3.思い出という枕で恋という夢を見る
それは2人が出会ってちょうど一年経った日の事。
「あら、今日は遅かったじゃない」
夜空を見上げるミハエルが、森から現れたカイザに気付いた。カイザは何やら浮かない顔をしている。
「どうかしたの?」
ミハエルはカイザに歩み寄り、目の前にしゃがんだ。
「…今日、ハウルの街を出る」
カイザは俯いたまま、ボソリと呟いた。ミハエルが彼の手を握ると、彼はポロポロと涙を流した。
「…寂しくなるわね」
「ミハエル……俺に、ミハエルの死を見守らせてよ」
「……」
「俺も墓守になりたいんだ。お願い」
こんな事を言っても……
「駄目よ」
と、断られるとわかっていた。カイザは嗚咽して彼女に抱きついた。彼女も優しく、彼をその両腕で包み込む。
「あなたはもっと光で溢れたところに住みなさい。沢山の仲間に囲まれて、笑顔と、優しさに満たされて……」
「盗賊の俺が光で溢れるとこになんか行けないよ! ミハエルがいれば、もう何もいらないのに!」
彼女は身体を離して両手で顔を覆って泣く彼をじっと見つめた。
「行けるわ、あなたは。カイザ」
「行きたくない。ミハエルがいないのなら……」
聞き分けの悪いことは自覚していた。彼女を困らせてしまうことも。それでも、溢れる涙は止まらないのだ。
ミハエルはネックレスを外してカイザの首にかけた。カイザがそれに気付いて顔を上げると、彼女はいつものように微笑んでいた。
「…これ」
「あげる」
「でも、これ大事な鍵だって言ってたじゃないか」
カイザは我儘を言い過ぎたかと後悔し始めた。ミハエルは目を細くして鍵を握り締めた。
「実はね、もう一つ鍵は存在するの。私の家に大事に保管してあるわ。これからは、このお揃いの鍵が私とあなたを繋ぐ絆になる」
「…絆?」
「そうよ。だから、いつか必ずまた会える。私達は繋がっているのだから」
カイザは唇を噛み締めてミハエルを見つめた。彼女はにっこり笑って、鍵からスルリと手を離す。
「カイザ? どんなに離れても、時を経ても、私はあなたを愛してる」
カイザは、驚きのあまり言葉を失う。
「あなたは、一人じゃないからね?」
優しい笑顔を浮かべるミハエルの頬を、煌めく雫が伝っていたから。カイザは再び彼女に抱きついて泣いた。彼女も、彼をきつく抱きしめた。
自分も愛している、と、言葉にできないままに……夜の墓地で出会った二人は夜の墓地で別れたのだ。またいつか、必ず会おうと約束をして。
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カイザはアイダの町を出てカトリーナへ向かっていた。マザー・クリストフがいるリノア鉱山はカトリーナより遥か東南に位置する。行きしなに立ち寄り、盗まれた宝物を探そうというのだ。宝物を見つけられなかったとしても、食料も底を尽きかけている。カトリーナに寄らざるを得なかった。
ミハエルを連れ出して約二週間。当たり前だが、彼女は一度たりとも目を覚まさない。食事もしない。一緒にいればいる程、カイザはその背中の重みをもって彼女の死をひしひしと感じていた。彼女の声も、笑顔も、温もりも……何もかもが思い出になってしまったことは悲しい。しかし彼の心は仄かに満たされていた。彼女がいる、それだけで。もしかしたら、彼女が腐り果てていても彼は彼女を抱きしめて離さなかったかもしれない。彼女の墓を暴くという約束、いつか必ず再会しようという約束……考えていたものとは違っていても、全てがあの夜に果たされたのだから。
そんな彼の中で一抹の不安が頭を過る。酒場で聞いた美女の伝説のことだ。もし本当なら、ミハエルは神の寵愛を受けた一人だということになる。
ーー私はあなたを愛してる……ーー
あの言葉を神とやらにも囁いていたのかと思うと、腑が煮え繰り返りそうになる。カイザは考えるのを止めた。そんな昔話の真偽など、気にしたところで確かめようもないと思ったからだ。
不安と喜びが入り混じる道中を、彼は目的のため一向に歩き続けていた。そんな時。
「ちょっと待ちな! そこの若造!」
見渡す限り灰色の岩が転がる傾斜の激しい山道で、カイザは呼び止められた。振り返ると、そこには一人の少女がいた。艶やかな褐色の肌、生意気そうに釣り上がる黄金色の瞳の目。ミハエルの柔らかな黒髪とは違う印象を持つ、肩まで伸びた芯の強い漆黒の髪。
「…どう見ても、お前の方が若そうだが?」
「山賊に出くわして悲鳴も上げないなんて、生意気なガキだな」
少女は不機嫌そうにカイザを睨む。
「そうか、その装束……鉱山の」
「そう、あたしはマザー・クリストフ率いる山賊の一味! 第一区監査官ローザだ!」
金のブレスレットに金の首飾り。南国を思わせる衣服が褐色の肌によく映える。
「その背中にしょってんのは死体だろ? だったら一緒に埋める供え物もあるだろう。命が惜しけりゃさっさと渡しな」
「悪いが、そんなものはない。ついでに、お前に構っている暇もない」
カイザはローザと名乗る少女に背を向けた。
「宝物の有無はあたしが確かめるんだ。お前に選択の余地などない」
背を向けたはずが、何時の間にか少女は目の前で刃物をカイザに突き付けている。鉱山の監査官の名も、だてではないらしい。カイザは大きく飛躍して後退し、ミハエルを降ろした。そして、ナイフを手にする。
「お? やる気か小僧ー」
「用があるのはマザー・クリストフだけだ。用のない奴は邪魔なだけだからな」
カイザの言葉に、ローザは不思議そうな顔をした。
「マザーに用事? 死体運びのお前が?」
「話す義理はない」
「一味のあたしに何かあれば、マザーも黙ってないぞ?」
「バレなければいい話だ、バレなければ」
カイザは一瞬で終わらすつもりだった。しかし、
「ローザさん! ここにいたんですか!」
振り返ると、男が数人息を切らしながら立っていた。そのうち先頭に立つ一人の男はローザと同じ装束、同じ黒髪、同じ瞳をしていた。
「ガトー、こいつ狩るぞ」
加勢。カイザは舌打ちをしてナイフをしまい、ミハエルを抱き起こした。
「あ、待て!」
カイザが逃げると、ローザは後を追いかけてきた。少女一人ならまだしも、多勢を相手にして一人でも仕留め損ねればマザーとの対面も叶わなくなる。面倒を起こすわけにはいかなかった。
「待てって言ってるだろ!」
背後からローザに蹴り飛ばされ、カイザはつんのめる。転倒したが、身を呈してミハエルを庇った。刃物をクルクルと回しながらローザが二人に歩み寄る。
「そんなに大事か、その死体」
カイザは再びナイフを構えた。
「そんな大事な死体ならさぞかし価値のあるお宝が……」
ローザは、歩み寄る足を止めた。表情も固まり、一点を凝視している。カイザはその様子に気付いた。
「お前、そのナイフ」
ローザはゆっくりと、一歩踏み出した。
「ローザさん!」
追いつかれた。もう、やるしかない。カイザはナイフを握り、ローザを睨んだ。
「大丈夫ですか?」
「こいつは俺たちが始末しておきますから、ガトーさんと先に……」
「いや、いい」
ローザは刃物をしまい、カイザの目の前にどっかりと胡座をかいた。カイザはミハエルをきつく抱き寄せ、ナイフをローザに向けた。ローザは、真っ直ぐにカイザを見据える。
「お前、ギールんとこの盗賊だな?」
カイザはその言葉にはっとして自分が握るナイフに目をやった。ギールとは、カイザが殺したマスターの名だ。そして、このナイフは……
「それ、ギールのナイフだよな」
盗賊になって、マスターから譲り受けたものだった。
「ふーん、そういうこと」
一人で何か納得している少女をよそに、カイザはナイフを見つめていた。鋭く輝く鉛色の刃、盗賊団の象徴であった鷲の刺繍が施された柄に埋め込まれた、黒光りする宝玉。このナイフがなんだというのだ……そう言わんばかりに彼の表情は疑問に満ちていた。
「…お前、カイザか」
カイザは名前を呼ばれ、ローザを見た。先程までの幼さはどこへやら、異様な威圧感を発しながら彼を見つめている。
「カイザって……ギールを殺した?!」
「バンディが探してるっていう」
話を聞いていた男達が武器を手にしてカイザを睨む。
「やめてください! ほら、しまって!」
ガトーがおろおろと宥めようとする。
「やめろお前ら!」
ローザの一言で、男達は硬直して顔を見合わせる。そして渋々武器をしまった。
「確かお前、マザーに用があるんだったな。あたしが謁見を取り持ってやるよ」
ローザはそう言ってニヤリと笑った。カイザはまだ、ナイフを突き付けていた。
「…何を考えている」
カイザの問いかけにローザは答えようとしない。ローザは振り返って男達に言った。
「こいつには手を出すなよ。ことによっちゃあマザーがヒステリー起こすかもしれないからな」
ローザは立ち上がり、カイザに手を差し伸べた。
「ほら、行くぞ。リノアへ向かってるんだろ?」
「……」
カイザは少し眉を寄せてナイフをしまい、ローザの手をとった。小さくまだ幼さが残る手をした少女だが、山賊の中ではかなりの有権者のようだ。少女が何を思って刃を収めたのかはわからないが……目的のためには敵にするより、味方にした方が得策だと考えた。
「そういうことだ、お前ら、わかったな?」
ガトーという男以外は何やら不満そうだ。"そういうことだ"と言われても、その場にいた何人が話を理解できていただろう。いや、少女以外誰一人として流れを掴めた者はいまい。
盗賊に追われる身の、死体を背負った一人の男。何かを知っている風な、山賊幹部の少女。
「改めまして、だな。あたしはローザ」
少女は顎をツンと上に向けて見下すように生意気な笑顔を浮かべた。
「カイザだ」
カイザは視線を外して小さく挨拶をした。まだ、この少女を信用できないようだ。
「さて……その死体は何処に運ぶんだ? さっさと荷をおろしてリノアへ行くぞ」
ローザがミハエルをじっと見つめる。カイザは思わず彼女を背中に隠した。
「ミ……彼女は、リノアの向こうの……」
「は?! リノアの向こう?! こんな真夏にか?!」
ローザは驚いた顔をして声を荒げた。
「お前……殺した人間をせめて故郷に戻してやりたいってんだろうが、それは幾らなんでも無理だろ。腐っちまう」
「別に、俺が殺したわけじゃない」
そういえば、彼女は何故死んだのだろう……ミハエルを背負いながら、カイザはふと疑問に思った。
「そういう問題じゃなくてだな……ったく、おい、誰か背負うの代わってやれ」
「いや、いい」
「なんで」
ローザは既に面倒くさそうだ。なんと言えばいいのか、カイザは必死に考えていた。彼女を誰にも触らせたくない、なんて言えない。
「……」
気が付くと、ローザが布からはみ出たミハエルの腕を見つめている。カイザは慌ててそれを隠した。
「同行は不要だ。俺はカトリーナにも用がある。先にリノアへ行ってマザーに俺の事を伝えておいてくれないか」
「カトリーナって、本当に腐っちまうぞ、"それ"」
腐らないから大丈夫、とも言えない。言葉を詰まらせる彼に、ローザはすっかり飽きれ果てている。
「我儘な奴だな……わかったよ。カトリーナに寄ればいい。だが、あたしとガトーも同行する」
「いや、それは……」
「勘違いするなよ」
ローザがきつく目を吊り上げて、ずいっとカイザに顔を近付けた。カイザは驚いて軽く身を引いてしまう。
「別に仲良しこよししようってわけじゃない。盗賊共はお前の首に多額の賞金をかけてる。リノアでマザーが手土産の封を開けた時、お前の運命は決まるんだ」
ローザがカイザの胸元に人差し指を突き立てる。
「…手土産か、俺が」
「そうだ。つまり、あたしとガトーはお前がちゃんとリノアへ行きつくように見張るんだよ。せっかく獲た手土産が逃げたり、とって食われたりしたら癪だからな」
ローザに釘を刺さされ、カイザは笑った。
「だったら最初からそう言えよ」
ローザはカイザの言葉に片眉を上げる。
「そう言われた方が、まだお前を信用できる」
何を考えているかわからない無償の善意より、利を優先した悪意で人を測る。カイザはそういう場所で生きてきた。そんな彼にとって、今背負っている彼女は夢の中の存在に近い。彼女以外が彼の現実であり、それは悪意の駆け引きで成り立っているのだ。
「…寂しい奴だな、お前」
ローザの哀れんだ瞳にカイザは全く気付かない。いや、興味を示さない。彼はミハエルを掘り起こしたその瞬間から、夢の為だけに現実を生きると決意していたのだ。死ぬまでの束の間を、彼女の為だけに。