4.傍観者である少女はまだ何も語らない
「いい加減、話したらどうだ」
カトリーナの宿屋の一室で、不機嫌そうに机に頬杖をつくローザ。カイザはと言うと、ミハエルに白い布を被せて出かける準備をしていた。
「カトリーナに着いてもう5日だというのに腐りもしない、臭いもしない」
「……」
「目覚めることもないのに、硬直もしていない」
カイザの作業する手が止まる。ローザは口を尖らせて窓の外を見下ろしていた。
「触ったのか、ミハエルに」
「ミハエルっていうのか、その女」
カイザもわかっていた。いつまでも隠し通せるわけがない、と。
「…お前には話さない」
「マザーには話すのか」
カイザはミハエルを背負い、立ち上がる。窓際のローザを横目に見て、言った。
「お前こそ、なんのつもりだ」
ローザは煙管を取り出して机に広げて、カイザには目もくれない。
「思えば、マザーへの手土産にしたいのなら力強くでも連れていけばよかっただろ」
「だーかーらー、勘違いすんなって」
朝の日差しが差し込む六畳程の狭い部屋。外からは賑やかな市のざわめきが聞こえてくる。
「お前の処遇はマザーが決める。お前がマザーに気に入られた時のための保険だ、保険」
「噂じゃ、マザーは高慢知己な金の亡者らしいじゃないか。だったら気に入られる心配なんて、する必要はなさそうだけどな」
ローザは首だけで振り向き、カイザを睨んだ。そして、はあ、と疲弊感漂う溜息をついた。
「会ったこともないくせに、よく言う」
ローザは火皿の上の丸めた葉に火を焚き、煙を吸い上げた。
「聞いた話を鵜呑みにするより、自分の目で見て物事を見極めろ。お前はどうも耳や頭に頼り切っているようだ」
「わかったような口をきくな」
カイザはローザに背を向け、部屋を出た。
「…いつまでカトリーナに留まるおつもりですか?」
「あいつの気が済むまでだ」
ローザは外に向かって煙を吐いた。窓の外では煙を払う手がパタパタと動く。
「死体のこと、調べておきましょうか」
「いや、いい」
窓から灰皿を持つ手が伸びる。ローザはその上で軽く灰を落した。
「手土産の封を切るのは、マザーの奥宮に入ってからでも遅くないだろ。それよりあいつのこと、見張っておけよ?」
「はい」
窓から顔を出し、ガトーは軽く頭を下げた。そして、机に灰皿を置いて屋根伝いに去って行った。
「腐らないなら、急ぐ必要もないわけだ」
ローザは一人、晴れ渡る空へ消えゆく煙を見つめながら笑った。
「…なあ、エドガー」
煙は窓枠をするする抜けて、立ち昇る。
「クロムウェル家の墓から掘り出された一品?」
「そうだ、ここへ流れてないか」
ざわめく市場から外れた、日の当たらない細い路地。ひんやりとした空気が石の壁をさらに冷たくする。
「そんなもん流れてきたら噂にもなるだろ。他所からも買い手がカトリーナに集まって、即日完売だろうけどな」
「…そうか」
怪しげな硝子瓶を棚に並べる店主は、カイザの背負うミハエルに目をやった。
「なあ、死体運んでんのか兄ちゃん」
店を出ようとするカイザは足を止め、小さく頷いた。
「だったらよ、そこの角曲がったとこにある薬屋に行きな」
「……」
「髪やなんかが高値で売れるぞ?」
カイザは返事もせずに、店を出た。ここはそういう場所だ。誰かの物を売って金にする。目に映る商品の陰には必ず泣いている者がいる。活気ある華やかなこの街は、誰かの涙なくして存在できない。ミハエルを背負う今になって、カイザはこの街が憎たらしくて仕方ない。思い出すら金に変わるこの街で自分が幾度となく金を手にした過去も、情けなくて仕方ない。炎天下の市場も、涼しい路地裏も……何処にいても、不愉快だった。
「予定変更です」
俯く顔をあげると、目の前にガトーがいた。
「…お前、今まで何処にいたんだ」
「俺の事は気にならさらないでください。用事は済みましたか?」
ローザと同じ黄金色の瞳がカイザを見つめる。容姿は似ているが、ガトーは物腰柔らかな青年だ。
「そうだな、済んだよ」
これだけ粘っても見つからないのなら、売りに出されていないのだろうとカイザは見切りをつけた。
「そうですか、では……」
ガトーはカイザの腕を掴み、走り出した。人混みを勢いよく縫って駆け抜ける二人。
「な、なんだよ!」
ガトーは何も答えない。気が付くと、カトリーナの門まで来ていた。そこには馬に乗るローザがいた。
「急げ!」
「どうしたんだよ!」
ローザは馬から飛び降りてカイザからミハエルを強引に引き剥がした。
「なっ……」
「捨てたりしねぇよ! お前はガトーの後ろに乗れ!」
ローザはミハエルを自分の前に跨らせ、身体を紐で縛り付ける。
「早くしろ!」
「…絶対に落とすなよ」
カイザは言われるがまま渋々ガトーの後ろに乗った。そして、三人……いや、四人は慌ただしくカトリーナを出た。
「ローザさん、死体なら俺が」
岩山を駆け抜けながら、ガトーが申し訳なさそうに言った。
「いいんだよ。カイザだって男のお前より女のあたしの方が安心だろうからな」
ローザの言葉に、カイザの身体が一気に熱を帯びた。弁解しようとしたが、不敵に笑うローザを見て、言葉は引っ込んでしまう。
「…それより、何があったんだよ」
耳まで広がる熱をそのままに、カイザは話を変えた。いや、これこそ本題だったわけだが。ローザは真剣な面持ちで前に向き直った。
「バンディがカトリーナに来たそうだ」
「まさか、俺を追って?」
「…あってるようなあってないような」
「なんだよ、それ」
カイザは腑に落ちない様子でローザを見つめるが、少女は真っ直ぐに前を見据えたまま。
寝る前も惜しんで馬を走らせ、約五日。炎天下の中、四人はリノア鉱山へ辿り着いた。山間から高々と伸びる煙突からは黒い煙が立ち上り、空は灰色に染まっている。巨大な鉄の門の前で、四人は馬から降りた。
「ほらよ」
ローザはカイザにミハエルを手渡す。カイザは彼女を受け取り、門を見上げた。
「…でかいな」
「国一番の山賊が牛耳る発掘場だからな。中も城の要塞みたいなもんだ」
見上げていると、門が重々しい音をたてながらゆっくりと開き始めた。
「ようこそ、リノア鉱山へ」
この時、カイザは初めて少女を恐ろしいと思った。開こうとする門の前でこちらを振り返り、黄金色の目でこちらを見据えて笑いかけるローザ。黒い山を背負う少女と、死体を背負う自分の差を思い知ってしまった。少女の言うとおり、彼は自分の目で事を見極め、畏怖したのだ。
「何度言わせるんだ! ここに死体運びの男が来る! 俺はそいつの知り合いだ!」
聞き覚えのある声に、カイザはやっと門の中へ目を向けた。ローザも眉をひそめて声の方を見る。
「どうかしましたか?」
ガトーが声を聞きつけ、歩み寄る。
「ガトー! お前じゃねぇと話にならねぇよ! なんとか言ってくれ!」
門が開ききると、中の様子がよく見えた。発掘した鉱石を運ぶための馬小屋に、トロッコ。その少し向こうに並ぶ平屋の黒い屋敷と白い屋敷。その向こうにそびえるリノア鉱山。そして、門番に足止めされている見覚えある後姿の男。
「フィオール?」
カイザが近付くと、後姿の主は勢いよく振り向いた。
「カイザ! ほら、こいつだよ!」
フィオールはカイザの腕を掴んで引き寄せ、門番に訴えかける。
「相変わらず騒がしいな」
ローザがうんざりした顔をしながらフィオールに言った。
「ローザ! お前からも頼んでくれないか! カイザと俺をマザー・クリストフに会わせてくれって!」
フィオールの言葉に皆が驚いた顔をする。
「ふざけるな! マザーがいらっしゃる白の屋敷は男子禁制だ!」
「それ以前にマザーの御姿を見ることは何人たりとも許されていない!」
門番の二人がフィオールに喰いかかる。しかし、フィオールは引き下がらない。
「俺はローザに頼んでんだ! てめぇらはすっこんでろ!」
フィオールはローザに向き直り、細い肩を力強く掴んだ。
「頼む! ローザ!」
真剣な眼差しでローザに向けるフィオール。少女の肩を掴む手は、微かに震えていた。カイザはそれを呆然として見ていた。何故、彼がここにいるのか。何故、こんなにも必死なのか。わからなかったからだ。
ミハエルの死因、クロムウェル家の墓に入っていた理由、盗まれた宝物の行方、エドガーの謎……積る疑問が何一つ解消されないまま、何かが大きくうねりながら動いている気がした。そして、自分がそのうねりに取り残されているような。
「…いいだろう。お前ら二人、マザーに会わせてやる」
「ローザ!」
門番がローザを怒鳴りつける。
「勝手にそんな口約束をするな! いくらお前が監査官でも許されない! こんな下賤な奴らを謁見させるなんて、マザーへの侮辱だ!」
「黙れ!」
ローザが門番の胸倉を掴んで捻り上げた。少女とは思えない剣幕と、腕力。カイザとフィオールは驚きのあまり声が出ない。
「お前にこいつらの何がわかる」
首が締まり、苦しそうにする門番。
「ローザさん、そのくらいで……」
ガトーに止められ、ローザは不満気に門番を離した。門番はその場に蹲り、ゲホゲホと咳き込んだ。
「…ま、あたしもよくわからないんだけどな」
片眉を吊り上げて門番を見下ろし、ローザは白い屋敷に向かって歩き出した。
「ガトー、とりあえずあたしはマザーのところに行くから後はよろしく」
白い屋敷へ向かって去ってゆく少女。彼女が何故自分をマザーと会わせようとしてくれるのか、マザー・クリストフとは何者なのか……少女の背中は、何も語らない。