24.酒は歳を重ねないと良さはわからない
夜の雪山。クロムウェル家の軍勢が山を越えようと吹雪の中を移動している。それを遠くから見つめる、銀色の瞳。
「構え、」
マントを翻し、大きく右手を翳した。その背後で、ぞろぞろと軍勢を狙う人影。
「…撃て」
白い雪道が、赤く染まる。吹き荒れる吹雪の風音。無音の、銀世界。
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「どうも、あのお方は読めませんね」
「誰のことだ」
夕食の支度をするガトーに、クリストフが聞いた。
「フィオールさんですよ」
クリストフは、あー…と薄い返事をして、フィオールが残していったシドの資料に視線を戻した。
「こんなことを言っては難ですが。頭の弱い人だとばかり」
「確かに馬鹿だがたまに凄いんだよ、あいつ。情報屋として一目置かれているだけはある」
そのようですね、と笑ってガトーは手を拭きながらティーポッドを取り出した。
「あの方はどちらの出身で?」
ルージュに聞かれ、クリストフは難しい顔をしてガトーの方を向いた。
「ガトー知ってるか?」
「いえ、俺は……」
クリストフはルージュを見下ろし、言った。
「お前、あいつに興味あるのか?」
「はい。僅かな時間で魔法を器用に使いこなしてらしたので。魔力は一般人より少し上、といったところなのが惜しいですね。強い魔力を兼ね揃えていれば、ヨルダ様にも負けない魔法使いになっていたでしょう」
「ヨルダ?」
「ダンテ様の一番弟子です。ノーラクラウンで領主の専属魔術師をしておりました」
クリストフは眉を顰めた。そんな少女の目の前に、ガトーはティーカップを置いた。
「ヨルダっていうのか。ダンテの弟子がなんであんな領主に仕えてたんだか」
クリストフは頬杖をついて資料をテーブルに置いた。
「火の指輪が目的だったようですが、私は既にニアに渡しておりましたので諦めて国を去りました。なんでも、妖精の指輪を探し回っているとか」
「ダンテは確か、この世の妖精とは契約し尽くしたと言っていたな」
「あの方は風の精霊様とも契約なさっておられるはずです」
「精霊と?」
驚いているクリストフのティーカップに、ガトーは温かい茶を注ぐ。立ち上る湯気を見つめて、ルージュは言った。
「ダンテ様だからこそできたのです。あの方が魔術師の最高峰として崇められる由縁でもあります」
「はぁ……あんなチビがね。フィオールもダンテに弟子入りさせるか。次、あいつらが蘭丸と闘って勝てるとも思えないからな」
「それは名案です。そしたらいつ瓶に閉じ込められても出られます」
「ははっ、そうだな」
茶を啜り、談笑をするクリストフとルージュ。喧嘩をしていた二人が仲良く話す姿を見て、ガトーは微笑ましく思っていた。
「あいつ、たまに凄いけど本当に馬鹿なんだ。ダンテは弟子にしてくれると思うか?」
「大丈夫です。陣や薬物を扱う魔法はできなくとも、基本的に鍛錬は勉強とは違いますので魔力さえ扱えれば馬鹿でも多様多種の魔法を習得できますから。弟子入りまでとはいかなくとも、役に立つ魔法を彼に授けてくださるでしょう」
「そうか、馬鹿でも大丈夫か」
「ええ、馬鹿でも使い道はあります」
「それはよかった」
その笑顔の裏で、ガトーはフィオールが哀れに思えてきていた。
「ぶえーっくしょい!」
「…すげぇくしゃみだな」
「ん、ああ。俺程になるとこう、現地妻達が心配して俺の噂し始めるんだよ」
フィオールは鼻を啜りながらへらへらと笑って見せた。カウンターで隣に座っている男はフィオールに鼻紙を手渡し、呆れたように笑った。
「情報屋も大変だな。伝説なんかの情報のために寒い中北まで」
「まあな。伝説だろうが法螺話だろうが、金にするのが俺の仕事だからな」
フィオールは手渡された鼻紙で鼻を噛むと、酒が入ったグラスを手に取った。
「じゃあ、さっきノーラクラウンのいい宿屋を教えてやったから1000ペルーな」
「え?! そんなので金取るのかよ!」
驚く男にフィオールは笑いながら言った。
「なんだよ、今度愛人と旅行するって言うから穴場教えてやったのに。じゃあ金はいいよ。俺探し物してるから、それについて何か教えてくれれば」
「調べものに探し物か。うーん、答えれば金は払わなくていいんだな?」
「おう、使えそうなネタならな。これくらいの金の輪なんだ。細かい古代サンクチュアリ風の装飾をされた盗品なんだが、知らないか?」
手で輪っかを作って見せるフィオール。それを見つめて男は小さく唸る。
「わからねぇなあ、骨董品には弱くて」
「そうか。じゃあ、ダンテっていう魔女を知らないか」
「魔女?ダンテって男の名前だろ」
「あだ名だあだ名」
男はぶつくさと何か呟いている。どうやら、ダンテという名前に聞き覚えがあるようだ。しかし、何やら諦めたような顔をして溜息をついた。
「はぁ、どうやら金を払うしかないみたいだ。俺の知ってるダンテっていうと今や革命軍の英雄で男だし、あいつが魔法を使うかは知らないが、北の魔女共とは面識あるって話だ」
「魔女達と?」
「頼む! 500ペルーに負けてくれ! そしたら俺の嬉恥ずかし赤裸々な半生を……」
「いやいや、」
フィオールは酒を一気に飲み干し、言った。
「その話、詳しく聞かせてくれ」
「え、いいのか?」
「ああ、釣りが出るくらいだ。その男について教えてくれたら、俺のとっておきの情報をプレゼントしてやるよ」
笑顔のフィオール。しかし、その眼光は鋭い。男はごくりと唾を飲み込んで、フィオールを見つめていた。
「ねぇねぇ、次は?」
「そうだな……ベリオットなら小さな盗賊団がいたはずだから、そいつらから巻きあげるか」
仕事を終えた職人達で賑わう繁華街。その小さな酒場で札束の枚数を数えているカイザと、グラスに注がれたジュースを飲みながらそれを見ているシド。カイザは数え終わるとそれを羽織の内側にしまい、ショットグラスを一気に飲み干した。
「…あったまってきた」
カイザは北に来てから気温の低さで震えどおしだった。酒を飲んで項垂れる彼は決して酔っているわけではない。寒さに耐えて疲れているのだ。
「ねぇ、お酒って美味しい?」
そんなカイザの目の前には、冷えたジュースを美味そうに飲むシドが。その様子を見ているだけで、カイザは寒くなってしまった。
「…まあ、美味しいよ」
「僕も飲みたいなー」
ニコニコと氷が入ったグラスを握りしめて楽しそうに足をパタパタさせるシドに、カイザは困ったように言った。
「…10歳だっけ。飲むのは勝手だが、まだ不味く感じるんじゃないか?」
「そうなの?」
「大人になると美味く感じるんだよ。子供が飲んでも不味いだけだ」
「ふーん。じゃあ、カイザはいつお酒好きになったの?」
カイザは盗賊団で飲み明かした日々をふと思い出した。あまり美味いと思えず付き合いで飲んでいたが、いつの間にか美味く感じていた。気付くとベロベロになるまで仲間と杯を交わしたりと、飲み方を覚えてからはその時間だけは心が少し楽になるのだった。
「俺は遅かったよ。つい2、3年前だ」
「そっか。カイザは20才だから……あれ?」
指折り数えてみるものの、シドは難しい顔をしている。子供とは思えない口の利き方をするこの少年、数字には弱いらしい。それに気付いたカイザは、ふっと小さく笑った。
「18だ」
「じゃあ僕も18才になったらお酒飲む」
「ああ、そうしろ。俺の国では18から酒を飲んでもいいことになってるし」
「へぇ、そういう決まり事があるんだ。初めて知ったよ」
とんだ無法地帯で育ってきたのだ、知らなくても当然だ。カイザは法律などもある程度教えた方がいいのか、考えていた。
「…カイザ、」
酒をグラスに注ぎながら、とりあえず最低限の教養から叩きこもうと考えいたカイザは、シドに呼ばれてそちらを見た。
「何だ?」
「僕、殺し屋なんだけど……」
「…?」
「殺し屋って、盗賊になれる?」
空っぽのグラスを握りしめ、中の氷を見つめるシド。カイザは、少年が何を言わんとしているのかなんとなく察していた。しかし、どう返答したらいいのか、悩んでしまった。
「僕、カイザみたいな盗賊になりたい」
少しは人らしくなるように育てよう。そう、考えてはいた。できれば盗賊などにはしたくない。本当は、普通に日の下で生きてほしい。それができないことも、わかっているのだが……幼い少年はカイザには眩しく、希望で溢れたものに見えるのだ。まだまだやり直すことができる。そんな、ホワイトジャックを追われた脱獄囚には儚すぎる希望。
「…なれるだろ。お前なら俺なんかより凄い盗賊に」
カイザがそう言うと、シドの表情が明るくなってゆく。
「本当?」
「ああ。なんなら今日盗賊のアジト探してそこからお前が使うための道具もかっぱらってくるか」
「やったあ!」
自分は嫌で仕方なかった盗賊という肩書を、この少年は無邪気に欲している。それがカイザは哀れにも思えたが、仕方がないことにも思えた。幼くして神に見捨てられ悪魔にその身を守られる孤独な悪党。そんな少年もいつか、自分が世界でどんな立場にあるかを知らねばならない。少年が酒を飲める歳になるまでには、理解してもらいたい。そう、嬉しそうにしているシドを見つめながらカイザは考えていた。
「ねぇ、いつ盗賊になれる?」
「そうだな……」
マスターやフィオールが教えてくれたこの世界で生きていくための気構えを理解した時、カイザはやっと盗賊として生きる決意ができた。それは、つい4週間程前の話。
「酒が美味く感じたらかな」
「えー…じゃあ、それまで僕は殺し屋のままなの?」
「せめて盗賊見習いにでもしとけ」
あ、そっか、と納得してシドはニコニコと笑う。カイザはそんな少年が立派な盗賊になる姿を思い浮かべて、少し笑った。