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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆煙の塔~混沌の層~
35/156

34.虚しく姿を留めおく

「私はあなたのそばにいることしかできないわ」


 懐かしい声。


「でもね、他の誰かがあなたを守ってくれる」


 涙が出そうなくらいに、懐かしい。できることなら、ずっと聞いていたい。


「そしてあなたも、誰かを守る誰かになる。戦士になる。そう……いつか、きっとね?」








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー









 目を覚ますと、見知った天井が目の前にあった。暖かい蝋燭の光に、懐かしい匂い。まさしく、ノースにあるミハエルの家だった。かつて一緒に寝た、ベッドの上。カイザは何度か瞬きをしてその天井を見つめた。自分は、どうなってしまったのだろう。これは夢だろうか。また、ここへ来るなんて。カイザがゆっくりと体を横に向けると、そこには見知らぬ女が寝ていた。カイザは思わず飛び起きる。すると、人にぶつかったような感覚が背中に広がった。


「おっと、大丈夫?」


 カイザが振り返ると、そこには柔らかに笑う男がいた。


「怖がらないで。君は運がいいよ、ここへ落ちるなんて」


 男はカイザの肩に優しく手を添えて、微笑んだ。


「…ここは、」

「ああ、俺の部屋さ」

「でも、俺の見知った部屋だ」


 辺りを見渡し、カイザが言うと男はベッドに横たわる女に添い寝して、言った。


「そりゃあ、混沌の中だからね。死後の世界に似たようなものだ。俺はここの住人。そして、君はこの部屋を形作っている張本人さ」


 女を見つめるその瞳は穏やかで、愛情に満ちている。カイザはその時、端から見たならば寝ているようにしか見えないその女が死んでいることに気付いていた。何故かはわからない。ふと、頭に浮かんだのだ。


「…恋人か」

「違う。妻だ」

「死んでも愛し続けているんだな」

「違う。死んでいるから愛することができたのさ」


 その一言に、カイザの同情的な表情は固まってしまう。男はカイザを見ずに女の唇に触れた。


「生きていると泣いたり怒ったり、面倒だろ。死はそういったものを一掃してくれる。俺だけの世界へと彼女を導いてくれる。そして、俺は動かぬ妻を生涯通して愛することができるのさ。かつて、教会で神に誓った通りに」


 男の手は次第に下がり、女のワンピースの中へと入り込む。カイザはそれを見ていて、死装束でないノーラクラウンでのミハエルを思い出した。


「女は素晴らしいよ。神に与えられたこの曲線美、男にはない魅力。全てが芸術だ。この世で一番美しい生き物だと、俺は思うよ。そして、彼女はその中でも一等美しい」


 男は女の秘部を弄りながら恋しそうに話す。カイザはぱっと目を放し、言った。


「お前が、殺したのか」

「…どんなに美しくても老いる。老いて美しくなくなる。俺はこの姿を留めたんだ。愛しい、この姿に」


 男にはは貪りつくように女の唇に吸い付いた。粘膜が一方的に絡む音が響く。カイザはベッドにかけていた腰を上げて、近くのテーブルをなぞった。それは、見るからに手持ち無沙汰であるかのようだ。


「愛してるのに殺したのか」

「愛してるから、だよ。君も、死体だなんだと気にせずに思いを遂げたらどうだ」


 挑発的な目つきでカイザの背中を見つめる男。カイザは、立ち尽くしたまま何も言わない。言葉を返さぬミハエルに口づけしたことを思い出していたのだ。


「動かないなら好都合。彼女は君の世界でしか存在しないんだ。周りを見ろ。君以外は土に返すことしか考えていないだろ?」


 男は女の足を広げてその間に入り込む。


「憧れ? 感謝? 初恋? そんなものは死ねば全て無に還る。この世と隔離されたその物体をどうしようが、君の勝手じゃないか」


 女の暗い穴に欲望をねじ込む男。そして、ゆっくりと腰を動かす。


「…できない、そんなこと。俺には、ただでさえ彼女を抱く資格なんて」

「だから言っているだろう。死は全てを無に返す。動かぬ喋らぬそんな物体は、まさしく死体。君の思うが儘にできるんだ」


 湿った吐息混じりな男の言葉が、カイザの背中をつく。それは嫌悪感を抱く程に不潔で、嫌に刺激的な声だった。ミハエルをものにしてしまいたい。死体だろうがなんだろうが構わない。そんな気持ちを芽生えさせる。いや、最初からあったのかもしれない。クロムウェル家で彼女を掘り返した、あの夜から。美しい思い出に縋って、欲望を抑えつけていただけかもしれない。カイザの鼓動が、速くなる。


「僕と君は同じだ。さあ、今宵ばかりは目を瞑ってあげるよ」


 後ろからカイザの両肩に手をかける男。大きくて、冷たい手に促されるがままに、カイザは振り返る。


「君の心は君だけのものだ」


 息を飲むカイザの目の前には、ベッドに横たわる死装束のミハエル。蝋燭に照らされた艶めかしい白い肌が、これまでにない程官能的だ。そう感じるのも、カイザの心を抉るような男の言葉があったからこそ。


「……」


 ごくりと生唾を飲み込み、カイザはミハエルにゆっくり歩み寄る。男の手からするりと抜けて、足は一歩、また一歩と、ベッドに近づく。それを見つめて、男は怪しく笑うばかりだった。

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