50.外見に惑わされてはならない
突然、部屋の扉が開いた。全員そちらを見て絶句する。
「ダダダダ、ダンテ、ダンテが……」
そこにいたのは、柄にもなく青ざめた顔をする半裸のクリストフ。ルージュは赤面して目をそらし、オズマはコーヒーを再び吹き出した。カイザがげほげほと煙草の煙を咳き込んでいる隣で、シドはキョロキョロしていた。
「お前! なんつー格好で……!」
フィオールは慌ててクリストフに駆け寄り、毛布をかぶせた。クリストフはガタガタ震えながらフィオールにひっしと掴まっている。
「お前ら見るなー! 俺も見たことねぇのに!」
フィオールが凄い剣幕で怒鳴ると、オズマは袖で口元を拭きながら言った。
「見るわけないでしょ。そんな罰当たりな発情するのなんて君くらいだ」
シドが俯くカイザに何が起きたのか聞いている。カイザもルージュも、俯いたまま何も言わない。
「なんだと!人妻に発情してる奴に言われたく……」
フィオールが青ざめるクリストフの肩を抱えてベッドに戻ろうとすると、廊下からバタバタと足音が聞こえて来た。
「こわいー! 一人にしないでよー!」
泣きながら部屋に飛び込んできた裸のダンテ。それを見て、部屋は再び静まり返る。クリストフは卒倒してしまった。
「クリストフ! おい!」
フィオールが白目を向いて倒れたクリストフに呼びかける。ルージュとカイザは、呆然としてダンテを見つめていた。
「…やっぱり知らなかったんだ」
ケロっとして笑うオズマ。ダンテは倒れているクリストフを揺すって風呂についてくるようねだっている。カイザは錆びついた首の関節をゆっくりとオズマに向け、口角をひくつかせながら聞いた。
「…ダンテって、男……なのか?」
「誰も女だなんて言ってないじゃない」
その瞬間、カイザとルージュの叫び声が塔を貫いた。
「え? 僕? 最初から男の子だと思ってたんだけど」
シドが首を傾げる。カイザとルージュは深く俯いている。
「何でだ? 声も見た目も女じゃないか」
カイザが低く呟くと、シドは言った。
「見た目はわからないけど、声聞いて男の子だと思ってた。あと匂いとか」
シドが何故ダンテの性別をわかっていたのかはカイザとルージュには理解不能だった。シドも声変わりがまだなので聞きようによっては声は女にも取れる。子供にしかわからない何かがあるのだろうか……
「みんな大袈裟だなあ。神様は性別すらわからない。むしろ両性具有者かもしれないし、性別なんてないかもしれない。寵愛を受けたのが必ずしも女とは限らないんだよ。」
面白そうに笑いながらオズマはダンテに服を着せる。
「…クリストフのこの異常なまでの驚きようは一体」
自分が寝ていたベッドにクリストフを寝かせ、その寝顔を不思議そうに見つめるフィオール。服を着たダンテはぷんすか怒りながら笑うシドのベッドに座る。オズマは元の席に戻り、言った。
「寵愛を受けてからずっとダンテさんを女だと思っていたなら当然の反応じゃない?」
「いや、だとしても……」
フィオールは首を傾げる。
「宴でのことは忘れてしまうらしいから、男性器もガトー君の以外見たことなかったんじゃないかな。となると、百年ぶりに怪物を目にしたんだ。ひっくり返るよ、それは」
「怪物ってお前、だったら俺らみんな怪物じゃないか」
カイザがげんなりした顔で弱々しく突っ込む。フィオールはじっとクリストフを見つめ、呟いた。
「クソ生意気なくせして産毛なのか……可愛いな」
「白目向いてるけどねー」
オズマがケラケラと笑う。
「それにしても、何故……」
ルージュが何かを言いかけた時、その口をオズマが手で抑えた。部屋中の注目が二人に集中したが、オズマは何事もなかったかのように手を離した。
「…ごめんね、虫、飛んでたからさ」
「……」
ニッコリと微笑むオズマ。カイザとフィオールは顔を見合わせる。ルージュは罰の悪そうな顔をして、黙り込んだ。
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「クロムウェル家のガキを育てる?!」
「そうだ」
金を数える手を止めて、少年は顔を上げた。
「あんな坊ちゃんに盗賊業やらせるのかよ! それにあいつ、まだ5つか6つだろ?」
「お前だってまだ11になったばかりじゃねぇか」
酒瓶片手に、男はへらへらと笑った。その隣で不機嫌そうにしている男が言った。
「ギールさんになんて口の利き方……」
「いいって、フラン。こいつは贔屓にしてるんだ」
ギールに宥められ、フランと呼ばれる男は口を噤んだ。ギールは再び金を数え始めた少年に向き直って言った。
「今はまだ何もできねぇが、賢そうだし教えれば何でもできそうだからな」
「へっ、どうせ賊の慰み者のなるのがオチだろうよ」
少年の言い草に、フランは眉を顰めた。
「うちにはちゃんと贔屓にしてる娼館がある……って、このマセクソガキが。いらねぇこと言ってねぇでカイザの相手してこい」
少年は嫌そうな顔をした。
「なんで俺が。盗賊のお守は盗賊がしろよ」
「今歳が近いのはお前くらいなんだ。頼む。小遣いやるから」
ギールは少年に手を合わせて言った。少年は少し考え、ちらっとギールを見た。
「いくら?」
「100ペルー。それで駄菓子でも買いな」
「本当に駄菓子しか買えねぇよクソオヤジ!」
「ガキのくせしてがめついなー。これだから情報屋は」
ギールは溜息をついてポケットから数枚の札束を出し、少年に向かって投げ渡した。
「ほれ、それでいいか?」
少年は金を拾い、数える。
「…ま、いっか。勘弁してやるよ」
「へいへい」
少年は金をしまうと立ち上がって部屋を去ろうとした。
「フィオール」
フランが呼びとめると、扉を開いたところで少年は振り返った。
「なんだよ。今からこの金でそのガキと遊びに行ってやるってのに」
むすっとした少年を見て、ギールは呆れたように笑う。フランは少年を睨んで言った。
「一応言っておくが、マスターはカイザが気に入っている」
フランがそう言うと、少年は今にも吐きそうな顔をした。
「…気持ち悪ぃ」
「頭ん中がダダ漏れだぞ。変な想像してんじゃねぇよ変態が」
「違うのか?」
「違うボケ。とにかく、危ない遊びは教えるなよ。あとそういう変な知識も頭にしまっとけ」
「夜のお守はマスター自ら手取り足取り、ってか?」
「違うって言ってんだろ。いい加減にしろよ」
フランはギールが横に置いていた酒瓶を少年に向かって投げつけた。少年は軽くそれを避ける。瓶は壁に当たって割れ、中の液体をそこらじゅうにぶちまけた。つんとした匂いが、少年の鼻をつく。
「わかってる。お子様にはスラム散策くらいがお似合いだ」
「ったく、お前は本当に……」
「で? そのガキ、名前なんて言ったっけ?」
「カイザだ。何度も言っただろう」
「カイザね。じゃあ行ってくるー」
少年が出て行くと、フランははあ、と溜息をついて頭を垂れた。その隣でギールはげらげらと笑いだした。
「お前らは顔合わすたびに喧嘩してんな。面白ぇ」
「面白くないですよ……あんなクソガキにカイザ任せて大丈夫ですかね」
「心配ねぇよ。あいつあんなこと言ってたが、実際満更でもねぇ顔してたぞ?」
「そうですか?」
フランは疑いの目をギールに向けつつ立ち上がり、床に散らばる瓶の破片を拾い集める。
「フィオールは確かに生意気だし、馬鹿だけどな。情報屋としての腕だけは一人前だ」
「あのガキが……ですか」
「ああ。ウェゴーの盗賊団が国の憲兵と繋がってた話、知ってるか」
「1年前の話ですよね。知ってますよ。随分と騒がれましたからね」
「それをいち早く嗅ぎつけたのがあいつなんだ」
「本当ですか!」
フランは思わず振り返った。ギールは煙草を咥えながら、新しい瓶を開けようとしている。
「あの歳で命まで狙われるようなネタ扱ってんだから、大したもんだよ」
「…俺が言うのもあれですけど、腐ってますね」
「ああ、腐っちまってるのさ。だから、カイザが必要なんだよ、あいつには」
小気味良い音をたて、瓶が開いた。
「子供は子供らしくしてねぇと、本当にろくでもないことになるからな」
「情報屋やってる時点でどうかと思うんですけど」
「それはそれ、これはこれ。情報屋でも盗賊でもしねぇと俺らは生きられないだろ?」
「……」
「クソガキはクソガキなりに、健全な心を育む必要がある」
「よくわからないです」
「いずれわかる。お前にも、大事な何かができたらな」
ギールは笑いながら豪快に酒を飲む。フランは難しい顔をしてそれを見つめていた。
「おー、フィオール。来てたのか」
酒と煙草の匂いが立ち込める、盗賊の溜り場。仲間とテーブルに座る男がフィオールに話しかけた。
「カイザってどいつだ?」
「カイザ? ああ、クロムウェル家のガキか。あいつなら自分の部屋に籠ってんじゃねぇか?物置の隣の部屋だ」
「ふーん、酒臭ぇぞ」
「うるせぇな」
フィオールは男に背を向け、地下に向かう階段を下りた。薄暗く埃っぽい廊下。その突き当たり近くに、その部屋はあった。フィオールはノックもせずに、部屋を開ける。そして、立ち尽くした。そこにいたのは、見たこともない程に美しい少年。色のない表情で、じっとフィオールを見つめる。その青い目は蝋燭の火に照らされ、艶めく。
「誰、」
ベッドにしゃがみ込む少年は、それはまた抑揚のない声を出した。フィオールははっとして、部屋に足を踏み入れた。
「俺はフィオール。お前、カイザだろ」
「……」
「遊びに行くぞ」
「遊びに?」
怪訝な顔をするカイザの手を掴み、フィオールは部屋を出る。よたよたとカイザは引きずられ、二人は溜り場までやってきた。
「なんだフィオール、お守か?」
「そうだ」
テーブルを過ぎる度に、皆笑いながら声をかける。フィオールはそれをあしらって出口へと真っ直ぐ歩いてゆく。
「いい兄さんだな」
その言葉に、フィオールの足が止まった。扉の目の前。取手を握る、フィオールの手。カイザは俯いたまま、黙り込む。
「…行くぞ」
フィオールはそう言って、扉を開いた。
二人は蒸かした芋を手に、スラムの路地裏で足を休めていた。抜け道を通ったり、店の店員をからかったりしてフィオールはいつものように遊んではみたものの、カイザはどこか、つまらなそうだったのだ。フィオールは、頬杖をついてカイザを睨みながら言った。
「つまんねぇな、お前」
「……」
退屈なのはカイザの方だとわかってはいたが、口は自ずと大人しいカイザを責める。フィオールは溜息をついて、言った。
「お前、いつもは何して遊んでたんだよ」
「…御本を読んだり……楽器、弾いたり」
「はぁ……お坊ちゃんだねぇ」
「坊ちゃんじゃない。僕は捨てられたから」
諦め切ったような死んだ目をして湯気の立つ芋を見つめるカイザ。フィオールは溜息をついて頭を掻いた。
「お前な、いつまでも辛気臭ぇ顔してんじゃねぇよ。もう盗賊の仲間入りなんだからよ。そんなんじゃすぐ死んじまうぞ」
「……」
「まずその言葉遣いが盗賊らしくない。僕じゃなくて、俺って言え」
カイザは面倒臭そうにフィオールを見た。
「ほら、俺!」
「……」
「お、れ!」
「…俺」
「よし。あと、盗賊らしい遊びも覚えろ」
カイザは更に眉を顰めて首を傾げた。
「物盗んだり、銅像に落書きしたり」
「そんなことして、楽しいの?」
「楽しい」
「…悪いことだよ」
「知ってる。でも楽しいんだからいいだろ」
フィオールの言葉に納得ができずにいるカイザ。そんな彼の顔を覗きこんで、フィオールは言った。
「一人だと何をしてもつまらないが、二人なら、何をしたって楽しいと思うぞ」
カイザの強張った顔が、すぅと穏やかになってゆく。フィオールは、そんなカイザににかっと笑って見せた。この時、絶望感で胸がいっぱいだった少年にとって、一人でないことが何より心強かった。悪いことだろうがなんだろうが、一緒に遊べる相手ができたことが。
「次は山に行ってデザート取りに行くんだから早く食え」
「デザート……ケーキ?」
「そんなんじゃねぇよ。木の実だ。赤くて酸っぱくて、甘いんだ」
もくもくと芋を頬張るフィオール。目を輝かせてカイザはそれを見ていた。
「おいしそう」
「おいしそうじゃなくって、うまそうって言え」
「う、うん。うまそう」
「いっぱい成るところ知ってるんだ。カイザにも教えてやるよ」
「うん」
カイザはほんの少し、ほんの少しだが、口元を緩ませて見せた。フィオールはそれをみて照れくさそうに芋を平らげる。上品に食べるカイザに豪快に食べるよう口うるさく言いながら照れ隠しをするフィオール。ネタの材料と初めて顔を合わし、そして、友情を育もうとする、幼い情報屋。二人が親しくなったのは、曇り空が広がるスラム街。埃っぽく、煙たい……そんな場所。
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暫くの看病の甲斐あってシドも走り回れるようになり、フィオールに至ってはすっかり完治し、カイザもある程度動けるようになっていた。
「ねーシドー、泉で遊ぼー」
「遊ぶー!」
わーわーと部屋から走って出て行く子供達。その後姿を見て、ブラックメリーの手入れをするカイザが心配そうに呟く。
「あいつまだ内臓痛んでるってのに……」
「何であんな自由に走り回れるんだ? 見えてんのか?」
資料をまとめるフィオールは訝しげに言った。
「シドは半分人間ではありませんから。感覚が人より遥かに鋭いですし、慣れれば目など無くとも難なく戦えてしまうでしょうね。」
「で、なんでお前はその姿なんだ? せっかく瓶から出れたってのに。」
フィオールが聞くと、目の前の本の上に這いつくばって文字を読むルージュが頭を上げた。その姿は、出会った頃と同じ蜥蜴の姿。
「シドとダンテ様がこっちの方が好きだとおっしゃっておりましたので……」
控え目にルージュがそう言うと、フィオールは舌打ちをした。
「あの魔女っ子ジジイ、良い年してシドと同じこと言うなんて」
「そう言わないでくれよ。ろくに人と接してないから、知識だけは膨らんだけど心はまるっきり子供のまま。それなのに年の近い友達がいたこともないだろうし。シド君が、ダンテさんにとっては初めてできた遊び相手なんだ」
魔術書を横にシドの薬を作るオズマが言った。そして、ルージュの頭を指の腹で撫でた。
「この間はごめんね、口塞いだりして」
「…ああ、虫がどうのっていう……それは私も無神経でした。とりあえずその手を退けてください」
ルージュがうざったそうに首を振る。
「ごめんごめん。その姿だとなんだか可愛く思えて……」
オズマはへらっと笑って、俯く。そこへ、クリストフが扉を叩き開けて入って来た。
「おい! ガキ共が泉で泳ぎ始めたぞ!」
「ちょうどいいところへ。今、ダンテさんの話でもしようかと」
ルージュは何か勘付いているのか、ふっと視線を落とす。クリストフは持っていた花束をテーブルに置いて、椅子に座った。カイザとフィオールは作業する手を休めてオズマを見ている。
「そうか。気にはなってたんだ。何故ダンテが生き延びれたのか」
クリストフが煙管を手に呟く。
「生きていちゃおかしいのか?」
フィオールが聞くと、オズマが言った。
「北の魔女は男子禁制の女傑族。男が生まれたら殺すのが一族の掟なんだ。そこでダンテさんは育った」
オズマは顔を上げ、眼鏡を外した。目頭を抑え、小さく息をつく。
「ずっと、昔の話だ。帝国ができる前、戦乱の最中にダンテさんは生まれた。その頃北には魔女以外に魔術師もいてね、ごくごく普通に男女繁栄していたのさ。ダンテさんも普通の少年だった。あの、御告げがあるまでは……」
オズマが燭台の炎の上に手を翳すと、白い蝋が小さな火を差し出す小さな少年の形に溶けた。それは、一瞬でドロドロと溶け、火は、消えた。




