛み、小さな笑みを浮かべた。
「んなことわかってんだよ。怒鳴り出したりいきり立ったり突然勇者になったり。お前は忙しい奴だな」
クリストフが鼻で笑うと、ダンテが溜息混じりに言った。
「僕、鍵戦争にも革命にも足突っ込んでて忙しいから業輪の方は任せたよ」
「とは言っても、業輪の行方に目星はついているのですか」
ルージュが聞くと、クリストフが眉を顰めて言った。
「業輪の足取りはさっぱりだが、部屋を開いてないのはエドガーだけで、その鍵はカイザが持っている。とにもかくにも伝説の終末について調べをつけるつもりだ」
「以前お話されていた、ヴィエラ神話ですか」
「ああ。エドガーの故郷でなら詳しいことがわかるはずなんだが……この阿呆が」
クリストフに横目で睨まれ、カイザはふいっとそっぽを向いた。
「それでしたら……」
ルージュが何かを言いかけた時、オズマがすっと手を挙げた。皆の視線がオズマに集中すると、オズマはにっこりと笑った。
「なんだか盛り上がってきたみたいだけど、今後の相談は後にしてすっかり蚊帳の外の客人をまずなんとかしない?」
落ち着かない様子のグレン達。皆、あー…と彼らの存在を思い出したかのように頷き、声を漏らす。グレンは、苦笑いをして小さく頭を下げた。