25.仕事は迅速かつ狡猾に
「いやー、ありがとうな!いい話を聞かせてくれて!」
フィオールは男の手をきつく握り、上下に激しく振った。男も満面の笑みでその握手を受け入れる。
「よかったよ、戦争の話でもネタになるみたいで」
「ありがとうな。じゃあ、俺からとっておきの情報を」
フィオールは酒のボトルを手に取り、男のグラスに並々と注いだ。
「こんないい酒、いいのか?」
「いいんだよ。飲め飲め」
「悪いな。で? そのとっておきの情報ってなんだ?」
フィオールは張り付いたような笑顔を浮かべ、言った。
「お前の嫁、浮気に気付いて復讐する準備をしてる。裁判沙汰にしてお前を吊るしあげるつもりみたいだな」
男はグラスを手に、表情を固まらせた。
「それとお前の愛人な、お前には24歳なんて言っているが、本当は35歳で美人局をして稼いでる」
「う、嘘だろ? そんなことなんでお前が……」
グラスを持つ手が震え、変な汗をかき始める男の肩を抱いて、フィオールは言った。
「俺は情報屋だ」
「…そんな、まさか」
「今度の旅行先、南に下って最終的にラパンに行くんだろ?」
「あ、ああ」
「ラパンってな、その女に美人局させてるマフィアが根城にしてる街なんだ」
男の顔が、真っ青になった。
「お、俺はどうしたら」
「そうだな。俺ならほとぼりが冷めるまで生活できるところを紹介できるが……」
「教えてくれ!」
「紹介料は100万ペルーだ」
そう言うと、男は黙って俯いた。フィオールはそんな男のグラスに酒を継ぐ。並々と、溢れるのも気にせずに。
「女には気をつけねぇと。節操のない付き合い方をしていると、こういう目に合う」
「……」
「いいだろ、ここの酒代で手を打ってやる」
フィオールの言葉に、男は顔を上げた。フィオールは自分のグラスに酒を注いでいる。
「男としてはお前に同情しちまうよ。俺も女には何度泣かされたことか」
思いだして溜息をつくフィオール。そんな彼に、男は悲しげに笑いながら言った。
「…助かる。お前も大変だったんだな。今は女、いないのか」
「…いないわけじゃないが」
「上手くいってるのか?」
クリストフを思い出してフィオールは、あー、と覇気のない声を出した。
「えらく強気な女でな、しょっちゅう殴られる」
「カカア天下ってやつか」
「ああ、俺よりずっと年上の息子とかもいて……いろいろ悩んでるよ」
表面張力でたゆたゆと波打つ酒を啜っていた男は、思い切り噴き出してしまった。ごほごほと咽る男を、フィオールは呆れたように見つめる。
「お前っ、どんなババアと付き合ってんだよ!」
「まあババアなんだけど……その、」
フィオールは頬を赤らめ、そっぽを向いた。
「可愛いとこも、あるんだよ」
照れている彼を見て、吐き気を催す男。これが俗に言う熟女趣味なのか。35歳の美人局に引っかかる自分が、まだマシに思えた。
「…恋愛は人それぞれだな」
男がそう言うと、フィオールは笑った。
「お前みたいな熟女趣味もいるしな」
「それはお前だろ」
男がフィオールを睨むと、フィオールは何かを思い出したかのように険しい顔をした。かと思うと、ゆっくり前を向いて両手で顔を覆った。
「自覚はないが、俺……少女性愛ってやつかもしれない。どうしよう」
「…何を言っているのかさっぱりわからないんだが」
一人頭を抱えるフィオールを、男は不思議そうに見つめていた。
「開いた!すごい!」
「しっ!」
盗賊団アジトにある小さな倉庫の前。カイザの技術を目の前にして目を輝かせるシドの口を、カイザは手で抑えつけた。シドはこくこくと頷く。カイザはそっと手を離し、倉庫の扉を開けた。真っ暗で、人がいる様子はない。
「……」
二人は素早く中に入り、扉を閉め、シドは蝋燭に火を灯した。その明かりを頼りに、カイザは再び鍵をかける。
「…よし、物色するか」
「うん」
シドから蝋燭を受け取り、カイザは奥へと進む。その後ろにぴったりとくっついてシドは武器が並ぶ室内を眺めていた。カイザはその中で一本の剣を手に取った。それを見て、シドが聞いた。
「それ、持って行くの?」
「ああ」
剣をじっくりと見つめるカイザ。シドはキョロキョロとあたりを見渡し、下段の剣を手に取った。
「それ、刃毀れしてるよ。こっちの方がキレ味いいよ」
「うん。でもこの剣にはマーシャル家の紋章がついてる。たぶん、兵士が横流ししたものだ。貴族や王家の物には高い値がつく。紋章がついたものならなおさらだ」
「ふーん。じゃあ、これは?」
シドはカイザが持っている剣の近くに置いてある剣を指差した。カイザは首を横に振り、言った。
「それは偽物だ」
「なんでわかるの?」
「ここ」
カイザは紋章に埋め込まれた石を指差してシドに見せた。
「マーシャル家は本物のルビーを使っている。そっちのはただの石ころだろ」
「…本当だ」
「この本物を見本にして手下に作らせては金にしてるんだろう。せこいな」
カイザは剣を袋にしまった。その時、シドの真っ直ぐな視線に気付いた。少年は口を開けてカイザを見つめている。
「…何」
「盗賊って凄い。鍵も開けれて、目利きで、何処にでも入りこめて」
やってることは所謂コソ泥なんだが……カイザはそう思ったが、言わずにおいた。
「お前だってできるようになるよ。ちゃんと教えてやるから、金になりそうな物を見つけたら俺に見せてみろ」
シドは笑顔で頷き、近くの棚を物色し始めた。カイザも奥へ進み、隈なく金目の物はないか目を光らせる。しかし、こんな小さな盗賊団ではろくなものがない。貴族の剣をよく手に入れたものだと変な関心を抱いてしまう程。すると、カイザはある物を見つけてしゃがみ込んだ。
「カイザ、これは?」
箱の前でしゃがみ込むカイザに駆け寄るシド。その手には2本の剣と、一本のナイフ。カイザはそれを見て、はぁ、と小さく息を吐いた。
「さすが、小さな死神と言われるだけあって、選んでくるのはどれも殺しに打ってつけの代物ばかり」
シドが選んだ物を呆れたような目つきで見るカイザ。その中でも刃の黒い短剣を見て言った。
「このルーシアは売れるな」
「ルーシア? 黒鋼のこと?」
「知ってるのか」
「うん、僕ホワイトジャックでは黒鋼の鎖鎌使ってたから」
「そんないいやつ使ってたのか。黒鋼はその辺の鋼より価値がある。これはその中でもルーシアって街で作られた短剣だ。ルーシアは剣が有名なんだ。盗賊の間では盗品を作られた街の名前で呼ぶことも多い」
カイザはルーシアを袋にしまい、シドの頭を撫でた。
「俺だったら見落としてたよ。よく見つけてきたな」
シドはニッコリと笑った。カイザは微笑み返し、その手を離して箱の中に突っ込んだ。ごそごそまさぐり、一つの鉤爪を取り出しす。
「それも売れるの?」
「違うよ。この箱には盗賊の必需品がしまってある。お前が使う分、貰って行こうと思って」
「本当?」
シドは嬉しそうに箱の中を覗きこんだ。すると、カイザが、あ、と声を上げた。
「そう言えばお前、アーマー持ってないな。鉤爪もだけど、ワイヤーとかはアーマーがないと使えないんだよ」
「そうなの? でも僕のホワイトジャックのアーマーは塔で取られちゃった」
「お前子供だしな。特注で作らないといけないし」
カイザは困った顔をして頭を掻いた。
「まあいいか。クリストフにおねだりしてアーマー買おう」
「クリストフ、買ってくれるかな」
「服とかも買ってくれたし、大丈夫だろ。お前のことを戦力として認めてるからもしかしたら武器も調達してくれるかもしれないな。できればこの職人の街でいい物手にしといた方がいいだろう」
「そうしてくれたら嬉しいなぁ」
ベリオットに来るまで、クリストフの財布の紐がこぶ結びになっていることを思い知っているシドは少し不安そうだ。しかし、二人はそれぞれおねだりが失敗した時のことを考えていた。カイザはクリストフに渡す金と別にへそくりをする計画を、シドは適当な通行人を殺して金を奪うという計画ともいえぬ荒技を。この二人、本当の親子なのではないかと思う程思考が稼業に浸食されていた。
「…こんな感じか」
道具をまとめた専用の入れ物を腰に右腰の少し後ろに取りつけてもらい、シドは飛び跳ねて喜んだ。
「あとはアーマーと、ギバーだな」
難しい顔をするカイザを見上げるシド。
「ギバー?」
「上級の解錠器具だよ。それがあれば複雑な鍵も開けられる。でかい盗賊団のブラックメリーでも使いこなせる奴が少ないからあまり出回ってないんだ。こんなしけた盗賊団が持ってるわけないとは思ったが、ベリオットでも作れる職人がいるかどうか」
カイザは出口へ向かいながら言った。シドは浮かない顔をしてその後に続く。
「そんな道具、使えるかな」
「お前は使えると思う」
「何で?」
「勘」
えー、と不満げな声をあげるシド。カイザは扉に手を伸ばした。すると、外で数人の足音が聞こえた。カイザは手を引っ込めて後ろ手にシドに向かって差し伸ばした。シドは立ち止まり、黙り込んだ。近づいてくる足尾と話声。
「ったく、頭にも参ったもんだ。ダンテ相手に金儲けできるかっての。しかもあんなマーシャル家の偽物で」
耳を澄ましていたカイザは、ダンテという言葉にはっと息を飲んだ。
「戦争中なんだ、幾ら武器が必要だからってわざわざ高値のついた貴族の剣を買うか?」
「そうだよな。せめてルーシアもどきを格安で売りつけりゃいいのに、ケチって少量で大金稼ごうって腹だ。失敗したらこの盗賊団も終わりだな」
「俺実家に帰るわ」
笑い声と共に、足音は確実に近づいてくる。
「…カイザ、カイザ!」
シドの囁き声で、男達の会話に夢中になっていたカイザは我に返る。振り返ると、シドは剣を抜いて握りしめ、カイザを見上げていた。
「お前って何処で生まれたんだ?」
「知らねぇ。俺捨て子だったからよ。盗賊になる前はラパンのスラムで美人局の手伝いしてた」
鍵穴に鍵が挿し込まれる音がした。カイザは蝋燭の火を消し、シドの手を引いて扉の近くにある棚の陰に身を隠した。鍵が回され、扉が開く。ランプを手にした男を先頭に3人、入って来た。カイザが隙をついて出ようとした時、一人の男が立ち止まった。
「なんか、焦げ臭くないか?」
カイザは顔を顰めてブラックメリーに手をかけた。それを、じっと見つめるシド。
「確かに、蝋燭みたいな」
「火薬か?」
カイザの目の前には、弾薬を積んだ箱が。ランプを持った男が、カイザ達に近づいてくる。殺すか、いや、大事になっては面倒だ。カイザはブラックメリーを握りしめて立ち尽くしていた。その時、ランプの光が不自然に蠢き、ガチャンと硝子が踏み砕かれるような音がした。そして、部屋は暗闇に包まれた。入り口の近くで立ち尽くす男二人。目の前には、扉から差し込む月明かりの下で倒れ込む男と男が持っていたランプを踏みつける、フードをかぶった少年。その足元を、鮮血がじわじわと染めてゆく。振り返る少年の黒い瞳が、暗闇で赤く光る。
「う、うわぁ!」
悲鳴を上げて逃げ出そうとする男を、後ろから一突きにするシド。剣を抜くと、そのうなじから血が噴き出し、少年の顔を真っ赤に染め上げた。男はばったりと地に這いつくばり、動かなくなった。少年は声も出せずに立ち尽くしているもう一人の男を冷やかに見つめ、ニッコリと微笑んだ。
「…やめろ! 行くぞ!」
一瞬のことに唖然といていたカイザはやっとその足を踏み出してシドを担ぎ上げた。そして、立ち尽くす男を突き飛ばして倉庫を飛び出した。
「いいの? あいつも殺した方が……」
「こんなクズ盗賊団相手に、命のやりとりなんてするつもりはない」
走っていると、男の悲鳴を聞いたのか外に団員が出てきていた。門から出るのは無理だ。カイザは踵を翻してアジトの裏に回り込む。
「皆殺しにしたらいいんじゃないの?」
カイザはシドの呟きを無視して、裏手の壁の前でアーマーに鉤爪をつける。そして、シドをおぶって壁を登り始めた。シドは、じーっと騒がしくなる背後を見つめていた。
「まだ近くにいるはずだ! 探せ!」
男の声。カイザは舌打ちをして登る足を速めた。そして、上まで登り壁を越えようとした時。
「いたぞ!」
見つかった。シドは剣を握りしめて向かい打とうと身を乗り出す。カイザはその手を引いて、壁から飛び降りた。
「裏だ!」
アジトは工場に隣接しており、鉄の冷たい壁が並ぶ通りをカイザとシドは駆け抜ける。すると、背後から爆発音がした。周囲は一瞬明るくなり、強い爆風が二人の羽織を靡かせる。カイザが振り返ると、先程よじ登った壁に穴があき、黒い空に灰色の煙が立ち上っている。
「脳なしが。そこまでするか、普通」
そこから人が雪崩れるようにしてこちらへ走ってくる。
「行くぞ」
カイザはシドの手を引いて細い路地に入った。光も差し込まない、暗い道を二人は走る。目の前の光が見える出口を目指すが、そこに、人影が見えた。カイザは立ち止まり、辺りを見渡す。そして、一つの扉を見つけた。カイザが素早くその鍵を開け、二人はその扉の中に入った。そして、再び中から鍵をかける。扉に耳をあて、外の様子を伺うカイザ。
「何処に行った!」
「このあたりは職人共の工場が並ぶ。中に逃げ込まれたら面倒だぞ」
「早く探し出せ!」
ばたばたと人が駆けてゆく足音が、だんだんと遠くなりついに、聞こえなくなった。
「……」
カイザは扉に寄りかかり、深い溜息をついた。シドは、そんな彼を見つめて言った。
「皆殺しちゃえばいいのに」
そう、思っていたことがカイザにもあった。その方が早い、と。
「殺しと盗みは違う。確かに武器を交える機会もあるけどな、貴族の剣とルーシアなんて殺しをしてまで手に入れる価値もない」
「そうなの?」
「ああ。世の中にはもっと凄い宝もある。それにな、俺は基本的に隠密行動が好きなんだ。バンディみたいに派手に殺して物を奪う盗賊もいるが……」
「派手な方が、恰好よくない?」
カイザは無表情でシドを見つめた。
「…派手だと宝に辿り着く前にばれるから相手次第では失敗に終わる。その点、俺は人も殺さず誰にも気付かれず取ってくることができる。バンディより、俺の方が凄い」
しかし、カイザは後継者であることも明かされずに若衆団長、バンディは副総団長だった。
「そうなの?」
「ああ。ブラックメリーでも俺の方が評価が高かった」
確かに腕を見込まれ、大きな仕事を押し付けられることも多かった。つまり、こき使われていた。
「へぇ、さすがカイザ!」
少年は血みどろの顔を歪ませてニッコリと微笑む。カイザは変な虚しさでいっぱいになった。バンディなんかに張り合って、自分は何をしているのだろう……と、カイザは項垂れながらそう思った。
「…もう行くか」
「うん」
二人が立ち上がろうとしたその時、部屋の明かりがついた。眩しさに驚いた二人は、目を細めて前を見た。
「あれ、」
そこには、眼鏡をかけた男がいた。男は目をぱちくりさせて二人を見ている。
「…血?」
男は、返り血を浴びたシドを見ている。カイザがどうしようか考えていると、シドはすらりと剣を抜いた。それに気付いて、カイザはシドを止めようと手を伸ばす。しかし、シドはその手をすり抜けて男に向かってゆく。その幼い足は力強く踏み込み、細い腕が剣を振るう。
「やめろ!」
カイザが叫んだ。その声は鉄の壁を反射し、緩く空気を波立たせて消えてゆく。
「…ついに、嗅ぎつけてきたんだねぇ。結構早いね」
小さく震えるシドの剣先。少年に睨まれる男は、ペンチでシドの剣を挟みこんでいる。
「でも残念。革命軍の物資はもうダンテさんのところに運んだからここには何もないよ。死にたくなければ早く退散しな?」
「…何言ってんの、おじさん」
ピシッという耳をつく音。シドの剣に、罅が入った。
「僕、盗賊見習いなんだけど」
「…君は?」
男は立ち尽くすカイザを見て、聞いた。
「盗賊」
シドの剣が、ぽっきりと折れた。二人はそのまま向かい合う。シドは剣を放り投げて、ニコニコと笑う。
「おじさん、革命軍なんだね」
男はニッコリと笑い、言った。
「眼鏡屋さんだよ」
「弁解の余地ないぞ、あんた」
カイザが言うと、男は困ったように笑う。そんな男を、カイザは呆れたように見つめていた。シドの悪い癖が、こんな優男の本性を引きずり出した。
「まあ、なんだ。よくやった」
シドに歩み寄り、その頭を撫でるカイザ。男は首を傾げている。
「そのアーマー、ブラックメリーの人か。えーっと、眼鏡でも買いに来たの?」
まだ少し焦っている様子の男。カイザは真剣な表情で言った。
「話がある」
「話、ね。はいはい、とりあえず、工場じゃなんだから中に上がって。お茶くらい出すから」
場を和ませようとする男の手を掴み、カイザは言った。
「革命軍のダンテについて、教えてくれ」
「……」
冷え切った空気に満たされる、鉄の工場。パチパチと消えかけた明かりが、3人の影を点滅させる。表では盗賊達が戻って来たのか、走る足音がせわしなく聞こえていた。まだ、外に出られないカイザとシド。口走ってしまい、後に引けない男。3人は一先ず、同じテーブルを囲むしかないようだ。