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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆煙の塔~混沌の層~
47/156

46.記憶と心を重ねてみれば

「なぁ、あいつと何を話しているんだ?」


 真っ白な靄のかかったそこは、まるで雲の上。おもむろに置かれた金装飾のベッドで頬杖をつきながら、クリストフは聞いた。ベッドの近くにある丸いテーブルの席に着くヤヒコは扇子をはためかせて視線を空に向ける。


「さぁ、地上へ戻ると忘れてしまうのでの。わからん」

「僕も。すぐ隣でお酌してるんだけど、神様の顔忘れちゃうんだ」


 ヤヒコの隣に立つダンテも、不思議そうに首を傾げている。クリストフは視線を枕に落とし、黙った。実際、自分も忘れてしまうのだ。確かにその腕に抱かれているはずなのに、顔も、声も、忘れてしまう。覚えているのは余韻のある恍惚と、温もりだけ。


「…お前は何も喋らずに隣に座っているだけだよな。何をしているんだ?」


 クリストフはテーブルの反対を向いた。そこには二人掛けのベンチがあり、ミハエルが背を向けてぽつんと座っている。ミハエルは振り返り、言った。


「何も。ただ、一緒にいるだけよ」

「何か見えているのか?」

「何も」


 クリストフはベッドから降りて、ミハエルの隣に座った。目の前はやはり真っ白で、ところどころ空の青が透けて見えるだけ。


「あたしもあいつらも、それぞれに神の相手をしている。お前は一体……」


 クリストフは、ミハエルを見て固まってしまった。その横顔の美しさ。白に映える黒い髪と黒い瞳が、異様に艶めいて見える。それよりも、彼女から匂い立つような穏やかな雰囲気。少女はそれに飲み込まれてしまった。ミハエルはクリストフの視線に気付き、少女を見た。そして、柔らかく笑った。


「本当に、一緒にいるだけなのよ」


 その笑顔、声。どれも心に染みるようだった。彼女の隣にいるだけで、何も考えられなくなる。いや、何も考える必要がないように思える。ただ、この空気に包まれただけでとてつもない幸福感に満たされるのだ。心が、穏やかになるのだ。


「…おい、来たぞ」


 ヤヒコの声に振り返ると、辺りの靄が濃くなっていた。クリストフはゆっくりとベンチから離れて、ベッドに倒れ込む。隣では笑顔で誰かと話すヤヒコ。見えない何かを手に、見えない何かを注ぐダンテ。反対側には、じっと動かず、背を向けるエドガー。


「……」


 少女は、何故彼女が神の寵愛を受けるのか、わかった気がした。







--------------------------







 

 木を中心に草花が広がり、床を埋め尽くす。雲の切れ間からは光が差し込み、大地を照らした。


「…ちっ、時間切れか!」


 舌打ちをして上を見上げるクリストフ。サイは余所見をするクリストフに羽を飛ばした。それは先程までとは比べ物にならない程、鋭く、速い。少女が反射的に鉄扇を広げたが、鉄扇は砕け、羽は少女の耳を掠めた。金の耳飾りがぷっつりと切れて、音もなく床に落ちる。クリストフ目掛けて飛び交う白い羽。少女はそれを軽い身のこなしで避ける。すると、サイの背中から煙が溢れ出した。それはサイが伸ばした腕に絡みつき、クリストフへと伸びてゆく。羽を避けていたクリストフはそれに気付いて身を翻すが、煙に足を取られ床に身体を打ち付けた。


「さっきまでの威勢はどこにいったんだか」


 サイが腕を上げると、少女の身体は煙に宙返へと引き上げられ、逆さ吊りになった。しかし、少女は笑う。


「どこにも行ってないぞ?」


 少女は足に絡まる煙を掴んで木の方へと腕を振るう。サイは幹に激突し、身を屈める。羽が散り、髪が黒く染まってゆく。


「お前は気に食わないが、傷つく天使というのはどうもこう、美しいものだな」


 余裕そうな笑みを浮かべて、サイに歩み寄る少女。そして、サイの右肩を踏みつけた。


「退廃的、というか……そういえばお前、顔付と雰囲気だけならあいつに似てるな」


 黒い髪、黒い瞳。透けるように白い肌に、物静かな雰囲気。近くで見ると、よく似ている。サイは苦しげに少女を睨む。クリストフは少しその目を眺め、言った。


「…まあ、やっぱり違うが」


 あれは内側から滲み出る特別な何かであって、姿形が多少似ていようとあの空気は生まれない。しかし、ベンチに座るミハエルはやはり特別なのだ、と、少女はふと思った。








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー









 真っ暗な部屋で膝を抱えてじっとしている少年。食事も喉を通らず、袖から覗く手は細くなっている。暗闇を見つめる目も、光がなく、虚。


「…おい」


 急に部屋に差し込んできた光。逆光になって顔は見えないが、開かれた扉の隙間から人が入ってきた。返事もしていないのにズケズケと部屋に上がって、勝手に燭台に火をつける人物。無精髭の、厳つい男。


「…お前の両親だが、身代金は払わないと言ってきた」


 男の言葉に、少年の虚ろな目が潤んでゆく。


「お前は、捨てられたんだよ」


 少年の目からはボロボロと涙が溢れる。声も出さず静かに泣く少年に、男はパンがのった皿を差し出した。


「今日からお前はブラックメリーの盗賊だ。過去を忘れて生きる為に目の前にある物を盗れ。明日から、働いてもらうぞ」

「……」


 皿を受け取ろうとしない少年。男はベッドに皿を置き、少年の胸倉を掴んで細い首にナイフを当てがった。少年は涙を流しながら、男を見つめる。ただ、じっと。


「カイザ、これをお前にくれてやる」


 男はアーマーと共に握っていたナイフを少年の横に置いた。


「入団した証だ」


 少年は荒っぽく手を放され、ナイフを見つめる。この男を刺し殺そうか、自分を刺し殺そうか少し悩み、再び膝を抱えて丸くなった。


「それで誰の命を取ろうとお前の勝手だがな、殺すばかりが武器じゃない」


 心を見透かすような男の言葉に、カイザは顔を上げた。


「守ることもできる」

「……」

「大事にしろよ」


 男はベッドから腰を上げると扉に向かって歩きだした。そして、廊下に足を踏み出して振り返る。


「あ、あと、俺のことはマスターと呼べ。わかったな」


 遠くなる足音を耳に、カイザはナイフを手に考えた。この鋭利な刃物で何を守れるというのか。光る刃には、変わり果てた自分の姿が映っていた。


「…これか」


 幼いカイザがマスターの言葉の意味を知る由も無く。入団の証は、マスターの胸を貫くことになる。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー








 落下してゆく中、昔の記憶が脳内を駆け巡る。これが走馬燈か、などと考える余裕がある程、落ちている時間が緩やかに思えた。

 生に執着した幼少の頃、諦めから現実逃避に走った少年時代。そんな日々に光を差してくれたミハエル。そんな日々にも光があったと気付かせてくれた仲間。心から守りたいと思った人々……マスターの言葉がどれほど温かな意味を含んでいたのかを、カイザはやっと、知る。もう遅いとも、理解しながら……

 記憶と無念が交互に頭を過っていたその時、カイザの背中が温かな何かに着地した。


「間に合ったようですね」

「…お前は」

「ルージュですよ」


 驚いた表情で固まるカイザ。ルージュはニッコリと微笑む。カイザが身体を起こすと、ルージュのそばにはシドとフィオールが横たわっていた。


「シド! フィオール!」

「大丈夫です。気絶しているだけですから」

「そうか……よかった。ルージュも、瓶から出れたようで」

「おかげさまでこの通り。こんな姿でお恥ずかしい限りですが」


 ルージュは血で汚れたタキシードを撫でながら上を見上げた。


「時間がありません」


 カイザがルージュの視線を追うと、空の波紋が大きく鼓動するように蠢いている。それはまるで、心臓のようだった。



 




 


「感心しないなあ」


 聞き覚えのある声がしたかと思うと、辺りは赤と紫が入り混じる炎に包まれた。クリストフが振り返った時、サイの髪が一瞬で白く染まった。そして、その手に羽を握り、クリストフの首飾りに沿って弧を描く。


「力が切れたふりをして隙をつこうなんて……君、自称天使でしょ?」


 クリストフが前に向き直ると、サイの刃をペンチで受け止めるオズマがいた。炎はゆるゆると消え去り、焼野原になった床には再び草花が生え始めた。


「お前……おせぇよ!」


 クリストフが怒鳴ると、オズマはサイから距離をとって困ったように笑う。


「ごめんねー。ルージュも俺もズタボロだったから。動けるようになってすぐに来たんだけど」


 サイは静かに立ち上がり、オズマを睨む。オズマはペンチを構え、笑う。


「ヒーローって遅れて登場するものでしょ」

「ほざけ」


 サイが冷たく言い放つ。


「ほざけボケ!」


 クリストフが後ろからオズマの頭を殴った。オズマは頭を抱えてクリストフを見た。


「痛いな、一応怪我人なんだからやめてよそういうの」

「うるせぇ! こいつはあたしがやる! 時間がないんだ……てめぇはさっさとカイザ達を……!」

「それなら心配ない。ルージュが向かって……ほら」


 オズマが顎で指す方を振り返った瞬間、クリストフの身体が宙に浮いた。


「ルージュ!」


 返事もせずに少女を抱きかかえて炎を走らせるルージュ。


「お前っ! 放せ!」


 ルージュの背中を殴るクリストフ。下ではカイザ達を追おうとするサイを、オズマが足止めしていた。カイザも身を乗り出し、ルージュに訴えかける。


「ルージュ! オズマがまだ戦ってる! それに、サイはまだシドの片目を持ってるんだ! 戻ってくれ!」

「……」

「ルージュ!」


 もうすぐ木の高さを超えようというところで、カイザは炎から飛び降りた。


「カイザ!」


 クリストフはルージュの腹を蹴り上げた。咳き込むルージュの腕からするりと抜け出した少女は、カイザの後を追って炎から飛び降りた。ルージュは苦しそうな顔をして叫ぶ。


「クリストフ様! カイザ!」


 少女はカイザに手を伸ばし、その肩を掴む。落下しながら、カイザが振り返ると少女は何も言わずにカイザを上空へと投げ飛ばした。カイザは二人を追っていたルージュとぶつかり、炎の上に逆戻りした。


「痛って……なんだよ、あいつは何がしたいんだ!」


 カイザが下を睨むと、シドの手がぴくりと動いた。







 力が尽きているオズマは身一つでサイと対峙していた。肩の深傷もものともしない、流れるような剣捌きに、オズマは防戦一方だった。


「これだから嫌なんだよ、中途半端に力のある奴は!」


 オズマはサイの羽をアーマーで弾き、握りしめた。サイは振り解こうとしたが、動かない。オズマは掌から血を滴らせ、呟く。


「我が血に応えよ……純白の羽を、」


 呪文を唱えている最中に、大きな地響きと轟音がした。二人は土煙に撒かれ、目を瞑る。すると、オズマの腕が掴まれた。


「てめぇも邪魔だ! 早く行け!」

「うわっ!」


 オズマの腕を掴んでいたのは、クリストフだった。オズマを上空へ思いきり放り投げると、少女はサイの胸倉を掴んだ。


「これで……終いだ!」


 少女はサイを木の方へ投げ飛ばした。幹にぶつかる直前、サイは木に羽を突き刺して激突をまぬがれた。が、振り返り様にクリストフに首を抑えつけられた。少女はサイが手にする羽を蹴り飛ばして手首を踏みつけた。


「…殺さないのか」


 サイが無表情で問うと、少女は静かに言った。


「今はな。もうじきお前はあたしと一緒に地獄に落ちる。光栄に思え」


 少女の威圧的な言葉。サイは、ふっと小さく笑う。それを見て、クリストフも笑った。


「…死を直前にしても臆さないあたり。やはり、兄弟だな」

「うるさい」


 



 吹き飛んだオズマの横を、贄の祭壇へと戻ろうとするカイザと炎に乗ったルージュがすれ違う。それを見て、オズマがルージュの肩を掴む。カイザの踵に灯る炎も、消えた。落ちかけた彼を、オズマが引っ張り上げて荒々しく炎に乗せた。


「何をするんです! 放してください!」

「もう柱の跡も消える! その瞬間を逃したら、彼らを上に戻すこともできない! 全員死ぬか、俺達が生き残るかしかもうないんだよ!」


 オズマにそう言われ、ルージュが上を見ると波紋の中心の光が小さくなっている。すると、シドがぎゅうとルージュの服を掴んだ。


「僕を……生贄に、して。ルージュ」


 うわ言のように呟くシドを見つめ、カイザが言った。


「…生贄ってどういうことだ。何が起こっているんだ!」


 オズマとルージュは顔を見合わせ、黙ってしまう。


「聞こえる?!」


 空から幼い少女の声が響いた。


「ダンテさん」

「新世界を閉じるよ! 早く上に!」


 ルージュは唇を噛み締め、波紋の中心に向かって炎を走らせた。カイザはルージュの肩を掴み、激しく揺さぶる。


「待て! まだクリストフが!」


 ルージュは悔しそうに俯いたまま、何も言わない。雲に近付くと、悲しげな少女の声が聞こえた。


「…彼女は、君達を救うために死を選んだ。世界を閉じる、生贄となる」

「…クリストフが?」


 カイザが唖然としていると、少女はぶつぶつと何か呟きだした。カイザはそれに気付いて、必死に訴えかける。


「待ってくれ! クリストフを……クリストフを犠牲になんて!」


 カイザの叫びに、横たわっているフィオールの目が薄っすらと開いた。顔を上げ、下を見ると、大きな木が一本立っている。その木の葉が一斉に散り、空を見上げるクリストフの姿が見えた。


「…クリストフ」


 フィオールは、ぎゅっと拳を握り締める。


「風の精霊と契約せしダンテの名において命ず。その光を以て闇を生み出せ!」


 波紋の光が消え、空は大きく振動する。そして、中心から黒い煙の柱が伸びてきた。それは隕石のように木に向かって一直線に落ちてゆく。全てを、押し潰さんとばかりに。


「やめろーっ!」


 カイザの叫びは、轟音に掻き消された。その時だった。辺りの景色がふっと灰色になった。カイザを抑えるオズマとルージュ、木に向かって伸びる黒い煙。全てが固まったように動きを止める。その固まった黒い柱を伝って下へと駆ける人物が、一人。覚束ない足取りで荒い息をしながら贄の祭壇へ飛び降りた。そして、空を見つめる少女を抱え、木を離れる。すると、少女に首を掴まれていたサイの身体が傾き、その手から一つの目玉が転がり落ちた。灰色の景色の中、それだけが唯一生きているかのように……赤く、輝く。







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