28.誰かが必ず気付いてくれる
大工達の威勢のいい声が爽やかな日差しの下で飛び交う。冷たく澄み切った空気で鼻は痛いが、肺に綺麗な物がいっぱいに詰まってゆくような気がする、ベリオットの朝。
「すごい! 何してるの?」
壁と暖炉、天井の修復作業をする大工を見てシドが部屋へと駆け込んだ。貫禄ある老大工と話をしていたガトーとオズマが振り返る。
「君が昨晩大暴れして壊したところを直してもらってるのさ」
オズマは嫌味ともとれる笑顔で嫌味にしか聞こえない返答をした。シドは、すごい、とはしゃぐばかり。老大工はそんなシドを見て笑っている。
「おはようございます。もう交代ですか?」
ぼんやりと大工達の仕事ぶりを見つめながら歩いてくるカイザにガトーは聞いた。
「クリストフが妙に早起きした上に腹減ったってうるさくて」
「ああ、そう言えば朝食……」
カイザは溜息をついて申し訳なさそうにガトーを見た。
「作りかけを見つけたんだが、どうしていいかわからなかった。今フィオールとルージュが宥めてる」
「…すみません。大人しくさせてきます」
「頼む。犠牲者が出る前に」
ガトーは困ったように笑い、ぺこりと頭を下げた。そしてそそくさと部屋から出て行った。カイザが彼の背中を見送りシドの方へ目をやると、少年はオズマと楽しそうに足場を作る大工達を見つめていた。カイザはそれを眺めつつ、近くの椅子に座る。目の前でシドは天井を見上げて瞳を輝かせている。あの黒い瞳が、月の下では赤くなる。月夜の姿をカイザに見られ目を潤ませるシドの顔が、頭を過った。
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「比翼の鳥?」
「そうだ」
クリストフは面倒臭そうな顔をして言った。
「羽を持つ人外の者が人間と交わると、たまに生まれるんだ」
クリストフの正面に座っているカイザは、難しい顔をして少女を見つめる。フィオールに至っては口がポカンと開いている。
「人外の子供を人間が孕んでも、普通赤ん坊の身体がその御霊を納める器として持たない。あたしは神の寵愛を受けていたし、ニアは森に食われていて人間離れしていたから一人ずつ産めたってだけで」
「…とりあえず、容量いっぱいってことでいいか?」
「あーあー、いいよ。もうそれで」
ちんぷんかんぷんながらもなんとか理解しようとするフィオールに、クリストフは首を縦に振って見せた。
「赤ん坊に納まりきらなかった御霊は母親の体内に残る。それは次の赤ん坊として生まれる。その中でもシドはたまたま親が羽を持っていて、たまたま羽を兄弟と分けて生まれた。そういう子供を、比翼の鳥と呼ぶ」
「御霊って?」
「魂や精神だと思えばいい」
大人しく話を聞いていたカイザが、口を開く。
「オズマはシドを悪魔や堕天使と言っていたが」
クリストフはベッドですやすやと眠るシドを見て、言った。
「…比翼の鳥は地方によっては天使や悪魔として崇められたり、吉凶の兆しとして見られていた。オズマが言っていたのは、たぶん地方特有の表現ってだけで深い意味はないだろう」
クリストフの表情は、悲しげに、穏やかに、曇ってゆく。
「ただ、あの赤い瞳だけが大きな意味を持つ。神に仕える資格を剥奪された証……烙印、だからな」
幼い瞳に刻まれた烙印。そう、考えただけでカイザは胸が痛くなった。
「烙印をおされた連中はこの世の言葉でいうなら悪魔や堕天使だが。神にしてみたら、捨てた犬猫みたいなものだ」
「烙印をおされると何か不都合があるのか?」
心配そうにカイザが聞くと、クリストフは視線を落とした。
「あたしは前世も覚えていないし、死んだこともないからわからない。話では、輪廻転生はできなくなる。そして、死後の安楽は望めない……らしい」
現実味のない、死後の話。まだ12歳の少年は既に、死後のことを運命付られている。それが、神に見放された者の末路。
「…カイザ、お前の優しさがいずれシドの心を苦しめることになるかもしれない」
「……」
「生きていた頃の幸せが、死んだ後の苦しみを増幅させるかもしれない」
クリストフは立ち上がり、シドが眠るベッドへと歩み寄った。そして、その寝顔を見つめ、黒い髪を優しく撫でる。
「あたし達は空の上に居座る奴を神、なんて呼んではいるが……たまに、思うんだ。神も仏も、いないんだって」
優しくシドを見下ろす少女が慈悲深く、聖母と呼ぶに相応しい存在に思える。そんな寵愛を受ける少女の言葉は、重く、二人の心に沈んだ。
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「カイザ!」
名を呼ばれて目を覚ますと、カイザの目の前には紙の束を持ったシドがいた。
「寝てた?」
「あー…少しうとうとしてた。なんだ、それ。もらったのか?」
カイザはまだ重たい瞼を擦る。シドは満面の笑みでその紙をカイザに見せた。
「オズマが考えてくれた僕のアーマーと鎖鎌だって! 見て見て!」
カイザはシドからそれを受け取り、眠そうに目を通す。ベリオット特有の少し丸みを帯びた甲。鉤爪などをとりつける金具の部分も何やら仕掛けがついているようだ。その上、盾となりうる篭手の部分には金装飾の刃止め。肘から肩にかけても同じようにベリオットが誇るロストスペルを模した模様が入っている。そして、カイザの目を一気に覚めさせたのが、その素材……
「…全部白鋼」
「リノアから取り寄せた一級品だよ。心配しなくても、軽量化も万全だ」
シドの後ろで得意げに笑うオズマ。
「この、読めない文字は?」
「ああ、最近解読されて技術開発されたロストスペルさ。俺たちは”オーランド加工”って呼んでるんだけど……簡単に言えば、ダイヤモンドコーティングだよ」
オズマの発言にカイザは驚き、紙を持つ手が震えている。シドはきょとんとしてカイザを見ていた。ブラックメリーのアーマーなんかとは比べ物にならない代物。いや、国内でもこれ程の物を持つ者は何人いるだろう。ロストスペルの先駆地で職人の聖地でもあるベリオット。眼鏡屋だろうと、何を作らせても最上級の品になる。その上、オズマはシドのことをかなり気に入っている様子。この設計図はおそらく、現段階では最上の性能と技術が詰まっているに違いない。カイザは恐る恐るオズマに聞いた。
「…お、お値段のほうは……」
「タダだよ。俺がシド君にプレゼントするんだから」
「こんな物、貰えない。金が無くて恋人に裁判起こさせなきゃ生活できないような奴からこんな……」
「だから、違うって言ったでしょ?」
オズマは笑顔を引きつらせてカイザを睨んだ。
「金には困ってない。シド君は君にべったりのようだし、引き取れないのならせめて俺が今できる最大限の技術でその身を守るアーマーを作ってあげたいと思っただけさ」
「なんでそこまでしてくれるんだ。シドとは昨日会ったばかりだって言うのに」
「…言っただろう。悪魔やなんかは大歓迎だと。久々に見たから、嬉しくてね」
レンズの奥で細くなる目。その瞳は遠く昔の思い出を懐かしんでいるかのように切なげだ。
「さて、採寸でも始めようかな。工場に行こう」
オズマはシドの背中に手を添えて工場へと促す。カイザも立ち上がり、二人について行った。工場は昨晩と同じく、鬱蒼として埃っぽい。大きな機械は見当たらないが、小さく精密な道具がごちゃごちゃと置いてある。棚には作りかけの眼鏡が並び、奥の釜戸の近くにはレンズが並ぶ。本当に眼鏡屋だったようだ。
「ここで作るのか?」
カイザがレンズを手に取って見つめる。オズマは巻き尺を手にシドの手を上げさせながら答える。
「いや? ここは眼鏡を作るだけの工場だからね。それにロストスペルは法に触れる。公には扱えないよ」
「どうするんだ。お前が作るんだろ?」
オズマは釜戸を見つめ、指を鳴らした。すると、釜戸の火が消えてレンガがまっ二つに割れた。カイザが驚きながらも中を覗くと、地下へ続く暗い階段があった。
「地下にロストスペルを解読、再現する団体が密会する場所がある。この工場だけじゃなく、メンバーの家全て地下で繋がっているんだ。仲間も手伝ってくれるだろうし、道具や設備が揃ってるからそこで作業するよ」
「…すごいな」
「まあね。あ、あの情報屋の彼には内緒にしてね。一応俺たちは秘密結社だから」
オズマは巻き尺を机に置いて紙に記録を書きながら指を鳴らした。煉瓦はゆっくりと音も立てずに閉まり、再び釜戸には火がついた。この雰囲気に、カイザは変な既視感を抱いていた。ノーラクラウンで見た、国王やフィオール、蘭丸の魔法だ。少しのアクションで不思議な現象を起こす、あの感じ。しかし、カイザはそんな魔法にすら慣れつつあったのか、ダンテの関係者なら当たり前か、という考えに落ち着き、紙に書き物をしているオズマを見て言った。
「フィオールは盗賊や山賊を相手に商売をする情報屋だ。国に垂れ込むなんてことはしない」
「そうなんだ。でも、彼とクリストフさんはちょっと……俺、なるべく関わりたくないんだよ」
昨晩のことを思い出して小さく溜息をつくオズマ。シドはそんなオズマを見て首を傾げている。彼の撫で肩が更に縮こまるのを見て、カイザはいたたまれなくなった。
「…わかるよ。あいつら普段は仲悪いのに息が合った途端に手のつけようのない悪魔になるからな」
「ね。シド君は可愛いよ、本当に」
オズマはペンを片手にシドの頭を撫でた。シドはカイザを見て首を傾げている。
「5日後にはリバーカインドに向かうけど、それまでは地下に籠ることになると思う。見張るんだったら、君かガトー君が来てくれないかな。釜戸の開け方教えるから」
「わかった」
愛で人が変わったというカイザと出会うと同時に悪意で目一杯人相が悪くなるフィオールとクリストフにも出くわしてしまったオズマは、見事トラウマができてしまったらしい。仕方も無い。彼にとって、自分の気持ちが他人に知られてしまうことも小馬鹿にされることも、ましてや変な疑いをかけられて脅されることも初めての体験だったのだ。シド以上に、あの二人が悪魔に見えて仕方なかった。
「…人って、怖いよね」
「……」
深そうで浅い一言が工場の空気を重くする。そんなこと知らんふりで、悪魔と呼ばれた少年だけが無邪気にはしゃぎ回るのだった。