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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆煙の塔~混沌の層~
41/156

40.青年は導かれる

 壁に刺さった斧を抜き、カイザは扉を殴った。木の扉とは違う、部屋の外に壁でもあるかのような、篭った感触がする二重の箱の中。いや、三重かもしれない。どれ程のものに覆われたのかすら定かでないのだ。


「……」


 カイザは斧を壁に立てかけ、胸にぶら下がる鍵を握った。わかっている。この鍵はこの扉の鍵ではない。開くはずがないのだ。なのに、この部屋にいるとどうしても。鍵を手に、カイザは扉に向き直る。


「カイザ、」


 呼び声に振り返ると、ベッドに横たわる女が目を開き、首だけこちらを向いている。その顔は、やはり、ミハエルなのだ。


「その鍵ではない、他の鍵をあなたは持っている」


 声までも、彼女の……


「長い時を経て、還る場所へと還った鍵」

「なんの……ことだ。」

「ブラックメリーが、道を開く」


 気がつくと、女は天井を向いて固く目を閉じていた。


「…ミハエル、」


 今の言葉が誰のものだったのか、わからない。しかし、その深みのある穏やかな声は、確かにミハエルだった。茫然と耳に残る声の余韻に浸るカイザ。斧がガタンと音を立てて床に倒れた。その音でカイザは我に返る。そして、腰のブラックメリーに手を伸ばして振り返った。鍵穴で何かが蠢く不吉な扉を、じっと見つめる。カイザは少し俯き、辛そうな顔をしながら独り言のように呟いた。


「マスター、俺を生かしたことにも、俺にブラックメリーを渡したことにも、全て意味があるのなら……教えてください」


 カイザはブラックメリーを抜いて、その震える切先を鍵穴にあてた。


「ブラックメリーとは、業輪とは……俺は、何者なのか!」


 その時。鍵穴が光り、その光に部屋が包まれる。ブラックメリーの切先から金色の輪が現れ、それはナイフを伝い、カイザの腕へと伸びるそして、大きく広がった輪がカイザを潜らせた。



--生きろ……カイ……--



 鮮明に映し出される、過去の記憶。



--お代は結構。なんの根拠もない、昔話ですから--

--生きている俺の言うことを、聞いてくれよ!--

--…まだわからないのか。ギールはお前を救ったんだよ--



 流れ込む、様々な感情。



--どうか…どうか夫と娘を!--

--そんなことないよ、僕は役に立つと思うなあ--

--運命の至るべき場所へ、私を……--

--いいですね、子供というのは--



 頭が割れそうだ。しかし、目が離せない。



--カイザ--



 カイザの目からは、涙が溢れていた。これまでの日々が、言葉が、心に重くのしかかる。全て、ミハエルのためにしてきたことだ。それしか、考えられなかった。




--彼は僕のだ……返せ!--



 記憶にない、カイザを取り戻そうと必死なシドの顔。



--あいつがどう思っているかは知らねぇが、俺にとっては弟みたいなもんなんだよ--



 アイダの酒場で切なげな表情でグラスを見つめるフィオール。



--…残念、死ね--



 カイザとシドを蘭丸から守る、不敵な笑みのクリストフ。

 知らないところで自分を守ろうとする皆を見て、カイザは気づいた。守り守られ、生きてゆく。そこにいて初めて自分は生きたいと願う。自分は守られてばかりのように思えてならないが、これからこの仲間達を守れるくらい強くなりたい。生きる力を、この手に。

 カイザが暖かな光に涙していると、金の輪が鍵穴へと戻っていった。光もそれと共に消えてゆき、辺りは黒一色に染まった。カイザはその不穏な雰囲気に辺りを見渡すが、何も見あたらない。


「…カイザ、」


 シドの涙声がしたかと思うと、カイザの左目に激痛が走る。


「これで、お前はもう悪魔じゃなくなる。そしたらまた、二人で」


 サイの穏やかな声。カイザはあいた手で左目を抑えた。しかし、続け様に右目にまで痛みが走りだした。カイザが右目を抑えようと手を顔から放した。そして、掌を見つめたまま固まってしまう。


「…血、か?」


 その掌には、指の間から洩れる程の血が滲んでいた。暗闇でその赤が嫌に鮮やかだ。血に気を取られていたカイザは激痛の中でその違和感にやっと気付いた。左目が、見えていない。血の色が霞んできている。右目までも見えなくなってきているようだった。


「見えないよ、カイザ」


 シドの弱弱しい声。


「シド、俺はお前のたった一人の肉親だ。今までも、これからも」


 サイの低い声。


「ごめん、カイザ……」


 少年の謝罪の言葉に、カイザの頭の中ではぐるぐると疑問が浮かび上がる。何故謝るのか。サイと共にいるのか。何故見えないのか。何故、自分の目まで見えなくなったのか。この血は、誰のものなのか。


「…シド」


 俯く顔を上げ、カイザは痛む目を見開いた。見つめる先に、小さな光が現れた。それは静かに爆発して天井いっぱいに広がる。そして、そこに黒い罅が入り始めた。崩れる闇と共に揺れる足元。下にも亀裂が入ったのか、何やら風が舞い上がってくる。その中には灰色の煙が混ざり込み、その風がカイザの視線のもとに集まってゆく。光は蠢き、罅の中へと吸い込まれ、部屋は再び薄暗くなった。何が起こったのか、皆目見当もつかないままにカイザが振り返る。もうそこはミハエルの家ではなかった。何もない、ただの暗い部屋。カイザは高鳴る鼓動をその身に感じながら鍵穴に向けていたブラックメリーを光が差し込む天井へと掲げた。



--闇に囚われてしまった"カイザ"の手を引く天使……"神の遣い"--


 カイザは固く目を瞑り、切願するように呟く。


「導いてくれ、ミハエル」


 その時だった。カイザの声に応えるように、ブラックメリーの切っ先に再び金の輪が現れた。それはくるくると回り、光の尾を引きながら天井を突き破り、上へと伸びた。その光はところどころ小さく弾けているようにも見える。それは、まさに雷であった。カイザはその眩しさに、思わず目を瞑る。

 自分は何者で、このナイフは何なのか。そんなこと、もう考えていられなかった。シドのもとへ。サイの手から救わねば。今度こそ、守らなければ。意のままに、感情の赴くままに、カイザは導かれる。闇の中で確かに、導かれたのだ。









 細い剣が華奢な胸を貫き、ぴたりと止まった。白い剣先を赤い筋になって滴る血。女の悲鳴が、石の壁に響く。剣を抜くと、女はがっくりと頭を垂れた。ルージュの白い衣服には返り血が点々と飛び散り、その赤い瞳は瞬きもせずに俯く女を捕えていた。表情は、苦い。


「何で首を撥ねないのさ。早くやりなよ」


 オズマの急かす声が、ルージュの顔を顰めさせる。


「首を撥ねるなんて無作法なこと、女性にできるわけがないでしょう」

「…だから、」


 呆れたようにオズマが言いかけたその時だ。足元がぐらつき、唐突に地響きが鳴り始めた。


「なんです、これは」

「なんだろ」


 オズマが首を傾げて天井を見上げた。ルージュも辺りを見渡している。


「ああ、拓かれた」


 女が吐息交じりに呟く。二人が女を見ると、女は唇の端から細く血を溢れさせながら天井を仰いで目を瞑っている。オズマは腕組をしたまま女に聞いた。


「何が起こっているんだ、キキョウ」

「拓かれたのだ。混沌から宇宙が。宇宙から、生命が。粒子の波で構成された秩序の世界が……今、この場所で」


 女の言葉に、二人の顔色は一変した。


「すぐに出るぞ! 早くキキョウを!」


 眉に皺を寄せながらも、ルージュは剣を女の首に突き刺した。剣は後頭部を貫通したが、先とは違い、女は目を閉じたまま何の反応も見せない。しかし、閉じられた口からは血が溢れだしてくる。女は、瞼をゆっくりと開いた。


「お前達も煙の塔も……崩れよう」


 女はそう言って、煙のように消えた。逃げたのではない。本当に、消えたのだ。地響きが激しくなってゆく中で、石の壁が硝子のように割れた。薄く、鋭く闇に散らばる破片。


「ぁあっつ!」


 床が無くなり、落下する二人。下では炎が燃え盛っていた。ルージュは軽やかに着地したが、オズマは熱さのあまり、着地するなり壁に穴を開けて逃げ出した。キキョウと出会った場所とは違い、炎にまかれる以前は華やかであった様子の部屋。金の装飾品や、大きな絵画。細く伸びたテーブルに背もたれの長い豪華な椅子。ルージュはそれを一通り見て、壁の穴へと足を向けた。穴を覗きこむと、壁に寄りかかって疲れた顔をしているオズマがいた。


「…何をしているんです」

「いや、俺は熱いの駄目だから。君と違って」


 オズマは困ったように笑って頭を掻いた。彼が逃げ込んだのは真っ白で長く先の見えない廊下。燃え盛る部屋とは明らかに雰囲気が違う。


「その部屋はトウテツの部屋みたいだね」


 オズマは恐る恐る部屋を見ながら言った。ルージュは難しい顔をして燃え盛る室内を振り返る。


「四凶の部屋だけ抽出されるなんて、そんなこと」

「そんなことができるのは神様くらいだよ。まあ、異変が起きたことには変わりないようだけど」


 ルージュは抜けた天井を見上げた。火の粉が舞い上がる闇の中に、一筋の光が伸びている。地鳴りは、激しさを増してゆくばかり。

 

「…このままでは塔も危ういのでは」

「ああ、早く3人を見つけようか」


 ルージュが部屋から出ようとした、その時。背後から金の燭台が振り下ろされた。反射的に杖を握りしめて振り返るルージュと、ペンチを開くオズマ。二人の武器が交差して一本の燭台を受け止めた。


「あなたは!」


 ルージュは目を疑った。しかし、間違いない。オズマは真っ直ぐに見つめて、言った。


「…フィオール君、どうしたのその頭」


 髪の色も顔付きもまるで別人。しかし、フィオールだ。焼け爛れた首を大事そうに抱えながら、二人を睨むフィオール。緑色の瞳が、業火の中で艶めく。


「フィオール! 落ち着いてください!」


 フィオールは目を吊り上げて呼びかけてくるルージュを睨んだ。その目に映るのは、白い衣服に返り血を滲ませた赤い目の男。二人が支える燭台に、重く力がかかる。


「…知らない。誰だお前。いや、いい。もう、何も知りたくない」


 ぶつぶつと低く呟いて、フィオールは燭台を強く振りまわして投げ捨てた。オズマは廊下の方へ、ルージュは部屋の壁側へ避けて距離をとる。フィオールは続けざまに近くの花瓶を手に取った。それを見てルージュは再び呼びかける。


「私です! ルージュです!」


 フィオールはルージュの方を向いて火を吹いた。ルージュは微動だにせず、悲しげに彼を見つめる。火が効かないとわかり、フィオールは花瓶を振り上げてルージュに襲いかかる。ルージュは声をかけつつ避けていたが、あまりの剣幕に思わず仕込杖を抜いた。


「フィオール!」


 荒い吐息、鋭い殺気。ルージュの声は、届かない。


「見事、混沌に飲まれてるねぇ」


 壁の穴から様子を見ていたオズマは、ペンチを手に部屋へ入ってきた。


「この方に手を出さないでください!」

「一々構ってても時間の無駄だ」


 オズマは二人の間に割って入り、フィオールの花瓶をペンチで貫いた。オズマに突き飛ばされ、転倒するルージュ。


「何をする気です!」


 ルージュがオズマに視線を戻すと、バラバラに砕けた花瓶を余所に、フィオールがオズマのペンチを握っていた。オズマはフィオールが抱き締める首を見下ろしている。フィオールはオズマに向かって火を吹き出した。ルージュがオズマを助けようと立ち上がった瞬間、その炎の中からぬっと、オズマの手が伸びてフィオールの頭を鷲掴みにした。


「ごめんねー、フィオール君」


 頭に流れ込む黒い何かが、熱く滾る感情を貪り食ってゆく。フィオールはがっくりと膝を折った。抱えていた首は床に落ち、再び炎に撒かれた。黒くなった髪は、みるみる白髪に戻ってゆく。しかし、前髪の一部が黒く残ってしまった。


「あー……これは」


 フィオールの顔から手を放し、オズマは火傷を負った腕で倒れる彼を支えた。


「何をしたんです!」


 ルージュが駆け寄り、オズマに剣先を向けた。オズマはフィオールを抱き上げ、ルージュを横目に見た。部屋の炎が、眼鏡のレンズに反射する。


「生気を吸っただけだよ。暫く休めばすぐ元気になるさ」

「…汚らわしい手でなんてこと」

「仕方ないだろう?」


 二人が睨み合っていると、足元から笑い声がした。

 

「オズマ、いいところで邪魔してくれたね」

「トウテツ。よくもまあここまで」


 オズマは冷たく足元に転がる首を見下ろした。フィオールが大事そうに抱いていたものだ。焼け爛れた首は表情こそわからぬが小馬鹿にしたように笑う。


「感情昂ぶる者の肉は、人だろうと鬼だろうと美味いからね」

「お前の話はいつ聞いても吐気がするよ」


 オズマは首を踏み潰した。そして、フィオールを抱えたまま上方の光を見つめ、言った。


「上に出よう。あの光が気になる」

「…わかりました」


 鋭い視線を瞼で覆い隠し、ルージュは杖で足元に円を描いた。杖の先から炎が出て尾を引いて大きな円になる。それはみるみるルージュの足元を覆い、浮いた。


「乗ってください」


 オズマはその上に乗り、ゆっくりとフィオールを寝かせた。ルージュが帽子を抑えると、炎は勢いよく抜けた天井から上方へ駆け上り始めた。暗闇に出ると、数本の光の筋が見えた。


「まさか、本当に……」


 下を見つめ、オズマが驚きの声を漏らす。幾多の部屋と暗闇が入り混じっていた混沌に、妙なピラミッド型の光の筋ができている。燃え盛る炎、黒い空間、煙に覆われた空間、一際輝く大きな光。それらが繋がり、綺麗な四角形を描いていた。そして部屋の天井と思われる場所からそれぞれ光の筋が上方へ伸び、途中で一本になっている。その先は闇と入り混じって不気味な波紋を描いていた。


「…これは、天罰か?」


 オズマが波紋を見上げて呟く。ルージュは振り返ってオズマを見た。


「神が、俺を罰しにきたのか?」

「…しっかりしてくださいよ」


 ルージュが溜息混じり言い放ち、前に向き直る。オズマは我に返ったかのように、ルージュを見た。自分は今、何を呟いた?そう、考えながら。スラリと伸びた長い足、白いタキシードを風に靡かせる気品ある後ろ姿を見つめるオズマの目は、焦点が合っていない。ただ、その白が視界に浮かぶ。自分と正反対にある、その白が。


「例えそうであっても、私はこの状況を切り抜けなければならない。クリストフ様の命を守らねばなりませんから」

「神に逆らう気?」

「いいえ? 言ったでしょう。妖精は交した約束は絶対に破りません。これがまさしくあなたへの罰だとしたら、それを受けるのは私の使命が果たされた後にしていただきたい」


 ルージュは右手の手袋を外した。すると、爪先に鋭く伸びた炎が姿を現した。指先に火を灯すその手は透けるように白い。


「あなただってダンテ様を守らねばならぬ身。罰を受けるには、時期尚早です」


 ルージュは手袋をふわりと空に投げた。それは激しく燃え上がり、火の玉になるとみるみる大きくなった。


「私達は使命を果たすためだけにこの世に生を受けた。それを情に府抜けていた私に再び考えさせてくれたのは、あなたなのですよ。オズマ」

「…ルージュ……さん、」


 火の玉は、波紋に向かって轟音を響かせながら飛んでいった。そして、光と闇の交点にぶつかり、波紋に紅を刺す。ルージュは手を下ろし、ゆっくりとオズマに振り返った。


「幾らかの時間稼ぎにはなるでしょう。全員を上層へ送ったらこの世界を閉じます。協力してくれますね?」


 帽子に手を添えてオズマ見下ろすその目は赤く、鋭い。蜥蜴の面影が残る黒目がちな鋭い目。そこに、励ましや慰みの色は見えない。ひしひしと感じるそれは大きな使命感と、ほんの、本当にほんの少しの感謝。オズマはルージュを睨み返すように見た。


「…俺もそれを考えていたんだよ」

「結構。では、行きますか」

「ああ」


 ルージュは前に向き直り、杖をついた。そして、炎は再び走り出す。

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