33.脳は選び塗りかえる
目が覚めると、そこは窓一つない真っ白な部屋。何が起こったのかさえわからずに呆然と立ち尽くす。まず最初に頭を過ったのは、これが死後の世界なのか、ということ。照明も無いのに明るく感じるのは壁が発光しているからなのだろうか。前方の扉、後方の扉、どちらが出口に続いているのか。考えは巡るが、少し荒くなった自分の吐息以外何も聞こえない無音な一室で状況を把握する、なんてことは不可能だった。
「お前に道を授けよう」
部屋を木霊する、深みのある子供の声。辺りを見渡すが、人のいる気配はない。
「2人の男のうちどちらかを殺さねば先へは進めない。どちらを選ぶ」
先程までは何もなかった扉の前に、白い棺が置いてあった。その片方に歩み寄り、蓋を開いて見る。そこには、見知った顔が眠っていた。彼は友人だ。例え自分が死者であろうと大事な友人だ。殺せない。振り返ると、もう一つの扉の前に同じく棺があった。そして、自分が立っていたであろう部屋の真ん中に、一本の剣。答えは一つだ。殺すしかない。蓋すら開けていないそれに向かって歩き、通りすがりに剣を抜いた。そして、その棺に突き立てる。
「それが、お前が選んだ道だ」
殺した方か、生かした方か。一瞬悩んで、生かした方の扉を開いた。鍵がかかっていた様子もなく、扉はいとも簡単に道を示した。
「では、今度はどちらを選ぶか」
そこにあったのは、再び二つの棺。一方を開くと、それは見知った女だった。それを見て、もう一方に誰が眠っているのか予想がついた。振り返ってそれを見つめる。手が届かないと自分で思い続けながらも守りたいと思った女。その棺に歩み寄り、ゆっくりと蓋を開く。やはり、思った通りの女の寝顔があった。それを見ると、愛しくてたまらない。会いたくてたまらない。道が開けるのなら、その道を歩みたい。涙が頬を伝い、白い床へと落ちる。
「選んだのならば、剣を手にして選択せよ」
歪んだ子供の声が響き、嗚咽しながら剣を握った。これが、選ぶ道なのだ。過去の女のことも心に留めない訳ではない。しかし、それでも……犠牲にしてでも、守りたい女ができたのだ。一方の棺に、剣を突き立てた。先程の蓋を開けもしなかった時と違って肉を貫く感覚が体に広がった。泣いていた。
「それが、お前が選んだ道だ」
声がして、剣の刺さった棺に背を向けた。昔の恋に別れを告げて、扉を開いた。
「最後の選択だ。これが終われば道は開かれる」
部屋に足を踏み入れる。扉が閉まる音だけが響いた。そこには、首で釣られた2人の少年がいた。その向こうには二つの門。出口だ。しかし、足が固まって動けない。
「道は開かれる。それだけだ。あとは…自分次第。さあ、選べ。どちらかは死なねばならぬ」
そこに吊るされる少年は、死んだはずの弟と、友人が育てようとしている少年であった。歩むことを拒む足は、震え始める。
「選ばねば、この部屋が汝の墓となる」
震える足で、弟に歩み寄る。今、ここで彼を選んだならば、彼が生き残る術が生まれるのか。そうでないとしても、一方を殺すことなど……できない。どちらにも、てはかけられない。死者か、生者か。それこそが、選択だ。
「…ひとつ、教えようか」
子供の歪んだ声が、聞き覚えのある声へと変貌してゆく。
「兄さんは、できのいい俺を憎んでいた。俺も、暗い世界で稼いだ汚い金で俺を育てる兄さんが嫌いだった」
膝ががくりと折れた。震えが止まらない。頭を抱えてみはするが、収まらない。
「何が、自分に恨みのある連中に殺された、だ。俺を殺したのは、兄さんだろ?」
目を閉じ、耳を塞いでも、声は頭に響く。
「他所の情報屋に兄さんのことを話そうとした俺を殺して生き延びた。それが、今の兄さんだ。逃げるなよ。思い出を美化するなよ。そんなものに意味がないのはよくわかっているだろ?俺の首を締めた、兄さんなら」
頭を抱える手を放し、吊られた弟を見上げた。閉じていたはずの目は、開かれていた。自分と同じ緑色の瞳が、恨めしげに見下ろしてくる。
「…思い出してくれた?」
幼い唇が動いた瞬間、剣を抜いていた。そして、吊るされた弟の喉元にその切っ先を突き立てた。吹き上がる血しぶき。白い部屋が赤く染まる。息を荒すて返り血を浴びながらも、その手は震えていた。
「これが、選択だ」
歪んだ子供の声に戻ったかと思うと、部屋が硝子のように割れて暗闇に溶け込む。時折流れ星のようなものが消えてゆくのを見つめながら、闇に落ちてゆく。
三つの選択は、自分が選んできた道そのものだ。綺麗に見せようとしても、心の何処かで過去の記憶が足留めをする。そんな、おぼつかない旅路こそが、自分がしてきた選択。落ちてゆくフィオール。上へと舞い上がってゆく血を吐く弟。その顔は、笑っていた。一生、後悔しろとでもいうように。それをみつめながらただ、ただ……落ちてゆく。堕ちてゆく。