30.平和という夢を見るにはまだ早い
雨が降る、秋も半ばの夕暮れ時。カイザは墓地に向かってぬかるんだ森の道を走っていた。
「知っていたわ。あなとのところの盗賊が墓荒しに来ていたもの」
「…そうでしたか」
屋根を突き破りそうな程に、雨は激しく音を立てて激しく降り続く。カイザが墓へ向かっているその頃、ミハエルはノースの自宅にいた。薄暗い室内で、湿った羽織を頭からかぶって俯く男。ミハエルは男に暖かい茶を差し出すと、その正面の椅子に腰をかけた。
「たぶん、そいつですよ。さっき言った、ブラックメリーを手にしたガキっていうのは」
「ええ、持っていたわ。見たもの」
ミハエルは嬉しそうに笑った。
「元気でやっているのね」
「おかげさまで」
男はぺこりと頭を下げ、カップに手を伸ばす。
「あなたの顔を見れるのは嬉しいけれど、いつもいつもお金を持ってくるのはやめてくれる? 貯まるばかりで、使い道がないのよ。一応、墓守として生活できているし」
ミハエルが少し困ったように笑うと、男は小さく首を横に振った。
「これは俺なりの誠意です。あなたに旦那でもできれば話は別ですが」
「……」
「これからも、一人で生活してゆくおつもりで?」
男が聞くと、ミハエルは薄く笑って、俯いた。
「…そうね。そうするわ。今だから言えるのだけれど、私は待っていたのよ、あの人を。ずっとね」
「…カイザさん、ですか」
「カイザは死んだ。その事実は変わらないのにね。それでも、ついに巡り会えたとあの時思ったの。あの子に出会った、あの瞬間に。運命めいた何かを感じたの。小さな手に握られたブラックメリーを見て、そう思えたのよ」
男はカップを手に、一度口に寄せて、テーブルに戻した。
「偶然ってあるものなんですね。同じ名前で、同じナイフを手にして。いや、カイザという名前が運命を手繰り寄せているようにも思える。あいつは確かに見込みはあるが……やはり、”カイザ”だったから迷うこと無くブラックメリーを渡せたのかもしれない。そう考えると、俺はいつもあなたの面影に縛られている」
「そうね。いいじゃない。あなたの判断は間違ってないわ。偶然も必然的な運命なのよ。人は運命に抗うことなんてできない。踊り狂わされて、その足が動かなくなるまで」
「まるで、呪いですね」
「似たようなものよ。私は”カイザ”に、あなたは私に、呪われているの」
「…光栄です。俺もいつか、誰かの心にシミをつける呪いになるんですかね」
「あなたの場合、光になれるわ。それがその人を導く」
「買いかぶりですよ」
「本当よ」
視線を合わすこともなく、淡々と言葉だけが肌寒い部屋を行き交う。声も床を這うように低く沈む。それでいて、どこか落ち着いた雰囲気が二人を包み込む。彼女がいれた茶は、もう冷めてしまっていた。
「あら、カイザ」
彼女が傘を手に墓地へ向かうと、墓守小屋の前でカイザが震えながら立っていた。
「ずっと待っていたの? ごめんなさい、遅くなってしまって」
彼女はカイザを抱き寄せ、濡れた頭を撫でた。少年は小さく震えながら、言った。
「…あの人、誰?」
「あの人?」
「俺、一度ミハエルの家に行ったんだ。そしたら、男の人がいたから……」
「……」
彼女は黙り込む。カイザは、俯いたまま泣きそうな声で言った。
「…ミハエル、結婚するのか?」
少年の突飛な発想に、彼女は思わず笑ってしまった。少年は顔を上げて彼女を見つめたが、何故笑っているのかわからない。少年にとって、彼女の結婚は彼女との離別を意味する。少年にとっては重大なことなのに、笑われたのだ。だんだんと苛立ち、少年はふいっとそっぽを向いた。涙を滲ませながら笑う彼女は、呼吸を整えて少年をきつく抱きしめた。
「しないわ。私はずっと待っているの」
「…誰を?」
「あなたをよ」
少年は、そんな言葉に惑わされるものかと意地を張ってはみたが、顔は正直だ。嬉しいのか、少し頬が赤らんでいる。
「心配させて、ごめんなさいね」
少しずつ弱まってゆく雨。身を突く風の冷たさも、彼女の温もりが忘れさせてくれる。不安で軋んだ心すら、彼女の言葉が癒してくれる。黒い髪が靡くだけで、白い肌に触れるだけで、黒い瞳に、見つめられるだけで……少年は瞬く間に幸福に包まれるのだ。雨が止み、分厚い雲が晴れてゆく。薄暗い墓地で、優しい笑顔が月に代わって輝く……それだけで。
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「寒い……」
「カイザ見て見て! 滑るよ!」
凍った川の上ですいすいと滑って遊ぶシド。
「あんまり奥に行くなよ。落ちたら……」
カイザはふと、氷が割れて川に落ちるシドを思い浮かべた。自力で這い上がってきそうだ。
「…大変なことには、ならなそうだが。風邪ひくぞ」
「わかった!」
シドは岸辺の近くに戻って来て、カイザの近くで遊び始めた。雪の積もった石段に腰掛け、ぶるぶると震えながらカイザはその様子を見ている。カイザの横に置かれた瓶の中で、眠たそうな顔をしながらルージュが言った。
「いいですね、子供というのは」
「…そうか?」
幼少期に苦労気苦労が多かったカイザには、ルージュの言い分が理解できない。
「いいものですよ。寒空の下でさえ走り回れる。凍てつく川さえ遊び場にしてしまう」
「…子供だからな」
「瓶から出られぬ身だというのに、あの笑顔を見ていると心穏やかになるのです」
「……」
「冷たい瓶の中まで、光で満たしてくれるのです。サラも、そうでした」
シドの無邪気な笑い声を聞きながら、カイザは考えた。ミハエルが目覚めぬ鬱蒼とした朝も、シドの寝顔を見ると何処か安心する。街から街へ移動している最中も、見知らぬ風景に興味を示すシドが微笑ましくて心が温かくなる。眠ったままのミハエルを横目にベッドに入る物悲しい夜さえ、眠れないからと布団に潜り込んでくる不安そうなシドの横顔が口元を緩ませる。ルージュの言うとおり、子供はいいものだ。そして、カイザの中で多少なりともシドの存在が心の支えになりつつあった。
「時折、今は本当に美女の手元に業輪がない世なのかすら、わからなくなります。世界が危機的な状況なのか、実感できないのです。妖精であるというのに、お恥ずかしい限りですが」
こんなにも穏やかに時は過ぎるのに、どこかでは革命を謳って戦争が繰り広げられている。子供の遊ぶ姿を見つめているというのに、自分は争いの核ともいえる鍵を首に下げている。見えない所で、感じ得ぬ所で、人は争い欲求のためにその身を戦火に晒す。カイザも、例外ではないのだが。ルージュの心境同様に、カイザも今更になって全てが現実味の無い他人事のように感じ始めていた。
このまま、皆で旅をしているうちに全てが解決するような、そんな気がしていた。業輪も手元に戻り、ミハエルを目覚めさせてからクリストフに渡し、その後は、シドを育てながら町民に混ざってのどかに暮らす。墓守をするミハエルと、昔のように……カイザがそんな平和惚けした想像をしていると、シドは川の向こうを見つめてぴたりと足を止めた。カイザはそれに気付き、少年の視線の先を見た。
「……」
「どうした、シド」
少年はちらっとカイザを見て、川の向こうを指差した。だだっ広い氷が張った川。雪山が連なる向こう岸には、灰色の雲が悠々と流れている。じっと見つめていると、その雲が突然、ふっと山の向こうに吸い込まれた。
「…ん?!」
カイザは目を細めてじっと山間を見つめた。すると、何やら轟音が響き始め、急に山頂が暗くなった。そこへ、雷を侍らせた大きな竜巻が姿を現した。風が雪山を吹き荒らし、空を流れる雲すらその渦に巻き込んでいく。
「カイザー、あれ何?」
「……」
カイザが無言で瓶を片手に立ち上がった瞬間、竜巻は山間を抜けて向こうの岸に降り立った。その瞬間に強い風が二人の羽織を靡かせる。目も開けられないような強風。カイザは腕の間からそっと辺りの様子を見ると、雨が向こうからこちらへ向かってくる音がした。それと共に、川に張っていた分厚い氷がばきばきと音を立てて風に舞い上げられてゆく。
「いつになったらダンテは来るんだ?!」
酒瓶片手に叫ぶクリストフ。リバーカインドに来て約一週間。ダンテが来るような気配は何一つない。焼き魚を頬張りながらフィオールが言った。
「他所の情報屋の話だと、バンディも動き出してるみたいだしな。ここに長居するわけにも……」
「じゃあ、さっさとどっか行きなよ」
ナイフとフォークを手に、オズマがにこやかに言った。クリストフはソファーから立ち上がり、オズマの胸ぐらを掴んだ。
「おい、あいつはいつ、どうやって、どこに来るんだ?!」
「すぐわかるよ」
クリストフは荒々しくその手を離し、ソファーにどっかりと座り込んだ。
「母さん、焦っても仕方ありません。大人しく待ちましょう」
ガトーはクリストフに魚料理のプレートを差し出した。クリストフは眉を顰めてそれを受け取り、溜息をついた。
「どいつもこいつも呑気だな。カイザの奴も、最初は無駄に急いてたくせしてここに来てからは毎日食っちゃ寝遊んで食っちゃ寝遊んで……」
「健康的じゃねえか」
「危機感がねえのが問題なんだよ!」
クリストフはフォークを握りしめてフィオールを睨んだ。そんなクリストフを見て、心配そうな顔をするガトー。
「…本当に、俺がいなくても大丈夫ですか」
「何がだよ。お前はさっさと山賊共のところに行って来い」
クリストフはうざったそうに言った。
「…暴れて皆さんに迷惑かけないでくださいよ」
「うるせぇな、行け」
八つ当たり気味にガトーを怒鳴るクリストフ。ガトーは溜息をついてフィオールに向き直り、母を頼みます、とだけ言って部屋を出て行った。
「息子に当たるなよ。また暫く会えないんだろ? 優しい言葉の一つでもかけてやればいいのに」
フィオールは呆れたようにクリストフを見た。少女は不機嫌そうにそっぽを向く。それを見て、オズマはケラケラと笑った。
「フィオール君は、自分の持ち物に気を使ったりするの?」
「持ち物?」
「武器だよ、武器。俺はそんなことしないし、カイザ君がナイフに話しかけているところも見たことないんだけどなぁ」
オズマの言葉に、クリストフの表情が険しくなる。
「物って気を使わなくて済むし、八つ当たりできて便利だよね。クリストフさんにとってはガトー君はそういう存在なんだよ」
フィオールは眉を顰めてオズマを見た。
「…そんなわけないだろ、クリストフは母親だぞ」
「腹を痛めて産んだからどうこうっていう美談はこの二人とは無縁だよ」
フィオールがテーブル越しにオズマの胸倉を掴んだ。皿やカップが床に落ち、割れる音がした。
「…いい加減にしろよ」
「やめろフィオール、放っておけ。今はそいつの戯言に付き合っている暇はない」
クリストフが俯きながらそう言うと、オズマはフィオールの手を払った。
「そうだよ。君達探し物してるんでしょ?」
フィオールは不満げな顔をして椅子に座りなおした。料理に手を出す気がないのか、ポケットに手を突っ込んだまま。クリストフは少し顔を上げて、オズマを見た。
「ダンテとあたし達を会わせる気はないようだな」
「ないよ。物理的に無理だからね。それに、今は革命で忙しい。君達の宝探しに付き合っている暇はないんだ。俺も、ダンテさんも」
「…嵐が来るとか言っていたな。あれはどういう意味だ」
「言ったままの意味だよ」
クリストフは大きく息を吐きだし、頬杖をついた。
「…お前には頼らない。だが、逃げようとしても無駄なんだからダンテが来たらすぐに教えろよ」
「あ、噂をすれば……」
オズマが笑顔でそう言うと、クリストフは固まった。フィオールも目を点にしている。その時、隣の部屋で窓が割れる音がした。クリストフとフィオールは席を立って隣の部屋へと駆けて行く。
「…死ぬかと思った」
そこにいたのは、瓶を持ってシドを抱き、ぜいぜいと荒い息をするカイザ。
「カイザかよ」
フィオールは深く息を吐いて俯いた。クリストフはカイザの頭を小突いて怒鳴った。
「紛らわしいんだよ!」
「何が」
カイザは何がなんだかわかっていない。カイザに下ろされると、シドはフィオールの手を引いてぶち破られた窓際へと走った。
「見て見て、あれに追っかけられた」
「どれー?」
フィオールが何の気なしに外に顔を出すと、ザーっと雨に降られた。部屋に吹き込む突風と、鳴り響く雷音。フィオールは雨にうたれながら、町に入り込んで器用に建物の間を縫って蠢く竜巻を見つめていた。
「到着したようだねえ」
声がした方を見ると、隣の部屋でオズマが窓に肘をかけて顔を出している。クリストフがカイザを突き飛ばして窓際に駆け寄った。
「てめぇ! どういうことか説明しろ!」
クリストフの問いかけに、オズマはにっこりと笑う。
「あの竜巻の中にダンテさんはいる」
「…あの中に?!」
フィオールは竜巻を二度見した。その場に立ち尽くして会話を聞いているカイザを、シドはきょとんと見上げている。
「言っておくけど、招かれざる客は来ない方がいい。死ぬだけだからね」
雨の雫が伝うレンズの向こう。荒々しい風に髪を掻き乱されながらクリストフはオズマを睨んでいた。オズマも、怪しく笑ってクリストフを見つめていた。カイザは窓に歩み寄り、クリストフにルージュを手渡した。
「俺が行く」
「勝手に動くな」
「ダンテが目の前にいるんだぞ!」
クリストフは瓶を腰にかけ、じっと見つめた。
「…私のことなど気になさらず、皆さんでお決めになってください」
「……」
少女が黙り込んでいると、隣の部屋から笑い声がした。
「あれはね、内側から鍵がかかった部屋みたいなものさ。招かれた者にしか、扉は開かれない」
オズマがそう言うと、部屋の扉をノックする音がした。オズマは前を向き、はい、と返事をした。クリストフとフィオールは訝しげな顔をしてオズマを見ている。カイザは竜巻をじっと見つめ、考えていた。どうしたら、扉を開くことができるのか。
「……」
沈黙が流れる。少しして、オズマがいる部屋の扉が開いた。
「誰、君」
オズマがそう言った瞬間、大きな爆音と共に煙が窓から溢れだした。部屋を仕切る壁が吹っ飛び、熱い爆風がカイザ達を襲う。カイザは咄嗟にシドを抱き上げ窓の外へ飛び出した。下には啜だらけになったオズマが上を見上げ立っていた。カイザはシドを降ろし、オズマの胸倉を掴んだ。
「おい! ミハエルは!」
「…あ、」
オズマはチラッと煙が上がる部屋を見た。カイザはオズマを突き飛ばし、宿に戻ろうとした。
「フィオール!」
クリストフの声でカイザが振り返ると、蹲るフィオールに呼びかけるクリストフがいた。カイザとシドは二人に駆け寄る。
「どうした!」
「あたしを庇って……」
背中に痛々しい傷を追って、苦しそうに顔を歪めるフィオール。剥き出しの傷口は雨に晒され、黒い煤と血が流れる。
「待ってろ、今、」
「俺はいい!」
カイザが差しだす羽織りをフィオールは撥ねつけた。そして、カイザを強く睨みつけて言った。
「早くミハエルさんを!」
「あたしが看る、お前は行け!」
クリストフがフィオールの肩を優しく支えてカイザを見た。カイザは一度、きつく目を瞑って二人に背を向けた。
「シド、行くぞ」
「うん」
カイザとシドは火が上がり始めた宿に駆け込んで行った。
「…お前はいつも他人の心配ばかりだな」
クリストフは自分の羽織をフィオールにかぶせ、眉を顰める。
「うるせぇ、性分なんだ……仕方ねぇだろ」
荒く息をしてフィオールはクリストフの雨が伝う頬を撫でた。その手に自分の手を重ね、クリストフは小さく笑う。
「馬鹿な奴だよ、本当に」
「…悪かったな、馬鹿で」
フィオールも、苦しそうにしながら笑った。そんな二人をオズマはじっと見つめていた。
「可哀想に。束の間の幸福に酔いしれなよ、聖母様」
その目は、憐れんでいるようでもあったが……蔑んでいるようにも見えた。
「もう、秒読みのようだしね」
宿の階段を上ると、そこは既に火の海になっていた。カイザとシドはその中を突っ切り、ミハエルがいる部屋に飛び込んだ。
「ミハエル!」
囂囂と燃え上がる火の中で、椅子に座るミハエルに向き合う一人の男。男は、ゆっくりとカイザの方を向いた。
カイザは煙と火に揺らぐ男の姿に目を凝らした。すると、男は言った。
「…カイザ。ブラックメリーを貰おうか」
「ミハエルから離れろ」
「この女に用はないが、一応、連れていかねばならないんだ」
男はミハエルの腕を掴み、窓から飛び降りた。カイザとシドが後を追うと、男は嵐の中、クリストフとオズマに斬りかかっていた。カイザはブラックメリーを手に取り、その間に割って入る。男はカイザのナイフを避けた。そこに、シドが後ろから鎖鎌を投げつけた。男は鎌を剣で振り払ったが、シドが続けざまに投げた分銅が剣に絡まる。男はそれに気付いて剣を放したが、隙をつかれてカイザに脇腹を蹴り飛ばされた。よろめく男の背に寄りかかるミハエル。カイザは手を伸ばすが、男は大きく飛び上がり、屋根の上に着地した。そして、ミハエルの髪を掴んで持ち上げた。
「…邪魔だな」
男はミハエルの首に向かって剣を振り下ろす。
「ミハエル!」
カイザが駆けだす。
「やめろ! 兄さん!」
男の手が、ぴたりと止まる。カイザも、足を止めてシドを見ていた。シドは、深くかぶっていたフードを取って男を睨んだ。
「…シド、」
「やめて。いくら兄さんでも、許さないよ」
クリストフとフィオールも、じっと二人を見つめる。
「シドの兄貴……」
「あれが、ホワイトジャックのサイ」
強風に煽られる黒い髪。冷たく見下ろす黒い瞳。サイは、髪を掴んだままミハエルを屋根に置き、剣をおろした。
「なんでお前がここにいる」
「こっちの台詞だよ。なんで兄さんがカイザとミハエルを狙うの」
「…俺は今、ブラックメリーの幹部だ」
その言葉に、カイザの視線はサイのアーマーに集中した。そこには、確かに紋章が刻まれている。
「正統な後継者にブラックメリーを渡すこと。鍵を回収し、美女を葬ること。それが俺に課せられた使命だ。邪魔をするなら、今度こそ殺す」
サイはシドに切っ先を向けた。
「ミハエルはもう死んでいる! 離せ!」
カイザが叫ぶと、サイは横目にカイザを見た。
「そうだな。でも、これは俺の拘りなんだ。目標は死んでいるという証を依頼主に見せつけるっていうのは」
サイはそう言って、竜巻を見た。もう、すぐそこまで迫っている。
「…今日はこの女だけでいいか」
サイが背を向けて屋根の向こうに去ろうとする。
「行かせるかよ!」
フィオールの声にクリストフが振り返ると、彼は体中に火を纏っていた。それは足元に集まり、彼が手を置くと尾を引いてサイの方へ飛んで行った。
「フィオール!」
クリストフもその後を追い、屋根に飛び上がる。カイザとシドもサイを追う。屋根に上がると、フィオールがサイの目の前で火を消して立ち塞がっていた。肩で息をする彼を、サイは無表情で見つめた。
「…返せ」
「4対1か。しかもシドがいるとなると……やはり邪魔だ 」
サイはミハエルの首に剣を押しあてた。その瞬間、それぞれが反射的に動いた。カイザは先に刃物がついたワイヤーを投げた。クリストフは大きく飛び上がってサイの上空に飛び上がる。フィオールは左手をサイに向けて炎を飛ばす。シドは鎖鎌を投げつけた。すると、サイはミハエルをぱっと放し、剣を大きく振るって一回転した。ワイヤーは切れ、鎖鎌は弾かれた。炎も大きな円を描いて空に消える。そこに、クリストフのとび蹴りが入った。罅割れた瓦礫が風に舞いあげられながら建物は崩壊する。
「…やりすぎだよ」
下で見ていたオズマは溜息をついて竜巻を見た。
「どうしようかな。ダンテさんが来ちゃうよ」
雷鳴響く灰色の空に高々と伸びる竜巻。それは、まるで煙の塔。雨風は、強くなってゆく。昼間の天気が嘘であったかのように。あの穏やかさが、夢であったかのように。