35.心の拠り所を探して彷徨う
望んでいた。心の何処かで誰かに殺して欲しいと。しかし、それに反して身体が動く。殺さなければ殺されるから。わからない。自分は生きていたいのか。悲鳴を聞いても、吹き上がる血を見ても、心沸き立つことはないというのに。
「何故殺す?」
生気のない声で問いかけた。
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
薄暗い部屋の片隅で、黒い物体を執拗に斬りつける男の背中を、じっと見つめていた。すると、男の手がピタリと動きを止めた。
「お前は、どうして人を殺める」
「どうして……考えたこともない」
「考えたくなかっただけだ。自分の弱さと向き合いたくなかっただけだ」
眉を顰めて、男を睨む。
「俺は負けたことなどない」
「あるだろ。実の弟に」
男は首だけで振り返り、横目にこちらを見た。
「親に捨てられたお前にとって、唯一の家族。守ろうと思ったのも束の間で、弟はホワイトジャック屈指の刺客に変貌を遂げた。それが、情けないような、妬ましいような」
「黙らないと殺す」
背後から男の首元に剣をあてがう。男は暗闇に煌めく刃を見つめて笑った。
「…これだから、頭の悪い奴は素直で好感が持てる」
「……」
「人なんて一太刀であっという間に殺せるけどな、感情っていうのはそうもいかない。身体すらも支配して、独り歩きし始める。それが、今の結果に繋がっている。弟を組織から追いやり、自分を求めてくれる人材に縋って、空虚な穴を埋めて」
血しぶきが上がると同時に、男の言葉は途絶えた。ごとん、と鈍い音を立てながら床に転がる生首。サイはそれを見下ろしながら剣の血を軽く払って歩き出した。
「そっちには弟がいるぞ?」
振り返ると、転がる首が怪しく笑ってサイを見ていた。
「教えてやる。弟を殺したところで何も変わらない。世界は常に、お前の意に逆らって動き続けている」
「…構わない。俺はもう、後戻りはできないんだ」
サイは男に背を向けて、暗闇の中へと去って行った。それを見送り、男の胴体はゆっくりと身体を起こして転がる首を持ち上げ、元ある場所につけ直した。傷口はみるみる消えて、すっかり元通りになった。
「水をやらねば草も枯れる。心も、枯れる」
男は目の前の黒い物体に向かって微笑んだ。
「壊れた心では、真実も何も掴めないというのに」